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2009年12月

2009年12月31日 (木)

エミール・デュルケーム『自殺論』

エミール・デュルケーム(宮島喬訳)『自殺論』(中公文庫、1985年)

 なぜ自殺するのか、その動機は究極的には本人にしか分からない。しかし、統計数字を見ると自殺者数の変化には一定の傾向が認められる。自殺のように極めて主観的な動機による行動と見えても、その背景として社会状況による因果関係が作用していることを明らかにし、逆に言うなら、自殺という事象を通して社会のあり様を看取できる視点を示している点で、本書は社会学の古典と位置付けられている。

「自殺者のとるその行動は、一見したところ、あたかもかれの個人的気質の反映にすぎないようにみえるが、じつはそれは、ある社会的状態の結果であり、またその延長であって、当の社会的状態を外部的に表現しているのである。」(375ページ)
社会が持っている「この実在性を承認し、われわれに作用をおよぼしている物理・化学的力と同じように、外部からわれわれに行動をうながしている力の全体としてこれを理解することである。それは、まさに一種独特のものであって、言葉のうえだけの実在ではない。ちょうど電流や光源の強さを測定するように、それらを測定することもできれば、相互の大きさを比較することもできる。したがって、社会的事実は客観的なものである、というこの基本的な命題、筆者が他の著作のなかで証明し、社会学的方法の原理とみなしているこの命題は、道徳統計、わけても自殺統計のなかに、新たな、とくに論証性に富んだ証拠を得たことになる。」(389ページ)
「自殺する本人は、生からの訣別の行為をみずからに納得させるために、それをもっとも身近な周囲の事情のせいにする。自分が悲しいので、生も悲哀にみちていると考えるのだ。もちろん、ある意味では、かれの悲哀も外部からもたらされるが、しかし、それはかれの生活上のあれやこれやの出来事からではなく、かれの所属している集団からもたらされる。それゆえ、どんな事柄であろうと、自殺の誘因とならないものはない。要は、こうした自殺の原因が、どれほど強力な作用を個人の上におよぼすかという点にある。」(376ページ)

 本書が示す要因がそのまま自殺を招来するわけではない。死別、失業など個人的・偶発的な出来事に遭遇したとき、それに耐え得るだけの社会心理的基盤が失われていることを示そうとしている。自己本位的自殺、集団本位的自殺、アノミー的自殺という3パターンが示される。このうち集団本位的自殺とは個人としての自我のあり方と、それを外在的に拘束する規範意識の強さとに大きなギャップから自殺へと追い込まれてしまうケースである。伝統拘束性の強い社会や、近代においては軍隊が例として挙げられる。現代社会ではむしろ自己本位的自殺とアノミー的自殺の二つが注目されるだろう。

 自己本位的自殺とは、社会的つながりを失った個人が、自分の生きていく根拠や目的意識を失った結果として表われた自殺である。

「…社会の統合が弱まり、われわれの周囲やわれわれの上に、もはや生き生きとした活動的な社会の姿を感ずることができなくなると、われわれの内部にひそむ社会的なものも、客観的根拠をすっかり失ってしまう。それは、もはや空虚な心象(イマージュ)の人為的な結合物、あるいはいささかの反省によっても容易に霧散してしまうような一個の幻影にすぎなくなる。すなわち、われわれの行為の目的となりうるようなものは消滅してしまうのである。ところが、この社会的人間とは、じつは文明人にほかならない。社会的人間であることが、まさにかれらの生を価値あるものにしていたのである。このことからして当然、〔社会の統合が弱まると〕かれらの生きる理由も失われることになる。つまり、かれらのいとなむことのできる唯一の生活〔社会的人間としての生活〕に対応するものは、現実のなかにはすでに皆無であり、現実のなかにまだ根拠をもつ唯一の生活〔物理的人間としての生活〕は、もはやかれらの欲求にこたえてくれないからである。人びとは高度な生活によって慣らされてきたので、いまさら子どもや動物の甘んじているような生活には満足できない。だが、いまやこの高度な生活そのものがかれらの手からすり抜け、かれらは途方にくれている。その努力をひきつけるような対象はなにひとつなく、自分の努力が無に帰してしまうという感覚がかれらの心をとらえる。人間の活動には、それをこえたひとつの対象が必要であるということの真の意味は、ここにあるのだ。それは、この対象が不可能な不死についての幻想をいだきつづけるうえになくてはならないから、という意味ではなく、この対象がわれわれの精神的構造のなかにふくまれていて、それが一部分でも崩壊すると、それにともなって精神的構造もその存在理由を失わざるをえないという意味なのである。こうした動揺状態におかれるとき、わずかでも人びとを落胆させるような原因があると、かれらは容易に絶望的な決断をくだしてしまう。それは証明するまでもないことだ。生がもはやそれに耐えるだけの労苦にあたいしないとなれば、生を放棄する口実にはこと欠かない。」(254~255ページ)

 アノミーとは、社会的・時代的環境の変化によって、それまでの社会によってはめられていたタガがはずれてしまい、個人の欲望が際限なく拡大していく状態を指す。あくまでも想像に過ぎない目標に向かって限りなく進む欲望は必ず現実との落差に直面し、達成できない挫折感へと個人をたたき込む。このギャップが自殺を誘発してしまう。

時代が変わって社会環境が混乱しているとき、「社会はただちに個人を新しい生活に順応させることはできないし、また不慣れなさらに激しい緊張を課することに慣れさせることもできない。その結果、個人は、与えられた条件に順応していないし、しかも、そのような予見でさえもかれに耐えがたい思いをいだかせる。この苦悩こそが、個人を駆って、その味気ない生活を──それを実際に味わう以前にさえ──放棄させてしまう当のものなのだ。」…「こうして、いったん弛緩してしまった社会的な力が、もう一度均衡をとりもどさないかぎり、それらの欲求の相互的な価値関係は、未決定のままにおかれることになって、けっきょく、一時すべての規制が欠如するという状態が生まれる。人は、もはや、なにが可能であって、なにが可能でないか、なにが正しくて、なにが正しくないか、なにが正当な要求や希望で、なにが過大な要求や希望であるかをわきまえない。だから、いきおい、人はなににたいしても、見境なく欲望を向けるようになる。」…「欲望にたいして供される豊富な餌は、さらに欲望をそそりたて、要求がましくさせ、あらゆる規則を耐えがたいものとしてしまうのであるが、まさにこのとき、伝統的な諸規則はその権威を喪失する。したがって、この無規制(デレーグルマン)あるいはアノミーの状態は、情念にたいしてより強い規律が必要であるにもかかわらず、それが弱まっていることによって、ますます度を強める。」(310~311ページ)
「…人間の本性が、この欲求に必要な種々の限界を設定することは不可能である。したがって、この欲求がたんに個人だけにもとづいているかぎり、けっきょく、際限のない欲求となってしまう。人間の感性は、それを規制しているいっさいの外部的な力をとりさってしまえば、それ自体では、なにものも埋めることのできない底なしの深淵である。」「そうであるとすれば、外部から抑制するものがないかぎり、われわれの感性そのものはおよそ苦悩の源泉でしかありえない。というのは、かぎりなき欲望というものは、そもそもその意味からして、充たされるはずのないものであり、この飽くことを知らないということは、病的性質の一徴候とみなすことができるからである。限界を画するものがない以上、欲望はつねに、そして無際限に、みずからの按配しうる手段をこえてしまう。こうなると、なにものもその欲望を和らげてはくれまい。やみがたい渇きは、つねにあらたにおそってくる責め苦である。」(302ページ)
「欲望の目ざしている目標は、およそ到達しうるすべての目標のはるか彼方にあるので、なにをもってしても、欲望を和らげることはできないであろう。その熱っぽい想像力が可能であろうと予想しているものにくらべれば、現実に存在するものなどは色あせてみえるのだ。こうして、人は現実から離脱するのであるが、さて、その可能なものが現実化されると、こんどはそれからも離脱してしまう。人は、目新しいもの、未知の快楽、未知の感覚をひたすら追い求めるが、それらをひとたび味わえば、快さも、たちどころにして失せてしまう。そうなると、少々の逆境に突然おそわれても、それに耐えることができない。そして、そのような熱狂がすべて醒めてしまうと、人はその狂奔がいかに不毛なものであったかに気づき、新奇な感覚をいくら積み重ねてみたところで、それが幸福の確固たる元手──それによって人は試練の日々にも耐えることができる──とはなりえないっことをさとる。」…「いつも未来にすべての期待をかけ、未来のみを見つめて生きてきた者は、現在の苦悩の慰めとなるものを、過去になにひとつもっていない。かれにとっては、過去とは、焦燥のなかに通りすぎてきた行程の連続にすぎないからである。かれを盲目にしてしまったのは、ほかならぬ、いまだ出会ったことのない幸福がやがては見つかるであろうとつねに当てにしてきたこと、そのことである。」(316ページ)

「自己本位的自殺においては、社会の存在が欠如しているのはまさしく集合的活動においてであり、したがってその活動には対象と意味が失われている。アノミー的自殺においては、それが欠如しているのはまさしく個人の情念(パッション)においてであり、したがって情念にはそれを規制してくれる歯止めが失われている。」(320ページ)

 自分が生きていくことに意味付けをする根拠としての社会が失われているとき自己本位的自殺を招きやすい。社会による規制が失われて、昂進する欲望と現実とのギャップが耐えがたいほど開いてしまったときアノミー的自殺を招きやすい。個人を社会に組み込んでいく必要があるが、しかしながら、社会による拘束があまりに強すぎると自己実現とのギャップから集団本位的自殺を招きやすくなってしまう。

 個人を社会的連帯へとバランスよく組み込んでいくのがデュルケームの目指すところであるが、従来自明視されてきた国家、宗教社会、家族ではその役割を十分に果たせないと指摘する。個人としての自律性を確保しつつ、相互に協同関係を持つことによって成り立つ職能団体に彼は具体的な可能性を見出している。これについては『社会分業論』で詳しく議論されている(→こちらを参照のこと)。

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2009年12月30日 (水)

アンドレ・ブルトン『シュルレアリスム宣言』

アンドレ・ブルトン(巌谷國士訳)『シュルレアリスム宣言・溶ける魚』(岩波文庫、1992年)から。

「未知のものを既知のものに、分類可能なものにひきもどそうとする始末におえない狂癖が、頭脳をたぶらかしているのだ。分析欲が感情にうちかっているのだ。」

「私たちはいまなお論理の支配下に生きている。」

「きっぱりいいきろう、不可思議はつねに美しい、どのような不可思議も美しい、それどころか不可思議のほかに美しいものはない。」

「自分が自分の本の著者であるとは思わない、なぜならこれはシュルレアリスムの産物としか考えられないもので、署名している者の才能の有無の問題などはすべて排除されているからだ。自分は自分の意見をはさまずにひとつの資料を写しとっただけなのであり、また、罪を問われている書物に対しては、すくなくとも裁判長とおなじくらい無縁なのである」。

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2009年12月27日 (日)

「海角七号──君想う、国境の南」

「海角七号──君想う、国境の南」

 台北でミュージシャンとして成功しようという夢にやぶれた阿嘉(范逸臣)。自分の音楽が認められず、失意のうちに故郷・恒春に戻り、郵便配達をしている。ある日、宛先の分からない小包が目にとまった。海角七番地(海角は岬という意味)。開封すると、中にあったのは少女のモノクロ写真と七通の古びた日本語の手紙。敗戦直後に引き揚げた日本人の書いたもののようだ。

 ちょうどその頃、日本人歌手・中孝介のコンサートが開催されることになり、町議会議長はまちおこしのため地元メンバーのバンドに前座をやらせようと強引に決めた。かき集められたデコボコ・バンド。経験があるのは阿嘉だけだ。それぞれに失意を抱えている彼らはいがみ合い、日本人マネージャーの友子(田中千絵)ともことあるごとにぶつかる。

 半世紀以上も昔、台湾を離れる日本人教師がその愛した教え子へと宛て、しかし投函できなかった七通のラブレター。したためられているのは、捨てられた、裏切られたと彼女に思われてしまうかもしれないことへの贖罪の気持ち。手紙の文面は、現代のバンド・メンバーたちや友子の失意を代弁するかのように映画の中で折に触れて朗読される。惹かれあう阿嘉と友子、やがて別れねばならない二人の行方には1945年当時の離れ離れとなった二人の姿が重ねあわされるが、現代の二人の気持ちはまた違った意味合いのものとなる。

 この「海角七号」は台湾では社会現象と言えるほどに盛り上がり、他の中国語圏でもヒットをとばしたという(日本の植民地支配を美化しているという批判もあったらしいが)。事前に私が抱いていた期待値が高すぎたせいかもしれないが、映画そのものとして面白かったかと言うと、ちょっと微妙、というのが正直なところ。終盤のコンサートはとても良かったけれど、阿嘉と友子がなぜ惹かれあうのか何となく不自然だったし、前半のドタバタ・コメディ的なノリも入り込めなかった。こういうのが中国語圏の人たちのテイストなのか。

 むしろ、映画の背景を成す社会的・歴史的経緯の料理の仕方に興味を持った。台湾は、台湾人(ホーロー人)、客家人、原住民、外省人と様々な出自の人々が織り成す多民族・多言語社会である(映画中でも中国語、台湾語、日本語が使われ、台湾語セリフの字幕には印がついている)。それから、日本統治期をどう捉えるか。いずれも時として政治的な緊張をはらみかねないナーバスなテーマであるが、それらが娯楽映画という肩のこらない形の中でたくみに組み込まれている。こうしたあたりにこそ映画を観終わった後の余韻が残った。

 素人バンドのメンバー。阿嘉は台北帰り。交通警官のローマーは原住民族のパイワン族。お酒の営業マンであるマラサンは客家人。カエルは外省人二世(映画中ではこのことをはっきり示すエピソードはないし、彼も台湾語を使うが、みんなが酒宴でくつろいで台湾語でしゃべりあう中、彼は中国語を使っていた)。「ワシは人間国宝なのに表舞台に立たせてくれない」といつも愚痴っている月琴奏者のボーじいさんは日本語世代。キーボートの少女・大大とその母親にも日本人との関わりがある。コンサートで前座ながらもアンコールを求められたとき、ボーじいさんが日本語で歌っていたシューベルト「野ばら」を月琴で演奏、阿嘉たちは中国語で歌い、中孝介は日本語で加わって、中国語・日本語の二重唱となる。

 メンバーが勝手にアドリブで自己主張ばかりして、いがみ合っていたときには一曲すら通して演奏することができなかった。中孝介の“癒し”系の歌声を聴いたとき、阿嘉は「何も力む必要はないんだ」と気づく。みんなが一つのバンドとしてまとまったとき、むしろアドリブで自分の得意な楽器で演奏するのを受け入れてこそ、音楽的に聴き応えのあるメロディーが響き渡った。それは、メンバーそれぞれの出自を考えてみたとき、互いの差異を認め合う、そうした多元的でありながらも一つのまとまりとしての自覚を持つ台湾人アイデンティティーを表わしているようにも見えてくる。日本統治期という過去を想起させる事柄は親日・反日と神経質な政治性を呼び起こしやすいが、かつての時代を是非善悪の基準で裁断してしまうのではなく台湾史を構成する一つの要素として位置付けられ、台湾人アイデンティティーはそうした過去の経緯もまた能動的に呑み込んでいく。

 かつてやはり大ヒットとなった侯孝賢監督「悲情城市」は二・二八事件を背景としており、戦後台湾における本省人・外省人の社会的亀裂を直視しようという風潮の中でも注目された。約二十年が経過して、そうした亀裂をも包み込んでいける新しい台湾人アイデンティティーの流れが「海角七号」に見られる。それも無粋に肩肘張った政治的主張というのではなく、娯楽映画の中で違和感のない自然な(つまり、洗練された)背景として示し得ているところに一つの意義があるように思われる。

 何気なく観に行って、随分と行列しているなあと思っていたら、主演の范逸臣と田中千絵の舞台挨拶の回でラッキーだった。

 今年のはじめ台湾に行ったとき、ノベライズ版の『海角七號 Cape No.7』(魏徳聖・劇本原著、藍戈豊・小説改写、大塊文化、2008年)、メイキング本の『海角七號 Cape No.7和他們的故事』(大塊文化、2008年)を購入してあった。ノベライズ版は半分弱まで読んだところでほったらかし。勉強のための論文ならともかく、ストーリー性のあるものを辞書引き引き読んでも途中で興がそがれてしまってきつい。結局、日本語訳の『海角七号 君想う、国境の南』(岡本悠馬・木内貴子訳、徳間書店、2009年)で改めて読んだ。映画の人物設定や伏線の張り方は結構複雑なので予習してから観に行く方が分かりやすいかもしれない。
 
 魏徳聖監督は次に霧社事件をテーマとした映画に取り組んでいるらしい。台湾の文芸誌『INK』(第64号、2008年12月)に魏徳聖のインタビューがあったのでやはり購入してあったのだが、「賽徳克・巴莱Seediq Bale」の脚本が連載されていた。

【データ】
原題:海角七號
監督・脚本:魏徳聖
出演:范逸臣、田中千絵、中孝介、梁文音、林暁培、林宗仁、他
2008年/台湾/130分
(2009年12月27日、シネスイッチ銀座にて)

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ヤーコプ・ブルクハルト『世界史的考察』

ヤーコプ・ブルクハルト(新井靖一訳)『世界史的考察』(ちくま学芸文庫、2009年)

 国家・宗教・文化、それぞれの潜在力が三つ巴になったせめぎ合いとして古代から近代(すなわち、ブルクハルトにとっては現代)に至る歴史を巨視的に俯瞰したヨーロッパ文明論である。ある種の価値観を前提として、その立場から歴史を裁断していくような読み込みを一切排して(具体的にはヘーゲル歴史哲学が念頭に置かれている)、歴史が進み行くあるがままを、それこそ他人事として突き放して見つめていこうとする眼差しに迫力がある。基本的な態度をこう述べている。

