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2009年5月24日 - 2009年5月30日

2009年5月29日 (金)

長谷川如是閑「三宅雪嶺の人と哲学」

長谷川如是閑「三宅雪嶺の人と哲学」(飯田泰三・山領健二編『長谷川如是閑評論集』岩波文庫、1989年、所収)

 先日、三宅雪嶺『真善美日本人』を取り上げ(→こちらを参照のこと)、政教社の国粋主義・日本主義においては、その語感とは裏腹に、ナショナリズムとユニバーサリズムとが矛盾なく結びついていたことを記した。

 大正・昭和期のリベラリストとして名高い如是閑長谷川萬次郎は、若い頃、政教社の雑誌『日本』に在籍していた。主幹は三宅雪嶺であった。南画の仙人のようなむずかしい相貌をした雪嶺、しかし親しい人の顔を見かけると相好を崩し、「ウ・ウ」と声を出す。雪嶺は会話をしてもウ・エ・オと三つの音を同時に出したような声で応ずるのだが、さて、肯定しているのやら否定しているのやら判然としない、と如是閑は描写する。キュウリのように細長い顔をした如是閑が、ニコニコした雪嶺のジャガイモ顔を前に首をひねっている様子を思い浮かべると愛嬌があって、読んでいるこちらもついつい笑みをこぼしてしまう。

 雪嶺の基本的な考え方について如是閑は次のように説明している。

「いかなるものも、「ある」ことそのことによって、平等の地位であると考える。」「たとえば、宇宙観、人生観というようなものをもって生きるとしている人間も「ある」。が、そんなものの何一つももたずに生きている人間も「ある」。双方とも「ある」ことによって、平等の存在理由をもつもので、どっちが上等でも下等でもない。ただ自分はそのどっちかで「ある」だけだ。」…「好きなものでも、嫌いなものでも、それが「ある」ことによって、その存在を平等に認める。自分はそっちをとらないからといって、そんなものは「あるべからざる」ものだとは考えない。我れがイエスというものを彼れはノーといい、昔はイエスといわれたものが、今はノーといわれる。そうしてvice versaである。将来、それらがイエスでもノーでもvice versaでもなくなるかも知れないし、なくならないかも知れない。」(『長谷川如是閑評論集』301~302ページ)

 絶対的な真理を求めて強引なロジックで物事を切り分けようとするのがよくある観念論の通弊だが、雪嶺は違う。例の「ウ・ウ」的な態度で、すべてを否定しつつ肯定し、肯定しつつ否定して、「渾一の観念」へもっていこうとする。一人の人間も、国家や民族も、大きな宇宙という有機体の中で、小さな一つでもあり、大きな多でもあり、その両方であるという自覚(宇宙なるものの全体像は究極的には分かり得ないにしても)。雪嶺の開かれたナショナリズムもこうした大きな視野の中で捉えなければ分からない。

 雪嶺は国粋主義を標榜してはいたが、以上の考え方からうかがえるように、自身の立脚する芯はしっかりと持ちつつ、立場の異なる思想も、それが自分とは異なるからこそ積極的に認めた。たとえば、社会主義者・無政府主義者でも話の筋道が分かる人たちとは付き合いがあった。大逆事件で獄中にあった幸徳秋水から望まれて、その遺著『基督抹殺論』に序文を寄せたことはよく知られている。秋水は雪嶺に迷惑がかかるのを恐れたが、快く引き受けてくれた雪嶺に心底感謝していた(その経緯を示す書簡は岩波文庫版『基督抹殺論』[1954年]に収録されている)。

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2009年5月28日 (木)

山本夏彦『ダメの人』

山本夏彦『ダメの人』(文春文庫、1985年)

 山本夏彦という名前をあげると、私を個人的に知っている方には思い当たる節があるかもしれないが、そういう縁で退屈な時などたまにパラパラめくったりする。

 雑誌連載エッセイをまとめた本。この人、基本的に同じことしか言ってないから、題材が古かろうが何だろうが今でも十分読める。ロシア文学の米川正夫・中村白葉・原久一郎が日本語をダメにしたというのは『私の岩波物語』(文春文庫、1997年)でも言ってたな。無味乾燥な直訳は意味不明だが、明治期の意訳は面白かったという話は時折目にする。でも、近年はやはり翻訳のうまい人が増えてきているとは思う。たとえば、光文社古典新訳文庫の浦雅春訳によるゴーゴリは、落語調という工夫で、ゴーゴリの諧謔がよく出ていて面白い。同じく光文社古典新訳文庫で亀山郁夫訳のドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』が出ているのに、岩波書店が何を勘違いしたのか、亀山訳の向こうを張って米川正夫訳を敢えて重版(しかもカバーを新しくして)したのにはあきれた。

