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2009年6月21日 - 2009年6月27日

2009年6月27日 (土)

チャールズ・テイラー『今日の宗教の諸相』

チャールズ・テイラー(伊藤邦武・佐々木崇・三宅岳史訳)『今日の宗教の諸相』(岩波書店、2009年)

 チャールズ・テイラーは政治哲学の分野では代表的なコミュニタリアン(共同体論者)として知られている。ウィリアム・ジェイムズ『宗教的経験の諸相』の読み直しを通して現代社会を特徴付ける個人主義のあり様を考察するというのが本書の趣旨。テーマは宗教で、訳者は科学哲学の人たちだが、私はコミュニタリアニズムへの関心から手に取った。

 ジェイムズは、個人の内的で言語的定式化の難しい感情に注目して宗教的経験を把握しようとした。しかし、それでは宗教的感情の持つ集団的側面を無視してしまっているとテイラーは指摘する。「我々の経験のなかには(一つの意味では)個人的な経験でありながら、それが共有されているという感覚によって大いに高められるような経験が存在する。…一人でいるときにはもつことができないが、連帯しているときにはもつことのできるある種の感情が存在する。経験はそれが共有されているという事実によって、何か別のものに変化するのである」(25~26ページ)。テイラーは、だからと言ってジェイムズの議論を否定してしまうのではない。むしろ、このジェイムズが見落とした盲点にこそ、現代的な問題が伏在しているのではないかと問いかける。

 かつて信仰の原理と政治的・社会的原理とが分かちがたく結びついていた世界から、両者が分離→世俗化の過程と考えるのが“近代”という時代現象を捉える一つの論点である(マックス・ヴェーバー的に言えば“脱魔術化”か)。見方を変えれば、個人の束縛→解放ともなるが、さらに言うと、個人の内的体験のレベルにおける確からしさ、有意義さ、そういった感覚を感じられない外的束縛はすべて不条理で否定すべきものとみなされる。ジェイムズの示した内的体験として宗教感情を捉える視点は、実はこうした意味で現代的な個人主義を正確に把握していたのだとテイラーは指摘する。

 コミュニタリアニズム(共同体主義)対リバタリアニズム(自由至上主義)、個人の自律性重視か、個人が組み込まれた全体性重視か、というような単純な構図にまとめてしまうと、前者は個人の自由を認めないなどと曲解も招きかねないが、本来はそんなに単純な問題ではない。あくまでも視点の取り方の問題であって、(真剣に考えている人ならば)実は両者とも同じ地平を見据えている。テイラーが記す次の箇所には、彼がコミュニタリアンでありつつも、そうした個人における自由というテーマを考える上でのもどかしさが率直に表明されているのがうかがわれて興味深く感じた。

「現代でも依然として、無信仰の世界に何らかの不安の感覚を抱き続けている人々がいる。その感覚とはすなわち、何か大きなもの、何か重要なものが置き去りにされ、ある次元の深遠な願望が無視され、わたしたちを超えたより偉大な実在が締め出されてしまったという感覚である。この不安の感覚にたいして与えられた表現は非常に様々であるが、この不安は存続し、その表現はさらにいっそう多様な形で繰り返されている。しかし他方では、自分が尊厳をもち、自己統制を成し遂げ、成熟した自律的な存在であるという、無信仰と結びついた感覚も人々を魅了し続けており、これから先もずっと魅了し続けるように思われる。」「しかも、この論争にさらに近づいてその具体的な姿をよく観察してみると、大多数の人々は実際には二つの見方双方に惹かれる感じをもっていることが見て取れるように思われる。人々は一方の道を進まねばならないとしても、もう片方の魅力を決して完全には払いのけていない。」(53ページ)

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2009年6月26日 (金)

吉次公介『池田政権期の日本外交と冷戦──戦後日本外交の座標軸1960─1964』

吉次公介『池田政権期の日本外交と冷戦──戦後日本外交の座標軸1960─1964』(岩波書店、2009年)

 安保条約をめぐって揺れに揺れた岸信介政権のあとを受けて、池田勇人政権は経済重視の非政治路線によって国内対立の緩和を図ったというのが一般的な見方だろう。しかしながら、この経済重視、高度経済成長という路線を国際政治の次元から捉え返してみるとまた別の視点があり得るのではないか。

