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2009年5月17日 - 2009年5月23日

2009年5月23日 (土)

三宅雪嶺『真善美日本人』

三宅雪嶺『真善美日本人』(講談社学術文庫、1985年)

 国粋主義なんて言うと、現代では鬼面人を驚かすがごときおどろおどろしい響きもこもるが、明治期の政教社ナショナリズムにはポジティヴな開放性がある。雪嶺三宅雄二郎は政教社の雑誌『日本人』の主幹であった。鹿鳴館に顕著に見られるような欧米崇拝熱への批判として彼らの政論は出されているが、それは単なる反動ではない。人にはそれぞれ個性があると同様に、国柄それぞれにも個性がある。欧化という形でその個性を平板化してしまうのではなく、むしろ日本の個性を積極的にのばすことによってこそ、広く世界に貢献できるはずだと考えた。たとえば、“真”というテーマで雪嶺は次のように言う。

「真を極むること如何。相切磋し、相磨礪することのもって美玉を成就すべきを見ば、智識を闘わすの真を極むるにやむなきを知らん。異なれる境遇における異なれる経験より獲得せる極めて多くの異なれる事理を彙集し、同異を剖析し、是非を甄別し、もって至大の道理に帰趨するは、真を極むるの要道なり。既に称して日本の国家という、その人まさに人類世界において真を極むるの一職分を担わざるべからず。」(36~37ページ)

 西洋とは異なる経験を持つ日本には、他の国にはできない日本なりの任務があるはずだ。異なる個性を持つ者同士が切磋琢磨するからこそ世界全体の進歩があり得る。そうした形で、日本の文化ナショナリズム=国粋主義・日本主義をユニバーサリズムの中に矛盾なく位置付けていこうとする発想に政教社の主張の特長があった。同時代の内村鑑三の墓碑銘に刻まれた「私は日本のために、日本は世界のために、世界はキリストのために、かくしてすべては神のために」という言葉も想起される。

 “真”は学術的なテーマである。古来、中国・インドの文化を咀嚼してきて、現在では欧米から新しい学術方法論を輸入している日本は東洋文化研究に長所があるとされる。本書は雪嶺の口述を筆記したものだが、筆記者の一人は後に東洋史研究の泰斗として知られた湖南内藤虎次郎である。“美”については日本にも様々な美術があることを強調。風土の風光明媚な点については軽く触れる程度だが、同じく政教社の同人であった志賀重昂『日本風景論』が有名である。“善”としては、日本のような弱国であっても工夫によって富国強兵を図ることができると指摘。類似したテーマでは内村鑑三『デンマルク国の話』も思い浮かぶ。

 『真善美日本人』と対句的なタイトルを持つ『偽悪醜日本人』も本書に収録されている。“偽”や“醜”はうわっつらに流れて真実を失った学問や芸術への、“悪”は私利を第一として士風の矜持を失った社会風潮への批判である。とりわけ、欧米文化を直輸入して事足れりとする風潮に舌鋒が鋭く向けられる。次の引用をみると、“和魂洋才”“東洋道徳西洋芸”のような発想と言えるか。

「おおよそ社会の事物たる、他を模倣せんよりは、自家固有の特質を発達せしむるの優たることあり。けだし我が国固有の風俗たる、いずくんぞことごとく抹殺すべきものならんや。そもそも外事を取りて、これを用いんことあえて排難すべきにあらずといえども、そのこれをなさんにはあらかじめ守るところなかるべからず。すわなち明らかに我を主とし、彼を客とするの本領を確保し、彼やただ取りてもって我の発達を裨補せしむるの用に供すべきのみ。はじめより汲々乎として模倣これ務む、いずくんぞその可なるを知らん。」(139ページ)

 雪嶺は中野正剛の岳父にあたり(中野については以前に触れた→こちらを参照のこと)、東方会の機関紙『我観』の主筆に据えられていた。戦後間もなく、我観社は真善美社と名前を変えたが、雪嶺『真善美日本人』に由来する。なお、中野と同郷という縁で花田清輝が我観社・真善美社にいて、たとえば埴谷雄高、島尾敏雄、福田恒存、中村真一郎、岡本潤、小野十三郎などの本も真善美社から出されている。