「…われわれは一切の体系的なものを断念する。われわれは「世界史的理念」を求めるのではなく、知覚されたもので足れりとするのであり、また、歴史を横切る横断面を示すが、それもできるだけ沢山の方角からそれを示そうとする。なによりもわれわれは歴史哲学を講じようとするものではない。」「歴史哲学は半人半馬(ケンタウロス)の怪物であり、形容の矛盾である。というのも、歴史とはすなわち、事柄を同格に論じることであって、これは非哲学であり、哲学とはすなわち、一概念の他概念への従属化であって、これは非歴史であるから。」「…だがわれわれは、永遠の知恵が目指している目的については明かされていないので、それが何であるかを知らない。世界計画のこの大胆きわまる予見は、間違った前提から出発しているので、誤謬に帰着することになる。」「だが総じて、年代順に配列された歴史哲学すべての有する危険は、こうした歴史哲学がうまくいった場合でも変性して世界文化史になってしまう点にあるが(このような濫用されている意味でなら歴史哲学という表現を認めてもよい)、通常はしかし、歴史哲学は世界計画を追求すると言いたてながら、あの前提を排する力がないために、哲学者たちが三歳もしくは四歳の年齢以後吸収してきたもろもろの観念に着色されている点にある。」「歴史哲学者たちは過去の事柄を、発展をとげた存在としてのわれわれに相対するもの、われわれの前段階と見なす。──われわれは反復して起こるもの、恒常的なもの、類型的なものをわれわれの心の中で共鳴し、かつ理解しうるものと考える。」(12~16ページ)

 事実そのものをして語らしめる、という厳格な実証主義を取ったレオポルド・フォン・ランケがブルクハルトの師匠であり、その流れを受け継いでいるのだろうが、だからと言って歴史的事実なるものを無味乾燥に並べるような筆致ではない。歴史的事実の背後に伏在する国家・宗教・文化といったファクターが、それぞれ自律的な生命力を持ったダイナミズムとして世界史的事象を変動させていく、そうした動きそのものを描き出そうとしている。例えば、キリスト教(=宗教)がローマ帝国(=国家)を乗っ取り、帝国の滅亡後も生き残ったが、その性格は大きく変質していたり。啓蒙思想(=文化)に淵源する政治思潮が国家をゆるがし、当事者の思惑を超えてフランス革命として大爆発したり(「革命こそ人間に自由ということを教えたのだ!」「革命はそれどころか自身も自由だと思っていたが、この自由は、例えば山火事のように、根元自然的で、意のままにならないものであった」313ページ)。価値観的な是非、善い・悪いを一切排したところで見えてくる動きそのものへの視点は、何となくニーチェも思い浮かべた。バーゼル大学の年下の同僚としての彼と親交があったことからの連想に過ぎないにしても、以下のように人間的事象を徹底的に突き放して認識を志す凄みを考えると、ニーチェがブルクハルトを尊敬したというのも確かにうなずける気もする。

「「現代」はしばらくのあいだは進歩と同義に解されていた、これには、精神の完成化はもとより、道義心の完成化にさえ向かっているかのようなきわめて滑稽な思いあがりが結びついていた。」(438ページ)
「…一切の事柄は、われわれも含めて、ただそれ自身のためにのみ存在しているのではなく、むしろ過去全体のために、また未来全体のために存在しているのである。」「このような広大かつ厳然たる全体を前にしては、諸民族、諸時代、そして個人の求める永続的な、もしくはほんの束の間の幸福や無事息災への要求は、ごく些細なものでしかないことになる。というのも、人類の生存活動というものは一つの渾然たる全体であるから、このような全体の時間的な、また局所的な動揺は、われわれの脆弱な器官にとってのみの浮沈であり、幸と不幸であるにすぎないのであり、じつはこうした動揺や幸不幸はより高次の必然性に属しているのである。」(444ページ)
「もしわれわれが自分たちの個性を完全に放棄することができ、また、これからやってくる時代の歴史を、ちょうど自然の光景、例えば陸地から海上の暴風雨の光景をわれわれがみんなで一緒に眺めているときと同じくらいの平静な気持ちで、同時にまた不安な気持ちで省察するなどということができるとするならば、われわれはおそらく精神の歴史の最大の章の一つを意識的に身をもって知ることになるであろう。」(462ページ)
「このような時代において、こうしたすべての現象のうえに漂いつつ、しかもこうしたすべての現象と密接にからみ合いつつ、新しい住処を建ててゆく人類の精神の跡を認識しながら追い求めるのは、すばらしい観物であろう、もっとも同時代の、世俗的性向の人間にとってはそうではないであろうが。」(463ページ)。

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フランク・ナイト『競争の倫理』

フランク・ナイト(高哲男・黒木亮訳)『競争の倫理──フランク・ナイト論文選』(ミネルヴァ書房、2009年)

 フランク・ナイト(Frank Hyneman Knight、1885~1972年)の名前を初めて知ったのは竹森俊平『1997年──世界を変えた金融危機』(朝日新書、2007年)だった。予想の出来ない領域が存在することへの認識こそが実は経済学の一番大切なところだ、と彼は考えていたのを知って頭の片隅にひっかかっていた。アメリカ経済学史ではそれなりのビッグネームらしいが、日本でまとまった論文集として翻訳されたのは本書『競争の倫理』(ただし再編集されている)が最初のようだ。自由経済の擁護が基本的な立場だが、それを複眼的に検討していくところにナイトの議論の特徴があると訳者は解説している。ミルトン・フリードマンはナイトの弟子にあたるそうだが、考え方は全く対照的である。

 “自由”の前提条件をめぐっての議論に私は関心を持った。「自由放任」モデルは経済分析にあたって役に立つ。しかし、そこから導き出された結論をそのまま安易に現実へ適用しようとするのは大きな誤謬であるとナイトは言う(「自由放任という基本原則は、経済分析にとっては正しいことであるが、その目的や仮定されている条件は明確にされる必要がある」243ページ)。市場経済を一つのゲームと見立てたとき、次の条件がそろっていなければならない。すなわち、①個人は自分をめぐる利害関係を知り尽くしており、詐欺や脅迫なども含め他者による強制はないこと。②完全競争が成立していかなる独占もないこと。③ある取引が行われたとして、そこに利害が代弁されていない他者に実質的な影響を及ぼすことがないこと。しかしながら、実際には個人それぞれの置かれた具体的な立場の違いによってこうした取引上の理想状態(「理論力学における摩擦の捨象」)が実現されているわけではない。「ビジネスの能力はある程度まで相続財産であり、したがって社会制度は、親から個人的に譲り受けたこの有利な立場に加え、教育を受ける利点やゲームに参加するための優先的な条件、さらには賞金を前払するという利益さえ追加している、と思うより他にないのである」(34ページ)。

 経済活動において“自由”を考える場合、倫理的な意味合いにおける人間の本来的な尊厳としての“自由”と、功利主義的な観点から計量化可能な状態として描写された“自由”と二つの側面がある。ところが、経済学が科学として洗練されるに従い後者が前者をも吸収しようとして、人間を取り巻く社会の現実からずれてしまっているところに問題点を見出す(それをナイトは不合理なロマン主義だと言う)。

「近代自由主義思想における自由は一つの倫理的価値であり、功利主義文献の皮相な解釈からしばしば示唆されるような経済効率という目的のための単なる手段ではない。」(158ページ)
「経済的自由主義は、個人的自由を核として取り巻き、人々の関心や活動の全領域やあらゆる社会関係に適用可能でもあるような価値体系の一部、つまり一側面にすぎないことを強調しておかなければならない。…「自由放任主義」という言葉が実際に意味するのは単なる自由であって、その表現が経済生活、つまりその呼称によって通常思い浮かべられる事柄を指すようになったのは、歴史的でしかもかなり偶然的な理由による。」(181ページ)
「数理経済学者は何よりもまず数学者であって、経済学は二の次であることが通例であり、データを簡略化しすぎ、社会の現実と彼らが置いた前提との間にある違いを過小評価する傾向があった。結果的に彼らは、応用経済学者が理解できるような形で、すなわち現実問題との関係がはっきりと分かる形で成果をうまく説明することができなかった。」「理論上の個人主義を成り立たせる前提を明確かつ系統的に論じていく作業は、それと現実の自由放任との間の著しい違いを際立たせ、政策としての自由放任主義の信用を失墜させることになろう。」(12~13ページ)

 あらゆる個人が尊厳としての自由を手にしていることが大前提である。しかし、「自由放任」政策が想定している理想状態があまりに抽象的で生身の社会と整合性を持っていない以上、市場経済には必ずほころびが生ずる。従って、「競争」の前提条件における矛盾点に手を加えて市場を有効に機能させるために何らかの手段が必要とされる。「それゆえ、国や他の代理機関が最大の自由という原則を侵すことなく、むしろその実現のために介入する必要がある」(137ページ)。「現代世界における統治の主要な機能は、自由を保障するためのルールの枠組みと、経済生活における効果的な自由にとって不可欠な条件とを提供し、施行することである」(140ページ)。

「問題は、自由放任 対 政治的計画や統制一般にあるのではなく、市場の自由がもたらす成果と民主的な手続きを経た実現性のある活動がもたらす成果とを、特定の課題についてそれぞれ比較することである。国民は、この二つの制度機構(システム)に関する一般的な原理を理解する必要があるとはいえ、それぞれの抽象的な分析から、実践的な結論を引き出してはならない。基本になる原理は人間本性をめぐる事実なのであり、主たる困難は、これが矛盾の塊だということにある。」「人間は自由であるし、自由でなければならない。しかし、この主張でさえ「非の打ち所がない」真理に仕立て上げられてはならないのだ。」(248~249ページ)

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2009年12月26日 (土)

「牛の鈴音」

「牛の鈴音」

 木々や田んぼの緑が青々と美しい山あいの村。腰の曲がった老夫婦が緩慢な動きながらも懸命に田んぼの世話をしている。かたわらには、やはり年をくって仕事もきつそうな老牛が一頭。隣の田んぼでは別の農家がトラクターでスムーズに作業を進めている。

 老牛が死ぬまでの老夫婦の生活を撮り続けたドキュメンタリーである。韓国で大ヒットした作品らしい。

 おばあさんは「うちも機械を入れようよ」「農薬を使ってないのはうちだけだよ」「いつも牛のことばかりで、私が病気になっても薬も買ってくれやしない」「こんな男に嫁いできたなんて、なんて不幸なんだ」──。生活の苦しさを嘆く声には、どこか牛への嫉妬めいた感情もこもっているように聞こえてくる。耳の遠いおじいさんはそんな愚痴にもどこ吹く風。しかし、たとえ病気でふせっている時でも、牛の鳴き声が聞こえてくると心配そうにハッと表情を変える。

 やはり足腰が立たないのはきつい。子供たちの意見もあって、結局、老牛を連れて市場へ行くが、「老いぼれ」と言われて買い手はつかない。おじいさんも売りたくないからわざと高い値段をふっかけたのだろう。「老いぼれ」だろうと何だろうと、老牛とは親子以上の心情的つながりがある。ライフスタイルをテコでも変えないおじいさんの頑固さ。“ロハス”などという優雅だが陳腐な響きとは一切無縁の厳しい生活だが、他の人から何と言われようとも自分にはこういう生き方しかないという達観があるのだろうか。

 死んで動けなくなった牛の埋葬はクレーンを使うほど大がかりだ。老牛のお墓のかたわらで放心したように座る二人。愚痴ばかりこぼしていたおばあさんも「この牛は本当によく働いてくれた、見てよ、この薪、残していく私たちのためにこんなに運んできてくれたんだよ」と悲しげに神妙である。

【データ】
監督・脚本・編集:イ・チョンニョル
2008年/韓国/78分
(2009年12月26日、新宿バルト9にて)

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「アサルトガールズ」

「アサルトガールズ(Assault Girls)」

 ヴァーチュアル・リアリティものというのも今ではもう珍しくないな。閉塞した時代、人々は架空の戦闘ゲームの世界に浸りこみ、そこで人間が本質として抱えている醜さが露呈される、という設定。

 寒々とした荒地に空を大きく映し出す雄大な風景は、時にかわいた詩情すら感じさせてなかなか好きだ。ただし、ストーリー設定は思わせぶりだった割に「あれ、これでおしまい?」と肩すかし。押井守の実写映画では「アヴァロン」も同様のがっかり感があった。全編基本的に英語で、菊地凛子を起用したのも海外での配給を考えているのか。黒木メイサの凛々しい美しさは目を引いた。

【データ】
監督・脚本:押井守
音楽:川井憲次
出演:黒木メイサ、佐伯日菜子、菊地凛子、藤木義勝
2009年/70分
(2009年12月26日、テアトル新宿にて)

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2009年12月25日 (金)

エミール・デュルケーム『社会分業論』

エミール・デュルケーム(田原音和訳)『社会分業論』(現代社会学大系2、青木書店、1971年)

 社会学の大成者と言うべき一人、エミール・デュルケーム(Émile Durkheim、1858~1917)の主著の一つ。他にも井伊玄太郎訳(講談社学術文庫)もあるが、あまり評判が芳しくないので田原音和(おとより)訳を読んだ。以前、あるシンポジウムで教育社会学の本田由紀さんがこの本を推薦図書に挙げていたのがずっと頭の片隅にあって、ふと思い出して手に取った次第。ちなみに、先日取り上げた『贈与論』(→こちら)の著者、マルセル・モースの叔父さんにあたる。

 デュルケームの学説史的な位置付けがどうなっているのかは不勉強にして詳らかにしないが、私自身の問題意識から言うと、個人の自由と社会的秩序とをトレードオフで考えるのではなく両立させる、そうした構想を示そうとしているところに関心を持ちながら読んだ。彼が着目するのは“分業”である。

「本書をあらわす機縁となった問題は、個人的人格と社会的連帯との関係の問題である。個人がますます自立的となりつつあるのに、いよいよ密接に社会に依存するようになるのは、いったいどうしてであるか。個人は、なぜいよいよ個人的になると同時にますます連帯的になりうるのか。というのは、この二つの動きは矛盾しているようにみえて、実は並行してあいついでいるからである。」「この表面上の二律背反を解決するように思われたのは、分業のたえざる顕著な発展による社会的連帯の変化である。」(37ページ)

 職業上の機能が多様に分化して複雑に絡み合っているのが近代社会の特徴である。一人一人が自分の職業を持つが、そうした分散は単に生産性の向上のみを意図しているのではない。それぞれ自分が専門とする職業を通して自分なりの個性を追求する。他方で、自分ひとりで自足して生きていけるわけではない。他者の専門性と互いに補い合って社会全体が機能していく。こうした分業→相互依存という関係性の中でそれぞれの個性を認め合わざるを得ないからこそ、社会的連帯の道徳感情が基礎付けられているのだとデュルケームは言う。

「われわれはどんなに天分に恵まれていても、つねに何かが欠けているし、われわれのうちでもっともすぐれたものといえども、みずからに不足を感じているものだ。それだからこそ、われわれはみずからにかけている性質を友人のうちに求めるのである。それは、友人との交わりにおいて、われわれがいわば友人の性質にあずかり、それによってみずからの不完全さがいくらかでも補われたと感ずるからである。こうして、友人たちの小さな仲間うちが形成されるが、そこでは各自が自分の性格にあった役割をもち、ほんとうの用役の交換がおこなわれる。すなわち、ある者はかばい、ある者は慰める。助言を与える者があれば、実行に移す者がある。これらの友愛関係を律するものこそ諸機能の分担であり、慣用された表現でいえば、すなわち分業である。」「分業の真の機能は二人あるいは数人のあいだに連帯感を創出することである。」(58ページ)
「分業のもっとも注目すべき効果は、分割された諸機能の効率を高めることではなくて、これらの機能を連帯的にすることである。」「諸機能の連帯がなければ存在しえない社会を可能ならしめることである。」「分業は純粋に経済的な利害の範囲をこえている。なぜなら、分業はそれ固有の社会的・道徳的秩序を確立することにあるからだ。諸個人は分業によってこそ相互に結びあっているのであって、それがなければ孤立するばかりである。彼らは、てんでに発達する代りに、自分たちの努力をもちよる。彼らは連帯的である。しかし、この連帯は、彼らが用役を交換しあう短い時間だけに限られるのではなく、はるかにそれをこえて伸びる。」(62ページ)
「虚弱な個人といえども、現代社会組織の複雑な枠組のうちで役にたつ場をみつけることは可能である。」(261ページ)
「経済学者たちにとっては、分業の本質はより多くの生産ということだ。われわれにとっては、より大なる生産性ということは、分業という現象の必然的な一帰結、ひとつの残響にすぎない。われわれが専門化するのは、より多くを生産するためではない。われわれに用意された新しい生存条件のなかで生きるためである。」(265ページ)
「分業によってこそ、個人が社会にたいする自己の依存状態を再び意識するからであり、分業こそから個人を抑制し服従させる力が生ずるからである。要するに、分業が社会的連帯の卓越した源泉となるのであるから、それと同時に、分業は道徳的秩序の根底ともなるのである。」(384ページ)
「…一定の仕事に専心している人たちは、職業道徳の無数の義務をとおして、共同の連帯感をたえずよびさまされるのである。」(385ページ)

 当時はスペンサーを代表格とする社会進化論が流行していたが、個人をバラバラのアトム的単位と捉え、その自然淘汰の競争によって社会は動いていくという彼らの考え方に対してデュルケームは批判的である。競争は活力を生み出すから決して否定はできないが、ただし互いに同じ社会に属している相互承認が前提である。蹴落としあう生存競争では、分業による利益も連帯感も根底から崩されてしまう。こうした考え方に対するデュルケームの態度は、現代における新自由主義批判とも二重写しになってくるし、リバタリアニズム・コミュニタリアニズム論争に引き付けるならおそらくコミュニタリアニズムに分類されるかもしれない。

(自然淘汰の競争に対して)「…ところが、分業は対立させると同時に結合させる。それは、みずからが分化させた諸活動を収斂させ、ひき離したものを接近させる。競争がこの接近を決定してきたわけではないから、この接近はあらかじめ存在していたはずである。たがいに闘争に参加している諸個人はすでに連帯的であり、またその連帯を感じとっていなければならぬ。すなわち同一の社会に属していなければならないのだ。だからこそ、この連帯感が弱すぎて、分散させようとするあの競争の影響力に対抗できぬばあいには、競争は分業とはまったく別の効果を生みだすのである。」(265ページ)

