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2009年3月29日 - 2009年4月4日

2009年4月 4日 (土)

『昭和の東京──路上観察者の記録』

路上観察学会(赤瀬川原平・藤森照信・南伸坊・林丈二・松田哲夫)『昭和の東京──路上観察者の記録』(ビジネス社、2009年)

 街をブラブラ歩きながら、何気ない佇まいに情緒を感じて一人勝手に感動したりするのが私は好き。古い建物、キッチュな看板、変なんだけど妙に気持ちがひかれるものが、目を凝らせば街には結構ある。本書は、街歩きの達人たちが撮り集めた、東京に残る昭和の“古き良き”変なものの写真集。こういう本は大好き。

 路上観察学というのはなかなか奥が深い。必要とされるのは、第一に、着眼点。第二に、その背景を説明する博識。第三に、写真につけるキャプションでオチをつけるユーモアあふれる機知。とりあえず、赤瀬川原平『超芸術トマソン』(ちくま文庫、1987年)、藤森照信『建築探偵の冒険 東京篇』(ちくま文庫、1989年)、赤瀬川原平他『路上観察学入門』(ちくま文庫、1993年)、『トマソン大図鑑』(無の巻、空の巻、ちくま文庫、1996年)、藤森照信・荒俣宏『東京路上博物誌』(鹿島出版会、1987年)といったあたりはどれもオススメ。

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メアリー・C・ブリントン『失われた場を探して──ロストジェネレーションの社会学』

メアリー・C・ブリントン(池村千秋訳)『失われた場を探して──ロストジェネレーションの社会学』(NTT出版、2008年)

 ニート、フリーター、ひきこもり、ワーキング・プアetc.…と様々な言葉がとびかっているが、日本の若者が直面している問題をどのように捉えたらよいのか? 保守系論壇にありがちな価値観的な“べき”論に収斂させてしまう議論は現状にそぐわない。若者に意欲がないのが問題→自業自得という形でむしろ妙なスティグマを負わせてしまう。社会構造のはらむ問題として彼ら(と言うか、私自身も世代的に含まれるのだが)の立ち位置を考える必要がある。

 1990年代以降の不況→就職市場の狭まりも一因ではあるが、これだけでは説明のつかないところに本書は着目。学校→職場という「場」の単線的な経路をたどる就業形態が崩れてしまっている。社会関係資本の観点から言うと、日本は「場」の拘束が強い→ストロング・タイズ(強連結)が中心だが、職場の流動性の高いアメリカのようなウィーク・タイズ(弱連結、広く浅い人脈の広がり)に乏しい→多様な情報が入ってこないことを指摘。自分はどんな仕事をしたいのか、どんな適性があるのか、それを各自で探りとらせるにはどうすればいいのか。職場環境が流動的となっている現在、対人関係能力とウィーク・タイズを高めて社会的エクスプローラーとして様々な「場」を渡り歩けるようにする方向で社会は若者を支援していく必要があると主張している。

 本書では非進学校出身の若者に焦点を合わせているが、教育機会とステータスとの関わりについて、佐藤俊樹『不平等社会日本──さよなら総中流』(中公新書、2000年)は教育資源の親子間継承→社会的ステータスの階層的固定化傾向を指摘、苅谷剛彦『階層化日本と教育危機──不平等再生産から意欲格差社会へ』(有信堂高文社、2001年)は、将来何の役にも立たないのだから勉強しても仕方がないというあきらめが青少年の間に広がっている→インセンティヴ・ディヴァイドを指摘していた。企業が雇用調整という形で若者(フリーター)を使い捨てにしていることは玄田有史『仕事の中の曖昧な不安──揺れる若年の現在』(中公文庫、2005年)が早くから指摘、また、玄田有史『働く過剰』(NTT出版、2005年)は“即戦力”志向が若者に行き過ぎた負担をかけている問題点を指摘していた。学歴や家族構成が就業機会を左右してしまう問題は岩田正美『現代の貧困──ワーキングプア/ホームレス/生活保護』(ちくま新書、2007年)でも指摘されていた。若者のワーキング・プアについては雨宮処凛『生きさせろ!──難民化する若者たち』(大田出版、2007年)などが具体的な現状をルポしている。本田由紀『若者と仕事──「学校経由の就職」を超えて』(東京大学出版会、2005年)、『多元化する「能力」と日本社会──ハイパー・メリトクラシー化の中で』(NTT出版、2005年)は、問題意識では本書と共通するが、対人関係能力もまた各自の生育環境によって左右される(恵まれた家庭環境の方が有利)→学校等で習得可能な「専門性」をまず足場にする必要があると主張していた(そう言えば、玄田さんの「ニート」論が一人歩きしてしまっていることについて本田さんが批判していたな→本田由紀・内藤朝雄・後藤和智『「ニート」って言うな!』[光文社新書、2006年]を参照のこと)。なお、ストロング・タイズとウィーク・タイズについては金井壽宏『働くひとのためのキャリア・デザイン』(PHP新書、2002年)が経営学におけるキャリア論の観点から取り上げていた。