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「ブッシュ」

「ブッシュ」

 父を超えられない息子の葛藤を描く。ブッシュ・ジュニアを演ずるジョシュ・ブローリンは本当に生き写し。パパ・ブッシュ役であるジェイムズ・クロムウェルの長身と並ぶとただのガキにしか見えないのは意図的なキャスティングか。ディック・チェイニー役もそっくりだったが、リチャード・ドレイファスだというのはエンドクレジットで知って驚いた。過去のオリバー・ストーン映画では「ニクソン」のアンソニー・ホプキンスの印象が強かった。ニクソンの顔の長方形に対してホプキンスは丸顔、しかし、笑ったときの表情などそっくりで、さすがホプキンス!とうなった覚えがある。

 パウエルの発言を通してイラク戦争への疑問点が指摘されるが、通り一遍な感じ。石油の確保が目的だとチェイニーが大演説をぶつが、そう単純化できるかどうかは問題が残るはずだ。あくまでもブッシュ・ジュニアのグダグダしたもがきっぷりがメイン・テーマだろう(そこに共感するかどうかは別問題)。この映画をアメリカ政治論に結び付けたがる人もいそうだが、それは明らかに無理がある。

 二時間以上の長丁場だが、退屈はしない。ブッシュ関連ではマイケル・ムーア「華氏911」なるトンデモ映画もあったが、あれに比べたらはるかにマシだ(以下、蛇足。私自身、ブッシュ政権に対して批判的ではあるが、ムーアの理屈ではなく映像のコラージュでマイナス・イメージを作り上げていくやり方は観ていて不愉快だった。ムーアは反体制の立場だから許されるにしても、体制側が同じ手法で宣伝をやったら悪質なデマゴギーになってしまう。自称進歩派・良心派にムーアを持ち上げる人々がいたが、そうしたところに無自覚な点で本当に頭が悪いんだなあとつくづく思った。進歩派か保守派かはともかく、バカのくせにもっともらしく政治を語りたがる輩にはうんざりする)。

【データ】
原題:W.
監督:オリバー・ストーン
2008年/アメリカ/130分
(2009年5月23日、角川シネマ新宿にて)

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2009年5月22日 (金)

『吉野作造評論集』

岡義武編『吉野作造評論集』(岩波文庫、1975年)

 大正5(1916)年、『中央公論』に発表された吉野作造「憲政の本義を説いてその有終の美を済すの途を論ず」は、いわゆる大正デモクラシーの代表的論文として名高い。語り口は平易。『中央公論』掲載の吉野の論文は、たしか名編集長瀧田樗陰の筆記になるはずだ。当時、駆け出し編集部員だった木佐木勝が瀧田に随行して吉野の研究室へ行き、帳面と筆を手にした瀧田が袖を捲くりあげ、「先生、さあ、やりますか」とやっているシーンを、何の本だったか『木佐木日記』からの引用で読んだ覚えがある。

 内容は立憲主義、議会主義の概説である。少数者政治は密室政治に陥りやすい、政権交代の緊張感をもたせる→開かれた選挙が必要などの論点は特に真新しいものではないが、見方を変えれば、基本的な考え方は現在でも変わっていないとも言える。以下の箇所では明治憲法の枠内で国民本位の民本主義を正当化する論拠を示しており、美濃部達吉の天皇機関説と相補う。

「我々が視て以て憲政の根柢となすところのものは、政治上一般民衆を重んじ、その間に貴賎上下を立てず、しかも国体の君主制たると共和制たるとを問わず、普く通用するところの主義たるが故に、民本主義という比較的新しい用語が一番適当であるかと思う。」(「憲政の本義~」36ページ)

