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2009年11月30日 (月)

司馬遼太郎『坂の上の雲』のこと

 NHKのドラマ「坂の上の雲 第1回 少年の国」をみた。実はあまり期待はしていなかったのだが、映像作りにはかなり力が入っているし、久石譲の音楽も映画のような盛り上がりがあるし、なかなか悪くないと思う。

 ただ、ちょっと気になっているのは、確か司馬遼太郎は『坂の上の雲』は映像化しないようにと言い残していたのではなかったか(私の勘違いか?)。文章ならば細かな説明ができるのに対して、映画やドラマはどうしてもストーリーを切り詰めざるを得ない。そうした単純化が下手するとナショナリズムや軍国主義の礼讃に陥ってしまう可能性を司馬は危惧していたように思う。まだプロローグ程度で本筋はこれからだろうから(断続的に2011年までやるらしい)しばらく様子見のつもりでいる。

 親の本棚に司馬遼太郎の作品がほぼ揃っていたので、司馬の主だった作品は小学生から高校生にかけての頃にあらかた読んだ。日本史について、とりわけ戦国~安土桃山時代と幕末・維新期の知識の基礎は司馬作品を通して得たと言っても過言ではないくらいだ。中でも好きだったのが『坂の上の雲』で、初めて読んだのは中学生の頃だったが、その後も何度か読み返した。明治における日本の近代化の過程をこれだけのスケールで多彩な人物群像の織り成すドラマとして描き出した小説作品は他になかなか類書が見当たらない(幕末なら大仏次郎『天皇の世紀』が思い浮かぶのだが)。細かい話になるが、健全なナショナリズムがあり得る一例として陸羯南の名前を知ったのもこの作品だった。

 司馬史観なる言葉を時折聞く。「新しい歴史教科書をつくる会」の活動が始まったのは、私が高校から大学にあがるくらいの頃だった。藤岡信勝が、「従来の歴史観は自虐史観である、自由主義史観とは近代日本が行なった侵略戦争の悪いところは認めると同時に、良かったところもきちんと評価する、その意味で『坂の上の雲』の司馬史観だ」という趣旨の発言をしていた。他方で、当時は仲間だった西尾幹二が「良いも悪いも一切をひっくるめて日本人だ、ここまでは良かった、ここからは悪かったと線を引く発想はおかしい」とも発言していた。「つくる会」分裂の芽はこの頃からすでに萌していた(その後は全くフォローしていないので、最近どうなっているのかは知らない)。西尾の普段の政治的主張への是非はともかく、この点に関してはいかにもニーチェ学者らしいと私は西尾に好感を持っている。

 司馬が『坂の上の雲』を書いた動機が、徴兵されて戦車隊に配属され、戦争の不条理を感じたことにあったことはよく知られている。昭和の戦争の無謀さ、政治・軍事の指導者の浅はかさと対比する形で、明治国家において近代化を追い求めた人々の慎重な政治判断、とりわけ日清・日露戦争における戦争法規遵守の態度に見られるような生真面目さ(西欧の眼差しを意識して“文明国”として振舞おうという意図があったからにしても)を強調する形になっている。そこには、司馬自身の戦争の空気を肌身に感じたという意味での私的な体験、こうすべきだったのにという悔しさまじりの願望も込められているわけで、それを後世の後知恵で“史観”という枠組みで表面的に整理してしまうことにはちょっと違和感がある。この違和感がうまく表現できなくてもどかしいのだが。

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