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2009年8月2日 - 2009年8月8日

2009年8月 8日 (土)

渡辺京二『北一輝』

渡辺京二『北一輝』(ちくま学芸文庫、2007年)

 日本の近現代史で最も注目を浴びるトピックの一つは二・二六事件であろう。軍国主義批判の義務感からか、さもなくば革命幻想のロマンティシズムをかきたてられるせいか、秦郁彦が“二・二六産業”と呼んだように玉石混淆おびただしい刊行物が量産されている。しかしながら、このクーデター未遂の理論的支柱とされた北一輝の思想については意外と誤解も多い(そもそも、事件を起こした青年将校たち自身が理解していたかどうか疑問である)。このように関心が高い割りには、北の主著である『国体論及び純正社会主義』にきちんと目を通した人は少ないとも言われる。確かに、正直言って読みづらい。文体が晦渋というだけでなく、北は独学の人であるため、基礎概念から手作りで、そこに誤読の余地があるのかもしれない。裏返せば、彼の思索のオリジナリティーと解することもできる。

 例えば、彼は自らの立場を「社会民主主義」と言う。しかし、現在使われている語感とは明らかに異なる。大雑把に言ってしまうと、社会主義=人々の有機的な共同体としての一体感→国家主義であり、民主主義=各自の個としての自覚に基づく社会→個人主義・自由主義。ただし、個人の共同体への犠牲的奉仕を強いるのは「偏局的社会主義」であり、個人の放恣を許すのは「偏局的個人主義」であるに過ぎず、この両者をアウフヘーベン(という表現を北は使わないが、本書は彼のロジックにヘーゲル的弁証法を見出している)→「社会民主主義」ということになる。現代における福祉的配分政策としての社会民主主義は、北の観点からすればパターナリスティックな専制支配に堕するとして斥けられることになる。北が目指していたのは、国家という共同社会を通して、その構成員たる一人一人が自らの可能性を最大限に追求していくことであった。「彼は精神の可能性をはばまれるのが、いやなのであった。そして、衆人の魂がそこでは高くはばたけると信じたからこそ、彼は社会主義社会を求めた。彼には、類的存在としての人間は、過去のすべての遺産をとりこみながら、より高きへと展開するものというイメージがあった」と本書は指摘する(130ページ)。私の場合、自由と秩序は、両者の折衷ではなくいかに同時的に両立できるのかという政治哲学的テーマを独自に模索した人物として関心がある。

 こうした社会実現のため、彼は明治維新に続く「第二革命」を模索、その際に結集軸となるのが「天皇」である。ただし、ここでも北は独自のロジックを展開する。ヨーロッパでは市民革命→君主権の制限→個人の権利拡大という筋道をたどった。ところで、日本の天皇はヨーロッパの君主とは異なる。京都に逼塞していた天皇を国民の方こそが拾い上げてやって維新のシンボルに仕立て上げたに過ぎず、支配者としての実体はない。つまり、北独自のロジックで天皇機関説をとっている。『国体論及び純正社会主義』で天皇を「土人部落の酋長」呼ばわりしていること、二・二六事件後、処刑されるにあたり、西田税から「天皇陛下万歳と唱えましょうか」と問われたとき「それには及ぶまい」と答えたことはよく知られている。こうしたあたりからも、北自身の思考構造はいわゆる右翼や青年将校たちとは明らかに異なっていたことが分かる。

 「観世音首を回らせば即ち夜叉王」と言うような、ある種の理想主義とマキャヴェリズムとが並存したところ、大川周明が“魔王”と評したごとく常人道徳を超えた確信的な凄味、こうしたパーソナリティーも北という男に不思議と目を引き付けられるところだ。

