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2009年10月31日 (土)

城内康伸『猛牛(ファンソ)と呼ばれた男──「東声会」町井久之の戦後史』、森功『許永中──日本の闇を背負い続けた男』

城内康伸『猛牛(ファンソ)と呼ばれた男──「東声会」町井久之の戦後史』(新潮社、2009年)

 戦後間もなくの暴力団抗争や朝鮮総連と民団との対立といった話題の中で東声会の名前をよく見かけ、気になっていたので本書を手に取った。町井久之こと鄭建永(1923~2002年)の生涯を通して描かれた戦後日韓関係の裏面史である。力道山、児玉誉士夫、朴正熙政権をはじめ様々な人脈関係が見えてくるのが興味深い。

 冒頭、町井の書斎のシーンから始まるが、哲学や美術に関心を寄せる彼の内面と暴力団の親玉という世間的なイメージとのギャップが印象に残る。本当は画家になりたかったが、成り行きから“任侠”の世界に飛び込まざるを得なかったという。東声会は朝鮮総連への対抗上、東洋倫理思想を基盤に反共を旗印とした政治運動のつもりで組織したらしいが、武闘抗争で頭角をあらわすにつれて暴力団として一般に認知されてしまった。

 町井の関連企業や団体に“東亜”という言葉が入っているのが目を引く。彼は若い頃、石原莞爾の東亜連盟に共鳴していた。東亜連盟は各民族の政治的自治と対等な協力関係をスローガンとして掲げていたため朝鮮人にも信奉者が多かったことは阿部博行『石原莞爾』(法政大学出版局、2005年→こちら)で知った(町井に東亜連盟の思想を伝えた曺寧柱は、極真空手の大山倍達に空手の手ほどきをしたことでも知られている。大山も東亜連盟に参加していた)。現在の視点からは東亜連盟を全面的に肯定するのは難しいかもしれない。しかし、日本では差別を受けながらも日本名を名乗って生きざるを得なかった一方で、韓国への愛国心を両立させるという矛盾、そこに何とか一つの納得を与えようとする町井たちの葛藤の受け皿となっていた点については再考の余地があるようにも思われる。

森功『許永中──日本の闇を背負い続けた男』(新潮社、2008年)

 本書の大半では戦後日本における政財界の裏人脈が細かに描写される。その中で、差別、スラムといった生い立ちの原風景を起点に、チンピラから身を立てのし上がっていく許永中(1947年、大阪生まれ)の軌跡をたどる。正規のルートでは出世などおぼつかず、裏社会に活動の舞台を求めねばならなかったわけだが、「俺は悪漢ではあっても詐欺師ではない!」という彼のプライドが目を引く。許は町井久之にあこがれていたのではないかという指摘もあった。“日韓の架け橋”を夢見て、日韓間に就航するフェリー会社の社長になろうとしたあたりには町井と共通したこだわりも見出される。

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