「集合生活は個人生活から生まれるのではない。反対に、個人生活が集合生活から生まれるのである。こうした条件においてのみ、社会的諸単位のそれぞれ独自の個性が、どうして社会を解体しなくても形成されえ、成長しえたかを説明できるのである。このばあい、個性は既存の社会環境のまっただなかでこそ彫琢されるのだから、それは必然的にこの社会環境の特徴を帯びる。すなわち、この個性は、それと連帯するこの集合的秩序を破壊しないような仕方でつくり上げられるのである。個性はこの秩序から自由でありながら、いぜんとしてこれに順応する。個性には反社会的なものが何ひとつとしてない。それは社会の産物だからである。それは、自己に自足し、諸他のいっさいがなくとも過ごしうる、あの単子(モナド)の絶対的な人間的個性ではない。一定した機能をもつ一器官としての、あるいは器官の一部としての個性であり、それも有機体の爾余の部分から切り離されれば、死滅の危険をおかさざるをえない。こうした諸条件のもとにおいては、協同がたんに可能になるのみでなく、必然的になる。」(269ページ)

 社会なり文明なりがまずあって、その枠内で効率性を目指して分業が生じたのではない。逆に、まず人々が分業を行なうようになって、その結果として社会なり文明なりという枠組みが形成されてきた。

「文明は、分業の反響にすぎない。分業の存在も、その進歩も、文明によっては説明しえない。文明は、それ自体が、内在的価値、絶対的価値をもっていないからであり、逆に、分業それ自体が必然的であるかぎりにおいてしかその存在理由がないからである。」(326ページ)

 分業が機能不全となっているとき、人々は規範を失った孤独感、すなわちアノミーに陥る。分業の機能回復を目的として問題の所在を明らかにしようと努めるところにデュルケームは社会学の役割を見出している。

「そして、どのばあいにおいても、分業が連帯を生じていないとすれば、それは、諸器官の関係が規制されていないからであり、それらの関係が、まさしくアノミーの状態にあるからである。」(355ページ)
「必要なことは、この無規制状態(アノミー)をとめることであり、まだバラバラのままの動きのなかでぶつかりあっているあの諸器官を調和的に協同させる手段を発見することであり、悪の根源であるあの外在的不平等をいよいよ減少させることによって、諸器官の諸関係のうちにより多くの正義を導入すること、これである。」(391ページ)

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2009年12月24日 (木)

大内伸哉『雇用はなぜ壊れたのか──会社の論理vs.労働者の論理』

大内伸哉『雇用はなぜ壊れたのか──会社の論理vs.労働者の論理』(ちくま新書、2009年)

 著者は労働法の研究者。生産性向上を目指してコストの効率化を図る“会社の論理”と、ヒトとして生きていく権利を保障すべき“労働者の論理”。それぞれ正当性を主張する根拠があるものの、あちら立てればこちらは立たずという難しさ。両方の論理の線引き、比較考量を行なうルールとして労働法を位置づけ、社内不倫、女性への雇用差別、残業、労働組合、学歴、解雇、報酬、定年、非正規雇用、雇用と自営の違いといった具体的な問題の中でこの二つの論理がせめぎ合う場面を一つ一つ検討していく。

 仮に会社側・働く側に合意があったとしても、労働法の規制がある場合(たとえば労働時間など)、力関係で強い立場にある会社による押し付けの可能性を想定して、当事者に決定の自由はないとされる(強行法規)。例外がいくつかあり、その一つが管理職への適用除外→コスト削減策としての「名ばかり管理職」の問題になった。会社が労働力を調達するにあたり、①雇用、②業務委託契約、③労働者派遣がある。業務委託契約については当事者は自営であって民法上、対等の契約となる。労働法の適用なし=自己責任とされるが、実態が雇用と変わらない場合には使用従属関係によって判断される。

 基本的には労働法のくだけた概説という感じで、タイトルが内容を必ずしも表わしているわけではないが、法的論理の思考訓練としてなかなか面白い本だ。

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2009年12月23日 (水)

竹信三恵子『ルポ雇用劣化不況』、堤未果・湯浅誠『正社員が没落する──「貧困スパイラル」を止めろ!』、湯浅誠『反貧困─―「すべり台社会」からの脱出』、森岡孝二『貧困化するホワイトカラー』、他

 竹信三恵子『ルポ雇用劣化不況』(岩波新書、2009年)は、雇用環境について現場の取材を重ねてセーフティネットのあり方を模索する。代替可能な労働力としての非正規雇用は、入れ替えが激しくて経験が乏しいのでマニュアル以外のことはできず、熱心に働いても評価の対象にならない。作業上のミスも増え、働く現場の停滞を招いている。労災隠しの問題。残業代の出ない「名ばかり管理職」の問題。幹部候補正社員と周辺的正社員を分け、後者を使い捨てする「名ばかり正社員」の問題。ここを辞めたら他に働き口はないという不安から、労働法規に反する無理な要求でも受け入れざるを得ない弱い立場。「不況を乗り切るための雇用劣化」が「雇用劣化による不況」へと負のスパイラルになってしまっているのではないかと指摘する。

 堤未果・湯浅誠『正社員が没落する──「貧困スパイラル」を止めろ!』(角川oneテーマ21、2009年)も雇用環境をめぐって討論。市場原理の極端な導入によって医師、教師、中間管理職といったステータスのある職種の人々までもワーキングプアに落ちこみ、プライドがズダズダになっている、食えない若者は軍隊が囲い込む、こうしたアメリカの現実を堤未果が報告する。非正規雇用の拡大は、単に彼らを切り捨てやすくなっているだけでなく、彼らと常に比較される正規雇用の労働環境悪化も招いている、従って、中間層も貧困層に転落する可能性をはらんでいる日本の現実を湯浅誠が指摘する。

 湯浅誠『反貧困─―「すべり台社会」からの脱出』(岩波新書、2008年)でも用いられていたが、“溜め”というキーワードが大切だろう。人間誰しも失職、病気など何らかのトラブルに直面することがある。立ち直るために相談にのったり、手助けしたり、猶予期間を与えたりという形で家族・知り合い・会社などの人間関係が“溜め”として機能していた。しかし、この“溜め”が細り、すべてが“自己責任”とされることで、たった一度のトラブルでも“すべり台”のように転落しかねない問題点を指摘していた。“自己責任”論者は、自分自身はこの無形の“溜め”で助けられてきたのに、“溜め”のない人に対して自助努力が足りないと批判するという矛盾がある。湯浅さんのNPO「もやい」はこの“溜め”の役割を果そうとしている。

 憲法で保障されるべき「最低限の生活」として生活保護のラインがある一方で、ホームレスに転落して生きていく上で本当にギリギリのラインがある。この二つのラインの中間に「貧困ビジネス」が入り込んできたことも指摘される。ホームレスにならないだけマシだろ、というロジックを取るが、あくまでもビジネスだから基準値はどんどん切り下げられる。他にすがるもののない人はこの泥沼から脱け出せない。立場が弱いからこそますます喰いものにされてしまう。こうした問題については門倉貴史『貧困ビジネス』(幻冬舎新書、2009年)、須田慎一郎『下流喰い』(ちくま新書、2006年)などが具体例を紹介している。

 森岡孝二『貧困化するホワイトカラー』(ちくま新書、2009年)は、ホワイトカラー雇用のあり方について日本とアメリカそれぞれの事情を歴史的に概説、その上で現在の雇用環境流動化の問題点を考える。「成果主義」は、目標達成度に応じた評価によって雇用者を競わせることで、人件費総額を抑制しながら「生産性」向上を図る→相互協力の阻害、賃金格差の拡大(仕事は増えても給与は下る)、精神的ストレスの増大などをひきおこす。雇用差別、派遣労働、ホワイトカラー・エグゼンプションなどの問題。経済界の要求を受けて政治介入を縮小・市場に委ねるという形で雇用・労働分野の規制緩和→日本の労働諸法も前提としている、ILOの「フィラデルフィア宣言」(1944年)で示された「労働は商品ではない」という根本原則が崩されていると指摘する。

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2009年12月22日 (火)

大野正美『グルジア戦争とは何だったのか』、前田弘毅『グルジア現代史』、他

 大野正美『グルジア戦争とは何だったのか』(東洋書店、ユーラシア・ブックレット、2009年)は、2008年8月に南オセチアをめぐっておこったロシア・グルジア間の「五日間戦争」の経緯を解説。グルジア領内にあってロシアのバックアップを受ける南オセチア自治州、アブハジア自治共和国が焦点。グルジア内のマイノリティーである両自治州・自治共和国の中にもさらにマイノリティーがいるという複雑な民族構成。どちらが先に手を出したのかはいまだに情報が錯綜している。国力差ではロシアが圧倒的だが、実際の動員数はほぼ互角、地勢的条件を考慮すればむしろグルジア側が有利だったはずだが、軍隊のシステム上の不備から敗退。ロシア側は、資源輸出による経済成長への自信に裏付けられて対外的に強硬姿勢だったが、直後の9月に世界金融危機→欧米のロシア投資も一斉に引き上げ→口先とは裏腹に国際協調を迫られた。ロシアが初めて旧ソ連構成国と戦争したこと、国境不変更の原則からコソボ独立に反対していたにもかかわらず“非承認国家”南オセチア・アブハジアの独立を認めたことは、ロシア外交への国際的不信感を印象付ける結果となった。

 前田弘毅『グルジア現代史』(東洋書店、ユーラシア・ブックレット、2009年)は、ソ連崩壊・グルジア独立以降に重きを置いた現代政治史の概説。1956年にはハンガリー事件に先行して反ソ暴動、ソ連軍による軍事制圧を経験、1978年には国語条項問題→グルジア民族主義が高まっていたが、他方で、アブハジアなどグルジア領内マイノリティーは警戒感を強めており、民族紛争の種は早くからくすぶっていた。独立後の初代大統領ガムサフルディアは激情的な愛国主義者で混乱に拍車をかけてしまった。事態収拾のため招かれたシェワルナゼは現実主義的なバランス感覚を示したものの、旧ソ連時代からの地元ボス政治を温存→腐敗、さらに経済運営の失敗、チェチェン紛争や9・11後の危機的状況を乗り切れず、国内に不満が高まり、2003年のバラ革命で失脚。代わって大統領になったアメリカ帰りのサアカシュヴィリは清新なイメージの一方で、やはり古くから続く縁故政治を断ち切れず、政権幹部も離反、国内の求心力を高めるため反ロシアの愛国主義を煽りたて、2008年の「五日間戦争」を招いた。しかし、サアカシュヴィリに代わり得る指導者は他に見当たらないのが現状だという。

 以前、ピロスマニに興味を持って(→こちら)、彼の生きた時代背景を知りたいと思ったのだが、グルジア史関連の日本語文献が少なくて難儀した。ロシア革命前後の時期については取りあえず、Stephen F. Jones, Socialism in Georgian Colors: The European Road to Social Democracy, 1883-1917(Harvard University Press, 2005)を読んだ(→こちら)。最終的にはボルシェヴィキが覇権を握ったロシアとは異なり、グルジアではメンシェヴィキの勢力が強く、ナショナリズムと近代化の受け皿となった。そのことを指して“グルジア色の社会主義”と表現されている。指導者ノエ・ジョルダニアの個人的な信望もあって、1921年の赤軍による軍事制圧で亡命を余儀なくされるまでのほんの数年間だったが、メンシェヴィキ主導のグルジア民主共和国が成立していた。現在のグルジアもこれを継承したという形をとっている。それから、悪ガキ時代のスターリンを描いたSimon Sebag Montefiore, Young Stalin(Phoenix Paperback, 2008)を読みさしのままほったらかしなのだが、舞台はやはりこの時代のグルジアである。ジョニー・デップ主演で近いうちに映画化されるらしい。

 他にグルジア関連では、テンギズ・アブラゼ監督の映画「懺悔」についてはこちら、グルジア史について音楽に絡めたメモはこちらに書いた。

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2009年12月21日 (月)

斎藤充功『日台の架け橋・百年ダムを造った男』、平野久美子『水の奇跡を呼んだ男──日本初の環境型ダムを台湾につくった鳥居信平』、胎中千鶴『植民地台湾を語るということ──八田與一の「物語」を読み解く』

 日台関係に関心を持つ人以外では八田與一という名前にはあまりピンとこないかもしれない。土木技師として、1930年、当時では東洋一の規模を誇る烏山頭ダムを完成させ、嘉南大圳という灌漑水路網を整備した。彼の業績は台湾ではよく知られており、例えば私の手もとにある呉密察監修『台湾史小事典』(遠流出版、2000年)、李筱峰・荘天賜編『快讀台湾歴史人物Ⅰ』(玉山社、2004年)、公共電視台『台湾百年人物誌1』(玉山社、2005年)を見ると八田に一項目立てられている。最近、八田與一紀念館が開館し、オープンセレモニーには馬英九総統も日台関係に配慮して出席したらしい。

 斎藤充功『日台の架け橋・百年ダムを造った男』(時事通信社、2009年、旧版は1997年)は八田與一のダム造りに執念を燃やした生涯をたどる。ダム造りは水利技術や農業技術など様々な民生技術と一体のプロジェクトであって、関連分野で活躍した技術者(たとえば、蓬莱米を開発した磯永吉、末永仁など)にも時折言及される。台湾というコンテクストをはずしても、技術開発に専念した一徹な仕事人として、例えばNHK「プロジェクトX」が好きな向きには興味深い人物だろう。1942年、南方産業開発派遣隊としてフィリピンへ渡るとき、乗船していた船が撃沈されて落命、敗戦後、彼の完成させた烏山頭ダムで夫人が入水自殺したという悲劇性も地元の人々の気持ちを引いたのかもしれない。

 平野久美子『水の奇跡を呼んだ男──日本初の環境型ダムを台湾につくった鳥居信平』(産経新聞出版、2009年)。八田與一の仕事は政府主導の大規模公共事業であったが、対して本書が取り上げる鳥居信平(のぶへい)は民間企業の技師であったため永らくその名は埋もれたままだった。サトウキビ増産のため台湾糖業に招かれた土木技師。彼の整備した二峰圳は地下ダムによって伏流水を利用した灌漑用水であり、自然の生態や原住民の生活と折り合いをつけながら水の力を最大限に引き出そうという工夫がこらされていた。生態系バランスを考えた環境型ダムとして先進的であったと評価される。本書のように日台関係の埋もれた人物を掘り起こしていく作業も大切である。

 八田にせよ、鳥居にせよ、彼ら個人としてのひたむきな技術者魂は政治とは無縁であるが、それが日台双方のある種の政治性の中では微妙な意味合いを帯びてくる。胎中千鶴『植民地台湾を語るということ──八田與一の「物語」を読み解く』(風響社、2007年)は日本、台湾、それぞれで八田を受け止める歴史的記憶のコンテクストが異なるのではないかと指摘する。日本の植民地支配にはプラス、マイナス両面があり、従来はマイナス面ばかり強調されてきたのは確かであるが、その反発から「良い日本人もいた」→植民地支配全面肯定と飛躍してしまう人を時折見かける。極論に行かないように解毒剤として本書も併せて読んだ方がいいだろう。

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2009年12月20日 (日)

「誰がため」

「誰がため」

 コペンハーゲンのレトロで清潔感のある道路の石畳、そこに響き渡ったドイツ軍の軍靴の音。ナチス・ドイツ占領下のデンマークではレジスタンス運動が高まり、この美しい街並もあちこちで生々しい傷痕を見せている。

 銃を懐にターゲットへと近寄る二人、フラメンとシトロンが狙うのはナチに魂を売った裏切り者。組織上層部の命令で暗殺に手を染める二人だが、あるターゲットと交わした会話をきっかけに、心の中で疑念がきざす。ひょっとして、俺たちは無実の人間を殺しているのではないか? ゲシュタポのトップを直接狙いたいと上層部に言っても、それは絶対にダメだ、と釘をさされてしまう。誰の言うことなら信用できるのか? 疑心暗鬼で神経を憔悴させる中、ゲシュタポの包囲網は狭まりつつある──。

 二人とも戦後は“英雄”とされた実在の人物だという。最新の史料公開を踏まえてこの映画は作られているそうで、その中にはデンマーク現代史のタブーに触れる側面もあるらしい。自分たちのやっていることは正しいことなのかという疑いはシリアスなものである。それ以上に、こいつは裏切り者なのか、それとも二重スパイなのか、罠にはめられているのか、そのように情報のパズルがかみ合いそうでかみ合わない迷宮的な緊張感には、二時間以上の長丁場をグイグイ引っ張っていく迫力があった。

【データ】
原題:Flammen & Citronen
監督・脚本:オーレ・クリスチャン・マセン
出演:トゥーレ・リントハート、マッツ・ミケルセン、クリスチャン・ベルケル
2008年/デンマーク・チェコ・ドイツ/136分
(2009年12月20日、渋谷、シネマライズにて)

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木村汎『現代ロシア国家論』、ミヒャエル・シュテュルマー『プーチンと甦るロシア』、栢俊彦『株式会社ロシア』、酒井明司『ロシアと世界金融危機』、中村逸郎『虚栄の帝国ロシア』、ドミトリー・トレーニン「ロシアの再生」

 木村汎『現代ロシア国家論──プーチン型外交とは何か』(中央公論新社、2009年)は外交に着目して現在のメドベージェフ=プーチン「タンデム」政権の性格を分析する。ロシアは歴史的にみても強力な指導者の伝統があり、外交方針も指導者のトップダウンで一元的に決定される(ゴルバチョフ・エリツィン政権期は例外)。その指導者とは、現代ロシアではプーチンであり、憲法上の再選規定をクリアするため忠実なメドベージェフを大統領に据えつつも、実質的な権限はプーチン首相が持つという苦心のカラクリは周知の通りである。メドベージェフは比較的リベラルであり、将来的にはプーチンとの権力闘争の可能性も排除できないという指摘もあるが(例えば、中村逸郎『ロシアはどこに行くのか──タンデム型デモクラシーの限界』講談社現代新書、2008年)、それはあくまでも相対的な温度差の問題で彼自身も強硬なナショナリストだと本書は指摘する。

 他の国ならば複数の政治アクターのせめぎ合いによる政策決定過程に注目されるところだが、こうしたロシア政治の性格においては、指導者の権力基盤がいかに強固であるか、そして彼個人の思考方法はどのようなものであるのかに分析の焦点が合わされる。強いロシアの復興が外交の目標であり、そのためには国際的ルールは無視(徹底したリアリズム)、ハードパワー(軍事力と資源ナショナリズム)偏重が特徴である。長期的戦略としては対米協調だが、個別問題ではアメリカとの対決も辞さない。CIS諸国は「特殊権益圏」とみなして影響下に置くべく力をちらつかせる。中国とは欧米型民主主義への反発という点では共通するが、互いに潜在的脅威とみなしているため同盟までは至らない。グルジア侵攻で顕著になったように、ロシアもいずれはノーマルな国になるという希望的観測は打ち砕かれ、ロシアは怖い国だという国際的印象を強めてしまったこと、ハードパワーとしてのエネルギー戦略依存→モノカルチャー的で経済的多元化ができていない弱さが指摘される。

