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2009年6月14日 - 2009年6月20日

2009年6月20日 (土)

宮崎学『ヤクザと日本──近代の無頼』『近代ヤクザ肯定論──山口組の90年』

宮崎学『ヤクザと日本──近代の無頼』(ちくま新書、2008年)、『近代ヤクザ肯定論──山口組の90年』(筑摩書房、2007年)

 両著ともヤクザという着眼点を通して近代日本社会の変容を正面から論じている。『ヤクザと日本』は理論的な枠組みを示し、『近代ヤクザ肯定論』はその具体例として山口組を取り上げている。著者自身がヤクザの家に生まれ、かつアウトロー的な生き方をしてきたという事情を踏まえつつも、分析の視座はアカデミックに着実。単なるヤクザ論という以前に、日本にとっての“近代”とは何かを考える上で逸することのできない説得力の重さと視野の奥行きを持っている。

 いつの時代でもどこの国でも正統的な統治のシステムから疎外された残余が必ず現われる。明治以降、近代的な法体系が確立されつつも、そこから排除された周縁社会・下層社会、具体的には貧困者、被差別部落、在日等々、こういった人々を受け入れるアジールとしての役割を果たしたのが近代ヤクザであった(全学連の唐牛健太郎や島成郎を山口組の田岡一雄が田中清玄のルートで受け入れたというのは初めて知った)。善悪是非という以前に、とにかく他に生きていく道のない者たちが寄り集まった組織。谷川康太郎(康東華)の「ヤクザとは哀愁の共同体である」という表現が印象的だ。

 人的関係を通して仕切りをするのがヤクザの役割。国家権力とは独立した社会的権力として認知され、周縁社会・下層社会と地域社会・職域社会との仲裁者として実力を持った。地域社会に根を張ったヤクザの実力的な凄みは場合によっては下からの反抗を取りまとめる可能性を秘めていたため、国家権力はその取り込みを図る(具体的には、政友会系の大日本国粋会や民政党系の大和民労会)。

 そうしたヤクザも、日本社会における資本主義の進展、国家の中央集権化傾向が強まる中、とりわけ戦後になって変化を迫られる。地域下層社会に根を張って人的に濃密な関係を持っているのがヤクザの顔役としての強みであった。ところが、港湾作業や工事・建築現場の機械化、さらには経営の論理によって資金源として労働力を捉える発想を持つようになって、そうした人的な関係がドライなものとなり、濃密な属人的関係だからこそ持っていた基盤が崩れていく。風俗産業や賭博に裏社会と表社会の垣根がなくなったこと(ビジネスの世界自体がバクチ的になったため、あえて裏社会として賭博をする必要がなくなった)、ドロップアウトした青年の受け皿がなくなったことなどもそうした変容の問題として指摘される(このあたりは、先日取り上げた河合幹雄『安全神話崩壊のパラドックス』でも指摘されていた→こちら)。

 “近代”という時代現象は、資本の論理にしても、権力の論理にしても、社会のあらゆる領野を平面化していく運動性を持っている。しかし、表社会は必ず排除のロジックをはらみ、従って裏社会にもそれが生まれざるを得ない存在理由があったことを考えると、いわゆる“風通しの良さ”が単純に健全な社会と言えるのかどうか、疑問符をつけざるを得ない。

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2009年6月18日 (木)

芹沢一也『〈法〉から解放される権力──犯罪、狂気、貧困、そして大正デモクラシー』

芹沢一也『〈法〉から解放される権力──犯罪、狂気、貧困、そして大正デモクラシー』(新曜社、2001年)

 ミシェル・フーコー的な権力論の視座を通して大正デモクラシーの時代風潮を読み解こうとした刺激的な論考である。本書は、統治の対象としての民衆が可視化、直接権力の眼差しにさらされ始めた状況として“大正的な社会”を捉える。

 吉野作造の民本主義と牧野英一の新派刑法学とが“法からの解放”という点で実は同じロジックをとっていたという指摘に興味が引かれた。吉野の民本主義は、民衆の台頭という社会状況を踏まえ、明治憲法に規定された天皇主権を“カッコに括る”(つまり、主権の所在を問わない)ことにより、民衆の意向を汲み上げる政治実践を可能とする理論的基礎を示した。こうした吉野(及び美濃部達吉の天皇機関説)の“カッコ入れ”のロジックに対し、明治憲法を愚直に読んで天皇主権説を主張した上杉慎吉が比較される。