 本書では、第一に、池田政権には自由主義陣営の一員としての立場を守ろうという決意のあったことが指摘される。社会党に政権を渡してしまうと中立化してしまうし、安保騒動でアメリカは日本に猜疑心を抱いていたという。自民党が総選挙で勝利する必要があり、そのために“寛容と忍耐”という態度をとり、憲法改正や再軍備の話題は避け、所得倍増計画を打ち出した。第二に、“敗戦国・被占領国” 意識からの脱却を目指していた。いわゆる“大国”意識→日本も応分の義務を果たすべきという考え方になる。第三に、そうした“大国”意識に基づき、自由主義陣営において日米欧“三本柱”の一角を占めるという自覚→アメリカとの対等なパートナーシップを求めたほか、英仏などヨーロッパとの関係再構築も進められた。

 “大国”意識を持つということは、当然ながら日本も主体的なイニシアチブを発揮して外交政策を展開するということである。具体的には東南アジアにおける反共政策として進められ、本書ではとりわけ対ビルマ政策の分析に重点が置かれる(ビルマでは南機関以来の親日感情が期待できた)。池田はアメリカの軍事偏重に批判的であった。そもそもアジア諸国のナショナリズムにおいて自由主義か共産主義かという二者択一はあくまでも副次的な問題に過ぎない。SEATOのような集団防衛体制への加盟ではなく、むしろ経済的・技術的援助によってアジア諸国の民生向上を促す方が効果的だと池田は考えていた。その際に日本の高度経済成長という“成功物語”そのものが第三世界を自由主義陣営へとアピールする外交的リソースになると捉えていたという本書の指摘が目を引く。

 こうした池田政権の外交戦略が必ずしも十分な成果をあげたわけではないが、その後(とりわけ大平政権や中曽根政権)の外交路線の先駆けになったと位置付けられる。受け身で非政治的にも見られやすい経済重視路線だが、目立たないながらも実はそれ自体が戦略的リソースとなる潜在力を秘めている。その活用の仕方によっては主体的な政治外交上の選択肢を取り得たはずだし(中ソ論争、フランスの独自路線など当時の多極化を考えると、決して非現実的でもなかっただろう)、実際、池田政権は冷戦構造の渦中にあっても日本なりに場の仕切り直しを図ろうとしていた。国際政治の大問題から距離を置いた受け身の戦後日本外交という通説的な捉え方とは異なった視点を示した研究として興味深い。

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2009年6月25日 (木)

姜在彦『朝鮮の開化思想』

姜在彦『朝鮮の開化思想』(姜在彦著作選Ⅲ、明石書店、1996年)

 朝鮮近代思想史における自律的な近代化の努力を検討するという点で議論の基本的な構図は前に取り上げた『朝鮮近代の変革運動』(→こちら)と同じ。以下、メモ書き。

 まず、朝鮮儒学思想史における朱子学について検討、純一性を追究する閉鎖的思考が近代化に大きな制約を課していたことを指摘。そうした中でも実学思想がある程度柔軟な方向性を模索→守旧派から厳しい弾圧を受けたが、系譜的に19世紀の開化派につながっていく。

 少々脱線するが、初期開化派には、仏教僧の李東仁が福沢諭吉から直接話を聞いたり、兪吉濬が慶応義塾に留学したりと、福沢の啓蒙思想が一定の影響を及ぼしている。福沢は金玉均たちを支援したほか、門下生の井上角五郎をソウルに派遣して『漢城旬報』を創刊させ、下からの啓蒙活動のきっかけをつくった。福沢には「脱亜論」のイメージも強いが、これが書かれたのは甲申事変が失敗した翌年のこと。この短くて当時は目立たなかった論説が帝国主義肯定の理論として特筆大書され一人歩きを始めたのはむしろ戦後のことだと近年は指摘されている。