 北については、右翼は右翼の立場から、左翼は左翼の立場から、それぞれの思惑が先に立ってほめたりけなしたりする。当たり前の人物だったらそれでも簡単に料理できるかもしれない。しかし、北のように理論的にも、パーソナリティーとしても、独特な凄味=オリジナリティーを持った思想家の場合、そういった図式的な理解は全く無効である。本書は、日本独自のコミューン思想をたどるという著者なりの明確な意図を抱きつつ、このように難しい北という人間を出来るだけ内在的に把握しようと努めている点で、数ある北一輝論の中でも第一等に読まれるべき本だと思う。(なお、北一輝研究では松本健一の蓄積ももちろん無視できない。ただし、松本さんのお書きになるものに私は敬意を持ってはいるが、良い勘所を示しても表面をなぞって終わってしまい、どうしてもっと深く掘り下げてくれないのだろう?と隔靴掻痒のもどかしさを感じることがしばしばある。)

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「モノクロームの少女」

「モノクロームの少女」

 廃校となった中学校、人の気配がなくなってほこりにまみれた美術室で見つけた、一枚のモノクロームの写真。写っているのは、ショールをはおって憂いを帯びた眼差しでこちらをみつめる美少女の姿。この人は誰なのだろう? 知っている人がこの村にいるのだろうか? 関係者探しに、少年少女の淡い三角関係も絡まって物語は進む。

 筋立ては陳腐と言ってしまえば陳腐。少年少女役もどこかぎこちない。だけど、この映画の主役は、むしろ農村風景が様々に見せる穏やかな表情だろう。映画の中で美術の先生が言うように、田畑作業のつらさを知らない人間の押し付けがましい感傷に過ぎないのかもしれないけれど、この落ち着いた雰囲気には素朴にいとおしさを感じる。ストーリーの陳腐さも、少年少女のぎこちなさも、すべてこの中に包み込まれる感じで、そこから漂っているほのかなノスタルジーが私は結構嫌いじゃない。

 舞台は新潟県の栃尾(ちらっと油揚げの話題が出るのはこのためか)。中越地震のシーンも物語に織り込まれている。

【データ】
監督・脚本:五藤利弘
出演:寺島咲、入野自由、川村亮介、大杉漣、大桃美代子、モロ師岡、加藤武、他
2009年/99分
(2009年8月7日レイトショー、渋谷シアターTSUTAYAにて)

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2009年8月 7日 (金)

阿部博行『石原莞爾──生涯とその時代』

阿部博行『石原莞爾──生涯とその時代』(上下、法政大学出版局、2005年)

 日本の近代思想史を眺めわたしたとき、図式的な理解の範疇に収まらないというか、どのように位置付けたらよいものやら戸惑う不思議な人物が何人かいる。最たるものは北一輝だと思っているが、石原莞爾もまた評価がなかなか難しい。満州事変の張本人、侵略主義者として批判するにせよ、東亜連盟運動に平和思想を見いだすにせよ、あるいは『戦争史大観』で示された戦史家としての卓抜な着眼点を評価するにせよ、日蓮主義に基づく最終戦争論に独特な思想家としての相貌を見いだすにせよ、様々な切り口があり得る。それこそ論者によって十人十色の石原莞爾像が示されてくる。だが、その分、ある種の思い入れの強さから、石原を論ずるというよりも、石原に仮託して論者自身の主義主張を打ち出しているだけなのではないか、そんな疑問を感ずる論考も少なくない。

 本書は、厖大な文献・史料を渉猟して、石原の伝記的事実や何らかの形で彼と接点を持った人々とのエピソードを丹念に集めている。著者自身の解釈は極力抑えられ、石原の年譜を文章におこしたという感じか。玉石混交、類書の多い中、この着実さはやはり信頼の置けるもので、基礎研究というのはやはりこうでなくてはならない。思想史として論じたい場合でも、まずは本書が出発点となるだろう。

 私のような歴史オタクには、人脈的なつながりが色々と見えてくるのが面白い。石原莞爾といえば、ただちに日蓮主義というイメージが浮かぶ。彼が田中智学の国柱会に入ったのとほぼ同じ頃に宮沢賢治も国柱会に入信しているという事実関係を強調したがる人は少ないな。宮沢賢治ファンにはヒューマニストが多いし、ヒューマニストは軍人が嫌いだからか。昭和初期の時代風潮における日蓮主義というのは検討に値するテーマで、国柱会ではないが北一輝や井上日召もそうだし、創価学会や立正佼成会など新興宗教団体もある。なお、石橋湛山も日蓮宗だが、生家がお寺という事情だから、思想史的に結び付けるのは無理があるかもしれない。