 一方、牧野は刑法の硬直性に批判を向けていた。旧来的な刑法では個々の犯罪と法に規定された刑罰とが一対一で対応され、裁判官はその機械的な適用が役割となる。事後的に罰するという刑罰観は応報に力点が置かれているわけだが、対して牧野は社会防衛の必要を強調した。犯罪を犯し得る人間類型の措定→将来の危険可能性・再犯可能性を“悪性”として把握→振舞いの結果としての犯罪ではなく、人間の内的な主観に矛先を向けて予防するという考え方である。“悪性”を治癒するための手段として刑罰を捉える。このように牧野は、秩序維持のための予防として法を柔軟に運用すべきという観点から論陣を張った。つまり、罪刑法定主義を“カッコに括る”、言い換えると、法として明文化された言説から離れた次元に立ち、個々の事情に応じて裁量で政策対応すべきというロジックをとった。

 “悪性”の原因が“狂気”にあるとすれば、犯罪者を治癒の対象として捉え、精神医学の領域に踏み込むことになる。犯罪の原因を貧困に求めれば社会政策の領域につながり、本書では方面委員制度について検討される。このように犯罪撲滅の手段としての刑罰、“狂気”の治癒としての精神医学、貧困解消のための社会政策と並べたコンテクストの中で考えると、吉野の民本主義についても民衆の要求を政治へ汲み上げることによって急進的な革命を予防する発想が込められたものとして理解することもできる。

 以上のように権力の視野が社会生活に浸透していくことは、一面において福利の向上=社会の進歩という側面をあわせ持つにしても、同時に統治のロジックによる操作可能性が人々の生活の内在的なレベルにまで広がったとも言える。あくまでも一つの視点ではあるが、そうした現代社会にもつながる問題意識を大正という時代状況から読み取った論考として興味深い。

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2009年6月17日 (水)

河合幹雄『安全神話崩壊のパラドックス──治安の法社会学』

河合幹雄『安全神話崩壊のパラドックス──治安の法社会学』(岩波書店、2004年)

 日本の犯罪は果たして増加・凶悪化しているのだろうか? 本書はまず議論の前提作業として統計数字のカラクリを読み解き(たとえば検挙率にしても、分母である認知数を拾い上げる基準が変わると数字も大きく変動する)、マクロレベルでは日本の治安は悪化していないことを示す。

 それでは、なぜ日本の治安は悪化しているという印象論が語られるのか? 日本の社会構造の変化により、犯罪の起こり得る空間(たとえば、繁華街)と従来ならば安心して暮らすことのできた空間(たとえば、住宅街)との境界線が不明瞭になりつつため、一般の人々も体感治安の悪化を感じるようになったのだという。犯罪を許容する空間と許容しない空間とが並立した伝統的なあり方を著者は“ハレ”と“ケ”の二分法にたとえる。“ハレ”としての裏社会には裏社会なりに自己完結したシステムがあり、“ケ”の世界から排除された前科者を受け入れ、総体として両者は共存していたと指摘される。治安に関わる事件や人々の動きは“ケ”の世界から隠されることで成立してきたのが従来のあり方で、それを著者は“安全神話の構造”と呼ぶ。このシステムはインフォーマルで濃密な対面的人間関係によって維持されてきたが、対人関係のあり方が変容した現在、維持しきれなくなっているところに問題点を見出す。

 治安の問題を政策対応という次元で考えるのではなく、統計上の治安と体感治安とのズレ、法規定と実際の制度運用とのズレ、そうしたあわいから日本社会の変容を見出していく視点に色々な示唆が感じられて実に興味深い。

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2009年6月16日 (火)

梶山季之『族譜・李朝残影』

梶山季之『族譜・李朝残影』(岩波現代文庫、2007年)

 梶山季之(1930~1975年)といえば週刊誌記者、いわゆる“トップ屋”のはしり(その活躍は高橋呉郎『週刊誌風雲録』[文春新書、2006年]で読んだ覚えがある)、あるいは守備範囲の広い通俗作家としてもよく知られている。他方で、父親が朝鮮総督府に勤務していた関係でソウル出身という生い立ちから、植民地期の朝鮮を題材とした小説もいくつか残している。

 「族譜」のテーマは創氏改名である。ご先祖様に申し訳が立たないから勘弁して欲しいと懇願する名門当主の温厚な紳士と、それにもかかわらず創氏改名を強制せよという役所の論理。朝鮮総督府勤務の芸術家肌の青年が両者の間で板ばさみになってしまった葛藤が描かれている。

