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2009年3月1日 - 2009年3月7日

2009年3月 6日 (金)

ニコラス・グリフィン『コーカサス:キリスト教とイスラム教の狭間への旅』

Nicholas Griffin, Caucasus: A Journey to the Land between Christianity and Islam, The University of Chicago Press, 2004

 1999年に著者はコーカサスを旅して歩きまわり、そのトラブル続きの旅行記と、19世紀以来のコーカサス近現代史とが交互につづられていき、気軽に読みやすい構成となっている。とりわけ重きを置いて描かれるのがイマーム・シャミール(Imam Shamil, 1797-1871)だ。19世紀半ば頃、ロシアに対する抵抗運動を通してムスリム系の国家が形成されたが、その第三代目イマームとなった人物である。

 ロシア軍による掃討作戦は凄惨を極めたが、他方でシャミール配下の軍勢も負けてはいない。グルジアの名門チャヴチャヴァゼ(Chavchavadze)家の荘園だったツィノンダリ(Tsinondali)を訪れた際には、かつてシャミールの配下がチャヴチャヴァゼ家の女子供を拉致した時の血なまぐさい出来事も描写される(グルジア貴族はロシア側についていた)。コーカサスでは当時も今も誘拐→身代金や政治交渉の条件とすることが普通に行なわれてきた。シャミールの長男ジャマール・アッディーン(Jamal al-Din)はロシア軍の捕虜となっており、その交換交渉にはアルメニア人のロシア軍人イサーク・グラモフ(Issac Gramov)があたり、無事成功。ところが、ジャマールは完全にロシア文化に感化されており、ロシア軍の制服姿で戻ってきたため、シャミールは戸惑ったようだ。ジャマールが後継者となるので、ロシア側とムスリム側との橋渡し役として彼の存在は期待されたが、残念ながら捕虜交換から二年後に病死してしまう。

 やがてイマーム国家は壊滅、シャミールはロシアに投降し、その庇護下で余生を過ごす。アレクサンドル二世やエルモーロフ(コーカサス征服の端緒を開いた人物。ロシアにとっては英雄だが、コーカサスでは悪名高い)とすら顔を合わせている。末の息子はロシア軍に入隊して、たとえばグルジアのグリア地方の農民反乱鎮圧などにも出征したようだ。

 晩年のシャミールはどんな心境だったのだろう? ロシア側の記録では平穏だったとされるが、本書に登場するシャミールの子孫の女性(彼女はグルジア化されている)はそうした見方に異議を唱えていた。シャミールは現在でもコーカサスのムスリムの間では英雄視されており、本書でも、たとえばチェチェンの野戦司令官シャミール・バサーエフ(Shamil Basayev)の姿にも重ねあわされている。

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2009年3月 5日 (木)

スティーヴン・F・ジョーンズ『グルジア色の社会主義:社会民主主義へ向けてのヨーロッパ的路線 1883-1917年』

Stephen F. Jones, Socialism in Georgian Colors: The European Road to Social Democracy, 1883-1917, Harvard University Press, 2005

 19世紀後半から、ロシアもしくはヨーロッパで教育を受けたグルジア人知識人(tergdaleulni)は海外での進歩的思潮を故国に紹介し始める。ロシア帝国による支配、多民族的なコーカサスにおける横の緊張関係という二重の困難がはらまれた条件の下で、いかにグルジア人の民族自決と近代化=社会改革とを両立させながら実現していくのか? こうした問いかけを抱えた彼らの多くは社会主義に敏感に反応した。『グルジア色の社会主義』(Socialism in Georgian Colors)──つまり、グルジア人自身のフィルターを通して咀嚼された“社会主義”が、とりわけ民族問題との取り組みを通して、帝政支配下から1917年のロシア革命(第二次)に至るまでにどのような経過で形成されたのかを本書はたどっていく。

 本書の主役となるのはノエ・ジョルダニア(Noe Zhordania、1869~1953年)である。ティフリスの神学校の出身(なお、スターリンもここの出身。この二人に限らず、グルジア人革命家の多くがこの神学校出身というのが面白い。ジョルダニアの方がスターリンよりも年長だが、奇しくも没年は同じ)。ジョルダニアはジャーナリストとして活躍したが、政府の弾圧によりたびたびヨーロッパへ亡命、西欧思想から大きな影響を受ける(とりわけ、カウツキーなどのオーストリア・マルクス主義)。ロシア社会民主労働党の分裂に際してはメンシェヴィキで指導的立場に立つ(グルジア人がメンシェヴィキ内では一大勢力となるほどの多人数を占め、対してスターリンやオルジョニキーゼのようにボルシェヴィキに行ったのはごく少数)。1905年の第一次ロシア革命のとき故国グルジアでもボルシェヴィキとメンシェヴィキとが競い合い、一時はボルシェヴィキが優勢だったが、急遽帰国したジョルダニアは各政治勢力の調整に奔走して情勢を覆し、メンシェヴィキの主導権を確立した。その後も、政府からの弾圧を受けながらも(ストルイピン反動など)、基本的には合法的議会主義路線をとる(コーカサス総督ヴォロンツォフ=ダシュコフ[Vorontsov-Dashkov]が比較的リベラルな態度をとったことも大きい)。ジョルダニアはメンシェヴィキの指導者ではあったが、グルジア人の間では党派を超えた尊敬を勝ち得ており、1918年にグルジア共和国として独立したときには大統領に選出されている。1921年にグルジアが赤軍によって制圧された後は亡命政府首班。

