ヴィクター・セベスチェン『ハンガリー革命1956』
ヴィクター・セベスチェン(吉村弘訳)『ハンガリー革命1956』(白水社、2008年)
1956年、ソ連軍によって鎮圧されたハンガリー革命。一連の政治動向を前史としての第二次世界大戦から説き起こして時系列的に描き出したノンフィクションである。人物群像をこまめに拾い上げて描かれているので内容は興味深いのだが、訳文がちょっと不自然なのが残念。
ソ連からのきびしい締め付け、常にソ連中央指導部の鼻息をうかがわねばならないラーコシは“小スターリン”として振る舞い、秘密警察による暴力と一体化した体制で恐怖政治を展開して、市民の間に不満がくすぶっていた。1956年のスターリン批判と共にラーコシは失脚して、鬱積していた不満が爆発、市民の自発的なデモが盛り上がる中、誠実な人柄で共産党幹部の中では唯一人気のあったナジ・イムレが新指導者として浮上する。ナジ自身はソ連と妥協する必要を理解していたが、民衆運動はもう抑えがきかない。結局、ソ連の軍事介入を招いてしまった(ただし、ソ連指導部内でも議論があり、ミコヤンは反対したが、強硬派に押し切られた)。アメリカは冷静構造のロジックで無視、スエズ動乱に忙殺される国連も関心を示さない。ナジ政権の閣僚だったがソ連側に寝返ったカーダールを傀儡として新政権が樹立され、ナジをはじめとした指導者たちは処刑された。
本書でもカーダールに対しては裏切り者として評価は少々からい。本書の趣旨からははずれるが、カーダール政権の時代は依然として共産党支配が続き、とりわけ1956年の悲劇が傷としてひきずられたマイナスがある一方で、社会的・経済的には比較的安定し、ラーコシ時代との比較に過ぎないにしても秘密警察は控えめで、個人崇拝もなかったと言われる。後知恵的な言い方になってしまうが、当時の地政学的条件からしてソ連による“帝国支配”から脱け出せる見通しはほとんどなく、それにもかかわらずコントロールを失った民衆運動に引きずられて、それをまとめあげる力のなかったところにナジの悲劇があった。妥協によってソ連支配下でも一定の自立を目指した点では、ナジの果たせなかった役割をカーダールが担ったという見方も可能なのだろうか?
なお、1956年のハンガリー革命については、以前に「君の涙 ドナウに流れ──ハンガリー1956」という映画を観たことがある(→こちら)。その時に併せてビル・ローマックス(南塚信吾訳)『終わりなき革命 ハンガリー1956』(彩流社、2006年)という本も読んだ。
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