 いくつか気付いた点を並べると、第一に、青年の上司は薄汚い出世主義者として描かれているが、彼らの背後からは、文化的相違を無視した安易な政策決定とそれを盲目的に遂行しようとする官僚制の論理がうかがえる。第二に、青年も最初は「朝鮮人差別を解消できるやりがいのある仕事だ」と考えていた点が目につく。民族的な差異は差別につながる→差別解消のための恩恵としての同化→創氏改名という建前が掲げられていた。主観的な善意が必ずしも相手への善意にはつながらないというすれ違いについては、以前、喜田貞吉の日鮮同祖論に絡めて触れたことがある(→こちら)。第三に、差異=民族差別解消という発想の背景に日本人側の身勝手があるのはもちろんだが、それと同時に、国民国家の同質性というフランス革命以来の近代的イデオロギーが一見日本特殊にも思える装いの下に潜んで機能していた点も見逃すことはできない。

 「李朝残影」は、朝鮮の伝統舞踊の踊り手である妓生の女性と、“滅び行く朝鮮の美”を何とか絵に残したいと願う日本人青年画家との交流を描く。日本人に強い反感を持っていた彼女が青年の熱意に徐々に心を開きつつあったまさにそのとき、提岩里事件(三一運動の際に起った日本軍による住民虐殺事件)の過去が影を落としてしまうのは何とも言えず悲しい。個人としては良心的であろうとしても、制度的、社会的、そして民族的なしがらみからそれがなかなか許されないという葛藤は「族譜」と共通するテーマである。

 そのしがらみというのも、内面的な良心に対する外的な強制力という構図に仕立て上げてすませることはできない。植民地での日常生活が延々と続く中、朝鮮人に対する日本人優位という立場性が自然に皮膚感覚に馴染んでしまい、それをふとしたきっかけで自覚したときの気まずさ。「性欲のある風景」は中学生のときに迎えた1945年8月15日の思い出をつづっている。戦時下の緊張感と青春期の血の騒ぎとがないまぜになった切迫した感傷を捉え返す筆致、そうした筆先が、優等生だった朝鮮人同級生との語らいで梶山自身の中で微妙に動く心のざわめきをもすくい取っていく。

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2009年6月15日 (月)

田中英光のこと

 田中英光といっても太宰治の後追い自殺をした人という程度にしか私は知らなかったのだが、川村湊『〈酔いどれ船〉の青春──もう一つの戦中・戦後』(講談社、1986年)を読み、どんな人なのかと気になって、田中のデビュー作『オリンポスの果実』(新潮社、1967年改版)に目を通した。

 早大在学中、オリンピックのボート選手としてサンフランシスコへ行く船上で出会った陸上選手の秋子という女学生、彼女への想いをひたすらつづっていく。一方的な片想いを小説作品に昇華させていくものとしては中河与一『天の夕顔』も思い浮かべるが、そのあり得ないまでにストイックな清潔感とは違って、『オリンポスの果実』には私小説的に生々しい鬱屈がある。田中という人のグダグダした女々しさは何となく師匠の太宰にも似ているが、時には小狡さすら感じさせる太宰の屈折ともまた違って、田中のもっと純情一本やりなところは憎めない。

 田中は大学卒業後、横浜ゴムに入社。京城支店に勤務するかたわら、『オリンポスの果実』で認められた新進文士として当時の朝鮮文壇の名士たちと交流する。戦時下、朝鮮文学報国会や大東亜文学者会議などに駆り出された体験を材料として想像を膨らませた作品が『酔いどれ船』(『田中英光全集2』芳賀書店、1965年、所収)である。

 ちょっと不思議な小説だ。朝鮮総督府の御用団体が裏にはらんでいる汚さや、朝鮮の人々の屈折した反感、それらを横目で眺めつつ、主人公・坂本享吉=田中は「自分の存在を証明してくれるのは、ただ自分の胃袋と生殖器だけのような気がした」「(流されるまま、流されよう)そのズルズルベッタリの自分の醜さを忘れるためにこそ、酒でも飲まねばやり切れぬ」と捨て鉢な気分で日々をやり過ごしている。朝鮮文壇の実力者である京城帝国大学教授は総督府や軍部とつながりを持ち、表では忠君愛国を絶叫しながらも裏では変態性欲の持ち主という格好の悪役。日本人の転向左翼、親日派に転向した朝鮮人文士、そして日本人に媚を売っているように見えて得体の知れぬ振る舞いの女流詩人・慮天心。陰謀が飛び交い、有象無象の織り成すドタバタ劇。汚辱と正義の絡まり合った倒錯した世界=“酔いどれ船”、その中で翻弄されるだらしないボクって一体何なの?という感じの構図と言えるだろうか。アングラな歓楽街をさまよい歩き、正攻法とは違った視点で1940年代のソウルを描き出しているので、それなりに面白い。