 グルジアでのみメンシェヴィキ政権が成立した理由として、ジョルダニアの政治的リーダーシップがまず挙げられるが、それ以上に、彼の主張がグルジア人の一般世論にうまく適合していたからだと言える。

 ジョルダニアの目標はヨーロッパ的な社会民主主義であり、大衆的基盤に基づく議会主義、地方分権(→文化的自治)、多元主義(→民族共存)などが特徴として挙げられる。レーニンの少数精鋭的中央集権化志向に対しては民主主義の後退であるとして反対、メンシェヴィキ側に立つ。同時に、ジョルダニアは、①大衆運動の基盤として農民層を重視(この点ではレーニンと共通。グルジアのグリア[Guria]地方では革命的な農村自治が成功したという実例があり、これは農村に基盤を置く民族解放運動の先駆例だと本書は指摘)、②各民族の文化的権利を要求(→さらに、場合によってはブルジョワジーまでも含めて階級多元的なグルジア人のnational partyを目指す)、以上の点ではロシア人メンシェヴィキとも見解は一致していなかった。つまり、メンシェヴィキという看板を掲げつつも、内実は双方どちらとも異なるグルジア独自の社会民主主義だった。

 グルジアの社会民主主義者は社会主義とナショナリズムとは相互補完的だというスタンスをとったが、コーカサスの多民族的状況は楽観を許さない。民族同士の歴史的・宗教的・文化的反目というだけではない。役人・兵士はロシア人、商業はアルメニア人、低層労働はグルジア人という形で階層分化と民族問題とが結びつき、とりわけティフリスの市会ではアルメニア人が多数派(納税額による制限選挙のため)→グルジア人の不満がくすぶっていた。階級闘争+民族問題→大衆動員はやりやすかったが、民族的反目という側面が際立ってしまう。また、オスマン帝国の影がちらつく中、グルジア系ムスリムのアジャリア(Achara)人がロシア軍によって虐殺されたり、トルコ系ムスリムとアルメニア人との抗争も熾烈となっていた。

 ナショナリズムについてジョルダニアたちはどのような考え方をしていたか。①小国だけで独立しても大国にすぐ呑み込まれてしまう→外敵に対するシェルターとしてロシアが必要(具体的にはオスマン帝国が念頭に置かれていた)、②経済的基盤の弱い小国は資本主義の動向に対して脆弱→ブルジョワ支配が容易となる、③たとえ独立したとしても今度は領域内のマイノリティーを抑圧したり隣国との領土紛争を招いたりしてしまう(現実にそうなっている)、こうした認識に基づき、“民主化されたロシア”という枠組みの中で、各民族が平等な立場で分権的自治が保証されるべきだという構想を持っていた。社会主義はこの構想を後押ししてくれるものだと位置付けた。グルジア人としての民族的自尊心を擁護する一方で、政治的ナショナリズムは紛争の種になってしまうと考え、ロシアからの独立にはむしろ反対していた(このあたり、チェコ人の民族自決のためにこそ、ハプスブルク家を紐帯とする連邦を主張していたパラツキーなども想起される)。

 しかしながら、情勢は彼らの思う方向には進まなかった。1917年、ボルシェヴィキの武装蜂起(十月革命)により、首都ペトログラードは大混乱。これはあくまでも一過性の事態だと考え、レーニンの中央集権化志向に対する警戒もあってグルジアは反ボルシェヴィキでまとまった。他方で、帝政派のコルニーロフ将軍率いる反革命軍が跋扈し、南からはオスマン帝国軍の脅威が迫っている(まだ第一次世界大戦中)。こうした事態を受けて、とりあえずペトログラードにおける政治混乱が収まるまでの緊急避難的措置という形でトランスコーカサス連邦共和国が成立した。ところが、各民族の不協和音が表面化してあっという間に瓦解してしまい、アゼルバイジャン、アルメニア、グルジアの三国が分立(『ロシア領アゼルバイジャン』の記事も参照のこと)。それぞれ1920~21年にかけて赤軍によって個別撃破的に制圧されていくが、それは本書の範囲を超える。

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2009年3月 4日 (水)

E・H・カー『ロシア革命 レーニンからスターリンへ、1917-1929年』

E・H・カー(塩川伸明訳)『ロシア革命 レーニンからスターリンへ、1917-1929年』(岩波現代文庫、2000年)