 で、“ダメ”というのは別に米川たちのことを指しているわけじゃない。夏彦は「ダメの人箴言録」なるものを書きたかったそうだ。じゃあ、“ダメの人”とは何ぞや、と問われても説明に困る。説明したら、必ず間違うからね。

 父(詩人の山本露葉)が亡くなった後、その親友だった人が夏彦を連れまわして色々なことを教えてくれたというが、武林無想庵のことだ。『荘子』のエピソードを聞かせてくれたそうで、それが夏彦にかなり印象を与えたようだ。

 私自身、『荘子』には強い思い入れがある。『荘子』に出会ってなければ私は生きていなかったとすら思っている。初めて読んだのは中学生のとき。ベストセラーになった池田晶子『14歳からの哲学』という本があるが、この本の果たす役割を、私にとっては『荘子』が果たしてくれた。『荘子』を初めて読んだときの漠然とした感覚をテコにすると、ある思想なり文学なり評論なりを読むときに、それがホンモノかニセモノかの区別が私なりにつくように感じている。たとえば、大森荘蔵や井筒俊彦を念頭に置いている。最近読んだところでは伊福部昭やジョン・ケージもそうだし、三宅雪嶺や長谷川如是閑もそう。そして山本夏彦や辻潤も。それぞれタイプは全然違うんだけどね。

 私は辻潤をひいきにしている。このブログのタイトル「ものろぎや・そりてえる」は辻潤の作品から拝借した。辻は無想庵の親友だった。夏彦も辻を個人的によく知っていた。“ダメの人”のイメージとして、おそらく無想庵や辻のことを思い浮かべていたのかなという気がしている。

 夏彦も“ダメの人”のかたわれである。夏彦が自分でそう言っている。

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2009年5月27日 (水)

西川美和『ゆれる』『きのうの神さま』、他

 西川美和監督「ゆれる」(2006年)はなかなか印象深い映画だった。自分の思うままに生きる弟(オダギリ・ジョー)と、そんな弟をいつも立ててくれた生真面目な兄(香川照之)。ところが、吊り橋で起こった“事故”をきっかけに、兄の心情に抑え込まれていたものを垣間見ていくという話。

 「ゆれる」を観て西川の作品に興味を持ち、デビュー作「蛇イチゴ」(2003年)もレンタル屋で借りて観た。行方不明の長男が間違って実家の葬式に来てしまうのだが、実は彼は香典泥棒、持ち前の口八丁手八丁でトラブルを解決するというシリアスなコメディー(矛盾した言い方だが)。これもよくできていた。

 「ゆれる」は、映画では弟の視点に立っていたが、小説版『ゆれる』(ポプラ文庫、2008年)は当事者それぞれのモノローグの組み合わせで構成されている。「藪の中」にたとえるのが適切かどうか分からないが、身近な人でも、その相手を見るときの普段なら表に出さない微妙な毒気がすくい取られている。人間にはこういう醜いところがある、とあげつらって書くのはさして難しいことではない。そんな安易な書き方ではなくて、日常の中に自然にとけこんでいるトゲを、斜に構えつつも真摯でやさしい眼差しで捉えていけるかどうか。そうしたところが嫌味なく描かれていて、小説としてもうまいものだと感心した。

 『きのうの神さま』(ポプラ社、2009年)は短編集。医療をテーマとした作品が中心。西川監督の次回作「ディア・ドクター」は地域医療や高齢化を題材としているそうで、その取材をしながら書いたとのこと。映画はどんな感じになるか楽しみ。

 『名作はいつもアイマイ──溺レル読書案内』(講談社、2008年)は雑誌連載のブックレビューをまとめたもの。ラインナップに井上ひさし『薮原検校』とか三島由紀夫『不道徳教育講座』とか野坂昭如『エロ事師たち』とかあるのはなかなか良い趣味してますな。