 ミヒャエル・シュテュルマー(池田嘉郎訳)『プーチンと甦るロシア』(白水社、2009年)は、ドイツの歴史家による現代ロシア政治論。2007年、ミュンヘン安全保障会議でプーチンがアメリカ一極支配に反発、他国の押し付けを受け入れるつもりはないと断言したシーンから説き起こされる。歴史的・政治的に幅広い論点からロシア政権の内在的論理を浮かび上がらせようとする趣旨で、タイトルからも分かるようにとりわけプーチンの人物像や考え方に重きが置かれる。なお、著者のシュテュルマーはドイツのいわゆる歴史修正主義論争で保守派として発言した人らしい。

 栢俊彦『株式会社ロシア──渾沌から甦るビジネスシステム』(日本経済新聞出版社、2007年)は、企業経営者、政治家、学者など様々な人々へのインタビューを通して、現代ロシアにおける市場経済化への模索をロシア人自身はどのように捉えているのかを伝える。1990年代の経済自由化ショック療法→新興財閥(オリガルヒ)の台頭→クローニー・キャピタリズム(仲間うち資本主義)→政府との対立からユーコス事件、不満を抱いていた国民からの喝采。こうした経緯の中で「国の役割強化」が求められているが、ただし、市場経済そのものを否定するわけではなく、ロシアの現実に見合った秩序ある市場経済ということになるらしい。資源輸出依存のモノカルチャーでは、輸出による通貨価値の上昇→しかし、国内製造業等が脆弱だと国際競争力が低下といういわゆる「オランダ病」に陥ってしまう。国内市場の活性化が必要で、ビジネス環境整備のため国家による市場監督機能を求める声が中小企業から上がっているが、リベラル派テクノクラートはロシア政治の性格からして統制強化と汚職を招くだけだとして否定的だ(たとえば、ガイダル)。なお、本書は色々な人々の見解を順番に並べる構成で、ロシア的「ビジネスシステム」が明示されているわけでもなく、タイトルとズレがある。

 酒井明司『ロシアと世界金融危機──近くて遠いロシア経済』(東洋書店、2009年)は、ソ連時代の計画経済の問題点から経済自由化後の金融危機、資源問題まで丁寧に解説した入門書。国際的な資本市場の動向と結び付いた金融危機、原油価格の上下で左右される心理的効果、そうした中で国際経済の流れと自国経済強化とのバランスに腐心しているとプーチン政権の経済政策を捉える。システムの解説というよりも、海外から持たれやすい誤解を解きほぐすことに重きを置く。ロシア擁護の論調が強いが、「残念ながら~は十分でない」という但書きが目立ち、ロシアにはロシアなりの事情や内在的論理があるのだからマイナス面への過剰反応は禁物という趣旨だと受け止めるべきだろう。

 中村逸郎『虚栄の帝国ロシア──闇に消える「黒い」外国人たち』(岩波書店、2007年)は、ロシアに周辺国から流れ込む出稼ぎ労働者たちの現場の調査を通してロシア社会の矛盾点を浮き彫りにする。法的手続きが煩雑なので不法就労とならざるを得ない彼らに対して、警官や役人はことあるごとに難癖をつけて金を巻き上げる。不法就労だからと言って追い出してしまうと“金づる”がなくなってしまう。それから、外国人労働者排斥を叫ぶスキンヘッド・グループの存在。外国人労働者を守る人権団体もロシアにはない。労働力として彼らを必要としつつも、彼らの存在を非合法とすることで“利ざや”を稼ぐ社会構造になっており、それを著者は「虚栄の帝国」と呼ぶ。

 Dmitri Trenin, “Russia Reborn,”Foreign Affairs, vol.88 no.6,(Nov/Dec 2009)は、ロシアは欧米のルールにはのらないというプーチンの対抗意識は現実の情勢に見合わないことを指摘する。小国であっても主権国家として自律的な行動をとる21世紀にあって、アメリカ、EU/NATO、ロシア/CISの勢力圏均衡という19世紀的発想は通用しない。例えば、中国は中央アジア諸国、ベラルーシ、モルドヴァなどにロシアを上回る貸付をしているし、ガス資源もトルクメニスタン→中国ルートの構築が進められている。グルジア侵攻は周辺諸国に動揺を招いた。ソ連時代は軍事力とイデオロギーで勢力を維持していたが、現代のロシアにそれだけの実力はない。ロシアの経済的・社会的・技術的後進性を直視すること、ソフト・パワーの再構築が必要であり、西側に加わらないまでも外交方針を変更しなければ立ち行かない。過去の栄光にしがみつくのではなく、現在の必要に応じて自己変革することによって国際社会の中で大きな役割を果たせるようにすべきだと主張する(具体的には、キリスト教圏とイスラム教圏との対話の仲介など)。キャッチ・アップの対象として中国、日本、韓国を挙げ、「もしピョートル大帝が生きていたら、バルト海(つまり、ペテルブルク)ではなく日本海側に遷都するだろう」という言い回しが面白い。

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2009年12月18日 (金)

マイケル・オークショット『政治における合理主義』

マイケル・オークショット(嶋津格・森村進他訳)『政治における合理主義』(勁草書房、1988年)

 言葉というのは実に難しいもので、表面的にはどんなに正しいように聞こえる主張であっても、理念として整合性をもって定式化されたとき、「確かにそうかもしれないけど、どこか変だ」と理屈とは異なる皮膚感覚レベルで違和感を覚えることがある。正義の理念であればあるほど、生身の感覚を万力でキリキリ締め上げていくような知的暴力。そうした違和感を自覚化することで進歩主義の不自然さを浮き彫りにしていくのが政治思想としての保守主義である。

 “伝統”とか“常識=コモンセンス”とかいうキーワードを出すと色々と誤解もされかねないが、要するに、自分自身の内面を振り返ってみて不自然でなく、しっくりくる感覚に基づいて考えれば、おおむね間違いは回避できる。仮に間違ったとしても、そのことを指摘されたら柔軟に修正できる。そうした積み重ねによって一歩一歩事態を改善していこうという考え方である。不自然に遊離した目的合理的な思考体系では、こうあらねばならないという目的意識=“べき”論が硬直化して修正がきかない。従って、ますます間違いを重ねてしまう。保守主義の要諦は皮膚感覚に根ざした懐疑と試行錯誤にあり、そのエッセンスが結晶した暗黙的な智慧を“伝統”と呼ぶ。

 もう一言付け加えると、自称保守、自称民族派というのも“伝統”なるものを皮膚感覚から切り離して説教くさい理念に硬化させてしまっている点で、いわゆる新自由主義も“自由”なるものを原理原則に硬化させてしまっている点で、いずれも実は他ならぬ進歩主義者と同様の誤謬に陥っていると私には思われる。過去、現在、そして未来にわたって試行錯誤の継続的な渦中にあって理念的なものは常に相対化されていく、そうした意味での歴史的視点から現在の自身の位置を探っていくのがポイントである。

・本書にはイギリス保守主義の政治哲学者マイケル・オークショット(Michael Joseph Oakeshott、1901~1990年)の論文10編が収録されている。表題論文「政治における合理主義」では、“理性”優位の政治思潮としての“合理主義”を次のように捉えて批判する。

(合理主義者は)「あらゆる場合における精神の独立、つまり「理性」の権威を除く他のいかなる権威に対する責務からも自由な思考、を唱導する。」「彼は経験を看過するわけではないが、それが彼自身の経験でなければならないと主張する(そしてすべてを新たに始めるよう求める)ために、また、入り組んだ多様な経験の一群を原理に還元し、」「彼には経験の蓄積という感覚がなく、経験が一つの定式に転換されている場合にそれを受け入れる用意があるに過ぎない。」「彼の知的過程は、可能な限りあらゆる外からの影響から絶縁されて、真空の中で進行するのである。彼の社会の伝統的知から自分を切り離し、分析の技術以上の教育はすべてその価値を否定したことで彼は、人間に対して人生のあらゆる危機についての必然的無経験を帰す傾向があり、」「ほとんど詩的ともいうべき幻想によって、彼は毎日をあたかもそれが彼の最初の日であるかのようにして暮らすことに努め、習慣を形成することは堕落だと信じている。」(2~5ページ)
「合理主義者にとって存在しているというだけでは(そして明らかに何世代にもわたってそれが存在してきたということからは)何物も価値を有しない。親しみに価値はなく、何事も、精査を受けずに存続すべきではないのである。こうしてその性向のため、彼にとっては受容と改革よりも破壊と創造の方が理解し易く携わり易いものとなる。」「そして合理主義者はそれの場所を埋めるために彼の自作のもの──あるイデオロギー、伝統に含まれていた合理的真理の本体とされるものの形式化された要約──を置くのである。」(5ページ)
(合理主義の政治は)「完全性の政治、そして画一性の政治である。」「彼の組立の中には、「その状況の下でもっともましなもの」の一つが占めるべき場所はなく、「最善」のための場所のみがある。」「つまり、状況というものを認めない組立には、多様性のための場所もありえないのである。」(6~7ページ)
「合理主義者は道徳において、相続した無知を捨て去ることから始め、この空の精神の何もない空白を、自分の個人的経験から抽象し人類共通の「理性」によって是認されると彼が信じるあれこれの確実な知によって埋めることをめざす。彼はこれらの原理を議論によって擁護し、それらは(道徳的には貧弱ではあるが)整合的な信条を構成するだろう。しかし彼にとって人生の行態が、がたがた変わる連続性のない事象、ひっきりなしの問題解決、次々起こる危機の克服、となることは避けられない。合理主義者の政治と同じく合理主義者の道徳(これが前者と切り離せないのは当然だが)は、自作の人間の道徳、自作の社会の道徳であり、それは、他の諸民族が「偶像崇拝」と考えたものなのである。」(36ページ)

・オークショットの論文ではしばしば詩人がたとえに取り上げられる。果たして、詩人は、まず心の中に“真なる”感情とか理想とかがあって、それを言葉へ翻訳・写像しているのだろうか?→このように単純化された二元的認識論の誤謬をオークショットは指摘する。言葉に出すという営みそのものが内なるものをそのつど掴んでいこうという努力の繰り返しであり、その意味で詩人の心の動きも語りも振舞いもすべて一体のものである。従って、心の中に秘められた“理念”を翻訳=抽象化するという思考モデルは本来的にあり得ない(「バベルの塔」「人類の会話における詩の言葉」)。

・何か抽象化されたゴールがあって、人間はそこに向かってすすんでいくという考え方→しかし、我々は活動する中でこそ何をなすべきなのか考えつつあるのであって、アプリオリに設定された目的などあり得ない(「合理的行動」)。

・レオ・シュトラウス『ホッブズの政治学』は以前にこちらで取り上げたことがあるが、要するに、人間の情念が「虚栄心」として暴走する可能性→「死の恐怖」が「虚栄心」をくじいて人間を理性に立ち返らせる→他者との共存を図る社会契約、という捉え方をしている。オークショット「ホッブズの著作における道徳的生」もこうした捉え方をおおむね受け入れつつも、では、この社会契約の最初の履行者は、ひょっとしたら裏切られて馬鹿を見るかもしれない可能性をどうやってクリアしたのか?という論点を提起する。ホッブズの著作から確証が得られるわけではないが、この社会契約の最初の履行者は、自分が馬鹿を見ても構わないと考える「誇り」の人だったのではないか、と問いかける。ちなみに、「虚栄心」も「誇り」も英語ではprideである。

 なお、政治思想としての保守主義の古典、エドマンド・バーク『フランス革命についての省察』は以前にこちらで取り上げたことがある。

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2009年12月17日 (木)

笠原清志『社会主義と個人―─ユーゴとポーランドから』

笠原清志『社会主義と個人―─ユーゴとポーランドから』(集英社新書、2009年)

 著者は自主管理労組の研究者。若き日のユーゴスラヴィア留学、研究目的でのポーランド滞在といった体験の中で出会った人々とのエピソードを通して、社会体制と個人との関り方を考えていく。タイトルは硬いが、私的な体験を交えて実感のある感想を述べているところには好感を持った。

 ワレサが民主化で果した役割を海外では過大評価しがちだが、連帯の分裂過程を見ると、“民主的”でなかった点ではかつての共産党と変わらないようだ。社会主義かどうかというのは所詮表面的な話で、結局、社会体制というのは人々の皮膚感覚にしみついた“ものの考え方”のレベルに根ざすわけだから不思議はない。

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2009年12月16日 (水)

青砥恭『ドキュメント高校中退』、小林雅之『進学格差』、本田由紀『教育の職業的意義』、他

 事情を知らなければ、勉強する意欲は本人の努力の問題、やる気がない奴は脱落しても仕方がないと単純な精神論で片付けられてしまいかねない。ところが、苅谷剛彦『階層化日本と教育危機―─不平等再生産から意欲格差社会(インセンティブ・ディバイド)へ』(有信堂高文社、2001年)は、家庭環境の相違、とりわけ経済的背景が子供の学習意欲を左右していることを指摘していた。職業的ステータスが学歴と強い相関関係を持つ社会において、貧困等の家庭環境は子供の世代でも繰り返され、階層的固定化が生じてしまう。こうした問題をめぐっては、山野良一『子どもの最貧国・日本──学力・心身・社会におよぶ諸影響』(光文社新書、2008年)、阿部彩『子どもの貧困──日本の不公平を考える』(岩波新書、2008年)などの本も以前にこちらで取り上げた。

 青砥恭『ドキュメント高校中退―─いま、貧困がうまれる場所』(ちくま新書、2009年)は、高校を中退してしまった生徒たちからじかに話を聞き取って、彼らの置かれた行き場のない苦境を訴えかける。高校中退者はいわゆる底辺校に集中し、そして底辺校に通う生徒の多くは家庭的に恵まれていない。基礎学力ばかりか、基本的な生活習慣すら身についていない子もいるが、親自身が生きていくのに必死で子供のことに構っている余裕がない。文化資本の問題ばかりでなく、見捨てられた感覚、ほめられることでの達成感も経験したことがないと、何をやっても無駄だというあきらめの心境になってしまう。高校の先生たちも対処しきれず、問題児は早く退学して欲しいという雰囲気まで生まれているという。そうした生徒は中退してもまともな就職先はない。学校にも社会にも居場所がなくなってますます負のスパイラルに陥ってしまう。「貧しいとは選べないことなんです」という言葉が深刻だ。「選べない」家庭は貧困を世代間再生産させることになり、そうした階層格差が高校の序列化という形ではっきり示されてしまっている。

 小林雅之『進学格差―─深刻化する教育費負担』(ちくま新書、2008年)は、大学進学にあたっての学費+生活費というトータルな費用について国際比較を行ない、その中で日本の現状を捉える。日本では成績上位生徒の場合、所得の高低に関係なく親の進学させたい意向は強いという。しかしながら、生活費等の条件も考えると、家計上負担できるかどうかで進学上の格差が生じてしまう。日本では教育費を親が負担するのは当然だとする観念が従来から強かったため、こうした問題がこれまで顕在化しなかったのだと指摘される。奨学金制度の見直しが提言される。なお、国際比較では各国の社会的・文化的背景を踏まえて考察されるので、どれが良いと単純化するような議論にはならない。海外の進学事情を知る上でも興味深い。

 本田由紀『教育の職業的意義──若者、学校、社会をつなぐ』(ちくま新書、2009年)。戦後の高度経済成長期、家庭、学校=教育、企業=仕事を三本柱とする人材供給経路において学卒一括採用→企業が人材育成をしていた。こうした日本型雇用システムが崩れ、個人の「生きる力」が称揚される中で進められる「キャリア教育」の問題点を本書は指摘する。自分で決める「自己実現」を急かされる一方で、そのために必要な手段は社会的に供給されていないという隘路(=自己実現アノミー)。自己実現の上での進路選択にあたっては、社会の現実とぶつかり合う試行錯誤の中で自分自身のあり方を掴み取っていくしかない。著者は「柔軟な専門性」教育を提唱している。とりあえずの足場として何らかの職業的専門性を身に付けさせ、同時にその足場をきっかけに自分の方向性を模索させる。つまり、自分の職業適性を考えるための具体性を持った回り道の猶予期間を学校という制度の中で保証すること(このあたりの議論は著者の『若者と仕事―─「学校経由の就職」を超えて』[東京大学出版会、2005年]、『多元化する「能力」と日本社会─―ハイパー・メリトクラシー化のなかで』[NTT出版、2005年]で展開されている)。そのようにして社会的現実に「適応」する一方で、仕事現場の不合理な待遇にまで過剰に適応してしまわないように「抵抗」のための社会的知識(例えば、法律など)を身に付けさせること。こうした「適応」と「抵抗」という二つの面で習得の機会を提供していくところに「教育の職業的意義」を探ろうとしている。

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2009年12月15日 (火)

マルセル・モース『贈与論』

マルセル・モース(吉田禎吾・江川純一訳)『贈与論』(ちくま学芸文庫、2009年)

 マルセル・モース(Marcel Mauss、1872~1950年)の言わずと知れた文化人類学の古典。現代思想にも広く影響を与えたことでよく知られており、頻繁に引用されるので知ったかぶりだったが、新訳が出たのを機に読んだ。

 未開社会における贈与関係を、経済的にばかりでなく道徳的にも宗教的にも、受け取ったら(人間だけでなく神様や精霊からも)お返ししなければいけないという義務感を生じさせることで成り立つ人的ネットワークの精神的メカニズムとして把握する。このようなモラルと経済との結び付きが、現代の我々の社会でも隠れた形で機能しているのではないか? こうした問題意識を踏まえて、太平洋諸島やネイティブ・アメリカンの民族誌的事例の検討を通して贈与制度の理念型を抽出し、その名残をローマ、古典ヒンドゥー、ゲルマンなどの古代法からも読み取るという構成。

