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2009年11月25日 (水)

『ジンメル・コレクション』

北川東子・鈴木直訳『ジンメル・コレクション』(ちくま学芸文庫、1999年)

 ゲオルグ・ジンメル(Georg Simmel、1858~1918年)の大著『貨幣の哲学』はややこしそうなので、とりあえず本書所収の「近代文化における貨幣」を読んだ。

 土地の共同体に人格的に結び付けられた現物経済中心の時代→“貨幣”という無機的な媒介項の登場、貨幣価値への換算可能性によって所有と所有者とが分離、経済の非人格化が押し進められることでそうした共同体は解体され、各々の個人としての自覚が促された。“個の自覚”は“近代”なる時代を特徴付ける条件の一つと言えよう。ただし、貨幣は人と人とのつながりを分断しただけでなく、貨幣価値換算という形を通した行動様式の均一化によって分業の可能性が開かれ、 “貨幣”の媒介によってこそ独立した個人が再び結び付けられる。

「近代文化の諸潮流は一見相反する二つの方向へと流れこんだ。ひとつは、平均化へ、均一化へ、もっとも離れたものをも同一条件のもとに結び合わせ、より包括的な社会圏を生み出す方向へと。もうひとつは、もっとも個性的なるものの形成へ、個の独立性へ、個我形成の自立をめざす方向へと。」「そしてこの二つの方向がともに貨幣経済によって支えられた。貨幣経済は、一方では、あらゆるところで同一の作用を及ぼすきわめて普遍的な利害と結合手段と了解手段を提供したが、他方では、おのおのの人格に、より大きな外界からの距離と個人志向と、自由を与えた。」(「近代文化における貨幣」271~272ページ)

 一人ひとりの人間は、たとえて言うならばそれぞれが自己完結した小宇宙を成している。個としての絶対的な自律性を主張する。しかし、それぞれが異質なものとして互いに排斥しあうだけではない。絶対的な個として自らの小宇宙を維持しつつも、他の小宇宙との緊張関係をもひっくるめてより大きなまとまりを成している。ジンメルにとって“貨幣”とは単に社会経済的現象というだけでなく、このようなまとまり形成の媒介項としての視点そのものを表わしていると言える。

 こうした“貨幣”をめぐる含意と同様のことをジンメルは“橋”に仮託して次のように表現している。

「外界の事物の形象は、私たちには両義性を帯びて見える。つまり自然界では、すべてのものがたがいに結合しているとも、また分離しているとも見なしうるということだ。」…「自然の事物があるがままに存在しているなかから、私たちがある二つのものを取り出し、それらを「たがいに分離した」ものと見なすとしよう。じつはそのとき、すでに私たちは両者を意識のなかで結びつけ、両者のあいだに介在しているものから両者をともに浮き立たせる、という操作を行っているのだ。」…「川の両岸がたんに離れているだけではなく、「分離されている」と感じるのは私たちに特有のことだ。もし私たちが、私たちの目的思考や必要性や空想力のなかで両岸をあらかじめ結びつけていなかったとしたら、この分離概念はそもそも意味をもたないだろう。」…「橋がひとつの審美的な価値を帯びるのは、分離したものをたんに現実の実用目的のために結合するだけではなく、そうした結合を直接視覚化しているからだ。現実の世界では身体を支えるために提供している足がかりを、橋は目にたいしても風景の両側を結ぶために提供している。」(「橋と扉」90~93ページ)

 それぞれに絶対的な自律性を主張して一見したところ他とは相容れないようにも思える事象がこの世界に満ちている。しかしながら、そのような緊張関係も、視点を組み替えてみればもっと大きなまとまりが見えてくるという着眼点がジンメルのエッセイの面白いところだ。

 例えば、肖像画。モデルと、それを描いた絵画作品とは全く別個の存在である。目鼻立ちの造作や色合いが正確に写し取られているかどうかが問題なのではない。描かれた肖像画において、それ自体の世界の中では形や色はこうあらざるを得ないという必然性が感じられる。モデルと、それを描いた肖像画という関係性はあっても、後者が前者に従属しているというのではなく、両者ともに自律的な存在感を持っている。そうした緊張関係に触発されて鑑賞者が統一的な把握をしようとしたときに生き生きとした迫力を感じ取る(「肖像画の美学」)。

 あるいは、俳優の演技。台本の役柄と演じる俳優とはそれぞれ別の存在であるが、俳優が自分の個性を発揮して、それが役柄と響き合ったとき、観客に感動を与える演技となる。「文学的想像力のなかで作られ、実在の人間には少しも依存しない連関によってつなぎ合わされた理念的で無時間的な演劇上の事件は、完全に自律的な系であり、また構成だ。しかし他方の俳優が演じる事件の系もまた、その見かけの本質やその視覚性においてやはり同じく自律的であり、ひとつの魂の発展過程をなす。この両者が内容において一致すること──これこそ、その本質においてたがいに対立するそれぞれに自律的な二つの原理の調和にほかならない。それはまた、たがいに異質な存在と力の系が一体化する幸福感を生み出す。こうした一体感は、自然のなりゆきによっては実現できず、ただ芸術によってのみ可能なものだ」(「俳優の哲学」165ページ)。

「芸術作品には、それ自身ひとつの全体でありながら、同時に自分をとりまく環境とのあいだで統一的全体を作り上げなければならない、という本来矛盾した要求が課せられている。ここには、あの人生一般の難しさ、すなわち全体の一要素たる存在が同時に自律した全体たることを要求するという、あの難しさと同じものが見てとれる。」(「額縁──ひとつの美学的試み」123~124ページ)

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