 軍人つながりでは、石原は梅津美治郎、阿南惟幾、武藤章を高くかっていたらしい。立場的対立はあっても陸軍をまとめられるのは梅津だけだと考えて、時折相談にのっていたという。そういえば、筒井清忠『昭和十年代の陸軍と政治──軍部大臣現役武官制の虚像と実像』(岩波書店、2007年→こちら)でも梅津の存在感が特筆されていた。武藤を抜擢したのは石原だが、中国政策をめぐり、不拡大方針の石原に対して武藤は積極論を主張して決別。ただし、後にその武藤も、日米開戦を回避しようと努力しながら、結局、下からの突き上げを抑えきれなかったというのも皮肉な巡り合わせである(保阪正康『陸軍省軍務局と日米開戦』中公文庫、1989年→こちら)。

 浅原健三(八幡製鉄所のストライキを指導したことで有名)、橘樸、宮崎正義、十河信二といったあたりは満州人脈で理解できるが、東亜連盟の関係で大河内一男(東京帝国大学・社会政策)、新明正道(東北帝国大学・社会学)、中山伊知郎(東京商科大学・経済学)、細川嘉六(『改造』発表論文がもとで横浜事件がおこる)、木下半治、市川房枝、稲村隆一(農民運動、戦後は社会党代議士)といった名前が出てくるのは面白い。左翼勢力がほぼ壊滅状態にあった1940年代、政府批判の論陣を張っていたのは東亜連盟か中野正剛の東方会くらいだったこと、東亜連盟には大陸における日本の侵略行動を批判するロジックがあったこと、こういった点が指摘できるだろうか。それから、東亜連盟は各民族の政治的独立という主張も掲げていたので、朝鮮人もかなり加盟していた。石原と行動を共にした幹部で曺寧柱という人が頻繁に出てくるし、安宇植「気さくで温厚だった曺寧柱に信頼を置く」(→こちらで読める)によると、他にも朴錫胤、姜永錫といった人たちがいたらしい。この辺りも興味がひかれる。

 それから、いわゆる「首なし事件」(警官による拷問を告発)で正木ひろしを激励し、書簡を交わしていたのは初めて知った。『近きより』を読んでいたということか。

 以上、駄弁でした。

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2009年8月 6日 (木)

白戸圭一『ルポ 資源大陸アフリカ──暴力が結ぶ貧困と繁栄』

白戸圭一『ルポ 資源大陸アフリカ──暴力が結ぶ貧困と繁栄』(東洋経済新報社、2009年)

 資源輸出をテコにして一定の経済成長も少なくとも統計数字上はうかがわれるアフリカ。それにもかかわらず、実態は今さら言うまでもなかろう。本書は、毎日新聞のヨハネスブルク特派員として南アフリカ、モザンビーク、ナイジェリア、コンゴ民主共和国(旧ザイール)、スーダン、ソマリアなどの各地を歩いて現場を見聞したルポルタージュ。

 南アフリカの治安の悪さは有名である。組織犯罪、人身売買、そして絶え間ない暴力の日常──。国全体が貧しい場合にはこれほど治安が悪化することはない。しかし、南アは貧困と経済大国としての豊かさとが並存したいびつな状態にある。スラムのすぐ目の前に富がある。むしろ、極端なまでの貧富の格差が人びとの気持ちを荒ませ、暴力で奪い取ろうとさせる構図が指摘される。本書の最後、著者の知人が交通事故で公立病院に運び込まれたが放置されて死んでしまった問題からは、南アにも高度な医療技術があるにしても、かつてアパルトヘイトの時代は白人、現在は金持ち(つまり、政治活動を通して特権階層にのし上がった黒人)以外はアクセスできないという現実がうかがえる。

