近代化をめぐって何となくメモ
先日、植民地統治期台湾において多くの弟子を育てた水彩画家・石川欽一郎を取り上げた(→こちら)。その人柄が台湾人生徒たちから慕われただけでなく、イギリス紳士風の雰囲気に好感を持たれたというところから、何となく以下の雑感。
日本による植民地支配には、①西洋を基準とした“文明化”と②皇民化運動に顕著な“日本化”と二つのベクトルがあった。総督府は医療や産業インフラ等の近代化政策を進めると同時に、日本語や神社崇拝等を強制した。他方で、台湾人側も、日本を通して“普遍的”≒西欧的な先進文化へアクセスしようとすると同時に、日本優位の差別的でありながら同化を標榜する総督府の政策に反感を持っていた。このあたりには様々に複雑なロジックが絡まりあっており、解きほぐすのが難しい。
たとえば、台湾総督府の堂々たる威容には、日本の圧倒的な力を現地人に見せつける意図と同時に、その威厳を示すに西洋風建築を用いるという後発型帝国主義国家独特のねじれがうかがえる。
そもそも日本は近代化にあたり、たとえば福沢諭吉が『文明論之概略』で「文明─半開─未開」という図式を示したように、日本の独立保持のためにこの図式に沿って伝統社会の克服=近代化≒西洋化を進めた。抽象的な“近代”などあり得ず、その具体化として欧米社会がモデルとして目指された。それは手段なのか、目的なのか? さらには、明治期日本において欧化か?国粋か?という議論が沸騰し、こうした葛藤は現在に至るも近代日本思想史を最も特徴付けるテーマとなっている。
また、台湾と同様に日本の植民地支配を受けていた朝鮮半島において、李光洙は伝統社会の停滞性を批判、停滞性克服=近代化のために日本化を進めるべきだと「民族改造論」を発表した(彼についてはこちらで触れた)。李光洙は進化論の影響を受け、優勝劣敗の法則により弱小民族が敗亡するのは仕方ないと考えていたらしい。彼が目指したのは、目的としての日本化だったのか(この場合、“親日派”という謗りは免れない)、それとも朝鮮民族生き残りのための手段としての日本化だったのか? 難しい問題である。
で、石川欽一郎をきっかけに何をつらつら考えたのかというと、台湾人生徒たちは石川の背後に“日本”ではなく、実は“西洋”(≒先進文明への憧憬)を見ていたのではないか?ということ。彼らは西洋文明に直接触れることが難しく、日本を通してアクセスするしかなかった。しかし、“日本経由の近代化≒西洋化”は、日本語を媒介として西欧の先進文明にアクセスできると同時に、日本語を使うこと自体によって、自覚的にせよ無自覚的にせよ、日本文化に取り込まれてしまうおそれがあった。
今、たまたま、陳翠蓮《台灣人的抵抗與認同》(遠流出版、2008年)という本を読んでいて、日本に留学した蔡培火たち台湾知識青年が、「西洋─日本─台湾」という三層構造の中で台湾は最底辺にあると捉えて葛藤したという指摘があったので(73頁)、ふと以上のことを思い浮かべた次第。
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