「与えることを拒み、招待することを怠けることは、受け取ることを拒むのと同じように、戦いを宣言するに等しい。それは結びつきと交わりを拒むことである。さらに、人に与えるのはそれが強制されているからであり、受贈者は贈与者に属する物すべてに一種の所有権を持つからである。この所有権は霊的な絆として示され、そのように捉えられている。」「これらすべてにおいて、与え、受け取るという権利と義務に対応する消費と返礼という一連の権利と義務が存在している。しかし、この対称的で対立的な権利と義務の混淆については、物──これはある程度、人に結びつく──と個人や集団──これはある程度、物とされる──との間に霊的な結合の混淆があると考えれば、矛盾は解消する。」(38~39ページ)

「…そこでは、物質的、精神的生活と交換が打算的でない、義務的な形で行われている。さらにこの義務は、神話的、想像的、あるいは象徴的、集団的な方法で表現されている。しかもこの義務は交換される物に結びついた関心という形をとる。交換される物は、交換を行う者から完全に切り離されることはない。交換される物によって作られる人間の交わりや結合関係は比較的崩れない。実際に、社会生活におけるこのような象徴──交換される物に対する執着の持続──は、これらのアルカイックな類型に属する、分節化された諸社会の下位集団が互いに錯綜し、しかも、自分達が互いに義務づけられていると感じるその有様を明確に表わしている。」(93~94ページ)

「つい最近、われわれの西洋社会は人間を「経済動物」にしてしまった。しかし、今のところわれわれのすべてがこうした存在になっているわけではない。大衆においてもエリートにおいても、一般的に行われているのは純粋で非合理的な消費である。それはわれわれの貴族階級の残存の特徴である。ホモ・エコノミクスは、われわれの後方ではなく前方に見出される。道徳的な人間、義務を果たす人間と同様に、そして科学的に思考する人間、理性的な人間と同様に、長い間、人間は他のものを有していたのである。人間が計算機によって複雑化された一つの機械になってしまってから、まだそれほど時間が経過していない。」(279ページ)

 全体的な「社会」関係の中のあくまでも一つとして機能していた「経済」が突出して、それが市場システムという形であたかも一元的に「社会」を動かす原動力になっているかのように見えるのは、あくまでも「近代」という人類史の中では特殊な一時代のことに過ぎない。このように現代の市場経済を相対化していく視点はカール・ポランニーが展開した経済人類学と同じである(例えば、『経済の文明史』をこちらで取り上げた)。

 例えば、ポトラッチが取り上げられているが、面子や権威の維持という社会的ステータスに関わる動機から財の破壊=消費→功利計算に基づいて利益最大化を図るホモ・エコノミクスとは異なるロジックをとる。つまり、経済活動は社会的慣習に動機付けられていることを示している点では、ソースティン・ヴェブレン『有閑階級の理論』(→こちら)とも比較できる。見方を変えれば、ホモ・エコノミクスという人間類型そのものが現代の我々に特有な思考習慣に過ぎないと相対化することができる。

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2009年12月14日 (月)

ヴィクター・セベスチェン『ハンガリー革命1956』

ヴィクター・セベスチェン(吉村弘訳)『ハンガリー革命1956』(白水社、2008年)

 1956年、ソ連軍によって鎮圧されたハンガリー革命。一連の政治動向を前史としての第二次世界大戦から説き起こして時系列的に描き出したノンフィクションである。人物群像をこまめに拾い上げて描かれているので内容は興味深いのだが、訳文がちょっと不自然なのが残念。

 ソ連からのきびしい締め付け、常にソ連中央指導部の鼻息をうかがわねばならないラーコシは“小スターリン”として振る舞い、秘密警察による暴力と一体化した体制で恐怖政治を展開して、市民の間に不満がくすぶっていた。1956年のスターリン批判と共にラーコシは失脚して、鬱積していた不満が爆発、市民の自発的なデモが盛り上がる中、誠実な人柄で共産党幹部の中では唯一人気のあったナジ・イムレが新指導者として浮上する。ナジ自身はソ連と妥協する必要を理解していたが、民衆運動はもう抑えがきかない。結局、ソ連の軍事介入を招いてしまった(ただし、ソ連指導部内でも議論があり、ミコヤンは反対したが、強硬派に押し切られた)。アメリカは冷静構造のロジックで無視、スエズ動乱に忙殺される国連も関心を示さない。ナジ政権の閣僚だったがソ連側に寝返ったカーダールを傀儡として新政権が樹立され、ナジをはじめとした指導者たちは処刑された。

 本書でもカーダールに対しては裏切り者として評価は少々からい。本書の趣旨からははずれるが、カーダール政権の時代は依然として共産党支配が続き、とりわけ1956年の悲劇が傷としてひきずられたマイナスがある一方で、社会的・経済的には比較的安定し、ラーコシ時代との比較に過ぎないにしても秘密警察は控えめで、個人崇拝もなかったと言われる。後知恵的な言い方になってしまうが、当時の地政学的条件からしてソ連による“帝国支配”から脱け出せる見通しはほとんどなく、それにもかかわらずコントロールを失った民衆運動に引きずられて、それをまとめあげる力のなかったところにナジの悲劇があった。妥協によってソ連支配下でも一定の自立を目指した点では、ナジの果たせなかった役割をカーダールが担ったという見方も可能なのだろうか?

 なお、1956年のハンガリー革命については、以前に「君の涙 ドナウに流れ──ハンガリー1956」という映画を観たことがある(→こちら)。その時に併せてビル・ローマックス(南塚信吾訳)『終わりなき革命 ハンガリー1956』(彩流社、2006年)という本も読んだ。

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2009年12月13日 (日)

「チャイナ・パワー 第3回 膨張する中国マネー」

NHKスペシャル「チャイナ・パワー 第3回 膨張する中国マネー」

 急速な経済発展で金余りの中国。海外に投資先を探すファンドとして漢能投資集団が取り上げられる。アメリカに本拠を置く中国人投資家と某社をめぐって買収合戦、中国政府による案件審査が必要で時間遅れ、タッチの差で敗れたが、海外に広がる中国人人脈を使って巻き返しを図るところが興味深い。アメリカ企業とパートナーシップを結ぶなど活発な投資活動を繰り広げるチャイナ・マネー、しかしその威力には海外で反発もある。理由の一つとしては、中国ファンドはグローバル資本主義のロジックに則って行動しつつも、その背後に政府系企業・金融機関がついており、資源戦略という中国政府の方針が見え隠れするところが警戒心を招いているようだ。

 そういえば、先週、香港誌『亞洲週刊』12月6日号をパラパラ眺めていたら、中国国内経済についても「国進民退」か、「国進民也進」か、つまり国営企業主導で民間セクターは沈滞してしまうのか、それとも民間セクターも一緒に発展できるのか?という論点がメインになっていた。

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「倫敦から来た男」

「倫敦から来た男」

 霧が立ち込める冬の夜、波止場にイギリスから来た船が接岸する。ロンドンで大金を盗んだ男たち二人が仲間割れして一人が殺され、その現場を目撃したマロワンは、男たちの残した鞄を拾い上げた。中に入っていた大金を見たマロワンの心中にきざした変化は、やがて運命を変えていく。

 モノクロームの映像は影と光の対照を印象的な強さで際立たせる。マロワンの寒々とした心象風景を映し出しているようでいて、同時にその冷たさにはどこか抒情的な美しさすら漂う。廃墟とまでは言わないが、うらぶれた感じの街並が良い。セリフに呼応する俳優の表情や仕草、長回しのカメラワークで別々の複数の動きがスムーズに展開、注意深く見ていると一つ一つの映像構成が緻密に計算されているのが分かる。

 原作はジョルジュ・シムノンということでサスペンス映画かと思っていたのだが、そういう趣旨ではないようだ。ストーリーをたどっていくだけだと、正直なところ、眠気を催すかもしれない。むしろ、映像そのものに表われている情感をゆっくりかみしめるタイプの映画だろう。

【データ】
監督:タル・ベーラ
原作:ジョルジュ・シムノン
2007年/ハンガリー・ドイツ・フランス/138分
(2009年12月13日、渋谷、シアター・イメージフォーラムにて)

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カール・ポランニー『経済の文明史』

カール・ポランニー(玉野井芳郎・平野健一郎編訳、石井溥・木畑洋一・長尾史郎・吉沢英成訳)『経済の文明史』(ちくま学芸文庫、2003年)

・経済人類学者カール・ポランニー(Karl Polanyi、1886~1964年)のエッセンスとなる10編を集めた論文集。
・人類史を広く見渡してみたとき、市場経済は決して普遍的なのではなく、19世紀以降の近代に特有なシステムに過ぎないのではないか? こうした問題意識から文化人類学や歴史学の博識を総動員して文明論的な枠組みの中で経済史を捉える。いま我々がその中に生きていて自明視しがちな市場経済というシステムを相対化していく視点が有益である。

・もともと広い意味での「社会」の中に「経済」は組み込まれていたが、19世紀以降、「経済」が離脱→価格調節機能によって自律的となった市場経済が逆に「社会」全体を動かすようになった(すなわち、“大転換”)。本来、商品ではあり得なかった労働・土地・貨幣そのものを商品取引の対象とみなす擬制の成立→市場の価格システムの中に投げ込まれたことが契機。
・経済の変遷について「分析用具として提示する概念は、経済が、社会との関連で、社会に埋め込まれた(エンベッデッド)状態にあるか、社会から離床した(ディスエンベッデッド)状態にあるかという区別である。十九世紀における離床状態の経済は、社会のほかの部分、とりわけ政治システムと統治システムから分離独立していた。市場経済では、物的財の生産と分配は、原則として、価格を決定する市場の自動調節的なシステムをとおして行われる。それはさらに、それ自身の法則、すなわち、いわゆる需要供給の法則に支配され、飢えの恐怖と利得の希望に動機づけられる。個人を経済に参加させるような社会的状況をつくり出すのは、血縁関係や、法的強制や、宗教的義務や、忠誠心や、魔術ではなく、私企業や賃金システムなど、特定の経済制度である。」「以上はすなわち経済の領域が社会のなかで独立している十九世紀型経済である。それは貨幣的利得の衝動をその弾みとしているのであるから、動機的にも特異な経済なのである。それ自身の法則をもつオートノミーに到達している。そこには、好感手段としての貨幣の広範な使用に端を発する、社会から離床した経済の極端な事例がみられるのである。」(265~266ページ)
・「このような概念は、人類学と歴史学の事実に合致しない。交易は、ある種の貨幣使用と同様に、人類と同じくらいに古い。経済的な性格をもった出会いは古くは新石器時代から存在したと考えられるが、市場は歴史上、比較的最近まで重要性をもつにいたらなかったのである。市場システムを構成する唯一の要素である価格決定市場は、どの記録をみても、紀元前一千年紀以前にはまったく存在しなかった。」(385ページ)

・市場経済が「社会」から離床した際に、人間行動の動機も経済的なものに一元化されてしまった。「任意の動機を選び出し、その動機を個人の生産活動の誘因とするような生産組織をつくってみると、その特定の動機に全面的に心を奪われた人間像がそこに現出する。動機は宗教的なものでも、政治的なものでも、美的なものでも、さらには、誇りや、偏見や、愛や、嫉みでもなんでもよい。そうすると、人間は本質的に宗教的な、あるいは政治的な、あるいは美的な、あるいは高慢な、あるいは偏見をもった、あるいは愛にあふれた、あるいは嫉み深い人間として現れてくるだろう。それ以外の動機は、生産活動という重大事にかかわりがないことになるから、影が薄くなり、関係が遠くなる。いずれにせよ、いったん特定の動機が選ばれると、それが「真の」人間を表すことになる。」…「しかし、われわれがここで関心をよせるのは、現実の動機ではなく、仮想された動機であり、仕事の心理(サイコロジー)ではなくて、仕事の思想(イデオロギー)である。人間の本性の見方の基盤は前者にあるのではなくて、後者にある。というは、ひとたび社会がその成員に対して一定の行動を要請し、現行の制度によってその行動をほぼ強制することができるようになれば、人間の本性についての意見は、現実がどうであろうと、その理想型を反映することになるからである。そこで、飢えと利得が経済的動機と定義され、人間はそれにしたがって日常生活の行動をすると考えられるようになり、その他の動機は日常生活から切り離された、この世ばなれした動機であるかのようにみられたのである。そうなると、栄誉と誇り、市民的責務と道徳的義務、自尊心や共通の礼儀さえも、生産には無縁のものとされ、「理想」という意味ありげな言葉でまとめられることになった。」(62~64ページ)

・現在において自明視された視点で過去を意味づけてしまう“視圏(パースペクティヴ)の逆立ち”。古代史に「市場」の存在を見出そうとする際には「われわれは危険な落とし穴を注意深く避けなければならない。機能が非常に異なっていながら、発展した市場条件下における経済活動が、市場前の条件下における同様な活動に類似することがありうるからである。実は典型的に原始的な、あるいは古代的な現象に直面しているにもかかわらず、歴史家が時にこれを驚くほど「近代的」現象とみてしまうことがあった。これは「視圏の逆立ち」とでも呼ぶべきものである。市場以前と市場以後を区別することが、この「視圏の逆立ち」を避けるのに役立つであろう。」(234ページ)
・具体例:古代バビロニアにおける交易は市場活動ではなかった。アリストテレス経済論の読み直し→自給自足的共同体の維持という当時の社会的要請から価格設定の考え方を彼は示していたが、後世の史家はそれを単にアリストテレスの誤謬と片付けて問題にしてこなかった。

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2009年12月12日 (土)

「泣きながら生きて」

「泣きながら生きて」

 東京で不法就労という形ながらも懸命に働いて娘の学資のため仕送りを続ける丁尚彪さん、上海に残してきた奥さん、そして娘さん、三人の姿を十年間にわたって撮り続けたドキュメンタリー。社会派的な力みかえりはなく、むしろヒューマン・ドラマとしての内容に引き込まれた。もともとテレビ番組だったが、これを見て感動した大学生の奔走で映画館上映にこぎつけたらしい。

 丁尚彪さんは1989年に35歳で来日。文革で下放されて教育を受ける機会がなかったため一念発起、親戚知友から借金をかき集めて留学したのだという。留学先の日本語学校は北海道の寒村にあった。学資は働いて稼ぐつもりだったし、借金も返さねばならないのだが、過疎化が進む地方に仕事などない(受け入れ先はこうした留学生事情まで把握していなかった)。やむを得ず東京に出て働き始める。大学で学びたいという夢は潰えてしまった。しかし、上海に残してきた娘は進学させたい、そこに夢を託して仕事をいくつも掛け持ちしながら仕送りを続ける。念願かなって娘はアメリカ留学が決まり、トランジットで東京に降り立ったとき再会。さらに、娘に会いに行く妻ともやはりトランジットの折に再会する。13年ぶりであった。空港まで見送りに行きたいのだが、一つ手前の成田駅で降りねばならない。不法滞在のため身分証明書の提示を求められたら困るからだ。

 勉学への意欲はあったにもかかわらず、文革で挫折し、日本でも挫折し、心中にはやりきれない不条理感があったろうに、丁さんは一言も愚痴を言わない。それは前向きというのとはニュアンスが違うが、ひたむきで謙虚な姿には見ていて本当に頭が下がる。娘さんもプレシャーが大きかったかもしれないが、むしろそれが頑張る動機付けになっていたようだ。丁さん、奥さん、娘さん、三人三様に自分の背負っているものへのはっきりした想いがある。互いに負担を掛け合うこと自体が絆となり、生きていく原動力になっている家族の姿がうかがえる。

 不法就労というとネガティヴなイメージになってしまうかもしれないが、事情がやむを得ない人もいる。日本に来ている中国人も多種多様で、そうしたあたりは吉田忠則『見えざる隣人──中国人と日本社会』(日本経済新聞出版社、2009年)で読んだ。

【データ】
企画・演出:張麗玲
ナレーター:段田安則
2006年/108分
(2009年12月11日レイトショー、新宿バルト9にて)

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ジョン・グレイ『自由主義の二つの顔──価値多元主義と共生の政治哲学』

ジョン・グレイ(松野弘監訳)『自由主義の二つの顔──価値多元主義と共生の政治哲学』(ミネルヴァ書房、2006年)

・異なる価値観の共存を図るという意味でのリベラリズムには二つのタイプがある。
①理性的な合意形成を通して“普遍性”の実現を目指す“寛容”。
②それぞれの価値観の共約不可能性を前提とした価値多元主義→相互理解がなくても利害関係の妥協によって結ばれた“暫定協定”による共存。本書は②の立場。

「自由主義には二つの哲学が含まれている。一方の哲学においては、寛容が真理へと至る手段として正当化される。この見解では、寛容は理性的合意の道具であり、生の様式の多様性というものも、最終的には消え去るであろうという確信の下で認められている。他方の哲学においては、寛容は平和の条件として重んじられ、互いに異なった生の様式は、善き生における多様性の特徴として歓迎されている。前者の概念では価値に関する最終的な収斂という理念が支持されており、後者においては「暫定協定」の理念が支持されている。」(167ページ)

・異なる価値観が構想する中での妥協は個別具体的な場面でなされるものである。対立抗争のあり様が変転する中、そのつどそのつど解決を図っていくわけだが、それは政治の問題である。超歴史的な“普遍的価値観”に基づく原理原則に解決法を求めることなどできない。抗争しあう価値観→政治的な妥協による調整=“暫定協定”によって共存→調整は国家の役割→ネオ・ホッブズ主義。
・「重要なのは、諸価値間の抗争をどれほど交渉可能なものにしたか、なのである。あらゆるレジームにとって正当性の試金石となるのは、諸価値間での──対抗的な正義の理念も含めた──抗争の調停を成功させることなのである。」(206ページ)
・「あらゆる歴史上の状況に適用できるような正当な政治レジームの基準を希求することは無益である。善や悪のなかには属性として人間的なものもある。しかし、人間の歴史の諸状況は、普遍的な諸価値を政治的正当性についての普遍的な理論へと翻訳するには余りにも複雑、かつ、流動的である。」「この点で、政治哲学は不可避的に歴史に拘束を受けるものなのである。」(168ページ)
・「無秩序は、正義が強制という人工物であるという事実を明らかにする。無秩序が存在するところでは、いかなる権利も存在しない。」「正義と権利はつまるとこり、力によって裏づけられた慣習なのである。」「人権擁護の第一の条件は、効果的な近代国家である。強制力なくしてはいかなる権利も存在せず、いかなる種類の快適な生活も不可能なのである。」(204~205ページ)
・「…「暫定協定」は政治的な企図なのであり、道徳的な理念ではない。妥協を万人が従うべき理想として説いたりはしない。」「「暫定協定」の追求は何らかの種類の超越的な価値を求めるものではない。対抗的な価値の主張が調停されうるような共通の制度へのコミットメントなのである。」「ホッブズ的な国家は個人の信念に至るまで無関心という徹底的な寛容を広げるのである。ホッブズはそれゆえに、「暫定協定」を中核とする自由主義思想の伝統の元祖なのである。」(36~37ページ)
・「宗教的であれ政治的であれ、強固に普遍主義的な道徳は幻想であるということが、価値多元主義の意味するすべてである。」(209ページ)
・「政治哲学において、恒久的な真理はほとんど存在しない。」「政治哲学の目的は、より幻想の少ない実践へと回帰することである。我々にとってこれは、正義、および、権利の諸理論が政治のアイロニーと悲劇から救い出してくれるという幻想を放棄することを意味する。」(214ページ)