 コンゴの大統領選挙では、人びとの鬱積した不満が排外主義的・暴力的な主張に取り込まれていく様子が観察される。コンゴやスーダンが資源輸出による資金で軍備を購入、それが内戦や政治弾圧に使われていることは周知の通りだろう。中国のアフリカ進出がここのところ目立つが(とりわけ、ダルフール問題を抱えるスーダンへのバックアップは国際世論の批判の的となっている)、事実上無政府状態に陥っているソマリアですら中国人技術者と出会ったというのが驚きだ。こうした中国人のアフリカ進出のことは松本仁一『アフリカ・レポート』(岩波新書、2008年)でも記されていた。現地では、政府による抑圧構造の背景に中国が存在しているとして人びとの反発を受け、それが場合によっては排外主義の的となって暴力的な襲撃を受けてしまうこともあるらしい。

 何かが、どこか、タガが外れてしまっている。そこには構造的な要因があるはずなのだが、その解法がなかなか見つけられないもどかしさ。本書はそうした困難なアフリカの問題を、現地の様々な人から聞き取った記録を通して報告してくれる。

 アフリカの問題については、以前、ロバート・ゲスト(伊藤真訳)『アフリカ 苦悩する大陸』(東洋経済新報社、2008年→こちら)、松本仁一『アフリカ・レポート』他(→こちら)を取り上げたことがある。経済的・政治的構造についてはポール・コリアー『最底辺の10億人』(→こちら。邦訳は、中谷和男訳、日経BP社、2008年)、『戦争・銃砲・投票──危険地帯のデモクラシー』(→こちら)も読んだ。ソマリアについてはこちら(→)にまとめた。スーダンのダルフール問題については、ダウド・ハリ(山内あゆ子訳)『ダルフールの通訳』(ランダムハウス講談社、2008年→こちら)がある。コンゴ民主共和国近隣で拡大した紛争の要因としてルワンダのジェノサイドについても触れられるが、当事者の記録として、ポール・ルセサバギナ『An Ordinary Man』(→こちら。邦題『ホテル・ルワンダの男』堀川志野舞訳、ヴィレッジ・ブックス、2009年)、ロメオ・ダレール『悪魔との握手──ルワンダにおける人道の失敗』(→こちら)を取り上げた。特に、『悪魔との握手』は平和維持活動の問題を考える上で必読だと思っているのだが、邦訳はまだない。どこかが版権をおさえているらしいので、遠からず刊行されるものと期待している。

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2009年8月 4日 (火)

石牟礼道子『苦海浄土』

 石牟礼道子『苦海浄土──わが水俣病』(講談社文庫、1972年)、『苦海浄土・第二部 神々の村』(藤原書店、2006年)を手に取った。時々勘違いしている人がいるけれど、石牟礼さんはいわゆる社会運動家とは違う。文章を素直に読めば分かるが、ある種の生硬さとは無縁の人である。

 詩人の相貌には、山川草木に息づく霊魂のささやきを言葉に移しかえていく、そうしたいわば巫女としての面持ちが浮かぶ。石牟礼さんがまさしくそうだ。同じ水俣の風土に馴染んだ者として、水俣病患者に降りかかった苦難を目の当たりにし、言葉にはならぬかそけきうめきを我が身に受け止め、形を与え、リズムを与え、表現として紡ぎ出していく。うめきそのものが表現を求める。彼女の筆を通して語られつつも、媒介者としての言葉はもはや彼女のものではない。だから、“正しい”ことを語る語り口がともすれば帯びやすいこぶしを振り上げるようなおごりたかぶりは微塵もない。うめきそのものなのだから、彼女もまたそれを受苦せざるを得ず、そしてただひたむきにうめきのたどる道行きを共にたどる。