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2009年5月26日 (火)

崔承喜のこと

 高嶋雄三郎・鄭昞浩編著『世紀の美人舞踊家崔承喜』(エムティ出版、1994年)、金賛汀『炎は闇の彼方に──伝説の舞姫・崔承喜』(日本放送出版協会、2002年)の二冊に目を通した。

 『世紀の美人舞踊家崔承喜』には崔承喜の写真や公演プログラムなど多数収録されている。おどけた感じのポーズもあるし、気品のあるエロティシズムに胸がドキッとするようなものもあった。衣装をまとったポージングから東洋志向を融合させたモダン・ダンスというコンセプトはうかがえる。手足を大きく広げて宙を舞い、動きの躍動感をとらえた写真がいくつか目を引いた。大柄な美人だったというから、こうしたポージングに動きを持たせたならさぞ見栄えしたことだろう。是非映像で観てみたいとは思うが、いまやほとんど残されていない。そういえば、以前、崔承喜の生涯をたどるドキュメンタリー映画をやっていたように記憶しているが、観そびれたままだ。

 1911年、崔承喜はソウルの両班の家に生まれた。成績優秀だったが、家計が貧しかったため進学をどうするか迷っていたところ、舞踊家・石井漠が研究生を募集していることを兄・崔承一から教えられた。石井のダンスを見て、その魅力にたちまち引き込まれ、東京の石井のスタジオで練習に励むことになる。

 朝鮮舞踊の近代化という志向を持った彼女のダンスは、朝鮮人だけでなく日本人をも魅了した。崔承喜後援会の発起人に山田耕筰、川端康成、村山知義、菊池寛、山本実彦といった人々が名前を連ねており、この中に混じって呂運亨の名前も見えるのが驚いた。著名な朝鮮独立運動家である(呂運亨は左派的立場から独立運動を進めつつも日本側とも連絡を取るという複雑な政治行動ができた人で興味深いが、惜しくも1947年に暗殺された)。なお、『炎は闇の彼方に』は近衛文麿の名前まであるのが解せないと記しているが、指揮者であった弟・近衛秀麿の間違いである。

 崔承喜が活躍した1930~1940年代、すでに軍国主義が暗い影を色濃く落としている時代である。朝鮮舞踊の伝統を取り込んだ彼女のダンスは、皇民化政策を推し進める当局者には目障りで、彼女の意図とは関係ないレベルで政治の網目に絡め取られてしまう。“半島の舞姫”と謳われた彼女、英語で意訳すれば“コリアン・ダンサー”だが、外国公演でこの表現を使ったこと自体が反日的だとにらまれてしまった。上からの圧力に気を遣わねばならず、彼女は日本軍の陣中慰問にも行った。それは単なる保身のための迎合ではない。自分のダンスが朝鮮の人々の誇りの一つになっていることを知っているからこそ、絶やしてはいけないと考えたからだ(他方で、『炎は闇の彼方に』は、汪兆銘政権下では舞台に上がらないと心に決めた梅蘭芳と語り合うシーンも描いている)。

 そうした崔承喜の姿勢は、急進的な独立派の眼には日本の手先だと映った。崔承喜の朝鮮語読みは“チェ・スンヒ”だが、彼女は“サイ・ショウキ”と日本語読みで通しており、それも彼らの気に入らなかった。ただし、創氏改名にも応じてはおらず、その代わり、夫の安漠が安井と姓を変えた。彼が当局からの防波堤となって、崔承喜という名前を残すためだ。安漠はもともと作家志望だったが、結婚にあたり、崔承喜の支援者たちから彼女の才能を守るため自分の道はあきらめろと説得された人である。

 日本の敗戦後、南北二つの政府が成立した朝鮮半島で、崔承喜は延安帰りの夫・安漠に説得されて北に行った。“親日派”容疑を打ち消そうという意図もあったのかもしれない。当初、金日成からは厚遇された。1956年、日本の文化人の訪朝団が崔承喜と面会、来日公演を希望したところ、彼女も乗り気だったらしいが、雲行きは怪しくなる。日本に行ったらそのまま亡命してしまうのではないかと疑われたようだ。当時、文化宣伝省次官というポストにあった夫・安漠も反対したらしい。やがて金日成との考え方の違いから安漠は1958年に失脚、続いて崔承喜も粛清されてしまう。どのような最期を迎えたのか、はっきりしたことは分かっていない。