「いわゆる民本主義とは、法律の理論上主権の何人に在りやということは措いてこれを問わず、ただその主権を行用するに当って、主権者は須らく一般民衆の利福並びに意向を重んずるを方針とす可しという主義である。」(「憲政の本義~」45ページ)

「これを要するに、政治の終局の目的が人民の利福にあるべしという事、これ民本主義の第一の要求である。一見民衆一般の全体の利益に関わりないように見えても、詮じ詰むれば、全般の利益幸福となるというものならば、そは民本主義に悖らない。終局において民衆一般のためになるかならぬかが標準である。」(「憲政の本義~」61ページ)

 民衆を“重んずる”という微妙な言い回しがカギである。民衆自身に政治をやらせたり民衆の要求に迎合したりするのではなく、民衆=多数者の意向を汲み上げながら政治指導者=少数者が政権運営を行っていく、つまり代議政治=間接民主主義であることを強調している(従って、直接民主主義の効率的代用という見解を吉野はとらない)。

「多数政治と言っても、文字通りの衆愚の盲動が政界を支配するようでは、国家の健全なる発達は期せられない。多数者は形式的関係においてはどこまでも政権活動の基礎、政界の支配者でなければならぬ。しかしながら彼は内面において実に精神的指導者を要する。即ち賢明なる少数の識見能力の示教を仰がねばならぬのである。かくて多数が立派な精神の指導を受くる時は、その国家は本当にエライものである。少数の賢者は近代の国家において実にこの役目を勤むべきものである。」「多数の意向が国家を支配するのであるけれども、これを精神的に見れば、少数の賢者が国を指導するのである。故に民本主義であると共に、また貴族主義であるとも言える。平民政治であると共に、一面また英雄政治であるとも言える。即ち政治的民本主義は精神的英雄主義と渾然相融和するところに憲政の花は見事に咲き誇るのである。」「憲政をしてその有終の美を済さしめんとせば、政策決定の形式上の権力は、思い切ってこれを民衆一般に帰し、しかも少数の賢者は常に自ら民衆の中におってその指導的精神たる事を怠ってはならぬ。」(「憲政の本義~」72~73ページ)

「腹の痛い痒いは患者本人に聞かねば分からぬ。しかしどうしてこれを癒すかは医者でなくては分からない。従来の医者は患者を見もせず勝手に投薬したので、遂に民衆はその無責任を憤り医者無用論を唱え、甚だしきは自分で医療のことが分かるような気にも一時はなったのだが、本当のところはやはり医者に頼まなくては分からぬのである。ただ問題はその医者が絶えず誠実に患者と連絡を取って居るか否かに在る。政治におけるまた然りで、従来の政治家が頼むに足らずとして一概にこれを斥けるのは専門の智識なくして勝手に薬を手盛りするようなものである。政治は政治家にまかせる。ただ民衆は厳にその監視を怠らない。これが理想的の状況だ。」(「無産政党問題に対する吾人の態度」219ページ)

 天皇主権と国民本位、二重の政治形式を経た上で実質的にはエリート主義というカラクリが面白い。個々の具体的な政策判断は政治指導者に任せるにしても、ではその指導者が果たして適任なのかどうか。選挙を通して監視の眼を光らせるのが選挙民=一般民衆の役割である。それには専門知識は必ずしも必要ではない。しかし、異なる政派それぞれの意見を聞きながら、そのいずれが説得力を持つのかを見極めるくらいの見識は選挙民に求められる。個別の利害関係で投票するのではなく、大局的に必要な人材を選ばねばならない(各政派の見解を比較考量するのが選挙民の役割なのだから、一般民衆は特定政党に加入してはならず適度な距離をおくべきだとも吉野は主張している)。だからこそ、国民一般の智徳の発達が憲政の大前提だという趣旨の一文を「憲政の本義~」論文の冒頭に置いている(この論点は福沢諭吉たちの啓蒙思想以来、一貫して続いているように思われる)。

