岩井克人『会社はこれからどうなるのか』
岩井克人『会社はこれからどうなるのか』(平凡社ライブラリー、2009年)
差異化によって利潤を生み出す仕組みに資本主義の一般原理を求め、従来型の古さとして批判されやすい日本型経営システムも、現在進行中のポスト産業資本主義も、いずれもこの原則の枠内におけるヴァリエーションとして把握する視点が議論の主軸となる。株主主権論に基づくいわゆる“ハゲタカ”はかえって利益を損ねると指摘される。「会社」というシステムを理論的・歴史的に概観するためテーマは幅広いが、文章が平易というだけでなく論述の進め方もこなれているのですんなりと読み進められる。『貨幣論』(→こちらで取り上げた)で展開された循環論法のシステムとして捉える視点も時折散見されるのも興味を持った(例えば、株式持ち合い、デ・ファクト・スタンダードなど)。
・自分以外のなにものによっても支配されてはいけない自立的な存在として人間を捉えるのが近代市民社会の大原則。しかし、法人としての株式会社は、法的にはヒトとして自立的な主体であるのと同時に、資産=モノとしては所有の対象になるという二重性。株主が法人としての会社を所有し、その法人としての会社が会社資産を所有するという「二重の所有関係」。
・法人名目説は会社が株主によって所有されていることを強調→株主主権論→株主のために利益を高めるべきことが主張され、場合によっては会社をモノとして切り売り処分されてしまう可能性すらある。対して、法人実在説は法人のヒトとしての自立性を強調する。
・日本型企業システムの特徴の一つとしての株式持ち合い→自然人としてのヒトによる支配を受けない仕組み→法人としての会社のヒトとしての主体性を確保→法人実在説的な会社だからこそ、会社内の組織特殊的な人的資産を育成できた。その会社に特有のスキルは会社外での汎用性がないので、もしいつでも放り出される可能性があるならば、雇用者はその会社に長く留まろうというインセンティヴが働かなくなる→人材を引きとめるため、終身雇用制、年功賃金制、企業内組合などがシステム化された。
・資本主義の一般原理は差異性によって利潤を生み出すことである。産業資本主義においては、労働生産性と実質賃金率との間にある差異が利潤の源泉となった。その場合、農村の余剰人口が都市に流入して産業予備軍(戦後日本なら、いわゆる“金の卵”)となることで実質賃金率の低さを当て込み、工場への大規模投資によってより大きな利潤を期待できた。ところが、余剰人口が枯渇して実質賃金率の上昇(日本は1960年代後半以降)→労働生産性との差異による利潤が成り立たなくなり、代わって技術開発・新規市場開拓など別の手段によって差異=利潤を生み出そうとし始める→ポスト産業資本主義。
・ポスト産業資本主義(グローバル化、IT革命、金融革命)においては、利潤の源泉としての差異性を「新しさ」に向けて追求。とりわけ、情報の商品化。グローバル化、IT革命、金融革命の結果として資本主義経済のあり方が変化したのではなく、逆に従来のやり方では差異性による利潤獲得が難しくなったからこそ差異性そのものとしての情報の商品化が促された。従って、ポスト産業資本主義では、差異性を意識的に創り出していくことが至上命題となる。いったん創った差異性も他社がすぐに模倣→利潤低下→さらに差異性=「新しさ」を目指してヒートアップ。
・コア・コンピタンスは「たえず変化していく環境のなかで、生産現場の生産技術や開発部門の製品開発力や経営陣の経営手腕を結集して、市場を驚かす差異性をもった製品を効率的かつ迅速的に作り続けていくことのできる、組織全体の能力」として動態的に定義される。競争力をより高めるため、比較優位の分野に専念→各会社が自らのコア・コンピタンスを特定化、不得意分野は切り捨て→いわゆる“リストラ”。しかし、ポスト産業資本主義の時代では変化が常態であり、いつ何がどうなるか分からない。短期的には採算がとれないように見える部門でも、将来に備えて選択肢を広げておく方が得策。
・利潤=差異化の源泉としての「情報」はヒトの頭の中にあり、切り売り不可能→それを囲い込んで活用する方が良い→ネットワークとして組織化→会社の存在理由。企業組織とは「それに参加する経営者の企画力や技術者の開発力や労働者のノウハウといった、組織特殊的な人的資産のネットワーク」である。差異化を追求するため、その企業独自の個性が必要→企業文化→組織特殊的な熟練が必要となり、その企業にコミットする従業員をつなぎとめておかねばならない→法人実在説的な会社形態が望ましい。
・その会社独自の人的資産の蓄積を可能にし、とりわけ株主主権論によるホールドアップを排除してきた点で、日本的経営は実はポスト資本主義的な方向性を部分的にではあるが先取りしていた。ただし、その日本型資本主義は従来型の産業資本主義に適応しすぎていたところに問題がある。株主主権論イデオロギーが伝統的に弱かった点ではポスト産業資本主義に適応していく利点があるとされる。
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