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2009年12月11日 (金)

フリードリヒ・A・ハイエク『隷従への道』

フリードリヒ・A・ハイエク(一谷藤一郎・一谷映理子訳)『隷従への道』(改版、東京創元社、1992年)

 ドラッカー『「経済人」の終わり』は第二次世界大戦直前に書かれたファシズム批判の書だが、先日これを読んでいたら(→こちら)、ハイエクと同じような考え方が示されていたので、久しぶりに『隷従への道』を再読した。読み直してみて初めて気付いたのだが、本書中でもドラッカーが時折引用されている。

 ハイエクの議論の前提には、一人一人の個人としての尊厳への揺るぎない確信がある。すなわち、「独立、自助、すすんで危険を負担しようとする気風、多数と対立する自分自身の信念を曲げぬこと、自発的に隣人と協力しようとする気持などは、個人主義社会の運営が基調とするものである」。対して、集産主義(社会主義やナチスなど個人よりも全体を優先させる体制)は「それらの美点を破壊して、その空虚をただ服従の要請と集団的に善と決められるものを行うことを個人に強制することによって満たそうとするのである」(268ページ)。

 合理的な“理性”によって目的設定・組織化を行なう計画化の問題点に議論の焦点が合わされる。計画というのは社会の隅々まで整合的でなければ成り立たない。ところが、近代社会の複雑さに一貫した計画を押し付けようとするとあちこちで無理が生ずるばかりか、その無理を押さえつけようと権力が発動されて個人は抑圧され、計画を策定する者が独裁者になってしまう。彼は経済面ばかりでなく、一人一人の価値観、生き方まで統制しようと図る。「…社会を計画化することを最も熱望する人々は、彼らがそうすることを許されるときには、最も危険な人物となり──そして他人の計画化に対しては最も狭量な人物となる。聖者のような単純な理想主義者と狂信者とはほんの紙一重の差である」(71ページ)。

 本書の論旨は明快で、次の問いに集約される。

「すなわちこの目的のためには強制権をもっているものが、各個人の知識と創意に最大な活動の余地を与えて、彼らが最もうまく計画化できるような状態をつくり出すところに、一般的にとどまることがよりよいかどうか、あるいは諸資源の合理的利用はある意識的につくられた「青写真」にしたがって、すべての活動を中央が指導し、組織化することを要するかどうか、ということになる。」自由主義者による「計画化への反対を、独断的な自由放任主義的態度と混同してはならない。人間の努力を統合する手段として競争の力を最大限に利用することを認める自由主義論は、事柄をあるがままに放っておこうとするものではない。自由主義論は競争が有効に行われるときには、他のいかなるものよりも個人の努力をよく指導するという信念を基礎としているのである。それは競争が有利に行われるためには、慎重に考えつくされた法的構造が必要であること、ならびに現行の法規も過去の法規も重大な欠点をもっていないものはないことを否定しないで、むしろ力説さえするのである。」(48~49ページ)

 誰からも理不尽な支配を受けたくないという人間として自然な感覚が基本である。ボルシェヴィズムやファシズムなど全体主義が台頭するのを目の当たりにしていたというリアリティーがハイエクにはあり、その意味で問題意識は痛切なものであった。“自由”を強調するにしても、目線がどこにあるかによって議論の質は大きく異なってくる。例えば、経済競争力強化の手段としての市場原理→自由化という国家単位の思惑の中でハイエクを援用する議論も見受けられる。しかし、ロジックの形式的なあり方は同じであっても、国家の経済活性化という上から目線による目的に向けて個人をコマとして位置付けている点では、実はハイエクとは議論の出発点が相違するように思われる。あるいは、法も国家もすべてなくしてしまえば「神の見えざる手」でうまくいくんだという極論すらあるが、これは単に思慮がないというだけの話である。

「自由主義の基本原理は、それを一定不変の教義とするようなものを何も含んでいない。そして決定的に厳重な規則もない。事象の秩序付けに際し、社会の自発的な力をできるだけ多く利用し、強制に訴えることをできるだけ少なくするという基本原理は、その適用をかぎりなく多様化することができる。特に競争のできるだけ有利に働く体制を慎重につくり出すことと、あるがままの制度を受動的に受け入れることとの間には非常な違いがある。ある大ざっぱな規則、特に自由放任の原則に関して、一部の自由主義者が行った頑迷な主張ほど、自由主義を傷つけたものはおそらくないだろう。」(24ページ)

 出発点は個人であり、その創意工夫をいかに自由に発現させるか。そして分業のシステムが張り巡らされた複雑な近代社会において、その調整をいかに進めていくか。独裁者に全権を委ねると場当たり的で恣意的な権力を振るいかねない。調整役には“競争”が最適である。競争には多くの人々の思惑が絡まるが、それらのせめぎあいの中から一定の落としどころが見出される(→いわゆる“自生的秩序”の議論につながる)。それは具体的な誰の意志でもない、その意味で非人格的な性格を帯びる。「競争と正義は共通なものをほとんど何ももっていないけれども、人を不当に差別扱いするものでないという点において、競争は正義と同じような美点をもっている」(132ページ)。そして、競争のルールを監督する公正な裁定者としての役割は国家に期待される。

「国家は一般的な状態に適用される規則を制定するにとどめ、時と所の事情に依存する、あらゆる事柄の自由を個人に認むべきである。というのは、個々の場合に関係のある個人のみがこのような事柄を知りつくし、その行動をその事柄に適応させることができるからである。個人が計画をたてる際に、彼らの知識を有効に利用することができるとすれば、個人はこれらの計画に影響をおよぼす国家の行動を予言することができなくてはならない。しかし、国家の行動が予言可能なものであるためには、国家の行動は、予言することも、前もって考慮に入れることもできない具体的な事情と無関係に定められた規則によって決められなければならない。」(98ページ)

 個人対個人のぶつかりあいを競争というシステムによって調整していく、そうした形で個人の自由と社会全体の秩序を両立させようとした思想として捉えることができるように思う。そうしたならば、例えば貧富の格差が一人の努力では回復不可能なほど広がってしまった場合、彼らを競争のフィールドに復帰させるという趣旨で国家による救済措置が図られたとしても、それはハイエクのロジックに十分収まるのではないか(ただし、救済措置そのものが常態化→特権享受者の出現という問題が常に考慮されねばならないが)

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2009年12月10日 (木)

P・F・ドラッカー『ネクスト・ソサエティ』、ロバート・B・ライシュ『勝者の代償』

 P・F・ドラッカー(上田惇夫訳)『ネクスト・ソサエティ』(ダイヤモンド社、2002年)は現在進行形の経済社会の見通しを語る論文やインタビューをまとめている。製造業→知識社会という移り変わりの中、自分の専門分野を持った知識労働者が主役。①ボーダーレス、②万人に教育が行渡る→誰でも階層上昇の可能性あり、③競争が激化するため成功と失敗が並存(競争によるストレス)を指摘。①と③はともかく、②についてはうまくいっておらず、出発点の不平等→階層格差拡大という問題は周知の通り。経済社会における個人の役割に注目するのがドラッカーの視点で、都市におけるコミュニティー不在という問題意識→かつて『産業人の未来』で職場コミュニティーに期待を寄せたが、実際にはうまくいかなかったと語る。

 ロバート・B・ライシュ(清家篤訳)『勝者の代償』(東洋経済新報社、2002年)は、ドラッカー言うところのネクスト・ソサエティがもたらすマイナス面に焦点を合わせる。かつてのオールド・エコノミーは安定的で予測可能な経済関係のもとで大規模生産を可能にしていた。対してニュー・エコノミーにおいては、選択肢が大幅に広がり、取引が簡単なのですみやかな切り替えが可能→売り手は顧客を失うまいと焦って競争が激化→果てしない技術革新のダイナミズムを生み出している。しかし、見通しが不確実であること自体が標準化。企業組織においても雇用関係が変化、企業間競争がスピードアップする中で被雇用者への制度的な保証がゆるむ。個人レベルで落伍したくないという競争圧力が強まり、絶え間ない努力が求められ、不平等が拡大、ストレスフルな雇用形態。取引関係の中で自分を売り込んでいく「市場志向型人間」が経済社会の中心となる。ちなみに、著者のライシュ自身が仕事が忙しすぎて家族と過ごす時間を取れないのがつらいと言って仕事(クリントン政権の労働長官)を辞めている。

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2009年12月 9日 (水)

ピーター・F・ドラッカー『「経済人」の終わり』『産業人の未来』『傍観者の時代』『知の巨人ドラッカー自伝』

 正直なところ、ビジネス書の類いは私の肌に全く合わない。マネジメント論の神様とも言うべきピーター・F・ドラッカー(Peter Ferdinand Drucker、1909~2005年)も食わず嫌いだったが、その印象が変わったのは2005年に日本経済新聞で連載された「私の履歴書」を読んだときだった。この連載は『知の巨人ドラッカー自伝』(日経ビジネス人文庫、2009年)としてまとめられている。

 ドラッカーはハプスブルク帝国の末期、ウィーンで政府高官の息子として生まれた。若き日々に何らかの形で出会った人々の中にはジグムント・フロイト、トーマス・マン、ヨゼフ・シュンペーター、フリードリッヒ・ハイエク、トマーシュ・マサリク、カール・ポランニーなど錚々たる顔触れが並ぶ。ドラッカーの業績がどのようなものかという以前に、こうした知的雰囲気に育ったのは一体どんな人なのだろうという関心が先に立った。

 『傍観者の時代』(ドラッカー名著集12、上田惇夫訳、ダイヤモンド社、2008年)は、ウィーンでの若き日々に薫陶を受けた人々、第二次世界大戦勃発まで歩き回ったヨーロッパでの出会い、移住先アメリカの学者や経営者たち──ドラッカーの歩みの中で出会った有名無名様々な人々の思い出をつづっている。当時の時代的雰囲気がうかがわれるだけでなく、人物描写が生き生きとしているので読み物としても面白い(なお、ポランニー兄弟のうち、経済人類学者のカール、『暗黙知の次元』で知られた科学哲学者マイケルは有名だが、長兄のオットーはイタリアで実業家となってムッソリーニに影響を与えたこと、姉のモウジーは農村社会学に取り組んでいたことは初めて知った)。

 ドラッカーはドイツで新聞記者として出発。ちょうどナチス台頭の時期にあたり、取材活動の中でヒトラーやゲッベルスにインタビューしたこともあったという。1939年にアメリカへ移住。戦後、コンサルタントとしてGMの調査を請け負ったことをきっかけとしてマネジメント論を展開する。当時はまだ経営学というジャンルは確立されておらず、企業のビジネス活動が対象ではあっても数式を使っていないので経済学とはみなされず、かと言って行政学・政治学とも違うという中途半端な立場だったらしい。

 マネジメント論で著名となるドラッカーだが、戦争中にデビュー作として刊行した1939年の『「経済人」の終わり』(ドラッカー名著集9、上田惇夫訳、ダイヤモンド社、2007年)、1941年の『産業人の未来』(ドラッカー名著集10、上田惇夫訳、ダイヤモンド社、2008年)とも、いずれも政治的テーマの論文であったというのが興味深い。

 彼は理性万能主義に対する懐疑としてのリベラルな保守主義に立脚し、この立場から全体主義を批判する姿勢を上掲の二冊を通して明確に打ち出した。また、彼は社会的関係の中で自らの役割を求める存在として人間を捉える(こうしたテーマを現代社会で身近な企業組織のあり方として論じていくのが、実は経営学の勘所であろう)。一人一人の個人としての役割を考えてみるとき、自らの責任によって意思決定を行なうという、そもそも“自由”なる概念の本質は閑却できないわけで、社会的な関係性の中でもそれは決して従属的なものではあり得ない。こうした考え方が、さらに分権化、民営化というテーマにもつながっていく。

 『「経済人」の終わり』は、「経済人」モデルの行き詰まりがナチスを招き寄せたという論点を提示する。経済発展を通して個人の自由と平等を実現し、その個人は経済関係を通して社会的な位置を占める。こうした個人モデル=「経済人」を前提とした資本主義は、社会的不平等が広がっても、いつかは個人の自由や平等が実現されるはずだという期待があってはじめて成り立っていた。社会全体が生活水準の向上を実感しているうちは良かったが、やがて破綻、しかし社会的格差は拡大を続ける。人々は幻滅し、そうした反発を吸い寄せたのが、脱経済至上主義的なファシズムであったとされる。ナチスは「英雄人」という役割を社会のすべての構成員に割り振るが、それは軍国主義的なものであった。こうした形で資本主義の行き詰まりを防げなかった以上、現在の経済社会の基礎を前提としつつも、自由と平等を保証できる新たな脱経済至上主義的な方向を模索しなければならないという問題意識を示した。

 『産業人の未来』は、以上の問いを受けて、自らの社会的役割を求める個人が集まった社会として有効に機能させるために産業社会の構築という考え方を示し、とりわけアメリカで見出した株式会社という組織に注目する。ブルジョワ資本主義も、マルクス社会主義も、財産の所有に社会的権力の裏付けを求める点では同じであり、誰が所有するのかが違うというに過ぎなかった。資本主義社会において株式会社は株主の所有物である。ところが、バーリ=ミーンズの議論が示すように、所有と経営の分離が実際には進行しており、株式会社自体が自律的な組織として成立している(ゴーイング・コンサーン)。株式会社がいわば社会学的な中間団体となり、その中で経営者と労働者が役割分担をしていく(それを円滑に進めるためにマネジメント論が要請された)。役割分担がうまくいってはじめて社会は有機的に機能する。個人がバラバラのままだったら、政治権力が直接統合に乗り出して奴隷制を作り出してしまう。ドラッカーはこうした社会的“自治”の観点から株式会社組織を捉えていたと言える。

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2009年12月 8日 (火)

オルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』

オルテガ・イ・ガセット(神吉敬三訳)『大衆の反逆』(ちくま学芸文庫、1995年)

 学生のときから何度か読み返してきた本。あちこち書き込みがあったり、手垢で茶色くなったり、もうヨレヨレだな。“大衆”と“高貴な者”、“選ばれた者”という対比は時に誤解を招きやすいが、これは現実の社会階級を指すのではなく、一人一人の生き方の問題、精神的な態度の問題であることを前提としておさえておかないと全体の論旨を捉えそこねてしまうので要注意。

・“大衆”と“高貴な者”、“選ばれた者”。

「大衆とは、善い意味でも悪い意味でも、自分自身に特殊な価値を認めようとはせず、自分は「すべての人」と同じであると感じ、そのことに苦痛を覚えるどころか、他の人々と同一であると感ずることに喜びを見出しているすべての人のことである。」「選ばれた者とは、われこそは他に優る者なりと信じ込んでいる僭越な人間ではなく、たとえ自力で達成しえなくても、他の人々以上に自分自身に対して、多くしかも高度な要求を課す人のことである。」人間の二つのタイプ→「第一は、自らに多くを求め、進んで困難と義務を負わんとする人々であり、第二は、自分に対してなんらの特別な要求を持たない人々、生きるということが自分の既存の姿の連続以外のなにものでもなく、したがって自己完成への努力をしない人々、つまり風のまにまに漂う浮標のような人々である。」(17~18ページ)
「なんらかの問題に直面して、自分の頭に簡単に思い浮かんだことで満足する人は、知的には大衆である。それに対して、努力せずに自分の頭の中に見出しうることを尊重せず、自分以上のもの、したがってそれに達するにはさらに新しい背伸びが必要なもののみを自分にふさわしいとして受け入れる人は、高貴なる人である。」(95ページ)

・大衆は“凡俗”であることを恥じ入るのではなく、“凡俗”であることを正当だと開き直る。ネットという媒体が普及して、誰でもその時の思いつきで無責任に書き散らかすことができるようになって、以下の傾向はますます強まっているな。

「…今日では、大衆は、彼らが喫茶店での話題からえた結論を実社会に強制し、それに法の力を与える権利を持っていると信じているのである。わたしは、多数者が今日ほど直接的に支配権をふるうにいたった時代は、歴史上にかつてなかったのではないかと思う。」「…今日の著述家は、自分が長年にわたって研究してきたテーマについて論文を書こうとしてペンをとる時には、そうした問題に一度も関心を持ったことのない凡庸な読者がもしその論文を読むとすれば、それは論文から何かを学ぼうという目的からではなく、実はまったくその逆に、自分がもっている平俗な知識と一致しない場合にその論文を断罪せんがために読むのだということを銘記すべきである。」…「今日の特徴は、凡俗な人間が、おのれが凡俗であることを知りながら、凡俗であることの権利を敢然と主張し、いたるところでそれを貫徹しようとするところにあるのである。」(21~22ページ)

・いまここに厳然としてある自分はどうやっても他の存在にはなれない。どんな壁が立ちはだかったとしても、自分の負っている一切を引き受けた上で(ニーチェ風に言うと「運命愛」か)、ギリギリまで自己を突き放してひたむきにぶつかっていくこと。

「生は自己の世界を選ぶことはできない。生きるということは、一つの特定の交換不可能な世界、つまり現在のこの世界の中に自己を見出すことである。われわれの世界は、われわれの生を構成する宿命の広がりなのである。しかし、この生の宿命は、機械的なそれとは異なったものである。われわれは、軌道があらかじめ完全に決定されている鉄砲玉のように、存在の世界に撃ち出されたのではない。われわれがこの世界──世界はつねにこの世界、現在のこの世界である──に落ち込むことによってはまり込む宿命というものは、まさにその逆である。われわれは一つの軌道を課せられるかわりに、いくつもの軌道を与えられ、したがって、選択することを余儀なくされているのである。われわれの生の状況とは、なんと驚くべき状況であろうか。生きるとは、この世界においてわれわれがかくあらんとする姿を自由に決定するよう、うむをいわさず強制されている自分を自覚することである。われわれの決断には、一瞬たりとも休むことが許されていない。したがって、われわれが絶望のあまり、ただなるがままにまかせる時でさえ、われわれは決断しないことを決断したといえるのである。」(65ページ)
「生とは有為転変である。生とは、文字通りドラマなのである。」(110ページ)
「生というものは、われわれがその生の行為を不可避的に自然な行為と感じうる時に初めて真なのである。」「不可避的な場面から成り立っている生以外に、自己の根を持った生、つまり真正な生はない。」(260ページ)

