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2009年6月28日 - 2009年7月4日

2009年7月 3日 (金)

苅谷剛彦『教育と平等──大衆教育社会はいかに生成したか』

苅谷剛彦『教育と平等──大衆教育社会はいかに生成したか』(中公新書、2009年)

 戦後日本の教育制度は義務教育を広く拡充させた一方で、個性抑圧の画一性・国家統制といった批判も根強い。本書は義務教育費配分という財政構図の問題を切り口に日本の教育システムの背景にあるロジックを浮き彫りにする。

 戦後間もなく、地域間の経済格差と教育的達成とに相関関係が見られ、こうした障害をなくして如何に教育環境を全国均質の水準に持っていくかが課題となっていた。本来ならばアメリカのように生徒単位の財政配分をしたいところだが、財源上の制約から教員単位の財政配分となり、財源の効率活用のためカリキュラムも標準化→生徒一人ひとりではなく集団単位で教育条件の均質化を図る→“面の平等化”が行なわれた。これが画一化・国家統制の表われとも批判されたが、他方で教育条件の格差の是正という点では地方でも下からの努力が見られた。そうした点では政府による政策と教育現場、双方の合意によって“面の平等化”という形で格差是正が進められたと言える。

 メリトクラシー(業績主義的な選抜システム)の正当性を担保するには、スタートラインは同じ、つまり教育における機会均等(仮にフィクションであったとしても)が行渡っているとみなされていなければならない。戦後日本の教育には確かに色々と問題もあるだろうが、システム上の信憑性を確保できる程度には成果があったと考えられる。個性重視教育は能力主義差別につながるという考え方があるが、こうした“面の不平等”の是正によって、個人間の差異を際立たせない(つまり、生徒に差別的処遇をしない)形で一定の教育の平等を達成した(つまり、劣悪な教育条件で不利な立場にある生徒も間接的に救済した)と評価できるという指摘が興味深い。

 教育の均質化に対しては、かつては生徒の内発性・やる気を損なうという心理的な個人主義、近年は経済主体としての自己決定に重きを置く新自由主義的な個人主義から批判がある。それぞれ一理はあるにしても、教育の問題も含め社会制度を考える上では自由と平等のアンビバレンスという究極の困難を避けて通ることはできない。本書はそうしたアポリアを正面から受け止め、教育における共通化か差異化かという二項対立を乗り越えようというところに問題意識がある。

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2009年7月 2日 (木)

月脚達彦『朝鮮開化思想とナショナリズム──近代朝鮮の形成』

月脚達彦『朝鮮開化思想とナショナリズム──近代朝鮮の形成』(東京大学出版会、2009年)

 19~20世紀朝鮮半島における近代化とナショナリズムをどのように考えるか。伝統的停滞からの脱却→自律的な“近代”志向=進歩性を開化派に見出した姜在彦の研究がある一方、それを批判する民衆史観もある。こうした議論の枠組みとは異なる視点を出そうとする本書は、“国民国家”創出の運動というコンテクストの中で開化思想を捉える。

 慶應義塾への留学経験があり、後に朝鮮の啓蒙思想家として著名となる兪吉濬は、独立した国家を一人一人が支えるという構想を持っていた点で福沢諭吉「一身独立して一国独立す」というテーゼを想起させる。日本・朝鮮ともに、西洋の先進性で文明開化を捉えて中華文明を相対化した点では共通するが、福沢にとって文明開化はあくまでも独立の手段に過ぎないのに対し、兪の場合には文明開化を新しい“中華”=価値的原理とみなす普遍主義的傾向があったという。開化思想を近代志向一辺倒で捉えるのではなく、そこに刻み込まれた儒教的色彩にも目配りされる。

