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2009年10月 9日 (金)

「空気人形」

「空気人形」

 「私は心を持ってしまいました」──ある日、ダッチワイフの顔に表情が宿った。ご主人様の束縛から逃れるように街へさまよい出た“彼女”は、レンタルビデオ店で出会った青年に恋をする。“彼女”の恋の行方と悲劇、そして、街ですれ違う、心に何か満たされないものを抱えている人々の姿。

 「心が空虚」であるという戸惑いは、現代社会論に結び付けて論じられるべきテーマであるのはもちろんだし、私自身も関心はあるけれど、ただし、そこにこだわり過ぎても陳腐なような気がする。変に意味付けなどしないで、この「空虚な私」というモチーフも舞台設定上の道具立てと割り切ってしまう方が私にはしっくりくる。ペ・ドゥナのメイド服が似合うあどけない顔立ちも、肌のなめらかな肢体も、まさに精巧な人形のように整った美しさがある。空気が抜かれ、吹き込まれる時の悶えるような表情、足が上がり胸が反っていく微妙な動きがまたなまめかしい。「心を持ったお人形さんの世界発見」というおとぎ話の実写化と受け止めれば、彼女のぎこちない動作と言葉、そこに表われた戸惑いや嬉しさといった感情の動きをいとおしく見守りたい気持ちになってくる。

 もし「空虚な私」というテーマにどうしても引き付けるならば、自分が空虚であることを逃げずに直視し、開き直った視点で周囲を見渡せば、どんなに色褪せてつまらなく、時には汚らしく見えたこの世界にも、みずみずしい驚きや美しさが満ちている、そうした寓話に仕上がっていると言えるだろう。

 巨大マンションの林立し始めた、街並の変化しつつある東京の下町が舞台。街並をさり気なく映し出すカメラワークが私は好きだ。そこにかぶさる音楽の、ミニマリズム的に無機質で大げさな昂ぶりは抑えつつ、それでも静かな感傷を滲み出すメロディーがうまく映像にはまっている。「ん? 聞き覚えのあるメロディーだな、ひょっとしたら…」と思いながらエンドクレジットを確認したら、やっぱり音楽はworld’s end girlfriend。私の大好きなアーティストだ。以前、こちらにちょっと書いたこともあるが、CDは全部持っている。メジャーなところで出くわすことが滅多にないので意外だった。

 好きと言えば、寺島進、オダギリ・ジョー、余貴美子、星野真理と私のひいきにしている役者さんたちがチョイ役で出ているのも私としてはポイントが高い。どうでもいいが、最後の方、バースデイの拍手のシーンが、エヴァンゲリオン・テレビ版の最終回、シンジ君が登場人物みんなから拍手を受けて「ボクはここにいてもいいんだ!」というあのシーンとかぶった。

 是枝裕和監督の第一作「幻の光」を観たのはまだ学生の頃だった。確か、渋谷のシネ・アミューズ(今は名前が変わっている)の開館第一弾だったはずだ。それ以来、是枝監督の作品はほとんどリアルタイムで観ている(ただし、「花よりもなほ」は未見)。

【データ】
監督・脚本・編集:是枝裕和
原作:業田良家
出演:ペ・ドゥナ、ARATA、板尾創路、余貴美子、岩松了、星野真理、寺島進、オダギリ・ジョー、富司純子、高橋昌也、他
2009年/116分
(2009年10月8日レイトショー、新宿バルト9にて)

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