 急進開化派による甲申事変は失敗、金玉均・朴泳孝らは日本へ亡命。穏健開化派は日本のバックアップのもと甲午改革を進めるが、国王高宗がロシア大使館に逃げ込んだ事件をきっかけに失脚、金弘集らは殺され、金允植は流罪、他は日本へ亡命した。これらの動きが上からの近代化志向だったとすると、1890年代後半から徐載弼・尹致昊・李商在らを中心に創刊された『独立新聞』は初のハングルによる新聞→大衆への啓蒙活動を目指した。開化派が初めて政治結社として独立協会を結成、また街頭集会として万民共同会→大衆運動と結び付こうとしたが、都市部中心という限界。弾圧を受けて挫折する。なお、朝鮮近代思想史における新聞の役割については姜在彦『朝鮮の攘夷と開化』(平凡社、1977年)でも取り上げられている。

 蛇足ながら、徐載弼は甲申事変で国外亡命した後はアメリカで苦学して帰化、Philip Jaisohnと名乗っていた。尹致昊は(本書では触れられていないが)後に親日派として朝鮮貴族に列せられ、伊東致昊と名乗り、1945年に糾弾されて自殺。それぞれ複雑な人生の転変を経ているところに興味がひかれる。

 独立協会の活動に見られる国民国家を目指す考え方はさらに広まっていき、学校教育や民族産業の近代化→実力養成=自強運動が新民会などによって展開される。こうした動きは、日本による保護国化・植民地化=他律的近代化に対して、朝鮮社会内部からの自律的近代化の努力と位置付けられる。

 近代的な開化思想が民族的立場に弱い(一部は親日派に転落)のに対し、保守的な衛正斥邪思想は民族的立場としての強さはあっても抵抗ばかりで具体性がない、こうした乖離をどのように考えたらいいのかという著者の問題意識が随所で垣間見られる。衛正斥邪思想は中華思想による尊華の観念論(朝鮮民族としての独自性は視野に入らない)だけであるのに対し、朝鮮の歴史的伝統を踏まえた国学研究→近代的民族主義という芽生えは開化派の中から現われている点に着目される。朝鮮語研究の周時経や歴史家の申采浩らが挙げられる。

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2009年6月24日 (水)

吉村慎太郎『イラン・イスラーム体制とは何か』

吉村慎太郎『イラン・イスラーム体制とは何か』(書肆心水、2005年)

 “原理主義”“宗教復興”といった観点から捉えられがちなイラン現代政治だが、本書は、イスラーム法学者による統治=“ヴェラーヤテ・ファギー体制”内においても多様な勢力の思惑が交錯しながら展開されてきた政治動向を分析する。以下、メモ書き。

 イラン近現代史における伝統派と近代派とのせめぎ合いは、カージャール朝の時の立憲革命(1906~1911年)以来続いていた。パフレヴィー朝はアメリカからのテコ入れを受けながら“上からの近代化”を推進、農地改革によって自作農創出→政権基盤化を目指したが、かえって彼らの生活は困窮してしまった。急速な近代化に対する伝統派からの反発ばかりでなく、他ならぬ近代化によって生み出された中間階層までも離反。伝統派と近代派の両方から遊離したシャー体制は構造的に脆弱な体質をはらむ。シャー体制の強権的な政治手法への不満は伝統派から左翼まで広範にわたったが、シャー体制側と反体制運動側とのパワーバランスが逆転→革命→こうした動きをまとめ上げる大衆動員のシンボルとなったのがホメイニである。

 パフレヴィー朝は崩壊したが、革命後の政治ヴィジョンが明確だったわけではない。革命裁判所・革命委員会・革命防衛隊など組織的な中央集権化を逸早く成し遂げたホメイニ派がイスラーム化を推進、王党派残存勢力の排除ばかりでなく革命勢力内反ホメイニ派の粛清も同時並行して行なわれ、“ヴェラーヤテ・ファギー体制”が確立された。

 イラン・イラク戦争(1980~1988年)における経済政策をめぐって保守派と急進派との対立が先鋭化する。保守派はシャリーアを価値規範とし、私有財産の不可侵→自由な経済活動を主張、戦争及び経済統制によって支持基盤のバザール商人層が圧迫を受けていたため、戦争の長期化には消極的。ハメネイ(当時大統領、現最高指導者)が代表格。対して急進派は、被抑圧者の救済や社会的公平の実現を目指して経済の国家統制を主張。戦争継続を訴えていた点では強硬だが、他方で保守派とは異なり文化的次元では寛容な態度をとる。当時の首相で今回の大統領選挙では改革派から立候補したムサビもこのグループにいた。保守派と急進派との中間には原理原則よりも経済優先の現実派が位置し、ラフサンジャニ(当時国会議長、後に大統領)が代表格。戦争の長期化、芳しくない戦況、経済的低迷により国民の間には厭戦気分が広がっており、保守派と現実派とが手を組んでホメイニに働きかけ、急進派を押し切って停戦に持ち込んだ。