 近代東アジアの国際秩序は中華文明圏における冊封体制とヨーロッパ起源の“万国公法”システムとのせめぎ合いとして捉えられるが、本書では外交儀礼のあり方に着目される。冊封体制の中国(清)、万国公法の日本及びヨーロッパ、両方と対等な関係を示すべく新しい皇帝像が打ち出される(1897年に大韓帝国成立)。それは同時に、対内的には“一君万民”という形で国民統合のシンボルとして作用することも期待された。“見える皇帝像”を打ち出す→皇帝の巡幸、万歳の唱和→国家的儀礼に民衆も参加→“国民”の創出、こうした本書の議論はとても興味深い(天皇の巡幸に注目した原武史の研究が想起される)。

 こうした上からの“国民”創出の動きに相補的な役割を果たしたとされる独立協会については、従来、その愚民観→反民衆的傾向が指摘されていたが、むしろ近代化→民衆を“国民”化すべき対象として捉えていたと考えることもできる。“忠君愛国”を規範として教化→“一君万民”→皇帝をシンボリックな媒介として民権と国権との両立が図られていた。ただし、日本による韓国併合に向けた動きが強まる中、“忠君”と“愛国”とが分離→三・一運動において“万歳”の唱和→この時点ですでに朝鮮/韓国としてのネイションは自明視されていた。

 朝鮮/韓国における近代化を考えるときどうしても“親日”の問題を避けることはできないが、本書では“愛国”概念は広く捉えられる(李完用たちにしても単純に売国奴と切って捨てても意味がない)。日韓協約によって日本の保護国にされる中、実力養成を目指して愛国啓蒙運動が展開された。このうち、立憲改新派は文明の不足を自覚→学ぶべきは学ぶという姿勢→近代化を自明視。他方、改新儒教派のうち、儒教の道義性こそ西洋文明を超克できる思想だという朴殷植のような主張もあった。東洋儒教の国(朝鮮・中国・日本)の連帯→中でも日本は富国強兵に成功→模範。いずれにせよ、以上のロジックだと日本の帝国主義を批判する視点が弱くなる。朝鮮/韓国自身が圧迫を受けつつも、弱肉強食という状況認識の中で実力養成として近代化志向→もし自分たちの近代化が達成されたら?→暗黙のうちに帝国主義肯定のロジックが潜んでいるという逆説も指摘され得る。他方で、こうした発想とは異なり、アナキズムの影響を受けた申采浩はロジックに矛盾があっても抗日を徹底させていた。

“植民地”的状況を“近代”という外的原理を内面化させる場として把握→“近代”そのものに内包された抑圧性に注目するのが本書の基本的な視座である。ある一つの観点(“抗日”や“民衆”など)を絶対化させる傾向とは距離を取ろうとしているところには好感を持った。

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2009年7月 1日 (水)

チャールズ・テイラー『〈ほんもの〉という倫理──近代とその不安』

チャールズ・テイラー(田中智彦訳)『〈ほんもの〉という倫理──近代とその不安』(産業図書、2004年)

 タイトルにある〈ほんもの〉とはauthenticityのこと。自分自身にとっての確からしさ、本当らしさ、有意義さ、そういった感覚をこなれた日本語に移しかえようとした苦心の訳語である。先日取り上げたチャールズ・テイラー『今日の宗教の諸相』(岩波書店、2009年→こちら)でもこのキーワードは出てくる。

 現代の我々には、自分たちから超越した“聖なる秩序”の命令に自らの身を捧げようなどという発想はない。むしろ、自己実現にこそ重きが置かれ、超越的価値はうとましいくびきと感じられる。自己実現重視の個人主義は、見方を変えると、誰にも真似のできない他ならぬ自分自身のもの、そこに〈ほんもの〉を求めようとする点で芸術家が創造的感性を求めるのと類似した志向性を帯びている。18世紀のヘルダー以降のロマン主義→神や善のイデアといった超越的価値ではなく、自身の内面から湧き起こる声にこそ従うべき→近代における主観主義的転回→「自分自身に忠実であれ」という自己実現志向は〈ほんもの〉という近代の理想によって裏打ちされている。