 ロシア革命について大づかみできる本は何かなかったかな、と本書を思い出して、本棚から引っ張り出し、ざっと目を通した。とりあえず興味を持ってメモした論点を箇条書きすると、
・レーニンの少数精鋭主義(戦闘者集団として不適格者は排除)→レーニンの死後に大量入党→これには反対派の排除も伴い、党と国家を融合させた指揮・監督機構の形成。
・ゴスポラン内部での経済論争→「発生論者」(経済情勢の客観的傾向性に留意、旧メンシェヴィキが多い)と「目的論」(政治的な計画を重視。共産党員が多い)→後者のイニシアチブ→生産合理化のための機械等が乏しいから個々人の肉体労働に依存、一種の精神主義。
・自給自足的な農民の行動は予測不可能→食糧徴発などの計画に狂い。
・マルクス主義者は経済の工業化・近代化に傾倒、軍隊や官僚はロシア民族の権力と威信に傾倒→両者が相俟って、党・政府・行政機構の統制力へ求心力→ここにスターリンの指導力が求められた。
・1922年、死の床にあったレーニンの口述→スターリン、ジェルジンスキー、オルジョニキーゼらはグルジア問題で性急な態度を取ってグルジア人側を硬化させたとして、大ロシア排外主義だと批判(ただし、三人ともロシア人ではないが)。

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2009年3月 2日 (月)

猪木正道『ロシア革命史──社会思想史的研究』

猪木正道『ロシア革命史──社会思想史的研究』(中公文庫、1994年)

 著者の猪木正道は河合栄治郎門下のリベラリスト。日本の敗戦直後、1946年に本書は書き上げられている。当時はロシア革命史について研究しようにも党派的なパンフレットの類いしかなかったという。猪木は、マルクス“思想”のしっかりした読解を踏まえた上で、そうした党派的に平板化されたマルクス“主義”の問題点を内在的に批判していく視点を持っている。

 土着か、それとも西欧化か?という葛藤は現在に至るもロシア思想史を特徴づける基本ラインだと言える。本書によると、レーニンは西欧マルクス主義とは異なるロシア特殊の条件を踏まえ、①工業化以前の段階→農民層重視の革命戦略、②ツァーリズムによる苛烈な弾圧→対するに少数精鋭的戦闘集団の形成(→中央集権化志向→異論者への弾圧)、③民主主義の社会的条件が未成熟→革命独裁の正当化、こうした形で、西欧思想直訳的(ロシア社会民主労働党のメンシェヴィキ、穏健リベラルのカデット)でもなく、土着性依存(ナロードニキ→社会革命党)でもなく、独自の革命戦略をとり得たところにボルシェヴィキのレーニン主義が成功した要因があったと指摘される。本書はレーニンの柔軟な政治感覚を高く評価しつつも、これはあくまでもロシア特殊の事情に基づく政治戦略だったのであり、“マルクス・レーニン主義”と称してそのまま日本に持ち込もうとする傾向に対しては疑問を呈している。

 革命の勃発から一国社会主義の形成に至る政治過程の説明・評価については現在の研究水準からすると色々と問題もあるだろう。ただし、ロシア革命がおこる前史としての思想史的系譜の整理は簡にして要を得ており、この部分はいま読んでも有益だと思う。

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2009年3月 1日 (日)

辻惟雄『岩佐又兵衛──浮世絵をつくった男の謎』『奇想の系譜』『奇想の図譜』

 先日、NHK教育テレビ「新日曜美術館」で岩佐又兵衛の特集をやっていた。「山中常磐物語絵巻」の印象が鮮烈だった。斬り合いのシーンで首がとび、胴がとび、血しぶきがはねる。それに、血をダラダラ流しながら死ぬ間際の常盤御前の恍惚とした表情──。ゲスト出演の辻惟雄さんは「劇画的」という表現を使っていたが、ある種の残虐さにドラマの演出として目を引く力を持たせている。日本画のことは全く知らないので、こういう絵もあるんだと驚いた。

 興味を持ち、辻惟雄『岩佐又兵衛──浮世絵をつくった男の謎』(文春新書、2008年)を手に取った。新書だがカラー図版が豊富で読みやすい。岩佐又兵衛の父親は、信長に叛旗を翻した荒木村重。又兵衛の母も含め一族のほとんどが殺されたにもかかわらず、村重は生きて逃げた。絵師として身を立てた又兵衛にとってこの辺りのことはトラウマになって創作的動機として働いているのだろうか。

 引き続き、辻惟雄『奇想の系譜』(ちくま学芸文庫、2004年)、『奇想の図譜』(ちくま学芸文庫、2005年)を手に取る。前者では岩佐又兵衛をはじめ、狩野山雪、伊藤若冲、曾我蕭白、長沢藘雪、歌川国芳と、個性的でありすぎたがために近世絵画史の脇にのけられていた画家たちを取り上げている。伊藤若冲は最近人気があるが、私は曾我蕭白の、グロテスクというかユーモラスというか、人を食ったような表情の描き方が面白くて好き。後者は近世日本画を主軸としつつ、それとの絡みで古今東西の絵画を奔放な好奇心にまかせてわたりあるく。対象とする画家たちはみな一癖も二癖もある奴らばかりだが、それに応える辻さんの旺盛な遊び心+豊かな学識が見事に響き合っている。見て、読んで楽しい本。図版がモノクロなので物足りなく感じる人もいるかもしれないが(かと言って、カラー図版にしたら価格設定が難しくなってしまう)、手もとに置いて、折に触れてめくりかえしたい本だ。

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