「憲政のよく行わるると否とは、一つには制度並びにその運用の問題であるが、一つにはまた実に国民一般の智徳の問題である。けだし憲政は国民の智徳が相当に成育したという基礎の上に建設せらるべき政治組織である。もし国民の発達の程度がなお未だ低ければ、「少数の賢者」即ち「英雄」に政治上の世話を頼むといういわゆる専制政治もしくは貴族政治に甘んずるの外はない。故に立憲政治を可とするや、貴族政治を可とするやの問題の如きも、もと国民の智識道徳の程度如何によって定まる問題で、国民の程度が相当に高いのに貴族政治を維持せんとするの不当なるが如く、国民の程度甚だ低きに拘らず強いて立憲政治を行わんとするの希望もまた適当ではない。」(「憲政の本義~」13ページ)

「民本主義の行わるる事は、それ程高い智見を民衆に求むるという必要はない。…今日の政治はいわゆる代議政治という形において行われて居るのであるが、その結果今日では我こそ人民の利福意向を代表して直接国事に参与せんとする輩は、自然進んで自家の政見を人民に訴え、以てその賛同を求むるという事になる。そこで人民はこの際冷静に敵味方の各種の意見を聴き、即ち受動的にいずれの政見が真理に合して居るやを判断し得ればよい。更に双方の人物経歴声望等を公平に比較し、いずれが最もよく奉公の任を果たすに適するや、いずれが最もよく大事を託するに足るの人物なりやを間違いなく判断し得るならば、それで十分である。」(「憲政の本義~」69ページ)

「立憲政治の妙趣は、人民の良心の地盤の上に、各種の思想意見をして自由競争をなさしむる点にある。いわゆる優勝劣敗の理によりて高等なる思想意見が勝を制し、これが人民の良心の後援の下に実際政治の上に行わるる点にある。」(「憲政の本義~」94ページ)

「ちょうど幸いなことには、今日の政界の組み立ては、政権に与らんとする者が競うて自家を民衆に吹聴し、一人でも多くの味方を作るに非ざればその目的を達し得ぬということになって居る。そこで民衆は政治家の主張をきき、自ら政治的に大いに教育されてその上でゆっくり賛否を決するというのであるから、多数の意向の帰するところが則ち道徳的に最高価値の存するところとなるわけだ。ただ漫然多数なるが故に尊いのではない。多数のうちに最良最高の価値が発現するように組み立てられて居るから尊いのである。デモクラシーが現代新文化の発展に重きをなす所以は一にこの点にある。従って反省なき無組織の多数を擁してここに一つの勢力を作らんとするが如きは、却ってデモクラシーの敵というべきである。」(「普通選挙の実施と日本政界の分布」232ページ)

 吉野の民本主義は議会制民主主義の一つの理念型を示している。この観点から普通選挙・政党政治への支持を表明した。超然内閣が君臨し、政党政治へはまだ移行期にあった大正期において、彼の議論は既存体制に対する鋭い舌鋒として喝采された。しかしながら、当時とは違って選挙による議会制度が形式的には完備した現代日本において考えてみると、吉野の示した政治モデルは、むしろ“国民一般の智徳”の問題に難点を見出すように思われる(吉野は、自由民権運動が挫折した明治期とは異なり、大正の現在において智徳の発達は十分だから立憲主義でいける、だから普通選挙を実施せよ、と主張していたのだが)。

 例えば、財政再建のため増税が必要というロジックを私は正当だと思うが、現在、こうした主張を正面から掲げる政党があったとして、果たして政権をとれるだろうか。吉野の考え方からすれば、政治指導者は国民を説得せねばならないわけだが、実際には言葉を濁さざるを得ない。吉野は国民を“重んずる”という表現を用いたが、ここに込められた国民の“意向を汲み取る”ことと国民に“迎合する”こととの微妙なニュアンスの相違をどのように考えるか。

