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2009年10月29日 (木)

ピーター・バーク『近世ヨーロッパの言語と社会──印刷の発明からフランス革命まで』

ピーター・バーク(原聖訳)『近世ヨーロッパの言語と社会──印刷の発明からフランス革命まで』(岩波書店、2009年)

 ある国民国家に属する者は誰もが同じ言葉を使わねばならない、そうした考え方が確立したのはフランス革命期であったというのはもはや通説か(たとえば、田中克彦『ことばと国家』[岩波新書、1981年]を参照)。言語と共同体との関係に焦点を合わせた本書も基本的にこの枠組みに立つが、同時にそれ以前(フランス革命以降を“近代”とするなら、それ以前の“近世”)からの言語形態や民族概念における連続的かつ複雑な因果関係に目を向ける。“共同体”や“民族”というのも定義の非常に難しい言葉だが、そこに込められた「われわれ」意識の一つの指標として機能する言語の役割を歴史的に検討していると言えるだろう。ヨーロッパ諸語を中心に豊富な具体例を盛り込みながら、多様な言語のせめぎ合いを描き出しているところが興味深い。

・ラテン語から俗語へと遷り変わるダイナミズムの描写が本書の骨格。
・ダイグロシア(社会階層的分離言語)としてのラテン語:エリートの使用、権威、特定の国の言語ではないという中立性→外交上の国際語。日常生活からの乖離感→普遍性。伝統の自覚→死者・生者をひっくるめた共同体の一員という感覚。
・宗教改革→日常語で典礼を行う→宗教領域と日常生活との距離を縮めた。
・エラスムスは文人エリートの世界に向けて意見を発表するためにラテン語を選び、ルターは普通の階層を対象にメッセージを送ろうとしたのでドイツ語を選んだ。
・正統派からの反発があったためラテン語には新しい思想や事物を表現する語彙がなく、また職人層が科学的議論に加わるようになった→学術語としてのラテン語の衰退。

・俗語の広がり→それぞれの言語において標準化が必要となった。①空間的均質性。②時代を超えた固定性(→アカデミーの設立)がないとラテン語に匹敵する権威を持ち得ない。
・「俗語の標準形とは、新たな共同体の価値を表現するものだった。その共同体とは、ラテン語の学識文化だけでなく地方の民衆的な方言文化とも異なる新興勢力であり、俗人エリート層の民族的な共同体であった。」(124ページ)
・俗語への翻訳→抽象的な表現に堪えるかどうか?

・俗語の標準語化は印刷本の登場以前から始まっていた。印刷はこうした変化の原因というよりも触媒としての役割。
・「標準語化は、意図的な言語計画に多少は負うところがあったが、国語の統一についてはいえば、印刷媒体や、宮廷や都市の興隆といった、人的な規制の及ばない力が果たしたところのほうがむしろ大きかったと言えるように思う。」(152ページ)

・ピジン語:母語話者を持たない言語で、異なる言語共同体の人々が互いのコミュニケーションのため簡略化された言語。クレオール語:そうしたピジン語が母語話者を獲得して複雑化した言語。
・近年、グローバリゼーションにおける英語の各言語への浸透が指摘されるが、地球規模における言語の混合はすでに近世には頻繁に生じていた(具体例を提示)。
・近代言語学習への関心の高まり→それは利害関係ばかりでなく、ラテン語の衰退により相互学習の必要に迫られた。

・フランス革命以降、「民族国家」生成の道具としての言語。意図的な言語政策はこれ以降。
・初頭義務教育で俗語を用いられる。「学校では、地元の共同体やその言語についてはないがしろにされ、国語と国民国家が学ばれたのである。」「言語は政治的自治の象徴、政治的戦いの武器となり、学校がその舞台になることもあった。」(237~238ページ)
・19世紀は民族主義と結び付いた言語的な純化主義運動が活発。アカデミーではなく政府が直接介入。

・翻訳では、英語経由音ではなく現地語音による表記に注意が払われている。

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