 以下、蛇足。戦時中、日本軍の慰問のため中国公演旅行に行った際、崔承喜は大同の石仏群を見て異様な感動にとらわれたというエピソードが『炎は闇の彼方に』に記されており、興味を持った。何十万体もの石仏が広がる雄大な光景を前にして、その場限りの“現実”に流されている自分自身を見つめなおしたらしい。私は伊福部昭の「ピアノとオーケストラのためのリトミカ・オスティナータ」という曲が好きなのだが(→こちらを参照のこと)、彼もまた戦時中に中国の石仏群(大同ではなく熱河だったが)を見て圧倒された感動から執拗な反復律動という着想を得て、この曲をつくった。微細な音が反復・集積されて一つの大きなまとまりある音を響かせるところに現代音楽で言うミニマリズムの面白さがある。その意味で「リトミカ~」もまさしくミニマリズムだ。一つ一つ個別の石仏が集まって大きなまとまりを成している光景、一にして多のアナロジー。崔承喜にしても伊福部昭にしても、民族的・土着的感性と普遍的な芸術性とを、どちらか一方に収斂させてしまうのではなく両立させる形で自分の作品を表現しようとしていた。また、崔承喜は、無数の有名無名の人々が孜々として築き上げてきた石仏群の歴史性という高みに立った視点を通して、不本意な戦争に巻き込まれている自分の惨めさを捉え返そうとした。いずれにしても、石仏群のイメージに投影された一にして多というアナロジーは色々な問題を取り込んでいけるんだなあ、などと妄想した次第。繰り返すが、蛇足。

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2009年5月25日 (月)

「インスタント沼」

「インスタント沼」

 仕事に行き詰って会社を辞めたジリ貧OL沈丁花ハナメ(麻生久美子)。やり直そう!と決意した矢先、母親(松坂慶子)が河童を探しに行って池に落ち、病院に搬送されたまま意識不明。ひょんなことから母の古い手紙を発見、なんと実の父親のことが書かれていた。訪ねていくと、そこは「電球商会」なる怪しげな骨董屋。出てきたのは、見るからに胡散臭そうなはったりオヤジ(風間杜夫)…。

 ナンセンスな小ネタを絨緞爆撃のように次々とかましてくるのが圧倒的。一つ一つはアホらしくても、これだけ連発されると脈絡とか意味とか関係なく一定のリズムが出てくる。だから、ハナメの迷走ぶりが小気味良いというか、壮快にすら感じられる。小ネタが飛び交うリズムだけでこの映画は成り立っていると言っていい。とりわけ冒頭の2,3分ほど、テンポよくハナメを紹介するシークエンス、これなんてナンセンスとリズム感の組み合わせがもう絶妙で、この時点で三木聡ワールドに取り込まれてしまった。ストーリーは意味不明でも、つくりは相当に緻密だ。舞台や小道具も細部まで凝っている。

 何よりも主演の麻生久美子が実に良いなあ。素っ頓狂なマイペースぶりとハイテンションで最初から最後まで休みなく疾走する感じで、それが彼女のすずやかなかわいらしさと不思議に合っている。やはり現在公開中の「お と なり」(→こちらを参照のこと)で見せてくれる静かに抑えた表情の出し方とは対照的だが、どちらの役柄でも彼女の持っている雰囲気がうまく活きている。本当に素敵な女優さんですね。

【データ】
原作・脚本・監督:三木聡
出演:麻生久美子、風間杜夫、加瀬亮、松坂慶子、他
2009年/120分
(2009年5月24日、テアトル新宿にて)

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2009年5月24日 (日)

中村祐悦『白団(パイダン)──台湾軍をつくった日本軍将校たち』

中村祐悦『白団(パイダン)──台湾軍をつくった日本軍将校たち』(芙蓉書房出版、1995年)

