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2009年10月18日 (日)

10月11日 三峡へ

【三峡へ】
・三峡老街の停留所の近くまで来たら、運転手さんが身振りでここだと教えてくれた。下車。ひなびた田舎町を想像していたのだが、予期に反して、商店街を人が行きかい、道路には自動車が渋滞するかなりの繁華街だった。
・あらかじめ地図で確認してあった李梅樹教授紀念文物館へ。普通のマンションの6階にあり、エレベーター脇の机の前に座っていた老人(管理人?)に声をかけてから上へのぼった。郷土の昆虫学者(?)関係の展示と併設で、どうやら篤志の個人経営の紀念館らしく、日曜日は開館のはずだが、扉はびっちり閉まっていた。仕方ない、引き返す。老人に「謝謝」と言って出て行ったとき、背後から声がかかったが、一瞬、「再見」と言われたのかと思って、そのまま建物を出た。出た瞬間に頭で反芻したら「在嗎?」と言われたのだと思い当たる。そうか、入る時何やらゴニョゴニョ言われたのは、「誰もいないかもしれないよ」ということだったのか。Photo_29
・川沿いに歩き、清水祖師廟へ。大渓ではメインの観光スポットである。かつて清代に建立された廟堂だったが、いつしか廃れてしまい、戦後、郷土の画家・李梅樹が中心になって再建された。Photo_30
・一部には旧台湾神宮の鳥居が使われているらしいのだが、どれだろう? 中心の堂宇の柱が古びた感じだから、これか。他の柱にも精巧なレリーフが刻み込まれていた。壁面には花鳥風月が細い線で綿密に刻まれている。李梅樹をはじめ名のある画家たちの手になる。長年月をかけて造営が続けられたことから台湾のサグラダ・ファミリアと呼ぶ人もいるらしい。 Photo_16
・大きな川にかかる橋を渡って、李梅樹紀念館へ行く(先ほどの文物館とは異なる)。大きなマンションの一階。洋画家・李梅樹(1902~1983年)の作品を展示する美術館である。
・李梅樹は三峡の生まれ。台北師範学校を卒業してから公学校(台湾人向けの小学校)の教員をしていたが、その後、石川欽一郎の教えを受ける。28歳の時に東京美術学校に入学、岡田三郎助などに師事、卒業後は画家として身を立てる。戦後は大学教授のほか県議会議員なども務めた。清水祖師廟再建は彼のライフワークとして知られている。
・入館者数人を相手に解説をしているガイドのおじさんから声をかけられ、私が戸惑った表情をしているのを見て取ると、日本語で「日本の方ですか? こちらへいらっしゃい」と招いてくれて、台湾人観光客相手に北京語、私相手に日本語と交互に言葉を使い分けながら解説してくれた。とりわけ、遠近法の視覚に及ぼす効果が巧みに使われていることを懇切丁寧に説明してくれた。館内の床に足跡マークがあって、これは何だろう?と気になっていたのだが、一つの絵でも視点を変えると見え方も変わってくる、その位置表示だった。
・油絵である。リアルな描写で、渓流で洗濯をする家人の肖像やミレーの農民画を意識した作品などが印象的だった。1946年製作の三人の孫の並んだ肖像像の前で、ガイドさんがお札を出して孫文の肖像を見せる。三人のうち真ん中の子の年齢が一番高い、つまり「山」の字→「中山」を示すらしい。
・ガイドさんから「どこに住んでますか? 台北? 新竹?」と尋ねられた。どうやら日本企業の台湾駐在員が休日に日帰り旅行に来たものと思われたようだ。日本からの観光客が一人でわざわざここまで来るのは珍しいのだろう。
・展示された遺品の中には、石川欽一郎の書簡のほか、梅原龍三郎・藤島武二らも三峡に来たことがあったらしく、案内してくれたことへのお礼状があった。
・李梅樹の作品と年譜がまとまった本を1冊購入して出る。清水祖師廟の彫刻解説の冊子をいただいたので、もう一度参観。Photo_17
・三峡歴史文物館に行く。日本統治期の役場を郷土資料館として再利用している。1階には石細工の展示。2階には三峡の歴史解説。三峡は染料、樟脳、茶葉の産地・集積地としてかつて栄え、川を利用した船運のほか、日本統治期には桃園方面から軽便鉄道もつながっていたらしい。
・三峡という地名の起源をさかのぼると、もともとタイヤル(泰雅)族の言葉に由来して、その発音を聞いた漢人開拓者が三角湧と表記。閔南語系の発音ではsa-kak-engとなり、これが日本人の耳には「サンキョウ」と聞こえたため「三峡」と改名。この漢字表記は戦後も継続されて北京語で「san(1)xia(2)」と発音されている。ただし、地元の人は「三角湧」という表記に愛着を持っているとのこと。多民族・多言語国家ならではの歴史の重層性が明瞭にうかがえて興味深い。
・三峡老街の模型が展示されていた。展示パネルを見ると、三角湧の支庁長を務めた達脇良太郎という人が街並みの整備に尽力してくれたおかげであると評価されていた。Photo_18
・その三峡老街へ行った。バスを降りた所は普通の商店街だったが、民権路をもっと奥に進み、清水祖師廟の脇のところから赤レンガ造りの古びた風格の建物が整然と並んでいる。写真が入口、手前の建物に「三角湧老街」と彫り込まれているのが見える。大渓よりも観光地らしい喧騒だ。雨が降っていても、亭仔脚の下を歩けば気にならない。食べ物屋におもちゃ屋、土産物屋。みんなお店をひやかしながら進むのでノロノロ歩きになる。
・芳ばしい香りに引かれて、康喜軒金牛角なるパンを買った。形はクロワッサンのようだが、しっかりした歯ごたえでバターの濃厚な味。これはうまい。どうやら三峡名物になっているらしい。歩いていると、たとえばおばあさんが揚げパンを揚げている屋台も見かけたから、ああいう感じの屋台の出世頭のようなお店なのだろう。私は台湾のこういうデニッシュ系の菓子パンが好き。

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