 他方で、こうした〈ほんもの〉志向には次の動きが並行している。第一に、個人の組み込まれていた意味付けの地平が失われた→個人の断片化・アトム化、帰属意識の稀薄化。第二に、テクノロジーの進展による合理的思考・道具的理性→各自の“幸福”という目標に向けて物事を設計しなおそうという発想→効率性・計量性の論理で他者を位置付ける。いずれにせよ、〈ほんもの〉は自分だけの実感という受け止め方→バラバラに連帯感を欠いた非人格的社会関係が肯定される。

 しかしながら、完全な独我論はあり得ない。他者との対話やせめぎ合いによって相互の相違に気付いてこそ、アイデンティティ=私らしさ、私にとっての〈ほんもの〉は確証される。アイデンティティ・ポリティクスという形で差異の承認を求めるにしても、無機的な並列というのではなく、一定の関係性の中での位置付けの要求なのだから、むしろもっと広い価値的地平の共有を目指していると言える。他者があって初めて自分が分かる。従って、他者から切り離されたアイデンティティはあり得ない。自分にとっての〈ほんもの〉を求めるアイデンティティは対話的性質によって特徴付けられており、あらゆる前提から切り離された地点に立って純粋に自己決定を行なうという合理性で捉えられた人間モデルは現実にはあり得ない。ここにコミュニタリアニズム(共同体論)からリバタリアニズム(自由至上論)に対する批判のポイントがある。

 「自分に正直でありたい!」とかのたまってある種のワガママを正当化するミーイズム・ナルシシズム、こうした現代社会にありがちな浅はかさも、以上の〈ほんもの〉=authenticityという観点から把握できる。ただし、“保守オヤジ”のように説教したってはじまらない。個人の“自由”は、その置かれたコンテクストによって初めて意味を持つ。各自が自身にとっての〈ほんもの〉を追求、そうした形で自己実現を目指すのは当然のことである。ただし、その切実さは人それぞれ、目先のことに振り回されているだけの場合もあり得るわけで、上っ面に流されかねないところにテイラーは注意を喚起する。そのことを“主観主義へのすべり台”と表現している。個人の自由万能か、それとも共同体の価値復権か──などという不毛な二元論的構図に落としこまず、かと言って、間をとって無意味な折衷論でお茶を濁すでもなく、もっと着実な議論のたたき台を示そうというところに本書の意欲がある。

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2009年6月30日 (火)

ちょっと調べものしてたら

 ちょっと調べものしてたら、ロバート・ケーガン(和泉裕子訳)『民主国家vs専制国家 激突の時代が始まる』(徳間書店、2009年)なる本が1月に刊行されてたのを知った。どうやら原著はRobert Kagan, The Return of History and the End of Dreams(Alfred A Knopf, 2008)らしい。去年、原著を読んだときのコメントはこちらに記してある。翻訳はそのうち出るだろうなあと思ってたけど、タイトルも装幀の雰囲気も全く違うんで気付かんかった。こういう見た目に通俗ビジネス書的な感じの本は普段なら手にも取らない。内容はともかく、原著の装幀はシックな落ち着きがあって結構嫌いじゃなかったんだけどな。ケーガンはネオコンの論客として知られてるけど、オバマ政権となった現在、今さらこんなの読んだってあまり意味ないでしょ。

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2009年6月29日 (月)

レイ・タケイ『隠されたイラン──イスラーム共和国のパラドックスと権力』

Ray Takeyh, Hidden Iran: Paradox and Power in the Islamic Republic, Holt Paperbacks, 2007

 理解不能なまでに強硬なレトリックを弄ぶアフマディネジャド現大統領に、“文明の対話”を唱えて柔軟な姿勢を示したハタミ前大統領、イスラーム革命後のイラン政治が見せる極端な振幅は海外の我々にとって非常に分かりづらく、時には予測不可能で“危険”だという印象すら与えかねない。しかしながら、今回の大統領選挙不正疑惑を発端とする混乱からうかがえるように、イラン・イスラーム体制は決して一枚岩ではないし(聖職者による事前審査があるにしても、大統領を選挙で選んでいる時点で、かつてブッシュ政権が“悪の枢軸”と名指しした他の国々とは明らかに異なる)、時にはプラグマティックな政策をとるシーンも見られた。

