西川満『わが越えし幾山河』
西川満の年譜的自伝『わが越えし幾山河』(人間の星社、1983年)を国会図書館で拾い読みしながら、台湾時代を中心にとったメモ。
・1910年、3歳のとき、父が基隆の秋山炭鉱(祖父の弟・秋山義一が経営)に招かれたため台湾へ渡る。
・台北の樺山小学校で菊田一夫と同級。
・台北高校受験に2度失敗し、19歳で基隆の税関吏となる。しかし、文学への想いが断ち切れず、早稲田大学に入る。仏文学を専攻。吉江喬松、西條八十、山内義雄などを知る。卒業論文は「アルチュル・ランボオ」。
・父親の影響もあったのかもしれないが、小中学生くらいの頃から日蓮主義、とりわけ田中智学に傾倒していた。東京遊学中に田中智学の国柱会へ入会、田中の息子である里見岸雄の思想にも共鳴し、国体科学連盟の設立に参加。
・1933年、大学卒業(26歳)。就職難の時代。「吉江喬松博士から、地方主義文学のために一生をささげよ、との教えをいただき、台湾へ帰る決意を固めた」(17頁)。山内からは台北帝国大学の矢野峰人と島田謹二への紹介状を書いてもらった。
・「同じ台北の旧い街でも、艋舺にはあまり興味がもてない。それは純然たるシナ風の街だからである。大稲埕には異国人が住んでいたので、東洋と西洋の混淆が見られ、それがたまらなくわたしには魅力だったのだ」(18頁)。
・総督府の建築家・井出薫の紹介で、台湾日日新報社の河村徹社長に会い、無試験で入社。ちょうど河村が台湾愛書会を創立したばかりの頃だったので、機関誌『愛書』の編集を担当。また、『台湾日日新報』の文芸欄を復活。
・1934年9月、媽祖書房を創設、雑誌『媽祖』を刊行。奥付に媽祖(天上聖母)の略伝を漢文で付す。素材・造本には凝り、限定番号入りで少部数。異国情緒を喜ぶ反響が大きい。
・1939年(32歳)12月、発行元の台湾詩人協会を自宅に置いて詩誌『華麗島』を創刊。北原政吉、長崎浩、本田晴光、石田道雄(まど・みちお)、新垣宏一、竹内実次、万波おしえ、池田敏雄、邱炳南(邱永漢)などの名前があがる。さらに1940年1月、『文藝台湾』へと発展。目次レイアウトは全く同じで、両誌の継続性を強調。
・『文藝台湾』創刊に際して官民有力者の名前を列ねたのは「官僚にあらずんば人間にあらずという風潮の土地」ではその方が芽が育ちやすいと思ったからだ、寄付金などはもらっていないし、御用雑誌などではなかったという趣旨を強調。
・西川が豪華本をつくっていた日孝山房に集う五人組について当時の戯文。「私版日孝山房の面々如何にと問はるれば、お江戸帰りの名人気質、烟草の煙を吐くごとに、板木一枚彫りあげる、左ぎつちよで名も高い、油絵画家の立石鉄臣君。身は山陰の海風を、浴びて屋号も出西屋、「台湾風土記」が縁となり、艋舺楼に入りびたる、民俗趣味の池田敏雄君。金が蛇より嫌ひにて、浮世離れた阿里山の、原生林に身を投じ、羽化登仙と洒落たがる、南画専門の大賀湘雲君。待つた俺等も宵越しの、金を費ふは大嫌ひ、絵筆はもてど義理人情心得たりと見得切って、侠気に生きる日本画家宮田弥太郎君。さてどん尻に控へしは、もつて生まれた凝り性が、とかく出世の邪魔となり、骨を折つては叱られる、傘屋の小僧の再生と、自他共に許したる、本気違ひの西川満」(32頁)。
・1942年10月27日、大東亜文学者大会出席のため東京へ。西川の他に龍瑛宗、濱田隼雄、張文環。
・台湾出版文化株式会社の社長は父親であり、これは西川の『台湾縦貫鉄道』を出版するためにつくられた会社。
・1944年12月、父・西川純が死去。1945年1月、父のあとをついで昭和炭業社の社長となり、樹林の昭和炭鉱を経営する。
・日本の敗戦後、総督府情報課の人から、戦犯名簿を作らねばならないので台湾文化の最高責任者として西川と濱田隼雄の名前を挙げた、と言われた。
・弟子らしい弟子はいなかったが、内弟子といってもいい人として、台南の葉石濤と桃園の林秋興の二人の名前を挙げている。林は二・二八事件で命を落したという。
・1946年4月7日に引き揚げ。
・強制退去処分を受けそうになった王育徳の裁判に尽力。
・年譜を見ていると、戦後も旺盛に執筆活動に勤しんでいた様子。占い(算命学)に凝って事務所を開いたり、天后会なる宗教団体も主宰した。その機関誌『アンドロメダ』に連載された年譜がこの自伝であり、人間の星社は機関誌発行元。戦後の動向については詳しく読まなかったのだが、宗教団体名に天后→天上聖母(媽祖)が意識されているのが興味深い。
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