 1989年にはホメイニが死去。ホメイニにはサルマン・ラシュディ事件などもあって頑固そうなイメージがあるが、国内政治においてはむしろ柔軟な判断力を持っていたらしい。ホメイニの立場性さえ尊重していれば体制内において多元性を容認する指導力を発揮。ホメイニをバランサーとする形で保守派・現実派・急進派は共存していた。それは、宗教指導者であると同時に革命指導者でもあるというホメイニの二重にシンボリックな存在感に由来するシステムだったと言えるが、彼の死去により、この“ヴェラーヤテ・ファギー体制”は大きく変質、党派性による権力闘争が濃厚になってくる。

 ポスト・ホメイニ体制は、保守派(ハメネイ最高指導者)と現実派(ラフサンジャニ大統領)が同盟を組んで急進派を排除する形で成立した。しかし、社会経済的状況の悪化、また対外関係を徐々に改善→西側文化の流入→保守派から“文化侵略”という非難が沸き起こる(文化イスラーム指導相だったハタミが非難の矢面に立たされ、辞任)→保守派と現実派の同盟に亀裂が入る。

 1997年、ハタミが大統領に当選。イランの人口構成上多数を占める青年層がハタミ支持に回った結果である。ハタミ支持勢力は改革派と言われるが、反保守派同盟として現実派・急進派を含み、主張には大きな幅があった。保守派が西欧に対する強硬姿勢を強めたため、反保守派の立場から急進派はむしろ文化的寛容という点に重きを置いてハタミ支持に回った。しかしながら、イラン政界における保守派の存在感は大きく、ハタミもフリーハンドで政治運営ができるわけではなかった。かつての支持層に不満・幻滅が目立つようになる。2005年の大統領選挙では、決選投票で現実派の元大統領ラフサンジャニ対保守派のアフマディネジャドという構図→有権者にはラフサンジャニの金権体質への拒否感があったため、青年層・貧困層の票はアフマディネジャドに流れた。

 イラン現代政治を彩る人物それぞれの軌跡が見えてくるので、今回の大統領選挙をめぐる混乱の背景を知る上で本書は有益だ。過去の大統領選挙をみると、改革派のハタミ、保守強硬派のアフマディネジャド、いずれも本命候補を破ったサプライズ。イランには選挙によって政権交代を実現できるだけの社会的資質が本来備わっていたと言えるが、それだけに今回の不正選挙疑惑、そして国民的反発が際立つ。

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2009年6月23日 (火)

西原理恵子『この世でいちばん大事な「カネ」の話』、他

西原理恵子『この世でいちばん大事な「カネ」の話』(理論社、2008年)

 キレイごとじゃなくておカネは大事──と言っても、きいたふうなすれっからしとはまた違う。西原さんが自分の生い立ちをつづりながら、おカネのことを考える。貧しさの渦中に絡め取られた負のスパイラルから何とか脱け出そう、何とか自分の自由を確保しよう、そういうもがきの中で身を切るようにして稼いだおカネの話。最終章は亡夫鴨ちゃんの手引きで旅して垣間見た世界の貧困のこと。スモーキー・マウンテンやグラミン銀行の話題にも触れたり、結構マジメだ。

 バクチにありったけを注ぎ込んで勝負に出て自殺しちゃったおとうちゃんのことが印象に残る。馬鹿で大迷惑、だけど、良いと悪いとかいう次元じゃなくて、そういう羽目に陥らざるを得ないこともある、そういうあたりを突き放しつつもどこかウェットな同情で見つめる眼差しにはグッとくる。このように、クールなちゃかしとあたたかい優しさとを合わせ持った感性が西原作品の何とも言えず魅力的なところだ。前にも書いたけど、『ぼくんち』(→こちら)は本当に傑作だと思う。自伝的なマンガ『上京ものがたり』(小学館、2004年)、『女の子ものがたり』(小学館、2005年)も再読。『女の子ものがたり』は深津絵里の主演で映画化され、近々公開されるらしい。西原原作の『いけちゃんとぼく』も現在映画公開中。観に行こうかどうしようか。