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2009年4月 3日 (金)

イアン・ブルマ『アムステルダムの殺人:リベラルなヨーロッパ、イスラム、そして寛容の限界』

Ian Buruma, Murder in Amsterdam: Liberal Europe, Islam, and the Limits of Tolerance, Penguin Books, 2007

 ある一つの理念というのは、その置かれたコンテクストに応じて意味合いが異なってくることがある。オランダ社会の基本原則とも言うべき多文化主義。かつて左派は普遍的価値の下でマイノリティーへの寛容を説き、右派は“我らの文化・伝統”を守るべきという立場から左派を批判していた。しかし、現在、左派がマイノリティーの“彼らの文化・伝統”の擁護を訴えるのに対し、右派は普遍的価値を根拠にマイノリティーが“彼らの文化・伝統”に固執していることを批判する論陣を張っている。“普遍的価値”の基準をどこに置くかによって逆転現象が起こっている。

 ポピュリスティックな政治家として脚光を浴びたピム・フォルタイン(Pim Fortuyn)はゲイである。ゲイとしての権利も擁護するのがオランダの寛容な社会なのに、イスラムは多元的な寛容に対して不寛容であると批判した。移民への悪感情も相俟って人気が出て次期首相候補とまで目されたが、動物愛護主義者によって暗殺された。

 評論家・映画監督のテオ・ヴァン・ゴッホ(Theo van Gogh あのヴィンセント・ヴァン・ゴッホの弟テオの子孫)の場合、事情はもっと複雑だ。彼は挑発的・偶像破壊的な言動で人を驚かすのが大好きな天邪鬼であって、もともと人種偏見的な考えは持ち合わせていなかった。かつて、寛容な社会を求める普遍的価値は既存の体制を批判する根拠となっていたが、やがてこの理念は社会の基本原則として受け容れられて体制化し、理想主義そのものが陳腐化してしまった。リベラルな理念は当たり前すぎて、もう飽きた。多文化主義がステータスを獲得してエリートがお説教するのに使う道具になっていることをテオは意図的に挑発、刺激を求めてイスラムを揶揄した。問題なのは、テオ自身はただの悪ふざけのつもりだったが、そうは受け止めない人々の存在を無視していたことである。2004年11月、モロッコ系移民のモハンメド・ボウイェリ(Mohammed Bouyeri)によって殺害されてしまう。

 フォルタインとヴァン・ゴッホはヒーロー、ボウイェリはアンチ・ヒーロー、そんな単純な構図にまとめることはできない。ソマリア出身で無神論を主張し、オランダの国会議員にもなった元ムスリム女性アヤーン・ヒルシ・アリ(Ayaan Hirsi Ali)に対してもボウイェリは暗殺対象として狙っていたが、それは、彼女の主張の是非以前に、彼女がオランダ社会に同化した成功者であること自体にも理由が求められる。寛容な社会のはずなのに壁が高く立ちはだかり、自分の歩むべき道を見出せないという行き詰まり感がボウイェリをはじめとする移民出身の青年たちにあった。“寛容”を偽善と捉え、それへの攻撃的な憎悪がイスラムのロジックを衣としてまとっていたと言える。

 異なる価値観の衝突と考えてしまってはあまりにも短絡的だろう。“寛容”という言説そのものが色褪せて説得力を失って、それでもなおかつ異なる価値観の共存を図ろうとするとき、一体どうすればいいのか。本書は、そうした問題が先鋭的に表面化したオランダで関係者を取材したノンフィクションである。著者も言うように、これは他の国でもあり得る事態であって、考えるべき貴重な問題提起をはらんでいる。

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2009年4月 2日 (木)

小森宏美『エストニアの政治と歴史認識』

小森宏美『エストニアの政治と歴史認識』(三元社、2009年)

