龍應台『大江大海 一九四九』
龍應台《大江大海 一九四九》天下雑誌、2009年
先日、台北の書店をのぞいたらベストセラーとなっているようなので購入した本。
台湾に流入した外省人のある世代では名前に“港”や“台”の一字を持つ人が多いらしい。国共内戦に敗れて難民となり、香港の収容所で生まれた子供に“港”、台湾に逃れてから生まれた子供に“台”の字をつけたのだという。台湾生まれ、外省人二世の女流作家・龍應台の名前にもそうした事情がある(ちなみに、ジャッキー・チェンの本名は陳港生という)。
1945年に戦争が終わり、1949年に中華人民共和国が成立するまでの間、平和の息吹を味わういとまもなく、実におびただしい人々の移動があった。戦火に追われて山を越え、海を渡り、ほんのわずかのタイミングの差や判断の相違で肉親と離れ離れとなり、場合によっては死に別れてしまう。自分の力ではどうにもならない過酷な運命に翻弄された有名無名の人々の中に、著者自身の両親の姿もあった。1949年に至る混乱期にいったい何があったのか? 両親の故郷を訪ねて大陸を歩いたのを皮切りに、当時を生き延びた多くの人々から話を聞き取りながら、大文字の“正史”に現われることのなかった生身の歴史を描き出そうとしたノンフィクションである。
1948年の長春攻囲戦で、林彪率いる人民解放軍が国民党軍や一般市民も含めて数十万単位で大量の餓死者を出したことは初めて知った。南京大虐殺やレニングラード攻囲戦は歴史の教科書に載っているのに、なぜこの大量虐殺には目をつぶるのか?と著者は疑問を投げかける。このため、本書は大陸では発禁となったらしい。
台湾接収で上陸した国民党軍のみすぼらしい姿は、蒋介石政権の政治腐敗と重ねあわされた一つの象徴的なイメージとして語り草になっている。だが、その兵隊たちだって好きこのんでやって来たわけではない。大陸でさらわれて無理やり兵隊にさせられた、ただの庶民が多かった。家族と生き別れた彼らの苦悩にも目配りされる。幼い頃、命の恩人とも言うべきお医者さんが二・二八事件で公開処刑されるのを目の当たりにしたことを現・副総統の蕭萬長が語っているのも印象に残った。
国民党に徴発されて国共内戦で大陸に送られた卑南(プユマ)族の老人たち。人民解放軍の捕虜となって向こうで暮らし、一人は朝鮮戦争にまで従軍した。台湾に戻ったのは1992年である。少し時間を遡れば、日本軍に徴発された高砂義勇隊のことも思い浮かぶ。それから、日本軍の軍属として捕虜収容所の看守となり(南洋ばかりでなく南京にもいた)、戦後は戦争犯罪人として有罪判決を受けた台湾人のこと。
旧満州国の荒野から南洋諸島まで俯瞰すると途方もくれるような広がりの中で、様々な人生、しかも残酷なまでに哀しい宿命が交錯していた。スパイ容疑で母親が処刑された外省人・王澆波、父親が日本軍の軍医として戦死していたため戦後は肩身の狭い思いをした鄭宏銘。彼ら二人のエピソードをつづった後にこう結ばれる。心に秘められた言い知れぬ傷のありかは異なっても、みんな台湾人である、と。そこには、根無し草意識を抱える著者自身の想いも重ねあわされているはずだ。
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