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2009年6月22日 (月)

姜在彦『朝鮮近代の変革運動』

姜在彦『朝鮮近代の変革運動』(姜在彦著作選Ⅱ、明石書店、1996年)

 日本における初期の朝鮮史研究では“他律性”史観が主流であったとされる。それに対して本書では、朝鮮にも内発的な近代化の契機があったことを掘り起こそうという問題意識をもとに朝鮮近代思想の流れが通史的に描かれる。

 まず、実学思想のうち清経由で西洋文明に触れていた北学派が取り上げられる。朴趾源ら北学派は開国主義的な立場をとり、虚学の否定、能力本位の人材登用などの制度改革を主張したが、朱子学的名分論に固執する守旧派とのイデオロギー闘争に絡め取られ、結局つぶされてしまう。ただし、北学派の系譜は19世紀の開化派に受け継がれた(→『西洋と朝鮮』を参照)。

 朴趾源の孫である朴珪寿の門下生から開化派が台頭するが、とりわけ有名なのは金玉均であろう。金玉均については“親日派”とみなす向きもあるが、対して日本から学ぶべきものは是々非々で学ぶとした主体性に注目される。近代化政策を進める上で両班階級が障害になっているという問題意識から甲申事変(1884年)が敢行されたが、失敗。社会経済的基盤が未成熟であったという内的条件、清の干渉(袁世凱が開化派を軍事制圧した)という外的条件が失敗の原因として指摘される。

 なお、儒教が正統とされて仏教は下に見られていた中、金玉均は仏教に関心を持っていたらしい。開化派には、仏教僧・李東仁(東本願寺釜山別院とつながりがあり、日本事情を熟知)、中国語通訳の呉慶錫、医者の劉大致らが大きな影響を与えていた。李朝社会において通訳や医者などの技術者は中人(両班と常民との中間階層)、仏教僧にいたっては賤民視されており、いずれも朱子学的世界観に染まった両班とは異なってイデオロギー・フリーの立場にあったことは興味深い。両班の開化派の中でも、金玉均・朴泳孝ら急進派は日本の明治維新をモデルとした変法的立場(従って、守旧派とは仇敵同士)、金允植ら穏健派は清の洋務運動をモデルとした改良的立場(従って、守旧派とも妥協可能)という二つの流れがあった。

 金玉均らの甲申事変が先鋭化した一部知識階層による上からの改革志向だったとするなら、対して下からの改革志向の民衆運動として甲午農民戦争や活貧党も取り上げられる。

 日清戦争後、事実上日本の保護国化されてしまった状況下、知識階層では二つの思想的立場が鮮明化した。第一に、李恒老→崔益鉉を源流とする衛正斥邪思想→抗日義兵闘争という立場。第二に、朴珪寿→金玉均・金允植ら開化派→愛国啓蒙運動という立場。両者とも「内修→自強」という点では同じロジックをとるのだが、「内修」の理解が対極的であった。両者が一体化できなかったところに著者は近代朝鮮の悲劇を見出す(なお、前者を意地の感覚、後者を近代化=手段としての西欧化と捉えるなら、福沢諭吉は両者を合わせ持っていたという趣旨のことを、以前、李光洙の話題に絡めてこちらに書いた)。

 愛国啓蒙運動の中では1907年に安昌浩によって旗揚げされた新民会が検討される。政治路線を看板からはずし、国権回復に向けた実力養成として学校教育や民族産業の近代化といった合法的活動に焦点が合わされた。さらに1919年の三・一運動では、この実力養成から民族自決という方向へと移っていく(この際、単なる反日ではなく、三和主義が主張されていたという指摘が目を引いた。三和主義とは西欧列強から身を守るため、独立した韓国・日本・中国が互いに連携しようという考え方で、かつて金玉均が主張していた)。そして、日本による弾圧から逃げて成立した上海臨時政府において、衛正斥邪思想の目指す復辟でもなく、開化派の主張した立憲君主制でもなく、民主共和制による国民国家が志向されることになる。

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2009年6月21日 (日)