 他方で、痛みを伴う構造改革が主張された郵政選挙で小泉自民党が圧勝したが、これは主張の是非ではなく、マスメディアを通したドラマ性が耳目を引いた結果であったことは論を俟たない(いわゆるニート・フリーター層が、彼らにとって構造改革は不利になるはずなのに、小泉の「ぶっこわす!」という一言に反応して自民党へ投票した人たちが少なからずいたという指摘を思い起こす)。理屈による説得よりも、感情に訴えるドラマ的な刺戟の方が選挙において効果を持ってしまうこと、この点を考えても“国民一般の智徳”の問題は現代でも危ういなあという感じがする。(と言うよりも、民主主義がある局面で多数派の感情論で突っ走ってしまう危険性は、後天的に組み立てられた政治システムというよりも、人間本性をどのように考えるかというもっと本質的な次元に根ざした問題だという印象が私には強い。これは永遠に解決できない問題でしょう。だからと言って私は議会制民主主義を否定などしていません、念のため。)

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2009年5月21日 (木)

こうの史代『この世界の片隅に』

こうの史代『この世界の片隅に』(上中下、双葉社、2008~2009年)

 ようやく完結。こうの史代のやわらかいタッチの絵柄が好きなので上巻を書店で見かけて以来心待ちにしていた。ベストセラーとなり映画化もされた『夕凪の街 桜の国』(双葉社、2004年)は広島の原爆をテーマとしていたが(映画は文部省選定のような感じだったが、麻生久美子の薄幸な面持ちが良かった)、『この世界の片隅に』の舞台はお隣の呉。軍港の城下町である。広島から嫁いできたおてんば娘すずが主人公。刻々と激しさを増していく戦火に翻弄される不条理、しかし、それをほんわりとやさしい絵柄が包み込んでくれるので、静かな叙情すら感じられてくる。そこがいい。

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2009年5月20日 (水)

張季琳『台湾における下村湖人──文教官僚から作家へ』

張季琳『台湾における下村湖人──文教官僚から作家へ』(東方書店、2009年)

 『次郎物語』は小さい頃に読んだ覚えがあるが、内容については漠然とした雰囲気しか思い浮かばない。下村湖人のリベラルな理想主義というのも、言われてみてそうだったかなと思い出したくらいだし、彼が台中一中や台北高校の校長を務めていたことなど初めて知った。

 台中一中の台湾人生徒によるストライキは湖人にとって一つのトラウマとなっているようだ。台中一中はもともと台湾人有志の寄付でつくられたのが始まりなので台湾人生徒の割合が多かったが、公立に移管されてからも“一中”の名前は守り続けた。ストライキの原因は日本人職員の不正への不満であったが、下村校長は断固たる態度を取って、多くの台湾人生徒が退学させられた。総督府から譲歩するなという指示があったのだとしたら彼は文教官僚として板ばさみになったわけだが、その点の検証は今後の研究に待たねばならないようだ。湖人は必ずしも差別主義者だったわけではなく、家族には差別的な言動をしないよう気をつけろと常々注意していたらしい。しかし、主観的にはリベラルな良心派であっても、文化的感性の異なる人々を相手とする植民地体制下ではなかなか思い通りにはいかない。

 日本に帰ってから湖人は台湾についてほとんど書き残していないという。ただ、『次郎物語』の後半部、学校騒動の場面がある。そこに描かれた校長の姿には、他ならぬ台湾時代の湖人自身が戯画的に重ね合わされているのではないかという指摘が本書のポイントである。日本の敗戦直後、湖人は私信で「台湾人に心からわびたいような気がしてならない」と記している。植民地支配者としての日本人も一律のイメージでくくってしまうことはできない。人それぞれに複雑な機微を抱えていたわけで、そうしたあたりを見つめた研究として興味深く読んだ。

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2009年5月19日 (火)

筒井清忠『近衛文麿──教養主義的ポピュリストの悲劇』

筒井清忠『近衛文麿──教養主義的ポピュリストの悲劇』(岩波現代文庫、2009年)

 近衛文麿の名前を見て誰しも真っ先に思い浮かべるのは“優柔不断”というイメージだろうか。戦前においては開戦を決断できないのは優柔不断だからだと罵られ、戦後になると戦争を回避できなかったのは優柔不断だったからだと非難される。他方で、錯綜する政治情勢に振り回された彼の姿は“悲劇の宰相”という捉え方もされた(たとえば、矢部貞治『近衛文麿』)。

