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2009年12月27日 (日)

「海角七号──君想う、国境の南」

「海角七号──君想う、国境の南」

 台北でミュージシャンとして成功しようという夢にやぶれた阿嘉(范逸臣)。自分の音楽が認められず、失意のうちに故郷・恒春に戻り、郵便配達をしている。ある日、宛先の分からない小包が目にとまった。海角七番地(海角は岬という意味)。開封すると、中にあったのは少女のモノクロ写真と七通の古びた日本語の手紙。敗戦直後に引き揚げた日本人の書いたもののようだ。

 ちょうどその頃、日本人歌手・中孝介のコンサートが開催されることになり、町議会議長はまちおこしのため地元メンバーのバンドに前座をやらせようと強引に決めた。かき集められたデコボコ・バンド。経験があるのは阿嘉だけだ。それぞれに失意を抱えている彼らはいがみ合い、日本人マネージャーの友子(田中千絵)ともことあるごとにぶつかる。

 半世紀以上も昔、台湾を離れる日本人教師がその愛した教え子へと宛て、しかし投函できなかった七通のラブレター。したためられているのは、捨てられた、裏切られたと彼女に思われてしまうかもしれないことへの贖罪の気持ち。手紙の文面は、現代のバンド・メンバーたちや友子の失意を代弁するかのように映画の中で折に触れて朗読される。惹かれあう阿嘉と友子、やがて別れねばならない二人の行方には1945年当時の離れ離れとなった二人の姿が重ねあわされるが、現代の二人の気持ちはまた違った意味合いのものとなる。

 この「海角七号」は台湾では社会現象と言えるほどに盛り上がり、他の中国語圏でもヒットをとばしたという(日本の植民地支配を美化しているという批判もあったらしいが)。事前に私が抱いていた期待値が高すぎたせいかもしれないが、映画そのものとして面白かったかと言うと、ちょっと微妙、というのが正直なところ。終盤のコンサートはとても良かったけれど、阿嘉と友子がなぜ惹かれあうのか何となく不自然だったし、前半のドタバタ・コメディ的なノリも入り込めなかった。こういうのが中国語圏の人たちのテイストなのか。

 むしろ、映画の背景を成す社会的・歴史的経緯の料理の仕方に興味を持った。台湾は、台湾人(ホーロー人)、客家人、原住民、外省人と様々な出自の人々が織り成す多民族・多言語社会である(映画中でも中国語、台湾語、日本語が使われ、台湾語セリフの字幕には印がついている)。それから、日本統治期をどう捉えるか。いずれも時として政治的な緊張をはらみかねないナーバスなテーマであるが、それらが娯楽映画という肩のこらない形の中でたくみに組み込まれている。こうしたあたりにこそ映画を観終わった後の余韻が残った。

 素人バンドのメンバー。阿嘉は台北帰り。交通警官のローマーは原住民族のパイワン族。お酒の営業マンであるマラサンは客家人。カエルは外省人二世(映画中ではこのことをはっきり示すエピソードはないし、彼も台湾語を使うが、みんなが酒宴でくつろいで台湾語でしゃべりあう中、彼は中国語を使っていた)。「ワシは人間国宝なのに表舞台に立たせてくれない」といつも愚痴っている月琴奏者のボーじいさんは日本語世代。キーボートの少女・大大とその母親にも日本人との関わりがある。コンサートで前座ながらもアンコールを求められたとき、ボーじいさんが日本語で歌っていたシューベルト「野ばら」を月琴で演奏、阿嘉たちは中国語で歌い、中孝介は日本語で加わって、中国語・日本語の二重唱となる。

 メンバーが勝手にアドリブで自己主張ばかりして、いがみ合っていたときには一曲すら通して演奏することができなかった。中孝介の“癒し”系の歌声を聴いたとき、阿嘉は「何も力む必要はないんだ」と気づく。みんなが一つのバンドとしてまとまったとき、むしろアドリブで自分の得意な楽器で演奏するのを受け入れてこそ、音楽的に聴き応えのあるメロディーが響き渡った。それは、メンバーそれぞれの出自を考えてみたとき、互いの差異を認め合う、そうした多元的でありながらも一つのまとまりとしての自覚を持つ台湾人アイデンティティーを表わしているようにも見えてくる。日本統治期という過去を想起させる事柄は親日・反日と神経質な政治性を呼び起こしやすいが、かつての時代を是非善悪の基準で裁断してしまうのではなく台湾史を構成する一つの要素として位置付けられ、台湾人アイデンティティーはそうした過去の経緯もまた能動的に呑み込んでいく。

 かつてやはり大ヒットとなった侯孝賢監督「悲情城市」は二・二八事件を背景としており、戦後台湾における本省人・外省人の社会的亀裂を直視しようという風潮の中でも注目された。約二十年が経過して、そうした亀裂をも包み込んでいける新しい台湾人アイデンティティーの流れが「海角七号」に見られる。それも無粋に肩肘張った政治的主張というのではなく、娯楽映画の中で違和感のない自然な(つまり、洗練された)背景として示し得ているところに一つの意義があるように思われる。

 何気なく観に行って、随分と行列しているなあと思っていたら、主演の范逸臣と田中千絵の舞台挨拶の回でラッキーだった。

 今年のはじめ台湾に行ったとき、ノベライズ版の『海角七號 Cape No.7』(魏徳聖・劇本原著、藍戈豊・小説改写、大塊文化、2008年)、メイキング本の『海角七號 Cape No.7和他們的故事』(大塊文化、2008年)を購入してあった。ノベライズ版は半分弱まで読んだところでほったらかし。勉強のための論文ならともかく、ストーリー性のあるものを辞書引き引き読んでも途中で興がそがれてしまってきつい。結局、日本語訳の『海角七号 君想う、国境の南』(岡本悠馬・木内貴子訳、徳間書店、2009年)で改めて読んだ。映画の人物設定や伏線の張り方は結構複雑なので予習してから観に行く方が分かりやすいかもしれない。
 
 魏徳聖監督は次に霧社事件をテーマとした映画に取り組んでいるらしい。台湾の文芸誌『INK』(第64号、2008年12月)に魏徳聖のインタビューがあったのでやはり購入してあったのだが、「賽徳克・巴莱Seediq Bale」の脚本が連載されていた。

【データ】
原題:海角七號
監督・脚本:魏徳聖
出演:范逸臣、田中千絵、中孝介、梁文音、林暁培、林宗仁、他
2008年/台湾/130分
(2009年12月27日、シネスイッチ銀座にて)

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「海角七号 君想う、国境の南」★★★ ファン・イーチェン、田中千絵、中孝介出演 ウェイ・ダーション監督、98分 、 2010年1月9日公開、2009年、台湾 (原題:海角七號)                     →  ★映画のブログ★                      どんなブログが人気なのか知りたい← 「2008年に台湾で公開され、台湾映画興行収入の記録を塗り替えた大ヒット作。 台湾でのミュージシャンになる夢に破れた主人公は 故郷の台湾最南端の... [続きを読む]

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