・技術的にも、経済的にも、社会的にも、近代文明はあらゆる可能性を広げた。それを先人が今まで孜々として作り上げてきた努力へは敬意が払われてしかるべきだが、大衆=平均人はそうしたことに何ら顧慮することなく空気のように当然だと思い、その文明の成果を使うにやりたい放題。人は限界にぶつかり、その限界を克服しようという努力の中で自身の何たるかをつかみとっていくものだが、対して凡庸人は、限界を知らないから無責任に気まぐれをやりちらかす。凡庸人の自己充足的な思い上がり→「慢心しきったお坊ちゃん」の時代。

・科学の細分化→科学者は自分の専門分野については詳しいが、他分野には関心がない。それでも自分は学者であるという自意識→自分の知らない分野にも発言しようとする思い上がり。「今日、かつてないほど多くの「学者」がいるにもかかわらず、たとえば一七五〇年ごろよりもはるかに「教養人」が少ない。」(161ページ)
(※科学の細分化→全体を見渡す智慧がない→現代の核開発や環境問題などのように科学技術の成果としてもたらされた不安定性、という論点へと進めれば、ウルリヒ・ベックやアンソニー・ギデンズたちのリスク社会論にもつながる)

・オルテガなりの「生の哲学」的観点から「国民国家」を把握。所与の条件で拘束された共同体ではなく、目標があるからこそ集まった人々による協働事業。エルネスト・ルナンの表現を援用すれば、それは未来へ向けた日々の人民投票である。

「国家というものは、出生を異にするもろもろの集団が共存を強制される時に初めて生まれるものである。この強制は、むき出しの暴力ではなく、ばらばらの集団に提示された一つの共通の課題、一つの督促的な計画を前提としたものである。国家とは何よりもまず一つの行為の計画であり、協同作業のプログラムなのである。人々が呼び集められるのは、一緒に何かをなさんがためである。国家とは、血縁関係でもなければ、言語的統一体でも領土的統一体でもなく、住居の隣接関係でもない。国家とは、物質的で、生気のない、所与の、限定されたものとはおよそ正反対のものである。それはダイナミズムそのもの──共同で何かをなそうとする意志──であり、ゆえに国家という観念は、いかなる物理的条件の制約ももっていないのである。」「国家は一つの事物ではなく、運動である。国家は、つねに…から来て…へ向かって行くものである。国家はすべての運動がそうであるように、起点(terminus a quo)と目標(terminus ad quem)をもっている。」(233ページ)
「共通の血、言語および過去は静的で、宿命的で、硬化した無気力な原理であり、牢獄である。もし国民国家がそれらのみに存するとすれば、国民国家とはわれわれの背後にあるものであって、われわれとしてはなすべきことは何もないだろう。つまり、国民国家とはかくあるものであって、かく形成するものではなくなってしまうだろう。」「人間の生は、望むと望まざるとにかかわらず、つねに未来の何かに従事しているのである。われわれは今の瞬間にありながらそこから来るべき瞬間に気を配るのである。だからこそ、生きるということは、つねに休むことも憩うこともない行為である。なぜ人々は、あらゆる行為は、一つの未来の実現であることに気づかなかったのだろうか。」(247ページ)
「国民国家はけっして完結することはない」。「国民国家はつねに形成の途上にあるか、あるいは崩壊の途上にあるかのいずれかであり、第三の可能性は与えられていない」。「その国家がその時々において生き生きとした企てを象徴するか否かによって、支持を獲得しゆくかあるいは支持を失っていくかのいずれかなのである。」(251~252ページ)

(※思いっきり蛇足になるが、『坂の上の雲』の時代というのはこんな感じだったんだろうな)

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2009年12月 7日 (月)

西水美恵子『国をつくるという仕事』、東大作『平和構築──アフガン、東ティモールの現場から』

 西水美恵子『国をつくるという仕事』(英治出版、2009年)の著者は元世界銀行のエコノミストで主に南アジアを担当、副総裁も経験した。貧困の現場を自ら歩いてまわり、可能な場合には農村にホームステイして一緒に働き、あるいは政治指導者と困難な政治交渉を進めたり、そのようにして出会った人々のこと、そして出会いを通して考えたことをつづっている。国際法上、世界銀行の株主は加盟国の国民とされているという。この大前提から発展途上国が必要とする事業に融資するのが仕事である。世銀にしてもIMFにしても、欧米発の“グローバル・スタンダード”押し付けという悪評をよく耳にするが、著者は現地で実地に活動する人々から智慧を借りるのだという姿勢を繰り返し強調している。いくらインフラが物理的に整備されても、汚職が蔓延していたら有効に機能しない。どんなに働いても特権階層に搾り取られてしまうだけなら、働くインセンティヴなど消え失せてしまう。結局、貧困解消の問題はガバナンスの問題に行き着く。そして、ガバナンスはリーダーシップによって左右される。例えば、パキスタンのムシャラフ前大統領はクーデターをおこした軍人として海外での評判は芳しくなかったが、民主主義とは名ばかりで政党政治を私物化するブット、シャリフ両家の政争に堕したバッド・ガバナンスを目の当たりにしていた著者は、(最初は警戒していたものの)ムシャラフの改革志向の生真面目さにはむしろ好感を抱いていた。とりわけ、ブータンの雷龍王四世の謙虚さにはいたく敬服している様子である。

 ついでながら、以前、辺境のガンディーことアブドゥル・ガファル・カーンを取り上げたが(→こちら)、彼の名前を初めて知ったのも二、三年ほど前に日本経済新聞に掲載された西水さんのエッセイだった。アフガニスタン滞在中に彼のことを聞いたらしい。

 内戦で崩壊した政府を再建するにあたり、その根拠として国際管理下で選挙が実施される。しかし、民族対立、腐敗構造、貧困など阻害要因をそのままにして選挙だけ実施してもガバナンスがうまくいかないことはよく指摘されている(例えば、Paul Collier, Wars, Guns, and Votes: Democracy in Dangerous Places, HarperCollins, 2009を以前に取り上げた→こちら)。

 東大作『平和構築──アフガン、東ティモールの現場から』(岩波新書、2009年)は、新政府確立において前提となる“正統性=レジティマシー”(Legitimacy)をいかに形成するのかという問題意識を示す。新たにルールや制度をつくる場合、それに人々が従う動機として、①軍事・警察力による強制、②利害計算と共に③レジティマシーを挙げている。「レジティマシーとは、人々にルールや、そのルールを作り出す組織に従うことを動機づける内的な力である。レジティマシーがあると感じるとき、人々は強制ではなく、自主的にそうしたルールに従う」という。例えば、選挙に敗れても野党としての立場を受け入れるのは選挙についてのレジティマシーがその社会に行き渡っているからである。平和構築のプロセスにおいては、①国連など公正な第三者の関与、②反政府勢力を含め広範な勢力を政治過程に参加させる、③現地の人々の主体的な参加、④経済的・社会的状況の改善(平和の配当)によって生活の安定化、⑤軍事力をどのように使うのかという問題、などが見出せる。これらの要因を踏まえて、当事者全体がルールを受け入れるプロセスが繰り返されて、ようやくレジティマシーが確立される。こうした問題意識を踏まえたケース・スタディとしてアフガニスタン、東ティモールでの現地調査を行なっている。

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2009年12月 6日 (日)

「カティンの森」

「カティンの森」

 冒頭、橋の両側から難民が押し寄せてきて鉢合わせするシーンが象徴的である。「どこへ行くつもりだ? ドイツ軍がそこまで来ているんだぞ!」「知らないのか? 昨日、ソ連軍が攻め込んできたんだ!」

 ヒトラーとスターリンの秘密協定によってポーランド分割はすでに決まっていた(18世紀以来で4度目!)。両大国に挟まれて翻弄される宿命。人によっては、「自由なポーランドなどあり得ない」という諦念。“カティンの森”も両大国のプロパガンダ合戦に利用される中、肝心のポーランド人自身はこの事件について言及すること自体がタブーとなってしまった。

 アンジェイ・ワイダの軍人であった父親も“カティンの森”事件でソ連軍によって殺害されている。早くから映画化の情熱を持っていたものの、共産党支配下ではどうにもならなかった。父親が殺害されたことばかりでなく、その事実が隠蔽されねばならなかった現代史の成り行きそのものに対しても二重の無念を抱えていた。真実を掘り起こし、彼自身の表現手段である映画を通して訴えかけたい、そうした思いが実を結ぶのはようやく世紀がかわってからのことである。

 スターリンは、かつてソ連軍がピウスツキ将軍率いるポーランド軍によって敗れたことからポーランド軍将校に対して忌避感を持っていたが、そればかりでなく、将校も含めてポーランド指導層を根絶やしにすることで権力の空白状態を生み出し、そこにソ連帰り組を送り込もうという意図があったとも言われている。同様の思惑はナチス・ドイツも抱いており、この映画でもドイツ占領下クラクフの大学教員が一斉拘束されるシーンによって示されている。

 ポーランド軍将校であった夫がソ連の収容所へ送られ、大学教授であった義父がドイツの収容所へ送られ、残された家族の視点がこの映画の主軸となる。生きているはずだという期待が次第に疑いへと変わり、時には妄想にもなり、そして現実によってすべてが無残にも打ち砕かれてしまう。愛しい人が二度と戻らないという事実ばかりでなく、そのことについて虚偽のプロパガンダに従わねばならないという不条理。こうした心理的苦境は、ワイダ自身の家族のものだったのだろう。

 歴史の隠蔽はポーランド人の協力者によっても行なわれたわけだが、その共犯関係を一方的に非難してしまうのも酷かもしれない。生き残るためにはやむを得ないというあきらめ。しかし、矛盾に引き裂かれた苦悩。ソ連軍の捕虜となったが協力して無事帰国した友人の将校は自殺してしまう。

 発見された虐殺死体の検証場面など当時の記録映像も使われるが、映画の最後でソ連軍による組織的殺戮のあり様が再現される。そして映像は暗転し、静けさの中から黙祷を捧げるかのように流れるのはペンデレツキの「ポーランド・レクイエム」。この映画自体がワイダによるポーランド現代史へのレクイエムである。

【データ】
原題:Katyn
監督:アンジェイ・ワイダ
原作:アンジェイ・ムラルチク
音楽:クシシュトフ・ペンデレツキ
2007年/ポーランド/122分
(2009年12月6日、岩波ホールにて)

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「千年の祈り」

「千年の祈り」

 アメリカの大学図書館で働くイーランのもとへ北京から父が訪れた。離婚した彼女が落ち込んでいるのではないかと気遣う父。しかし、詮索するような父の態度に反発する娘。

 先日、原作小説を読んだときにも触れたが(→こちら)、中国語は母国語なのに自分の感情をうまく表現できない、だから英語を使うと違う自分になれるの!というセリフがストーリー上の一つの勘所となる。語られるのは建前であり、心にわだかまる心情は沈黙の中に押し殺すしかない、そうした監視社会の中で、お父さん、あなた自身が本当のことを話してくれなかったじゃない!という反発。

 父は娘の知らなかった過去のことを語る。部屋の壁を隔てて一人語りするシーンが印象的だ。気持ちを打ち明けるような話し方に慣れていない彼の戸惑いを表わしているのだろうか。その話には文革の影もほのめかされるが、あまり政治に引き寄せた解釈をしてしまうのも無粋かもしれない。例えば食事のシーンをはじめ、父と娘の関係を、ふとした仕草からこまやかに写し取っていく演出の方に目が引かれる。

 一生懸命に英語を勉強したり、亡命イラン人のおばあさんと言葉はほとんど通じないのに心を通わせたり、生真面目で朴訥とした好々爺ぶりを演ずる父親役ヘンリー・オーが実に良い感じだ。何となく小津安二郎「東京物語」の笠智衆を思い浮かべた。娘のイーラン役フェイ・ユーは、清潔感のある憂い顔が美しい。

【データ】
監督:ウェイン・ワン
原作・脚本:イーユン・リー
2007年/アメリカ・日本/83分
(2009年12月5日、恵比寿ガーデンシネマにて)

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「曲がれ! スプーン」

「曲がれ! スプーン」

 マンネリ超常現象番組のADの桜井米(長澤まさみ)はディレクターに言われてネタ探しで田舎まわり。インチキ・エスパーばかりでうんざりしながら、待ち合わせで入った喫茶店。ちょうどそこでは、本物のエスパーたちがパーティーの真っ最中。正体がばれるのをおそれている彼らは、自分たちの能力を隠そうと話の辻褄合わせにあくせくする、というシチュエーション・コメディー。なかなか面白かったが、映画がというより、オリジナルの舞台が面白いということだろう。

 舞台作品を映画に仕立て直すケースは結構多いが、これもヨーロッパ企画という劇団の舞台らしい。エスパーたち6人の掛け合いなど明らかに舞台風の台詞回しである。本広克行が映画化した舞台作品としては以前にジョビジョバの「スペーストラベラーズ」を観た覚えがある。この手のものではやはり三谷幸喜が好きだな。最近観たのでは古沢良太が脚本を書いた「キサラギ」も面白かった。

【データ】
監督:本広克行
脚本:上田誠
2009年/106分
(2009年12月5日、新宿バルト9にて)

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2009年12月 5日 (土)

「ウェイヴ」

「ウェイヴ」

 1960年代、アメリカのある高校で“独裁”をテーマとした実験授業が行なわれ、生徒たちが暴走してしまった事件があったという。これを現代ドイツに置き換え、人間の集団行動がはらむ、ある意味で意図せざる展開を描こうとした映画である。

 独裁→ナチス→ドイツという連想は陳腐というのを通り越して偏見ですらあるが、生徒たちも「またそれかよ」という感じに食傷気味である。教師は「現代ドイツで独裁なんてあり得ないと言うが、本当にそうなのか?」と問いを発する。

 教育目的のロールプレイングである。しかし、指導者の選出(教師自身が指名された)、規律、制服、敬礼(波型のサイン)、ロゴマークと集団表象をみんなで実践していくうちに、仲間としての団結意識が芽生える一方で、異端者の排除、集団外への自己顕示的暴力性といった形でエスカレート、その中に巻き込まれた教師自身も崇拝されることに満更でもない気分になってくる。指導者への熱狂的献身の態度を示した青年には彼自身の疎外感が起因していることがほのめかされ、さらには社会的な不満がこうした集団現象に結び付く可能性が示される。政治現象の一つの縮図を描き出しているようで興味深い。

【データ】
原題:The Wave/Die Welle
監督・脚本:デニス・ガンゼル
2008年/ドイツ/108分
(2009年12月4日レイトショー、シネマート新宿にて)

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2009年12月 4日 (金)

ヴェブレン『有閑階級の理論』

ソースティン・ヴェブレン(高哲男訳)『有閑階級の理論』(ちくま学芸文庫、1998年)

 ソースティン・ヴェブレン(Thorstein Veblen、1859~1929年)は十九世紀末から二十世紀初頭にかけて消費文化を謳歌し始めたアメリカ社会を観察した経済学者。この本は裏面から人間存在を捉えた、考えようによっては実にひねくれた経済思想というだけでなく、一種の文明批評としても面白いので、何度か読み返している。

・「制度の進化に関する経済学的研究」というサブタイトルがついている。法的なものばかりでなく、慣習やものの考え方というレベルにおいて、その社会に生きる人間の行動パターンを規定している一連の枠組みを「制度」(institutions)と表現している。「制度とは、実質的にいえば、個人や社会の特定の関係や特定の機能に関する広く行きわたった思考習慣なのである」(214ページ)。
・需要→供給という因果関係に還元して経済活動を捉えるのではなく、こうした「制度」に内在するロジックに沿って人々が振舞っている活動として経済を把握する(この延長線上にいわゆる制度派経済学がある)。社会システムのあり方は時代によって違うようにも見えるが、そこに通底する「制度」の基本パターンには意外と古代からの思考習慣が残存しているとヴェブレンは言う。「人間が手引きにしつつ生きてゆく制度──すなわち思考習慣──というものは、先立つ時代、つまりかなり遠い昔からこうして引き継いできたものだが、いずれにしてもそれは、過去の間に精緻化され、過去から受け継いだものなのである。制度は過去のプロセスの産物であり、過去の環境に適応したものであり、それゆえ、決して現在が要求しているものに完全に一致することはない。」人間の生きる環境は日々変化→適応の繰り返しで、「制度」が現在に追いつくことはない。「発展の第一歩が踏み出されたとき、この第一歩それ自体が、新しい適応を要求する状況の変化を引き起こす。それは、いつ果てるともなく続く適応への、新しい一歩を踏み出すための出発点となる」(215ページ)。
・具体的には、野蛮時代の名残としての「略奪的文化」を指摘。支配する強者と服従する弱者という関係である。勤労は受動的、英雄的行為は自分自身の目的を追求するものという対比(23ページ)は、ハンナ・アレント『人間の条件』で見出された古代ギリシアのポリスにおける奴隷と自由人との対比を思わせる。
・時代が進み、具体的な暴力行為が影を潜めても、この「略奪的文化」の思考習慣は人々の頭の中に残っており、支配する強者は自らの優越を何らかのシンボルによって弱者に対して誇示しようとする。戦争ではなく経済活動が競争の手段となった近代社会において、優越性のシンボルは富の蓄積によって示されるようになった。
・有閑階級→生産活動はしない→彼らのために奉仕する被支配者がいることの証し。「閑暇」とは怠け者を指すのではなく、自ら体を動かすという意味での生産活動には携わらないこと。職業的には、例えば、経営や金融など、それから学者。学問や礼儀作法→その習得のために時間を費やせるだけの余裕があることは有閑階級であることの証し。
・顕示的消費→散財することで自らの富の大きさ、すなわち優越的なステータスを誇示する。入手の容易なものは「その消費は名誉に価するものではない。というのも、それは、他の消費者との好都合な競争心にもとづく比較という目的に役立たないからである」(181ページ)。「浪費」といっても無駄遣いという意味ではない。極端な例としてはポトラッチ。あるいは、ブランド品。「顕示的消費」が組み込まれた「制度」のロジックに沿っている点では合理的目的のある消費であり、社会通念として当初は「浪費」とみなされても、いつしか一般消費者の間で生活必需品とみなされるケースは珍しくない。
・自分が他者を凌駕していることを誇示する。他者をもっと嫉妬させること自体に満足を見出そうとしている。従って、欠乏を満たすために行われるわけではないのだから、経済活動に固定的なゴールなど存在しない。