 近衛の教養主義的エリートとしての側面、マスメディアを通した大衆的人気。両方とも、すでに大衆社会化傾向を呈しつつあった当時の日本において政治家として立っていく上で有効な権力リソースとなるが、これら二つの要因の分析が本書のテーマである。

 大衆人気の背景としてモダン性と復古性の融合という論点が示される。近代的ブルジョワ家庭のイメージや親米派・社会主義シンパという進歩性は都市部にアピールしたし、彼の豊かな教養は知識人から好感を以て迎えられた。他方で、五摂家筆頭格という家柄の権威やアジア主義的な主張は保守的な農村部や右翼にアピールした。西園寺公望を代表格とする親欧米的オールド・リベラリストが退潮し、かわって大衆基盤のナショナリズムが高揚しつつある時代状況の中、近衛は双方から期待を寄せられるという独特な立ち位置にあった(右派・左派双方を場当たり的に引きつける政治行動を古典的なファシズム論ではボナパルティスムというが、近衛を気弱なナポレオン三世とたとえてみたら当たらずとも遠からずではないかという印象も感じた)。

 マルクス主義にせよ国家主義にせよ、ある特定のドグマで突っ走るのは教養主義とは相容れない。教養主義が現実政治と関わりを持つ際には様々な考え方の中から良質な部分をピックアップしようとする柔軟な態度を取る。そうした折衷主義的な政治姿勢を近衛は示したが、それは、伝統的なものに郷愁を感じつつも近代化が否応なく進んでいく状況にあった当時の日本人の感性に訴えるところがあったという指摘が興味深い。しかしながら、人気=「世論」の意向に依拠したポピュリズムは、風向きが変ればあっという間に失墜する運命をたどらざるを得なかった。

 具体的な政策課題の解決には不可欠な政治的柔軟性(近衛の場合には教養主義=良い意味での折衷主義に由来)。“民主主義”といえば聞こえは良いが、実際には国民からの支持はイメージ的な人気として表われるポピュリズム。本書は近衛のたどった悲劇を通して、こうした現代の我々も直面する政治的アポリアについて問題提起を行なっている。

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2009年5月18日 (月)

『ジョン・ケージ著作選』

小沼純一編『ジョン・ケージ著作選』(ちくま学芸文庫、2009年)

 ジョン・ケージの有名な「4分33秒」、私が初めて聴いた(?)のは学生の時にとっていた現代音楽をテーマとした講義でのこと。CDがかけられて、聴こえてくるのは森のささめく音。音を入れないCDはあり得ないから環境音楽風にしたのだろうか。漠然とだが違和感があった。「4分33秒」は伝説にとどめて無理やりCDにしない方がよかったのではないかと思った。

 「4分33秒」の初演(?)ではピアニストがピアノを弾かない、つまり意図的な音は出さないという形をとったわけだが、あのサプライズは再現不可能である。ケージのいわゆる“偶然性の音楽”には、“音楽=作曲”という作為的な意味をはぎとってむき出しの音そのものを感じ取ろうという意図があり、そして、一刹那一刹那いまここで響いている音の純然たる一回性に存在の広がりを感じ取ろうという意図も込められている。

 ケージを作曲家と呼ぶのはそぐわないという印象が私には強い。メロディーを人に聴かせるのが目的ではなく、音という素材を使って彼自身の思索を表現していくのが彼の音楽活動である。別に音楽にこだわっているわけではないと受け取れる趣旨の発言も彼はしている(たとえば、本書121~122ページ)。

