国分直一のこと
国分直一『台湾の民俗』(岩崎美術社、1968年)、金関丈夫・国分直一共著『台湾考古誌』(法政大学出版局、1979年)を手に取った。前者は主に農漁村などを歩き回ったフィールドノートをもとに漢族や平埔族の民俗について、後者には台湾在留中の発掘調査をもとにまとめた論文が収録されている。台湾の先史文化を考える上で南方系の要素を強調する向きが強かったが、石包丁、黒陶、石鏃などの出土例を踏まえて大陸文化とのつながりを指摘している点に特徴がある。
『台湾考古誌』はもちろん学術書だが、目を引くのは巻頭のカラー図版。題して「国分先生行状絵巻」。金関の筆になる。たとえば、こんなシーンがある。先史時代の生活光景を大壁画にする企画で、作画担当の立石鉄臣はモデルがいないと描けないと言い、仕方なく国分が裸になって弓矢を持ったり、木を伐ったり。酒飲みの松山和尚につかまっているシーンもあるが、写真家の松山虔三のことか。国分の遠慮がちな性格をからかいながらユーモラスに描かれた絵巻である。日付は1948年10月、国分の妻と娘宛て。国分も金関も留用という形で日本の敗戦後も台湾に残されており、先に帰国した国分の家族を安心させるために金関が描いて送ったのである。
国分直一は1908年、東京に生まれ、その年のうちに父親が台湾の高雄に転勤したため、台湾で育った。旧制台北高校の一年上級にいた鹿野忠雄(山崎柄根『鹿野忠雄──台湾に魅せられたナチュラリスト』[平凡社、1992年]を取り上げたことがある→こちら)からの影響で民族学に関心を寄せる。京都帝国大学史学科を卒業、左翼思想に傾いていたため当局からにらまれ、逃げるように台湾に戻って台南高等女学校に勤務。その頃台南一中で教鞭をとっていた前嶋信次(東洋史、後にイスラム史の権威)や郷土史家の石陽睢と共に歴史・民俗調査を行なう。1943年、台北高等師範学校に移り、台北帝国大学医学部の金関丈夫を師と仰ぎ、『民俗台湾』にも積極的に参加した。その時のことを回想して、皇民化運動には批判的意図を持っていたこと、台湾の研究を大陸、とりわけ華南との関連につなげていこうと考えていたことなどを記している(「中村哲先生と『民俗台湾』の運動」『沖縄文化研究』第16号、1990年)。戦争中もアメリカ軍の空襲をかいくぐりながら学生たちと一緒に発掘活動に従事したことは『台湾考古誌』に記されている。
敗戦後は留用されて編訳館に勤務(他に言語学の浅井惠倫、民俗学の池田敏雄なども)。さらに台湾大学文学院副教授となって、爆撃を受けた大学の標本を整理、考古学の講義も行なって、戦後において台湾考古学の牽引役となる宋文薫(台湾大学名誉教授)などを育成した。また、大陸から来た李済、董作賓らとも交流。1949年8月に帰国。
戦後になっても国分は視野をさらに広げ、環東シナ海の文化的重層を掘り起こすべく80代を過ぎても旺盛に活動した。物質文化を時間・空間を超えて包括的に把握しようというのが国分の関心のあり方だが、角南聡一郎「日本植民地時代台湾における物質文化研究の軌跡」(『台湾原住民研究』第9号、2005年)は、考古学的に実測図を採用して科学的・客観的な解釈を試みたと評価、他方で、民俗学的調査では実測図を使わず従来通り写真や絵図を用いるという相違があったことを指摘。また、植民地における日本人移民の物質文化研究の先鞭を付けたとも評価する。
なお、国分の事跡については陳艶紅「国分直一と《民俗台湾》」(財団法人交流協会、2001年)、木下尚子「國分直一がのこしたもの」(『古代文化』第58巻第1号、2006年)を参照した。国分の回想録は『遠い空』という本にまとめられているらしいが、私は未読。
川村湊『「大東亜民俗学」の虚実』(講談社選書メチエ、1996年)が『民俗台湾』とその指導者とされた金関丈夫に批判の矛先を向けているのを読んで、国分は誤解も甚だしいと居たたまれない気持ちに駆られ、「『民俗台湾』の運動はなんであったか」(『月刊しにか』第8巻第2号、1997年2月)を書いた。エキゾティシズム趣味の西川満が主宰する『文芸台湾』でも確かに民俗をテーマとした記事が見られるが『民俗台湾』とは性格が異なること、国分自身などは台系社会をより理解するためにむしろリアリズムの張文環が主宰する『台湾文学』に親しんだこと、などを記している(三誌の違いについてはこちらで触れた)。師として尊敬していた金関への強い思い入れが行間からにじみ出ているが、遠慮がちな性格の国分らしく筆致は控えめだ。それどころか、どこにも中心を置かない新しい比較民俗学を川村が提唱しているところには共感を表明している。東アジア圏の国境を越えた民族考古学をフィールドとする国分の問題意識がまさにそこにあるからだが、彼の学徒としての実直さがよくうかがわれる。
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コメント
『遠い空』編集者のひとりです(^^)
http://ankei.jp/yuji/?n=200
の本ですが、ちーっとも売れていません。
書評なんかもありますhttp://ankei.jp/yuji/?n=652
それから、赤坂憲雄さんへの指摘なんかもあります。
http://ankei.jp/yuji/?n=909
投稿: 安渓 遊地 | 2010年4月11日 (日) 22時25分
安渓遊地様
実は私も購入しておりませんで、まことに申し訳ない次第です。
色々とご教示いただきましてありがとうございます。
投稿: トゥルバドゥール | 2010年4月12日 (月) 01時39分