 第一次世界大戦後、バルト三国は独立したものの、1939年の独ソ不可侵条約(モロトフ・リッベントロップ協定)に基づき、1940年、ソ連に併合された。1991年に再び独立を果たしたが、誰を以てエストニア国民とみなすのかという微妙な問題に直面した。かつてはエストニア人の占める割合が九割と同質性が高かったが、ソ連時代にロシア人の移住者が増えていた。ソ連時代のエストニア社会主義共和国を継承すると考えれば、彼らもまたエストニア国民とみなすべきである。しかし、ソ連時代を不法な占領をみなし、1940年以前のエストニア共和国との連続性を強調するロジックをとって、彼らロシア人の存在は不当だとする考え方が強まったという。

 多文化主義を建前としつつ、エストニア語の話者を以てエストニア国民と規定する法制化が行なわれ、この場合、ロシア人もエストニア語を習得すれば国民とみなされる(かつてはロシア語優位でエストニア語と共存→今度はこれを逆転させるという構図)。しかし、独立後の政治過程を考察すると、こうした法制上の問題にかかわらず、実際にはロシア人の存在そのものを不当と考え、この立場を正当化する歴史認識が背景にあると指摘される。

 EU加盟についての国民投票をみると、賛成派も反対派もロシアの脅威を意識しているという。賛成派は、ロシアの脅威→EU加盟という考え方。反対派は、かつて独立を失った経緯を踏まえてロシアと協調すべきという考え方。EU加盟を果たして、ではヨーロッパ化が順調に進んだか。まず、マイノリティーとしてのロシア人の扱いが問題として残っている。それから、第二次世界大戦において、ナチス側に立ってソ連軍と戦った人々のモニュメントの問題→エストニアではユダヤ人が少なかったこともあって、ホロコーストの問題に鈍感→ヨーロッパと歴史認識を共有できるかどうかという問題も表面化したと指摘される。歴史認識のあり方とナショナル・アイデンティティーとが絡み合って現在の政治動向を左右しているのを描き出しているところが興味深い。

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「中原淳一展」

「中原淳一展」

 先週、「新・日曜美術館」で中原淳一の特集をやっていた。中原は戦前から少女雑誌のいわば牽引役を務めてきた。彼の描く少女たちの姿は、昭和前半期のレトロなイメージの代表格として誰しも思い浮かべられる点で、一つの時代の文化的雰囲気を作ったと言ってもいいくらいだろう。おめめパッチリ、瞳の中でお星様キラキラ。少女マンガの源流は中原のイラストにある。明朝体風の乙女チックなロゴデザインも印象に残っている。時代がくだるにつれて少女のアゴのラインが細くなっていることを番組中で井上章一さんが指摘していたが、かわいい女の子→カッコいい女の子という変遷が見える。中原の描く少女は、たまに見る分には結構嫌いじゃない。柏木博さんは、イラストというだけでなく、雑誌編集者として評価していた。

 銀座松屋で「中原淳一展」をやっていた。彼が初めて個展を開いたゆかりの場所らしい。職場から近いのでちょっと抜け出して見てきた。ビアズレーを思わせる影絵風の絵は意外だったけど、これはなかなか好きだな。来場者の九割以上はおばさん、おばあさんで占められていて、私はちょっと浮いていたかもしれない…。

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2009年4月 1日 (水)

スティーヴン・M・ウォルト『米国世界戦略の核心──世界は「アメリカン・パワー」を制御できるか?』

スティーヴン・M・ウォルト(奥山真司訳)『米国世界戦略の核心──世界は「アメリカン・パワー」を制御できるか?』(五月書房、2008年)

 スティーヴン・ウォルトはハーヴァード大学ケネディ行政学院教授、国際関係論におけるネオリアリズムの理論家として知られる。ブッシュ政権によるイラク攻撃を批判してネオコンとは対立した。リアリズムでは国益優先が議論の大前提だが、未熟な大国という自己認識を踏まえ、アメリカの単独優位を長期的に保つためにこそ、過剰なレトリックに走らず自己抑制が必要だと指摘する。