 本書は、そうしたイラン・イスラーム体制における内在的ロジックと政治力学との絡み合いを整理する。具体的には、イスラーム・イデオロギー、国益、派閥力学、これら三つの要因の組み合わせによってイラン現代政治を分析、対米関係、対イスラエル関係、イラク問題、核開発問題などを読み解く視座を提供してくれる(なお、保守派、現実派、急進派、改革派の分布については吉村慎太郎『イラン・イスラーム体制とは何か』[書肆心水、2005年]で整理されている→こちら)。著者のRay Takeyhはイラン出身の中東研究者、現在はアメリカの外交問題評議会(the Council on Foreign Relations)シニア・フェロー(そう言えば、Foreign Affairsでこの人の論文を見かけた覚えがあって、以前、こちらで簡単に触れていた)。

 イラン国民の対米不信感は、パフレヴィー国王がアメリカのCIAのバックアップにより“上からのクーデター”を断行、石油会社国有化を宣言した民族主義者モサデク首相を失脚させた事件に起因する。シャー体制はリベラル派・左派を徹底的に弾圧、結果として反体制派としてはイスラーム派が残った。共産主義者(トゥーデ党)からイスラーム主義者まで広範な反シャー体制勢力をまとめ上げるシンボルとなったのがホメイニである。ホメイニが発したメッセージには、帝国主義からの第三世界の解放、民主主義、女性や被抑圧者の権利擁護、ペルシア民族主義(この点ではパフレヴィー朝時代から一貫している)等々、多様な主張が幅広く取り込まれていた。イスラーム革命後、ホメイニをトップに据える形でヴェラーヤテ・ファギー(イスラーム法学者による統治)体制が築かれるが、ホメイニを軸として保守派・現実派・改革派などそれぞれ異なった意見を持つグループが共存、そのバランスによって政策決定が行なわれていた。ところが、ホメイニの死去(1989年)によってこうしたバランスが崩れ、派閥争いが政治の表舞台に浮上した。

 なお、シーア派にはもともと異論を許容する柔軟さがあり、世俗派が壊滅した現体制内では、聖職者たちが最も自由な議論を交わしているという(報道によると、今回の大統領選挙不正疑惑や反対派デモの武力弾圧については聖職者からも多くの異議が出されている)。中には、聖職者は政治に関与すべきではないという立場からホメイニ体制を認めない見解すら存在しているらしい。

 イラン・イスラーム体制が変質したもう一つの契機がイラン・イラク戦争である。これは単なる領土紛争という以上に、アラブ民族主義を掲げるサダム・フセインとシーア派イスラーム主義に基づくホメイニとのイデオロギー戦争という側面が強かった。アフマディネジャドをはじめ参戦した革命第二世代の保守派は戦時中に強固なイスラーム・イデオロギーを吹き込まれている。他方で、戦況が劣勢だったため、サタンであるはずのアメリカから武器を購入するという“柔軟さ”も見せたが(イラン・コントラ事件)、イラン国内では保守強硬派が暴露、これは現実派の評判を傷つけることになった(もちろん、アメリカでもスキャンダルとなった)。

 イラン・イラク戦争の体験はイランの核開発の動機につながっている。①イラクは化学兵器を使用→イラン側に深刻な被害→安全保障のためには強力な兵器を持たねばならないという危機意識。②国際社会、とりわけアメリカはイラクの化学兵器使用を傍観した→国際世論のダブルスタンダードへの不信感。さらに、③地域大国としてのプライド(それこそ古代のアケメネス朝以来!)。④インド・パキスタンの核開発→既成事実化すれば国際社会も追認するはずという楽観論。