 本書も含めてケージの発言を読んでいると、まるで禅問答のようである。意味不明、了解困難という通俗的な次元と、本来的に言語化不可能な存在論の核心に迫る際にどうしても矛盾した表現をせざるを得ないという本質的な次元と、この両方の次元において。ロジックを用いて説明し始めると、無限な広がりを持つ感覚が一定の狭いパターンに収斂・固着してしまって、発話した瞬間に「これは違う!」というもどかしさがどうしてもわだかまってくる。それにもかかわらず言葉による説明を求められるのだから、禅問答にならざるを得ない。ケージの発言を読みながら、たとえば『無門関』などを思い浮かべた。ケージがコロンビア大学で鈴木大拙の講義を受けて大きな影響を受けたことはよく知られている。本書の版面の組み方は明らかにダダ的である。面倒くさいから詳しくは書かないが、トリスタン・ツァラにしても辻潤にしてもダダを名乗る人たちには仏教的、老荘的なところがある(大雑把な言い方で意を尽していないから、いずれ気が向いたら改めて触れる)。

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2009年5月17日 (日)

「おと な り」

「おと な り」

 七緒(麻生久美子)は花屋でバイトしながらフラワーアレンジメントの勉強をしようとフランス留学の準備をしている。聡(岡田准一)は人気モデルの写真集を出して認められた若手カメラマン。カナダへ行って風景写真を撮りたいと考えているが、所属事務所との折り合いがつかない。同じアパートで隣室同士の二人、共に三十歳、人生の岐路に立っている。

 コーヒー豆を挽く音、カギ束をジャラジャラさせる音、フランス語をレッスンする声、くしゃみ、時折聞こえてくる鼻歌──。様々な音、帰宅時にドアを閉める音からもその人の感情の動きがうかがえる。

 そもそも相手を知るとはどういうことなのか。言葉を交わしたからといって十全な理解ができるわけではないし、むしろ誤解を深めるだけというケースも往々にしてある。その人のあり方について、たとえば言葉を、つくったものを、姿かたちを、あるいは音を手掛かりにしてフィーリングとして受け止めていく。手掛かりは色々とあり得る。日常生活の中で立てる一つ一つの音にも個性がにじみ出る。表情がある。音を通してしか相手を知らなくてもほのかに恋心を抱くことだってあり得る(というのがこの映画の設定。映画中での基調音がどうたらこうたらという講釈がラストの伏線になっている)。

 現実には隣室の音が漏れてきたら不愉快だろうという突っ込みはさておくにしても、ストーリーの青くささが鼻につくところはある。それでも、日常生活の音を通して互いが何者なのかわからない二人がひかれ合うという着想がおもしろいので私は好意的だ。

 舞台となっているアパートの古びた風格が目を引く。部屋の中のディテールを映し出すカメラ・アングルが私は好きだし、七緒が留学前日、からっぽになった部屋でたたずむシーンがとりわけ印象的だ。室内の情感が映像によく表われているからこそ、音というモチーフが活きている。

 岡田准一のカメラマン役も様になっているが、何よりも麻生久美子の抑えた表情の動きが実に良い(正直に言うと、麻生久美子ファンだから観に行ったわけだが)。

【データ】
監督:熊澤尚人
脚本:まなべゆきこ
出演:麻生久美子、岡田准一、谷村美月、池内博之、市川実日子、とよた真帆、平田満、森本レオ、他
2009年/119分
(2009年5月17日、恵比寿ガーデンシネマにて)

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「国立トレチャコフ美術館展 忘れえぬロシア リアリズムから印象主義へ」

「国立トレチャコフ美術館展 忘れえぬロシア リアリズムから印象主義へ」

 19世紀から革命前の20世紀初頭までのロシア絵画の展覧会。風景画が印象に残った。画面内の奥行きの広がりからはロシアの大地の大きさを想像して圧倒されるし、針葉樹林の風景には一種の清涼感があって観ていて心地よい。たとえば、シーシキン「ぺテルホフのモルドヴィノワ伯爵夫人の森で」の鬱蒼とした木立には穏やかな美しさがある。レーピンが草原にいる家族を描いた「あぜ道にて」のやさしげな陽光にはほっとする。アルヒーポフ「帰り道」、地平線の夕焼け以外には何も見えない荒涼たる平野を馬車が進む、そのたたずまいからは独特な哀愁が漂っていて、ムソルグスキー「展覧会の絵」の「ビドロ」のメロディーが何となく頭の中で流れた。

