「カティンの森」
「カティンの森」
冒頭、橋の両側から難民が押し寄せてきて鉢合わせするシーンが象徴的である。「どこへ行くつもりだ? ドイツ軍がそこまで来ているんだぞ!」「知らないのか? 昨日、ソ連軍が攻め込んできたんだ!」
ヒトラーとスターリンの秘密協定によってポーランド分割はすでに決まっていた(18世紀以来で4度目!)。両大国に挟まれて翻弄される宿命。人によっては、「自由なポーランドなどあり得ない」という諦念。“カティンの森”も両大国のプロパガンダ合戦に利用される中、肝心のポーランド人自身はこの事件について言及すること自体がタブーとなってしまった。
アンジェイ・ワイダの軍人であった父親も“カティンの森”事件でソ連軍によって殺害されている。早くから映画化の情熱を持っていたものの、共産党支配下ではどうにもならなかった。父親が殺害されたことばかりでなく、その事実が隠蔽されねばならなかった現代史の成り行きそのものに対しても二重の無念を抱えていた。真実を掘り起こし、彼自身の表現手段である映画を通して訴えかけたい、そうした思いが実を結ぶのはようやく世紀がかわってからのことである。
スターリンは、かつてソ連軍がピウスツキ将軍率いるポーランド軍によって敗れたことからポーランド軍将校に対して忌避感を持っていたが、そればかりでなく、将校も含めてポーランド指導層を根絶やしにすることで権力の空白状態を生み出し、そこにソ連帰り組を送り込もうという意図があったとも言われている。同様の思惑はナチス・ドイツも抱いており、この映画でもドイツ占領下クラクフの大学教員が一斉拘束されるシーンによって示されている。
ポーランド軍将校であった夫がソ連の収容所へ送られ、大学教授であった義父がドイツの収容所へ送られ、残された家族の視点がこの映画の主軸となる。生きているはずだという期待が次第に疑いへと変わり、時には妄想にもなり、そして現実によってすべてが無残にも打ち砕かれてしまう。愛しい人が二度と戻らないという事実ばかりでなく、そのことについて虚偽のプロパガンダに従わねばならないという不条理。こうした心理的苦境は、ワイダ自身の家族のものだったのだろう。
歴史の隠蔽はポーランド人の協力者によっても行なわれたわけだが、その共犯関係を一方的に非難してしまうのも酷かもしれない。生き残るためにはやむを得ないというあきらめ。しかし、矛盾に引き裂かれた苦悩。ソ連軍の捕虜となったが協力して無事帰国した友人の将校は自殺してしまう。
発見された虐殺死体の検証場面など当時の記録映像も使われるが、映画の最後でソ連軍による組織的殺戮のあり様が再現される。そして映像は暗転し、静けさの中から黙祷を捧げるかのように流れるのはペンデレツキの「ポーランド・レクイエム」。この映画自体がワイダによるポーランド現代史へのレクイエムである。
【データ】
原題:Katyn
監督:アンジェイ・ワイダ
原作:アンジェイ・ムラルチク
音楽:クシシュトフ・ペンデレツキ
2007年/ポーランド/122分
(2009年12月6日、岩波ホールにて)
| 固定リンク
「映画」カテゴリの記事
- 【映画】「新解釈・三国志」(2020.12.16)
- 【映画】「夕霧花園」(2019.12.24)
- 【映画】「ナチス第三の男」(2019.01.31)
- 【映画】「リバーズ・エッジ」(2018.02.20)
- 【映画】「花咲くころ」(2018.02.15)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント