陳桂棣・春桃『中国農民調査』『発禁『中国農民調査』抹殺裁判』、阿古智子『貧者を喰らう国──中国格差社会からの警告』、廖亦武『中国低層訪談録―インタビューどん底の世界』
昨日、NHKで「チャイナパワー 第一回 “電影革命”の衝撃」をやっていた。中国語圏人口は巨大なだけにマーケティング合戦は熾烈だ。中国の対外的な存在感を示し、国内的には民心を統一するという趣旨から政府もソフトパワー戦略としてテコ入れしているらしいが、言論の自由が保障されていないにもかかわらずソフトパワーといってもどんなものだろう。番組でも、映画製作上のタブーがまだ大きいから大陸には行かないと語る香港の映画監督も登場していた。
それはともかく、本題へ。
陳桂棣・春桃(納村公子・椙田雅美訳)『中国農民調査』(文藝春秋、2005年)は、安徽省でおこった農民たちの集団直訴(上訪・信訪)事件についての取材を通して、中国の農村問題を浮き彫りにしようとしたルポルタージュ作品である。
中国では都市戸籍と農村戸籍の二元戸籍制が行なわれており、後者から前者への移動は困難である。建国当初は食糧供給確保という目的があったが、労働力を必要とする都市部へ農村出身者が多数流入している現在、彼らの身分は非合法であるため社会保障がない。
同時に問題なのは、地方における政府・共産党幹部による恣意的な支配がまかり通っている状況である。法的な規定のない負担を無理強いされ、異論を唱えると「態度費」なる罰金が科せられたり、官員を動員して暴力的な圧迫が加えられたりする。農民戸籍に縛られているため逃げるのは難しいし、北京に直訴すれば実態のばれるのを恐れる地方幹部による残忍な報復が待っている。本書も党の地方幹部によるリンチ殺人事件から説き起こされている。問題があっても役人同士でかばい合って隠されてしまう。
地方幹部は体裁を取り繕った報告のみ中央に上げるため、中央の現状認識が実態から乖離していると指摘される。地方の事情を熟知しているのは地方自身であるという意味で地方自治が大原則であるのはもちろんであるにしても、地方の指導者が恣意的な権力を振るっている場合、それを中央はどのように監督するのか。民意集約の選挙がなされていないばかりでなく、地方・中央の関係不全という問題がうかがえる。また、農業の合理化・近代化という問題も示されている。
『中国農民調査』が発表されるやいなや、中国国内では大反響を呼び起こした。同様の問題意識を抱えている人々が全国にいるからである。しかし、実名を出された党の地方幹部は著者や出版社を名誉毀損で告訴、さらに本書自体も発禁処分を受けてしまう。陳桂棣・春桃(納村公子・椙田雅美訳)『発禁『中国農民調査』抹殺裁判』(朝日新聞出版、2009年)はその経緯や法廷闘争の記録を通して、中国におけるマスメディアへの圧迫、とりわけ権力者の恫喝によって司法が捻じ曲げられてしまっている実態を描き出している。
証拠提出の段階から圧倒的に不利。裁判長は原告(党幹部)側に有利な法廷指揮を進める。その裁判長自身も『中国農民調査』を読んで著者たちに内心では同情的だったようだが、行政と司法との権力分立がなされていない体制下において権力機構の末端に連なる者としてはどうにもならない。結局、さらに上のレベルからの圧力で出版社が著者たちには内緒で賠償金を支払ってしまったらしい。政府・党の役人たち自身が法のあり方を理解していないため、いくら法に基づいた異議申し立てを行なっても全く通用しない。建前で何と言おうとも、“法治”の大原則が不在であることが本書を通して告発される。他方で、こうした状況を憂える人々からの励ましの手紙が全国から集まっていることにも注目すべきだろう。
経済成長著しいが、その中でも格差社会の矛盾が深刻化する中国。阿古智子『貧者を喰らう国──中国格差社会からの警告』(新潮社、2009年)はフィールドワークによって著者自身の目で過酷な現実に直面している人々の焦りや、時には絶望感をもみつめていく。第一章のエイズ村の事例、HIVに感染した女性が周囲から疎外され、陳情しても政府からはねつけられ、犯罪者として捕まってしまった話など本当に悲惨だ。
戸籍制度のゆがみは農民工のよるべなさや地方・都市の学歴格差などのしわ寄せを生み出しており、これは格差再生産につながりかねない。都市に流入した農民工は言語的・人間関係的にも適応できず、社会保障もない。故郷の農村にいれば親戚や近隣住民との相互扶助も期待できたのかもしれないが、市場経済化によって社会機能が変化する中、農村においても自己中心的な「公徳心のない個人」が目立ちようになってきたという。市場原理による効率化が推奨されても、その前提としての公平なルールが政府によって保証されず、作業分担に必要な信頼がコミュニティーから失われてしまっているという問題が指摘される。
廖亦武(劉燕子訳)『中国低層訪談録―インタビューどん底の世界』(集広舎、2008年)の著者は詩人。天安門事件後に投獄された経験がある。獄中で出会った和尚から習った蕭を吹いて生計を立てながら、社会的に疎外された人々を訪れ、聞き取った話がまとめられている。刊行後、中国では発禁となったらしい。会話の調子にリズムがあって、ルポルタージュというよりも、むしろダイアローグ形式の戯曲といった印象を持った。ざっくばらんな口調でしかめっつらしい硬さはなく、読んでいて会話の流れに自然に入っていける。
不良少年に売春婦、老右派に老紅衛兵、没落した企業家に法輪功やチベットの巡礼者、とにかく多種多様な背景を抱えた人々。残酷な運命にうちひしがれた人もいれば、あっけらかんとした売春婦のように猥雑さの中からたくましさすら感じさせる人もいる。北京に直訴に来た農民からは三農問題を聞いている。第Ⅲ部「変転する社会を生きぬいて」は中国現代史の聞き書きとして興味深い。
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