 アメリカという単独優位のスーパーパワーの存在自体が、友好国であれ敵対国であれ、脅威と受け止められる。他国は、圧倒的に不利な状況下であってもアメリカの足を引っ張る手段を持っている。アメリカはやりたい放題できるかもしれないが、そのかわりコストが高くつき、結果として国益を大きく損ねてしまう。たとえアメリカ自身は主観的には善意だとしても、原則のないパワーの行使は不信感や警戒心を招き、他国は手を組んでアメリカのパワーを抑制する行動に出るだろう。こうした不信感をなくすことによって単独優位の現状を維持するのが長期的にはアメリカの国益にかなう。世界覇権を目指して何でもかんでも口を挟もうとするのではなく、アメリカにとって死活的な局面だけにパワーの行使を限定するオフショア・バランシングの戦略を取るべきだというのが本書の結論である。

 脅威を感じた他国はアメリカのパワーを抑制するためにどのような行動を取るか? 様々な手段があり得るが、アメリカの正当性を否認→孤立させることが基本的な方向性となるだろう。
・バランシング:外的バランシング(古典的なパワー・ポリティクスの考え方)と内的バランシング(自分たちの強みとなる手段を活用してパワーのギャップを埋めようとする。例えば、テロリズム)
・ソフト・バランシング:弱小国が手を組んでアメリカの正当性を否認(例えば、イラク戦争でアメリカは国連決議を得られなかった→大きな制約を課す)
・ボーキング:対立はしないまでも、要求を受け容れない
・バインディング(拘束):国際制度上の枠組みを通してアメリカの正統性を否認
・ブラックメール(恐喝):例えば、北朝鮮

 アメリカのパワーを如何に利用するかという観点から、弱小国側の態度を整理すると、
・バンドワゴニング(追従政策):アメリカが圧倒的な力を見せつけることで弱小国に言うことをきかせる→ネオコンはこれで失敗
・地域バランシング:アメリカのパワーを後ろ盾に地域的な影響力を確保する。例えば、日米同盟
・ボンディング(絆):アメリカとの密接な関係をアピールすることで広い影響力を確保する。例えば、英米同盟
・国内政治への浸透(penetration):アメリカの国内政治は開放的→ロビー活動(例えば、イスラエル・アルメニアなど→アメリカの国益に反する外交政策まで決めてしまうとして本書は批判的)。本書では取り上げられていないが、ボスニア政府がPR会社を使ってアメリカの国内世論を動かしたケースも挙げられるだろう(高木徹『戦争広告代理店』→こちらを参照のこと)

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2009年3月31日 (火)

『アンネの日記』

 『アンネの日記 増補新訂版』(深町眞理子訳、文春文庫、2003年)。父オットー・フランクの配慮で削除されていた箇所が追加され、かつてちょっとした話題になったが、今さらながら手に取った。小川洋子『アンネ・フランクの記憶』(角川書店1995年)もあわせて読む。アンネゆかりの場所や人々を訪ねて回った紀行文だ。アンネを匿っていた一人であるミープ・ヒース(深町眞理子訳)『思い出のアンネ・フランク』(文藝春秋、1987年)は貴重な回想録だが、私がこれを読んだのは高校生のときだった。

 アンネ、隠れ家、ノックの音。三題噺のようで恐縮だが、イメージ的にそんな連想が働く。小学生の頃、アンネの隠れ家を復元した模型の写真を何かの本で見た。その頃は、彼女の置かれた絶望的な深刻さを理解していなかったので、忍者屋敷みたいですごい!と単純な興味を持った覚えがある(特に、入口の回転本棚)。ほぼ同じ頃だろうか、海外のテレビドラマを見て、ゲシュタポがドアをドンドンドンと乱暴に叩く不吉な音がいつまでも耳に残った。本当に怖い音だと思った。隠れ家の人々が、呼び鈴やノックの音に過剰に敏感になっていた様子は『アンネの日記』にうかがえる。

 共同生活者の苛立った姿についてアンネの辛辣な筆致は時に意地悪だけど、たとえば削除されていた性の目覚めの記述なども合わせて読むと、彼女の意地悪な視線もひっくるめて奔放な好奇心の表われとしてほほえましい。閉ざされた隠れ家の中で怯えながら暮らす日々、心を自由に飛翔できるのはキティーに語りかける日記帳の中だけ。『アンネの日記』が世界で広く読まれているのは、かわいそうな女の子の話という単純なレベルでないことはもちろんだ。息苦しさに身もだえする孤独で繊細な感受性が、彼女のつづる言葉にいつの時代でも重ねあわされている。そうした感受性の一人、たとえば小川洋子さんが、かつてはアンネと同い年だったのがいつの間にか当時のミープさんの歳になり、アンネのお母さんの歳になり、としみじみ感じながら、年齢に応じてアンネをみつめる眼差しが変わってくるというのが面白い。