 対イスラエル関係では、イランは国境を接しておらず直接の利害関係はない→イスラームの大義によるプロパガンダが容易に行なわれる。対米関係では、イラン側にはモサデク首相失脚で対米不信がある一方で、アメリカ側にもアメリカ大使館占拠事件で対イラン不信感、狂信的な国家というマイナスイメージがやはり根強い。イランとアメリカの相互不信→他方が譲歩の姿勢を示してももう一方がそれを信用しないというすれ違い→双方の不信感がますます高まるという悪循環。そもそも、アフマディネジャドはイラン・イラク戦争中の孤立的対外認識を依然として引きずってアメリカ=大サタンという捉え方をしているが、他方で、ネオコンのイラン認識も大使館占拠事件の時点から凍りついたまま、従って、両者とも過去の相手イメージによって強硬意見を打ち出すという錯誤があった。

 イラン国内の多元的政治力学から時折現われるプラグマティックな側面に着目すれば、地域的安全保障や国際経済の枠組みに組み込むことでイラン側が抱いている不信感を低下させることはできるだろう。アメリカはそうした方向で働きかけるため封じ込め政策を転換する必要があると著者は主張する(本書刊行後に成立したオバマ政権が対話路線に切り替えても色々と壁にぶつかっているようではあるが)。その際には、やはり強固なイデオロギー国家であり朝鮮戦争等で相互不信の状態にあった中国に対するニクソンのアプローチが参考になるのではないかという指摘が興味深い。

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2009年6月28日 (日)

姜在彦『近代朝鮮の思想』

姜在彦『近代朝鮮の思想』(姜在彦著作選Ⅴ、明石書店、1996年)

 本書、『朝鮮近代の変革運動』(著作選Ⅱ)、『朝鮮の開化思想』(著作選Ⅲ)、『朝鮮の攘夷と開化』(平凡社、1977年)、いずれも取り上げられたトピックスに異同があるだけで(重複も多い)、基本的な議論の構図は同じ。朝鮮社会の停滞性・他律的近代化という見解に対して、自律的近代化へと向かう内在的な契機があったことを掘り起こし、そうした朝鮮近代思想の水脈を通史的に整理する。大まかにポイントを箇条書きすると、
・伝統的儒学思想における朱子学一尊→閉鎖的思考→近代化へ向かう発想を抑圧
・そうした中でも実学思想には開化派との系譜的つながりがある
・開化派の中でも、①金弘集・金允植・魚允中などの穏健開化派:清との宗属関係を尊重、清の洋務運動をモデルに漸進的改革→守旧派とも妥協、「東道西器」論として儒教的伝統も固守。②金玉均・朴泳孝・徐光範などの急進開化派:清とは対決姿勢(華夷秩序からの離脱)、日本の明治維新をモデルに君権変法→守旧派と対決、儒教も仏教・キリスト教などと同列に置く
・他方で、朱子学一尊の立場から衛正斥邪思想
・開化派も衛正斥邪思想もエリート層による上からの動き→対して、民衆レベルから沸き起こった運動として東学、さらに甲午農民戦争
・こうした民衆運動を、守旧派は清・ロシアと結んで、開化派は日本と結んで弾圧→外国勢力による内政干渉を招く
・急進開化派による甲申事変(1884年)、穏健開化派による甲午改革(1896年)→ともに大衆的基盤がなかったために失敗
・1890年代後半になると、開化派は都市部の大衆と結びつき独立協会・万民共同会、さらに愛国啓蒙運動へ。衛正斥邪思想は農村部の大衆と結びつき義兵闘争へ(華夷的名分論からの脱却→近代的民族主義への契機)
・愛国啓蒙運動と義兵闘争、両者の動きが合流できなかったことに問題。旧型思想と新型思想との併存。
・三一運動(1919年)→民族自決・民主共和制の主張→近代的国民国家への志向性

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