 肖像画も多いが、目玉はポスターにも用いられているクラムスコイ「忘れえぬ女(ひと)」だろう。この絵は昔から様々にイマジネーションをふくらまされてきたらしい。プライドの高そうな気品があって、そこが何とも言えずひきつけるものがあるけれど、私には冷たそうな印象もある。私はむしろ同じくクラムスコイ「髪をほどいた少女」の方が好きだ。けだるげに憂鬱そうな眼差しにはほうっておけない魅力があって見入ってしまった。
(渋谷・Bunkamuraザ・ミュージアム、2009年6月7日まで)

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夏目漱石『私の個人主義』、他

夏目漱石『私の個人主義』(講談社学術文庫、1978年)

 “外発的開化”と“自己本位”──近代思想史というコンテクストで夏目漱石を取り上げる場合には必ず引き合いに出されるキーワードである。西洋との関係における日本と、その日本における個人一人ひとりと、この両方の次元で相通ずるテーマと言えようか。

 いわゆる翻訳学問について、漱石はたとえば当時の日本でも流行していたベルグソンやオイケンを引き合いに出し、「私のここに他人本位というのは、自分の酒を人に飲んで貰って、彼からその品評を聴いて、それを理が非でもそうだとしてしまういわゆる人真似を指すのです」と言う。西洋人が良いと言うことと、日本人自身が読んで腑に落ちるかどうかとは必ずしも直結するとは限らない。そこにはズレがあるかもしれない。その矛盾が仮に埋められないものだとしても、それではなぜ感じ方にズレがあるのか、その説明はできるはずだと漱石は言う。こうした彼の態度が現在で言う比較文化論の萌芽である。

 ロンドンに留学した漱石が神経衰弱に悩んだことは有名である。もちろん彼自身の気質的な問題もあろうが、それ以上に、西洋的なものの感じ方に自分自身をはめ込もうとする不自然さに彼自身が対処できなかったところに原因があった。その葛藤に呻吟する中から漱石は“自己本位”の四文字に安心立命を得たと語る。ここで、“外発的開化”と“自己本位”とが結び付く。漱石はこのテーマについて考え続けることを自分の終生の仕事だと割り切った。自己本位であろうとしても実際にはそれが難しいという矛盾、しかし、そうした矛盾が厳然としてあることをはっきりと自覚化して見つめようとする視点を持つことが、より高い次元で“自己本位”を保障できる──という言い方で果たして分かってもらえるだろうか。漱石は続けて語る。「ああここにおれの進むべき道があった! ようやく掘り当てた! こういう感投詞を心の底から叫び出される時、あなたがたは始めて心を安んずる事ができるのでしょう。」 迷いつつ、もがきつつ、その混迷の中から何かをつかみ得た人ならではの発言である。

 漱石の言う“自己本位”は、その後の煩悶青年たちのうわっつらに流れやすい“自我の主張”とはだいぶ異なる。“自我の主張”は、実は借り物の議論を使ってもできるし、むしろその自己欺瞞に気づかないケースが多い。そこの相違を明快に言語化する能力が今の私にはないので何とももどかしい限りだが。ただし、漱石はそのような青年たちに対しても同情的ではある(たとえば、「思い出す事など」79ページ)。

 『硝子戸の中』(岩波文庫、改版1990年)や『思い出す事など 他七篇』(岩波文庫、1986年)にもざっと目を通した。身辺雑記的なエッセーである。微妙な心理の揺れ動きを文章化する漱石の筆致は現在の私が読んでも違和感なく馴染む。時代背景はこうだから云々といちいち“翻訳”する必要を全く感じないで、同時代の人が書いたもののようにごく自然に。日本近代文学の父、なんて大仰な言い方はイヤだが、久しぶりに読むと素直に実感。

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