 人びとの思いが、水俣の土地の言葉でつづられる。その肉感的な生々しさが胸を打つ(ただし、この作品を編集者として世に送り出した渡辺京二氏の解説によると、必ずしも正確な聞き書きではないらしい)。国家や経済社会が押し付けた所業への呪詛も込められつつ、同時に、それへの抗議として一つの政治的ロジックにまとめあげようとする人びと、もちろん、動機は良心的ではあるのだが、そうした人たちへの微妙なわだかまりもまた、ほんの時折ではあるにしても筆先ににじむ。

 近代文明、知識人(水俣の人たちは東京の役人や政治家を指して「東大アタマ」と表現していた)、彼らの使う言葉によって、皮膚感覚からにじみ出た限りない切迫感が周縁化されてしまっているという違和感。大文字の〈近代〉に対する、土に根ざした声を以てする異議申し立てという構図は今さら陳腐に堕するかもしれないが、水俣病患者のうめき声を通した、概念でもなく、正義でもなく、言語以前に立ち上る根源的な問いかけ、それを見事に表現し得ているのは、ただひとえに石牟礼さんの時には不器用にすら思える誠実さ以外の何ものでもない。

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2009年8月 3日 (月)

「意志の勝利」

「意志の勝利」

 famousというべきか、notoriousというべきか、戦後ながらく封印されていたレニ・リーフェンシュタール幻の代表作「意志の勝利」。1934年にニュルンベルクで開催されたナチス党大会の記録映画である。ドイツでは現在でも上映禁止らしい。現代史をテーマとしたドキュメンタリー番組や歴史書で断片的に見かけることはあっても、全体を通して観たことはなかったので、上映されているのを知って早速観に出かけた。なお、私はナチズム礼讃者でも何でもなく、ただのノンポリです。念のため。

 大空に広がる雲海のただ中、飛行機が徐々に下降して雲を突き抜け、古都ニュルンベルクが見えてくる。随所ではためくハーケンクロイツの党旗、街路ではアリのように小さく見える人々が隊列を組んでいる。着地した飛行機から姿を表わすアドルフ・ヒトラー、歓呼して迎える群衆。ドイツ帝国を俯瞰的に捉え、そこに降り立つ救世主ヒトラーというイメージ、いわば立体的に神話世界を組み立てた構図が冒頭のシークエンスからうかがえる。こうした出だしにレニは強くこだわっていたらしく、ヒトラーから冒頭にこれこれの場面を置いたらどうかと提案があったとき、彼女はそんなの芸術的じゃない、雲海のイメージ以外にあり得ないと頑強に抵抗してヒトラーを不快にさせたらしい(レニ・リーフェンシュタール『回想 20世紀最大のメモワール(上)』椛島則子訳、文春文庫、1995年)。

 光と影の効果をたくみに使ったカメラアングルも良いし、それから素材と舞台だ。なにしろ、民間映画会社ではとてもじゃないが賄いきれないセットを国家予算で用意しているのだから。労働奉仕団の集団パフォーマンス、国防軍・突撃隊・親衛隊の整然たる行進(あの独特なグース・ステップ!)、これほどのマスゲームをやるのはいまどき北朝鮮くらいのものだろう(美的センスには乏しいが)。なお、三ヶ月前におこったレーム粛清(“長いナイフの夜”)で突撃隊幹部が一掃されており、新たに幕僚長となったルッツェが親衛隊のヒムラーと並んでヒトラーに忠誠を誓うこと、これまで突撃隊と対立してきた国防軍が党大会に初めて参加したこと、こうして多元的にいがみ合っていた軍事組織がすべてヒトラーの完全掌握下に入ったことを形式として示すこともこの党大会に期待されていた。

 会場のプランを立てたのは建築家のアルベルト・シュペーア(後の軍需大臣)である。やはり建築に多大な関心を寄せるヒトラーから絶大な信頼を得ていた彼は、レニと同様、第三帝国の演出家となる。彼の演出により夜間の屋外会場でサーチライトが空に立ち上るシーンの写真を見たことがあるが、これもまた実に格好良い(井上章一『夢と魅惑の全体主義』文春新書、2006年)。

