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2009年12月12日 (土)

ジョン・グレイ『自由主義の二つの顔──価値多元主義と共生の政治哲学』

ジョン・グレイ(松野弘監訳)『自由主義の二つの顔──価値多元主義と共生の政治哲学』(ミネルヴァ書房、2006年)

・異なる価値観の共存を図るという意味でのリベラリズムには二つのタイプがある。
①理性的な合意形成を通して“普遍性”の実現を目指す“寛容”。
②それぞれの価値観の共約不可能性を前提とした価値多元主義→相互理解がなくても利害関係の妥協によって結ばれた“暫定協定”による共存。本書は②の立場。

「自由主義には二つの哲学が含まれている。一方の哲学においては、寛容が真理へと至る手段として正当化される。この見解では、寛容は理性的合意の道具であり、生の様式の多様性というものも、最終的には消え去るであろうという確信の下で認められている。他方の哲学においては、寛容は平和の条件として重んじられ、互いに異なった生の様式は、善き生における多様性の特徴として歓迎されている。前者の概念では価値に関する最終的な収斂という理念が支持されており、後者においては「暫定協定」の理念が支持されている。」(167ページ)

・異なる価値観が構想する中での妥協は個別具体的な場面でなされるものである。対立抗争のあり様が変転する中、そのつどそのつど解決を図っていくわけだが、それは政治の問題である。超歴史的な“普遍的価値観”に基づく原理原則に解決法を求めることなどできない。抗争しあう価値観→政治的な妥協による調整=“暫定協定”によって共存→調整は国家の役割→ネオ・ホッブズ主義。
・「重要なのは、諸価値間の抗争をどれほど交渉可能なものにしたか、なのである。あらゆるレジームにとって正当性の試金石となるのは、諸価値間での──対抗的な正義の理念も含めた──抗争の調停を成功させることなのである。」(206ページ)
・「あらゆる歴史上の状況に適用できるような正当な政治レジームの基準を希求することは無益である。善や悪のなかには属性として人間的なものもある。しかし、人間の歴史の諸状況は、普遍的な諸価値を政治的正当性についての普遍的な理論へと翻訳するには余りにも複雑、かつ、流動的である。」「この点で、政治哲学は不可避的に歴史に拘束を受けるものなのである。」(168ページ)
・「無秩序は、正義が強制という人工物であるという事実を明らかにする。無秩序が存在するところでは、いかなる権利も存在しない。」「正義と権利はつまるとこり、力によって裏づけられた慣習なのである。」「人権擁護の第一の条件は、効果的な近代国家である。強制力なくしてはいかなる権利も存在せず、いかなる種類の快適な生活も不可能なのである。」(204~205ページ)
・「…「暫定協定」は政治的な企図なのであり、道徳的な理念ではない。妥協を万人が従うべき理想として説いたりはしない。」「「暫定協定」の追求は何らかの種類の超越的な価値を求めるものではない。対抗的な価値の主張が調停されうるような共通の制度へのコミットメントなのである。」「ホッブズ的な国家は個人の信念に至るまで無関心という徹底的な寛容を広げるのである。ホッブズはそれゆえに、「暫定協定」を中核とする自由主義思想の伝統の元祖なのである。」(36~37ページ)
・「宗教的であれ政治的であれ、強固に普遍主義的な道徳は幻想であるということが、価値多元主義の意味するすべてである。」(209ページ)
・「政治哲学において、恒久的な真理はほとんど存在しない。」「政治哲学の目的は、より幻想の少ない実践へと回帰することである。我々にとってこれは、正義、および、権利の諸理論が政治のアイロニーと悲劇から救い出してくれるという幻想を放棄することを意味する。」(214ページ)

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