 1949年から1969年にかけて旧日本軍将校83名が極秘のうちに台湾へ渡って軍事教練を行なっていた。もちろん、違法である。日本側の保証人となった岡村寧次が病床にあったため、代わりに団長となった富田直亮の偽名が白鴻亮であったことから“白団”と呼ばれた。反共義勇軍、蒋介石の寛大な対日政策への報恩が理由だったとされる。

 台湾へ密航する根本博のことは、先日読んだ奥野修司『ナツコ 沖縄密貿易の女王』(文藝春秋、2005年)、高木凛『沖縄独立を夢見た伝説の女傑 照屋敏子』(小学館、2007年)の両方にもちらりと出てきた。1949年に中共軍を撃退した金門島攻防戦では根本がひそかに作戦指導をしていたといわれる(この攻防戦によって中共・国府の軍事境界線が事実上定まった)。なお、根本の同行者の中に照屋林蔚という人がいた。照屋敏子の夫のはずだが、高木書では白団については触れられていない。白団支援者の中に澄田【ライ:貝偏+來】四郎の名前も出てくるが、ドキュメンタリー「蟻の兵隊」で山西省に日本軍兵士を置き去りにしたと非難されている人物である。

 白団の活動は、国民党軍にとって黄埔軍官学校以来の本格的な軍事教練であった。アメリカ式の戦術では物量を潤沢に費やすのが前提となっているが、これに対して貧乏国として物量を最小限に抑えようとする日本軍式の方が当時の国民党軍の実情に合っていたという。戦略問答で日本人教官が中国人生徒を徹底的に論破してしまうと面子をつぶされたと反感をかってしまうというのは一種の文化摩擦か。講義終了時の拍手の大きさが、学生による教官への勤務評定になっていたというのが面白い。

 教練を受ける大半は外省人だが、本省人も少人数だが混じっていた。しかし、本省人はどんなに優秀でもエリート・コースにのることはできず、それどころか政治犯の疑いで投獄された人すらいた。いわゆる“省籍矛盾”の中、蒋介石以下軍事関係者の親日感情と、他ならぬ国民党軍によって弾圧された一般台湾人の親日感情、それぞれ別の位相で二つの親日感情があったというのも実に複雑な話である。

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「夏時間の庭」

「夏時間の庭」

 冒頭、広い庭の森や草はらで子供たちが楽しげに駆け回っている。静かな光の映える緑はまるでコローの風景画から抜け出してきたかのように穏やかに美しい。長年お手伝いとして働いてきたエロイーズは「池の方へ行ったのかい? あっちは危ないから行っちゃいけないって言ったのにねえ」とこぼす。

 コロー、ドガ、ルドン…。数々の芸術品が無造作に置かれた家。芸術家であった大叔父の遺したこの家を守ってきた母エレーヌは、息子・娘たちに遺産相続の話を切り出す。それぞれ自分自身の生きていく場所を見つけている彼らの表情は複雑だ。母が娘に語る、「あなたは歴史を背負ったものが好きじゃなかったものねえ」という言葉が耳に残る。やがて、母は逝く。

 実際に美術館から現物を借り出して撮影したらしい。思い出に何か持って行きなさいと言われたエロイーズ、「高価なものだと悪いから一番平凡なのをもらってきたわ」と語るのだが、その花瓶も著名な作品だったというのが微笑ましい。愛着とは、一人ひとりの時間の積み重ねを通して生まれてくる感情である。それは世評や金銭換算とは次元が異なる。美術館に鎮座した飾り机のさびしげなたたずまいが、エロイーズがいつもやるように自然に花を生けた花瓶と対照的に際立つ。

 時間の積み重ねには、自分たちの知らなかった過去もいっしょくたに混じりあっている。たとえば、エレーヌと大叔父との秘められた関係。家が売却される直前、非行に走ったように思われていた孫娘がボーイフレンドの手を取って池の方へと駆けていく。そこで祖母エレーヌから聞いた話を語る。場所に結び付いた祖母のかけがえのない思い出、そこに孫娘も自身の想いを重ね合わせる。時間は途切れずに続いていく。

【データ】
原題:L’heure d’été
監督・脚本:オリヴィエ・アサイヤス
出演:ジュリエット・ビノシュ、シャルル・ベルリング、ジェレミー・レニエ
2008年/フランス/102分
(2009年5月22日、銀座テアトルシネマにて)

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