姜在彦『西洋と朝鮮──異文化の出会いと格闘の歴史』

姜在彦『西洋と朝鮮──異文化の出会いと格闘の歴史』(朝日選書、2008年)

 19世紀、“ウェスタン・インパクト”に等しくさらされた日本と朝鮮、片やいち早く近代化に成功し、片やその失敗の末に日本の植民地へと転落してしまった。明暗を分けた理由は何か。著者は、日本が江戸幕府の頃から洋学政策を採用して人材育成の蓄積があったのに対し、朝鮮は儒教に基づく中華思想・実学軽視のため西洋文明受容を進められなかった点に一つの要因を求める。

 朝鮮にも西欧文明=西学を摂取する可能性はあった。17世紀の時点では北京と往来した使節団とイエズス会士との個別的な出会いという程度であったが、18世紀以降、西学受容を本格的に進めるべきだとする実学思想が現われ始める。

 朝鮮では儒教が正統の学問とされていたが、第一に文治主義による実学軽視、第二に中華思想による外来文明否認がネックとなっていた。こうした傾向に対し、価値観においてキリスト教に対する儒教優位、科学において西洋文明優位という形で正統性の次元と具体実用の次元とを切り分けて西学受容を促す発想が実学思想にあった(「東道西器」→「和魂洋才」や「中体西用」と相似)。こうした思想傾向としては、イエズス会士による漢訳西洋書の研究を通して制度改革の必要を主張した李瀷ら星湖学派と、尊明排清の風潮(朱子学における“華夷の別”として夷狄蔑視→朝鮮は“小中華”という自覚)に対して、たとえ夷狄である清(満洲人)からでも実用的なものは学ぶべきだと主張した朴趾源ら北学派という二つの潮流があった。

 しかしながら、保守派はキリスト教という宗教的次元と科学の次元とを十把ひとからげにして容赦なく弾圧、実学思想→西学受容の芽はつぶされてしまった。19世紀、天主教弾圧を口実にフランス軍・アメリカ軍が来攻、朝鮮側は“衛正斥邪”思想という形で態度をますます硬化させた。西欧列強や日本の圧倒的な武力を前にして開国へのイニシアティブを発揮したのは朴趾源の孫である朴珪寿であった。彼の門下生から金玉均、朴泳孝、金允植、兪吉濬など後に開化派と呼ばれる人材が現われたが、彼らもまた朝鮮宮廷で頻繁に繰り返されてきた党争の中で翻弄されてしまう。

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「ウルトラミラクルラブストーリー」

「ウルトラミラクルラブストーリー」

 ミニシアターのレイトショーでかかるタイプの新人監督の邦画作品は結構こまめにチェックしていて、横浜聡子監督「ジャーマン+雨」の存在も一応知っていた。が、渋谷のユーロスペースだったか、予告編を観たとき「うーん、これはちょっと好みじゃないな」という直観があって、結局観なかった。で、今回、なぜ前売券を買ってまで「ウルトラミラクルラブストーリー」を観に行ったかというと、ただひたすら純粋に麻生久美子さんがお目当て。ほんで、観た感想としては、最初の直観は当たってたなあ、と。

 とは言いつつ、作品の出来は決して否定しない。主人公の青年のキレ具合が微妙にゆるかったり、なぜか畑に埋まって農薬かぶったり、なぜか首なし男が登場したり、なぜか死んでるのに生きてたり、そういう不可解な設定が何事でもないかのように自然に日常に溶け込んでいる。このシュールさに、翻訳字幕なしの津軽弁がまたいい塩梅に馴染んでいる。落ち着いたトーンだからこそ際立つナンセンスというのはもともと嫌いじゃない。観終わったあとちょっと疲れたが、それだけパワーがあるってことか。でも、ゴメン、やっぱりなんか好きじゃない。

 松山ケンイチの演技はホントにはた迷惑な不愉快さを感じさせて、うまいもんだなあと感心。どうでもいいけど、最近の若手女性監督には美人が多いな。横浜さん、西川美和さん、タナダユキさん、皆様おキレイです。

【データ】
脚本・監督:横浜聡子
出演:松山ケンイチ、麻生久美子、渡辺美佐子、原田芳雄、藤田弓子、他
2009年/120分
(2009年6月19日、シネマート新宿にて)

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