 そして、役者。次々とナチスの指導者たちが登壇するが、断然異彩を放つのはやはりヒトラーである。聴衆の拍手がやむのを待って静かな語りかけで始め、絶叫調で盛り上げる演説は、俳優としての素養が十二分にうかがわれる。彼は政治活動の早期から演説の練習に余念がなくて(それを戯画的に捉えた映画が「わが教え子、ヒトラー」である→こちら)、振り付けのパターンを撮った写真を見たことがある(ヘルマン・グラーザー『ヒトラーとナチス』関楠生訳、現代教養文庫、1963年)。他方で、彼の演説を聴いて感動した人が帰宅後に新聞で演説要旨を読んだところ、何でこんなつまらない話に感動したんだろう?と不思議に思ったというエピソードも何かで読んだ覚えがある。ヒトラーは、マスメディアの発達により、理屈による説得ではなく視聴覚的・直感的印象で影響力を及ぼせるようになって初めて登場し得た独裁者だったと言える。

 いずれにせよ、素材は記録映像であっても、一つの美意識に基づいた“神話物語”として再構成されている点で「意志の勝利」は単なるドキュメンタリー映画ではない。たとえば、同時代の日本のニュース映画を観ても、「戦果赫々云々…」とがなり立ててはいるが、比べてみると野暮ったさが際立つ。“事実”を“物語”に作り替え、自分たちがその“神話”の中に組み込まれて戦っているんだと思わせることができなければ、人間の精神は鼓舞されない。集会参加の陶酔感→美意識に基づき映像で再構成→国民すべてを巻き込む集団的儀礼→“神話世界”において祭祀者を演ずるヒトラー→民衆の喝采による権威の承認とナショナルな一体感、これこそ直接民主主義の極致であろう。皮肉な話だが、ルソー『社会契約論』で示された“一般意志”はこの点において実現される。「意志の勝利」の映画としての出来栄えがあまりにも良すぎたからこそプロパガンダ映画として成功してしまったというのも、何とも言い難い逆説である。

 美的意識がナチズム体制を形成する基盤となったことについては田野大輔『魅惑する帝国──政治の美学化とナチズム』(名古屋大学出版会、2007年)に詳しい(→こちら)。ナチスと映画との関わりについては飯田道子『ナチスと映画──ヒトラーとナチスはどう描かれてきたか』(中公新書、2008年)がナチスの作ったプロパガンダ映画と、戦後の映画におけるナチス・イメージとの両方に目配りしながら概説している。考えてみたら、スポーツ映画に興味がないので「オリンピア」は観ていないし、レニの伝記映画もまだ観ていなかったな。

【データ】
原題:Triumph des Willens
監督:レニ・リーフェンシュタール
ドイツ/1935年/114分
(2009年8月2日、シアターN渋谷にて)

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2009年8月 2日 (日)

「美代子阿佐ヶ谷気分」

「美代子阿佐ヶ谷気分」

 ほとんど予備知識なしに観にいったのだが、むかし『ガロ』誌上で一定の支持を集めていた安部愼一という漫画家の話。同棲相手である美代子との関係を描いた私小説的な作風で、この映画もそれに基づく。こういう無頼派的な作家というのも今では見かけないな。自分の生身の経験を描きたいという自我へのこだわり、美代子との関係を断ち切りそうでいながら強い執着を見せるあたり、一種の共依存か。

 1970年代の東京の風景、その中でウェットに気だるい情感の漂うシーンがところどころあって、なかなか悪くないと思う。ただし、私はもう世代が異なるせいだろう、共感の糸口はつかめなかった。そうか、むかしはこういう青春を過ごした人たちがいたのか、しかし時代は変わったんだなあ、と思いながら観ていた。私の場合、むしろ乾いた倦怠感の方に真実味を感じるタイプなのだが、世代間のこうした感覚的な違いそのものが社会学的考察の対象になるのではないかという気もする。

【データ】
監督:坪田義史
原作:安部愼一
出演:水橋研二、町田マリー、佐野史郎、ほか
2009年/86分
(2009年8月2日、渋谷、シアターイメージフォーラムにて)

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