「社会の富の全般的な増加は、それがどれほど広く、平等に、あるいは「公平に」分配されようと、この欲求の満足に近づくことはできない。というのもそれは、財の蓄積においては他の誰にも負けたくない、という万人がもつ欲望に起因しているからである。しばしば想定されているように、蓄積誘因が生活の糧や肉体的快適さの欠乏であるとすれば、社会の経済的な必需品総量は、おそらく産業能率が向上したどこかの辞典で満たされる、と考えることもできよう。だがこの闘いは、実質的に妬みを起こさせるような比較にもとづく名声を求めようとする競争(レース)であるから、確定的な到達点への接近などありえないのである。」(43ページ)

 有閑階級=上層階級が示す生活様式や文化様式は社会全体の理想的規範となる。下層階級は、同様の消費行動をすることで同等者を出し抜き、自らも上昇しようと動機付けられる。

「現代的な文明社会では、社会階級相互間の区分線は不明瞭で流動的なものになっている。こうして、このようなことが生じるところではどこであれ、上流階級によって課せられた名声の規範がもつ強制的な影響力は、ほとんど妨げられることなく社会秩序の最下層にまで及ぶことになる。その結果、おのおのの階層に属する人々は、彼らよりも一段上の階層で流行している生活図式こそ自己の理想的な礼儀作法(ディーセンシー)だと認識した上で、生活をこの理想に引き上げるために全精力を傾注する、ということが生じる。失敗したら面子と自尊心が傷つくという痛手を被ることになるから、少なくとも外見だけでも、社会的に承認された基準に従うほかはないのである。」「高度に組織化されたあらゆる産業社会では、立派な評判を得るための基礎は、究極的に金銭的な力に依存している。金銭的な力を示し、高名を獲得したり維持したりする手段が、閑暇であり財の顕示的消費なのである。」(99ページ)

「通常われわれの努力の道案内を行っている支出の標準とは、平均的なそれではなく、すでに達成されている通常の水準である、ということになる。つまりそれは、わずかに手が届かないところにあるが、努力次第で手が届くところにある、消費の理想なのである。その動機は、競争心(エミュレーション)──われわれが習慣的に同一階層に属していると考えている人々に負けてはならぬと急きたてる、妬みを起こさせるような比較がもつ刺激──である。実質的に同じ命題は、以下のありふれた観察、つまりおのおのの階層は、社会的階梯を一つだけ昇った階層を羨望すると同時に、それと競い合うのであって、下位の階層やとびぬけて上位にある階層と比較することはごく稀だ、という事実のなかに窺われることである。言い換えれば、要するに支出をめぐる礼節の規準は、競争心の目的と同様に、名声の点でわれわれ自身より一等級だけ上位に位置する人々の習慣によって定められている、ということなのである。こうして、とくに階級間の区別がかなり不明瞭になっているような共同社会では、あらゆる名声と世間体の規準、したがってまたあらゆる支出の水準は、社会的にも金銭的にも最高位に位置する階級──豊かな有閑階級──の慣行や施行習慣にまで、無意識のうちに徐々に昇っていくことになる。」(119~120ページ)

・有閑階級を特徴付けるのは「略奪的文化」であるが、他方で、有用で価値あるものを作り無駄を省こうとする心性としての「製作者本能」も作用しており、両者が絡まりあって経済的な競争心が促されているとする。他にも、幸運を求める心性(→ギャンブルという形で発現)、信心深さなども指摘、何よりも生存本能は生物としての最古の習慣だと言ってしまうところが面白い。
・ヴェブレンは「制度」を一元的な原理として捉えるのではなく、過去のそれぞれの時代において形成された複数の心的習慣が時代がかわっても形を変えながら残存している重層的なあり様として解き明かすことに関心を持った。そして、「制度」の内実において各々の心的習慣が互いに変形作用を及ぼしあい、時には古い心性に先祖がえりしたり、そのように絡まりあいながら「制度」のあり方そのものが変化していく様相を「進化」と呼んだ。

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2009年12月 3日 (木)

「証言ドキュメント 永田町・権力の興亡」

 見逃していたNHKスペシャル「証言ドキュメント 永田町・権力の興亡」が今週深夜に再放送されていたので見た。細川政権が成立したのはちょうど私が大学に入って間もない頃だった。その頃から政局話は結構好きでこまかにチェックしていたので、一種のなつかしさもある。

 色々なキーパーソンがインタビューを受けているが、全体的に言って小沢一郎が主役となっている。第1回「1993~1995 “政権交代” 誕生と崩壊の舞台裏」。力技で細川護熙政権を成立させた小沢だが、反自民以外には何の共通点もない各勢力をまとめ上げることができずに崩壊、今度は反小沢というモメントが働いて自社さの村山富市政権が成立。第2回「1996~2000 漂流5年 “数”をめぐる攻防」。与党であり続けることにこだわる自民党の強烈な執念を体現した野中広務は小沢、公明党、加藤の乱と熾烈な駆け引きをくぐりながら与党の座を守り抜く。第3回「2001~2009 小泉そして小沢 “民意”をめぐる攻防」。自民党の内部から最も自民党らしからぬ小泉純一郎が登場、選挙を意識した参院自民党は取り込まれ、野中は抵抗勢力として蹴落とされ、野党・民主党は“改革”合戦で遅れをとってしまう。この異様な小泉旋風が吹き荒れる中、再び下野して民主党入りしていた小沢は組織固めに専念していた。

 安定的ではあったが経年劣化著しい自民党システム。小沢その他の撹乱要因が相俟って過半数を割り込み、選挙が危ないという危機感から支持を集めた小泉は自民党を決定的に変質させた。過半数というルールそのものに特別な根拠はない。ただし、具体的な誰かの恣意は働いていないところにルールの意義がある。きっかけは誰かの発意であっても、それに反応した人々それぞれに思惑があったとしても(利害でも怨念でも)、さらには偶然的な要因も複雑に絡まりあってルールに参加する者同士のせめぎ合い、すなわち権力闘争が激化していった。過半数確保というルールに従う限り必然的に妥協や取引が行なわれ、時にはだまし討ちや裏切りもある。しかし、それらの力学が合わさると誰にとっても意図した展開にはならないという意味で、ある種の非人格的なダイナミズムが生み出される。その結果として、当事者の思惑とは関係ないレベルで政局が大きく変動していく様子が見えてきた点で私にはこの番組は面白かった。

 “数合せ”というと一般に評判は悪い。しかし、たとえ“数合せ”であっても惰性的な停滞の中からダイナミズムのきっかけを作り得るところに議会制民主主義の面白さがあり、長所がある。どの勢力が過半数をとって政権をにぎるかという点が問題なのであり、政策理念はその副次的な手段に過ぎない。政策理念初めにありきではなく、そんなものは所詮建前のフィクションに過ぎないわけで、むしろ一定の勢力をかき集める旗印として“政策理念”なるものは機能すると捉えることができる。その点で“政治改革”なる抽象語は便利だったし、“郵政民営化”なるスローガンはその意味するところを知らない人々に対してもアピールできたわけである。変化の可能性(それがどのような方向に向かうかはともかく)を常に内在させているところに議会制民主主義の長所があるという意味で、小沢が政権交代可能な対抗勢力を模索してきたことは、それがたとえ泥臭く見えたとしても正当に評価すべきだろう。

 民主党の政策はもともと新自由主義的であったが、小泉と“改革”を競い合って負けた、そこで小沢は対立軸を変えることで反小泉改革の票を集めようとした、という趣旨の話が番組中にあった。政策理念の変更は一般に裏切りと受け止められ、評判は悪い。しかし、対立軸を変えることで“数”のモメントを引き寄せようとする努力は議会のダイナミズムを作り出す上ではむしろ有効である。選挙を通した民意の反映とは言っても、選挙という儀式を通してコンセンサスを仮構して現行体制に正当性の根拠を賦与するフィクションに過ぎない。受け皿が二つ以上あって、政策理念をいつでも入れ替えできるようにしてあれば議会制度のダイナミズムは十分に機能する。例えば、1930年代までアメリカの民主党は共和党よりも保守的とされていたが、フランクリン・D・ローズヴェルトのニューディール連合によってイメージを逆転させたことはよく知られている。政策の対立軸をはっきり打ち出すことで有権者に選択肢を示すべきだという考え方に私ももちろん賛成だが、それ以上に、敢えて違う主張をすること自体に意味がある。似たような政策理念ではダイナミズムが働かないからだ。次は、民主党がちょんぼしたときに備えて、自民党がしっかりと党勢を立て直しておくことが望まれる。

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2009年12月 2日 (水)

今村仁司『近代の労働観』、ロナルド・ドーア『働くということ──グローバル化と労働の新しい意味』

 今村仁司『近代の労働観』(岩波新書、1999年)は、「労働」は本当に人間の本質なのか? 「労働=生きがい」論の背景には、あくまでも「必要」としての「労働」を「本質」とすり替えることで管理のイデオロギーとなっているに過ぎないのではないか?という問いを発する。こうした問題意識をもとに展開された「労働」観の思想的系譜学である。
・古代社会においては、自由人とは自ら目的を設定する者であり、その目的に奉仕して労働する人間は奴隷とされる階層秩序(この辺の議論はハンナ・アレント『人間の条件』にあった)。
・ブルジョワ階層の場合は、マックス・ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』が現世内禁欲倫理が内面化されて自発的な経営合理化の契機が現われたことを指摘。
・下層労働者階層の場合は、国家・教会などの「怠惰は悪徳である」という考え方から強制労働(例えば、救貧院)や禁欲モラルが押し付けられ、法律的・道徳的な言説が繰り返し刷り込まれることによって内面化。例えば、労働時間表→機械的身体としての規律を内面化。
・ところで、強制労働は誰だってイヤだが、現実には働かねばならない→「労働の喜び」論、つまり労働には本来喜びが内在しているにもかかわらず外的条件によって疎外されているのだという考え方が登場した。
・しかし、「労働の喜び」は、内在的ではなく他者の視線という外在的な要因によってもたらされるのではないか? 人間の虚栄心としての承認願望(自分を高く評価せよ、しかし他人は自分よりも劣位でなければならないという確信)→他者からの承認を求める闘争の中で勝つために禁欲を迫られる。①自分よりも下位の者を措定して自身の優位性を確認(排除・差別)、②同等者を出し抜こうと競争、③上位者からの評価を受けることで同等者よりも優位に立とうとする。こうした他者の眼差しを意識した虚栄心が労働の動機となる。

「順位や等級がこの世に存在するのは、人間がそれらを激情的に欲望するからである。複数の他人に対面するとき、人間はまず順位と等級づけを行う。それは承認欲望が作動し、その結果として生まれるものである。一般に、人間は、他人と一緒に生きるかぎり、デモクラシーを拒否し、貴族制や君主制を生み出す理由も承認欲望の中に潜んでいる。よほどの特殊条件がないと、人間は同等性の政治を求めない。革命によって民主主義的政治の格好をとったとしても、人間は同等であることを憎むのであるから、かならず民主制度は内部から腐食させられる。なぜなら、人間は貴族や君主に匹敵する指導者を要求しはじめるし、そうした上位の存在から承認されたいと熱望するからである。こうした一切の現象は、日常風景にみえる労働現場で毎日生じているのである。」(148ページ)

・現代社会では消費活動にもみせびらかしによって自らの社会的ステータスの優位性を確認しようという動機が働いている(ヴェブレン『有閑階級の理論』にこうした議論があった)。
・公共的価値討議への転換(ハーバーマス)→以上の虚栄心をエゴイズムの競争とするのではなく、対等な人格として相互に承認しあう公的人格に切り替えられる。自由な人間として公共的事柄について考えるためには、自由な時間=余暇が必要であるとされる。

 以上の今村の議論では「余暇」を確保することに「人間らしい」生活への希望を見出されるわけだが、これに対して、ロナルド・ドーア(石塚雅彦訳)『働くということ──グローバル化と労働の新しい意味』(中公新書、2005年)は、「我々は20世紀の終わりには週5時間働けばすむようになるだろう」というケインズの予言が見事に外れたエピソードから説き起こしながら、競争が激しくなる現代社会における労働の質をめぐって考える。
・労働市場の柔軟性、市場個人主義。
・経済学の新古典派的伝統による支配→市場志向へ傾斜。株主価値の最大化に努める経営者は従業員福祉に関心が薄い。
・そもそも「公正」とは何か? 不平等の拡大を容認するグローバルな傾向。
・「ダヴォス人間」「コスモクラット」→一国内での不平等の拡大の一方、彼らは国への帰属意識が希薄、国境をまたぐ形で一つの階層を形成。一国で複数の階層が並立し、社会的連帯の弱まり。
・アメリカ発の文化的覇権(博士号取得者の帰国)、金融市場の力(このロジックで勝ち残るには市場個人主義に順応するしかない)→市場個人主義的な世界の同質化。
・アングロ・サクソン型、大陸ヨーロッパ型、日本型など資本主義の多様性を指摘。

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2009年12月 1日 (火)

岩井克人『会社はこれからどうなるのか』

岩井克人『会社はこれからどうなるのか』(平凡社ライブラリー、2009年)

 差異化によって利潤を生み出す仕組みに資本主義の一般原理を求め、従来型の古さとして批判されやすい日本型経営システムも、現在進行中のポスト産業資本主義も、いずれもこの原則の枠内におけるヴァリエーションとして把握する視点が議論の主軸となる。株主主権論に基づくいわゆる“ハゲタカ”はかえって利益を損ねると指摘される。「会社」というシステムを理論的・歴史的に概観するためテーマは幅広いが、文章が平易というだけでなく論述の進め方もこなれているのですんなりと読み進められる。『貨幣論』(→こちらで取り上げた)で展開された循環論法のシステムとして捉える視点も時折散見されるのも興味を持った(例えば、株式持ち合い、デ・ファクト・スタンダードなど)。

・自分以外のなにものによっても支配されてはいけない自立的な存在として人間を捉えるのが近代市民社会の大原則。しかし、法人としての株式会社は、法的にはヒトとして自立的な主体であるのと同時に、資産=モノとしては所有の対象になるという二重性。株主が法人としての会社を所有し、その法人としての会社が会社資産を所有するという「二重の所有関係」。

・法人名目説は会社が株主によって所有されていることを強調→株主主権論→株主のために利益を高めるべきことが主張され、場合によっては会社をモノとして切り売り処分されてしまう可能性すらある。対して、法人実在説は法人のヒトとしての自立性を強調する。

・日本型企業システムの特徴の一つとしての株式持ち合い→自然人としてのヒトによる支配を受けない仕組み→法人としての会社のヒトとしての主体性を確保→法人実在説的な会社だからこそ、会社内の組織特殊的な人的資産を育成できた。その会社に特有のスキルは会社外での汎用性がないので、もしいつでも放り出される可能性があるならば、雇用者はその会社に長く留まろうというインセンティヴが働かなくなる→人材を引きとめるため、終身雇用制、年功賃金制、企業内組合などがシステム化された。

・資本主義の一般原理は差異性によって利潤を生み出すことである。産業資本主義においては、労働生産性と実質賃金率との間にある差異が利潤の源泉となった。その場合、農村の余剰人口が都市に流入して産業予備軍(戦後日本なら、いわゆる“金の卵”)となることで実質賃金率の低さを当て込み、工場への大規模投資によってより大きな利潤を期待できた。ところが、余剰人口が枯渇して実質賃金率の上昇(日本は1960年代後半以降)→労働生産性との差異による利潤が成り立たなくなり、代わって技術開発・新規市場開拓など別の手段によって差異=利潤を生み出そうとし始める→ポスト産業資本主義。

・ポスト産業資本主義(グローバル化、IT革命、金融革命)においては、利潤の源泉としての差異性を「新しさ」に向けて追求。とりわけ、情報の商品化。グローバル化、IT革命、金融革命の結果として資本主義経済のあり方が変化したのではなく、逆に従来のやり方では差異性による利潤獲得が難しくなったからこそ差異性そのものとしての情報の商品化が促された。従って、ポスト産業資本主義では、差異性を意識的に創り出していくことが至上命題となる。いったん創った差異性も他社がすぐに模倣→利潤低下→さらに差異性=「新しさ」を目指してヒートアップ。

・コア・コンピタンスは「たえず変化していく環境のなかで、生産現場の生産技術や開発部門の製品開発力や経営陣の経営手腕を結集して、市場を驚かす差異性をもった製品を効率的かつ迅速的に作り続けていくことのできる、組織全体の能力」として動態的に定義される。競争力をより高めるため、比較優位の分野に専念→各会社が自らのコア・コンピタンスを特定化、不得意分野は切り捨て→いわゆる“リストラ”。しかし、ポスト産業資本主義の時代では変化が常態であり、いつ何がどうなるか分からない。短期的には採算がとれないように見える部門でも、将来に備えて選択肢を広げておく方が得策。

・利潤=差異化の源泉としての「情報」はヒトの頭の中にあり、切り売り不可能→それを囲い込んで活用する方が良い→ネットワークとして組織化→会社の存在理由。企業組織とは「それに参加する経営者の企画力や技術者の開発力や労働者のノウハウといった、組織特殊的な人的資産のネットワーク」である。差異化を追求するため、その企業独自の個性が必要→企業文化→組織特殊的な熟練が必要となり、その企業にコミットする従業員をつなぎとめておかねばならない→法人実在説的な会社形態が望ましい。

・その会社独自の人的資産の蓄積を可能にし、とりわけ株主主権論によるホールドアップを排除してきた点で、日本的経営は実はポスト資本主義的な方向性を部分的にではあるが先取りしていた。ただし、その日本型資本主義は従来型の産業資本主義に適応しすぎていたところに問題がある。株主主権論イデオロギーが伝統的に弱かった点ではポスト産業資本主義に適応していく利点があるとされる。

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