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2009年10月 4日 (日)

李欽賢『台湾美術の旅』

李欽賢《台灣美術之旅》雄獅図書、2007年

 以前、台北の書店をひやかしていたら、美術書コーナーの新刊平台に積まれていたので購入した本。

 十七世紀、ヨーロッパ人がやって来てから現代に至るまで、台湾美術を彩る様々な群像を取り上げながら描き出された通史。時系列や分野別に無味乾燥に並べるのではなく、それぞれの美術家が育ち、あるいは活躍した土地との結び付きを重視、時間・空間、二つの軸によって“台湾美術の旅”が構成される。

 冒頭、ポルトガル人の航海者がFormosa=華麗島と呼んだというエピソードから説き起こされる。台湾人としての郷土意識・本土意識の高まりという時代思潮が本書の背後にうかがえるが、そればかりでなく、風土との関わりを通して美術家たちそれぞれの感性のありかが具体的に、ヴィヴィッドに示されるので、実感をもって読み進めることができた。作品や当時の写真などカラー図版も豊富。台湾美術史の入門としてなかなか良い本だと思う。

 大陸からの漢人渡来者によって中国画の伝統が定着。日本による植民地支配が始まったばかりの頃は日本人側にも中国の書画に詳しい人がいたので在来の知識人との交流があった。林朝英の水墨画は尾崎秀眞によって見出されている。その後、台湾縦貫鉄道の開通によって台湾全土の近代化が推し進められたが、鉄道から離れた鹿港には漢人文化の伝統が濃厚に残ったという。

 日本統治期の教育制度によって西洋画が本格的に導入される。本書全十章のうち、第二~七章までがこの時代に割かれている。とりわけ、イギリス風の水彩画家で台北師範学校で教鞭をとった石川欽一郎の名前が頻繁に出てくる。1920~30年代は台湾において新文化運動が盛り上がった時期である。石川は学校の内外を問わず、近代知識を渇求する青年たちに西洋画を伝え、後年、台湾美術を牽引することになる多くの画家に影響を与えたという。石川の最初の弟子で家業を継いで実業家となった倪蒋懐が台湾の美術界を財政的に支援、東京に留学した美術学生たちに仕送りもしていた。1927年に台湾美術展覧会(台展)、1934年には台湾人を中心に台陽美術協会が設立され、美術を志す人々の求心力として働いた。

 石川の他には、フォービズムの鹽月桃甫、日本画の郷原古統、木下静涯といった日本人も見える。台湾人も日本人も、洋画か日本画かを問わず、台湾の風土の美しさを描いた。美術史の見直しが郷土意識・本土意識の高まりと連動するのはそうしたところによるのだろう(戦後の国民党政権下の教育では、大陸のことは教えても台湾のことはあまり取り上げられなかった)。なお、戦後、中華民国となってからも「国画」という名目で日本画を描く人がいたが、それは「国画」ではないとして排除され、「膠彩画」と呼ばれるようになった。

 台北のモダンな街並を闊歩する人々を撮った写真家の鄧南光、台湾人画家が注意を払わなかった庶民生活に目を向けて『民俗台湾』に「台湾民俗図絵」を連載した立石鐵臣の存在も目を引く。立石は台陽美術協会の発起人に唯一の日本人として名前を連ねている。

 戦後は国民政府の移転と共に中国画が主流となり、アメリカから前衛美術も流入した。1970年代以降の郷土文学論争の中で台湾美術の見直しも始まった。

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