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2009年3月30日 (月)

「チェコのキュビズム建築とデザイン 1911─1925 ホホル、ゴチャール、ヤナーク」展

「チェコのキュビズム建築とデザイン 1911─1925 ホホル、ゴチャール、ヤナーク」展

 キュビズムが建築に応用されたのは、世界でも唯一、プラハを中心とした地域だったらしい。ホホル、ゴチャール、ヤナークという三人の若手建築家たちが主導した。第一次世界大戦・チェコスロバキア独立などを挟む1910~20年代、ほんの十数年ばかりの間に花開いたチェコ・キュビズム建築の展覧会(写真は鈴木豊)。

 鋭角的な斜線や結晶形によって幾何学的なフォルムを強調した建築スタイル。変にゴテゴテしたところはなく、簡素な力強さは古びても風格を感じさせる。古い石造建築の多いプラハの街並に溶け込んでおり、中世の教会が背後にそびえているのを意識した建物もあった。写真で撮ると光と影のコントラストがよく映える。展示場で流されている映像資料を見ていたら、一瞬だけど、窓ガラスの光の反射が鋭角的なフォルムとうまくマッチしてなかなか格好良かった。キュビズム建築は光線を意識すると印象深いと思う。

 室内に置かれる家具類もキュビズム的に斜線や三角を強調したデザインを施されている。外装も内装もこんなのばかりだと、ピカソの絵の人物のようにカクカクした感じになってしまいそう、というのは偏見か。発展型として、円形を連続させたロンド・キュビズムとか、チェコスロバキア独立後の高揚したナショナリズムを反映して神話や民族的モチーフを取り入れたものもあった。

(東京・京橋、INAXギャラリー、5月23日まで)

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2009年3月29日 (日)

ピーター・ブロック『戦争報道 メディアの大罪──ユーゴ内戦でジャーナリストは何をしなかったのか』

ピーター・ブロック(田辺希久子訳)『戦争報道 メディアの大罪──ユーゴ内戦でジャーナリストは何をしなかったのか』(ダイヤモンド社、2009年)

 ユーゴ内戦が激化し始めた頃、モスレム人難民のうちひしがれた姿を報道写真で見かけ、セルビア強硬派への芳しからぬ印象を私も持っていた覚えがある。たとえば、多数の死傷者を出したサラエボの市場での爆発事件。ところが、これはボスニア政府の自作自演だった可能性が高く(死傷者にはセルビア人も含まれていたし、そもそもセルビア勢力は協定により撤退しつつあり、砲撃は物理的に無理だった)、そのことは現地の関係者や専門家は気付いていた。しかし、メディアはセルビア勢力の仕業だと断定、国際世論の動向を大きく決めてしまった。その後も、セルビア人側が被害を受けた事件の扱いは極度に小さく、セルビア人犠牲者の写真にモスレム人とキャプションをつけるなどの誤報も相次いだ。本書はそうした一連の偏向報道を一つ一つ具体的に検証する。著者自身、バルカン半島の取材を長年続けてきたが、偏向報道のあり方に異議を唱えたため、マスメディアの主流派からバッシングを受けたという。

 犠牲者はすべてモスレム人やクロアチア人、犯人はセルビア人という単純な二分法がジャーナリストたちの頭を占めていて、そうした“正義感あふれる”思い込みが事実関係の歪曲につながっていた。ユーゴ内戦勃発の当初、セルビアのベオグラードは報道対策に消極的だったのに対し、クロアチアのザグレブはプレスリリースに熱心だった。彼らはバルカンの複雑な歴史的・文化的背景を知らなかったため、ザグレブの情報の裏を取ることもなく鵜呑みにして、セルビア=悪というイメージを自ら作ってしまった。これがボスニア内戦まで尾を引き、そのイメージに反する事実は無視するという自己検閲につながってしまった。

 ボスニア政府が腕の良いPR会社に依頼したのに対し、セルビア側は遅れをとったことが国際的イメージで決定的な差をもたらしてしまったことは高木徹『戦争広告代理店』(→こちらを参照のこと)で取り上げられていた。両書とも、メディア・リテラシーを身につける上で貴重な問題提起が示されている。セルビア人、クロアチア人、モスレム人のどれが良い悪いと決め付けることが出来ない複雑さについては、たとえば、佐原徹哉『ボスニア内戦──グローバリゼーションとカオスの民族化』(→こちらを参照のこと)を以前に取り上げたことがある。

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