 当時の朝鮮文壇の顔ぶれが色々と出てくるのも読みどころだ(ただし、半ば以上脚色されているので注意が必要。たとえば前述の悪徳帝大教授にもモデルはいるようだが、実際とはだいぶ異なる)。大東亜文学者会議ご一行様歓迎会のシーンでは周作人やニコライ・バイコフなども登場する。そうした点でこの『酔いどれ船』は(明らかにフィクションではあるが)田中の視点を通して戦時下朝鮮文壇の空気を描き込んだ側面を持っている。川村湊『〈酔いどれ船〉の青春──もう一つの戦中・戦後』はこの作品を手掛かりに当時の朝鮮の文学的・社会的状況を検討した先駆的な労作である。

 露悪的なそぶりを見せつつその下に息づく田中の純情には、自分はだらしない人間だという誠実な自覚があるからこそ、表面的なものにはとらわれない、従って政治的なロジックとは異なった次元から人間を見つめようという視点がある。だからこそ、抗日の筋を通す民族主義者に対しても、李光洙など親日派=民族の裏切り者となった転向文士に対しても、その人がその人なりの葛藤を抱えているのが理解できれば、良い奴はやはり良い奴だと素直に認める。同時に、『オリンポスの果実』にも典型的に見られるように田中には主観的な片想いも目立つ。『酔いどれ船』は坂本=田中が慮天心に寄せる片想いの物語でもある。それは単に田中個人の問題というばかりでなく、川村も指摘しているように近代日本の朝鮮認識、アジア認識と重ね合わせて考えてみる必要も感じさせる。

 『田中英光全集2』にはソウル滞在期に関わる作品が集められている。「愛と青春と生活」はぐうたらサラリーマン生活、結婚生活にまつわる自伝的作品だが、生活の舞台としてソウルの街並もスケッチされているのが興味深い。「朝鮮の作家」という短文では香山光郎こと李光洙や兪鎮午との交流についても記されている。李光洙についてはこちらで触れた。

 兪鎮午の本職は法学者だが、当時気鋭の作家として知られ、本書の巻末に「朝鮮文学通信」という流暢な日本語で書かれた文章が資料として収録されている。彼は京城帝国大学を首席で卒業した秀才で、母校の助手に採用されたが、戦後も指導的知識人として活躍、大韓民国憲法を起草した。さらに朴正熙政権下で野党有力指導者として重きをなしたことは木村幹『民主化の韓国政治──朴正熙と野党政治家たち 1961~1979』(名古屋大学出版会、2008年)で知った。

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2009年6月14日 (日)

岩田重則『〈いのち〉をめぐる近代史──堕胎から人工妊娠中絶へ』

岩田重則『〈いのち〉をめぐる近代史──堕胎から人工妊娠中絶へ』(吉川弘文館、2009年)

 “近代”なるものをどのように捉えるのかは難しいテーマだが、本書は堕胎に焦点を合わせている。1900年代までの日本は、前近代的な性関係や堕胎がとりわけ地方の生活習慣レベルで残存している一方で、資本主義的生産システムのしわ寄せとしての貧困・生活苦、近代的法体系における堕胎罪にも取り囲まれ、いわば“前近代”と“近代”とが並存した状況だったという。両者の相克により摘発されたり、堕胎手術の失敗で死亡したりと悲惨なケースのあったことが当時の新聞雑誌等の史料の丹念な調査を通して浮き彫りにされる。1920年代以降から専門的な産科医による人工中絶手術が増加、また“職業婦人”としての近代産婆の登場によっても、生活習慣レベルでの“生”や“性”の捉え方が変化しつつあったことが窺われる。資本主義発展段階説における講座派への疑問という問題意識は古くさいが、堕胎というテーマから“近代”を考える視点は興味深く読んだ。

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