「バーダー・マインホフ──理想の果てに」
「バーダー・マインホフ──理想の果てに」
1968年前後、ヴェトナム戦争、キング牧師暗殺、パリ五月(学生)革命、色々と盛り上がった世相の中(冒頭、ヌーディスト村のシーンから始まるのも当時の雰囲気をうかがわせる)、一つの彩りを添えたドイツ赤軍。創立者である左翼活動家のアンドレアス・バーダー、ジャーナリストのウルリケ・マインホフ(二人の名前を取ってドイツ赤軍はバーダー・マインホフ・グルッペとも呼ばれた)を中心に、彼ら彼女らのテロ活動が過激化し、自滅していく姿を描く。主義主張は抑えられ、当時のニュース映像もまじえて、ドキュメンタリー風ドラマという感じだ。2時間半の長丁場だが、飽きずに観ることができた。
この映画自体は明確なメッセージ性を出すような愚は避け、観客なりに様々な角度から観ることが可能なつくりになっている。ただし、この手のテーマだと、受け取る側の問題として(邦題からも何となく感じられるところだが)、「崇高な理想を追った純粋な若者たちが、なぜ暴力に走ったのか?」という感想を漏らす人が多いんだろうな。
しかし、問いの立て方が間違っている。「純粋、にもかかわらず、テロに走った」のではなく、「純粋、だからこそ、頭が単細胞→英雄主義的な自己肥大妄想に感染しやすい→テロに走った」のである。私には、ラスコーリニコフの薄っぺらなカリカチュアという程度にしか思えない。「暴力はいけない」なんて陳腐なことを言うつもりはない(それは政治の問題であって、倫理の問題ではない。残念ながら、政治と倫理とは必ずしも一致しないことがある)。帝国主義が何だ、ともっともらしいことを言ったところで、所詮は英雄妄想を正当化するための口実として“社会正義”を利用しているだけで、その薄汚さが鼻についてたまらない。公共的正義よりも自分探し的=私的な自己満足の方が優先されている(“正義”のために戦っている俺たちって格好良い、という自己陶酔)としか思えず、共感の余地が全くない(格好良く言えば、アイデンティティ・ポリティクスの一変種か)。「理論ではなく、行動で示さなくては」という発言でマインホフが揺らぐシーンもある。しかし、そうした“べき”論の言説自体が一つのイデオロギー=観念論として自分たちを呪縛しているという逆説が分からない、つまり自己分析のできない単細胞だったわけである。馬鹿は暴力に訴える→取り締まらなければならない→必然的に警察国家を将来してしまう。度し難い。レバノンまで軍事訓練に行って、女性が裸になって、パレスチナ・ゲリラの指揮官から反感をかう。反帝国主義と性の解放は両立するなんてのたまうが(ヴィルヘルム・ライヒを真に受けた馬鹿どもだ)、自分たちの“先進思想”を誇示→イスラムの慣習を無視→これ自体が極めて“帝国主義”的な態度じゃないか。
…ああ、反芻すればするほど彼らの薄っぺらさにムカムカしてくる。要するに、ドイツ赤軍及びその支持者たちの、理念ではなく人間としての馬鹿っぷりをさらし者にした映画である。確信犯的なニヒリストだったらむしろ怪しい魅力を感じるところなんだが、そういう要素はかけらもない。
テロリストつながりでは、赤い旅団によるモロ元首相誘拐・殺害事件に題材をとった「夜よ、こんにちは」(マルコ・ベロッキオ監督、2003年)という作品を観たことがあるが、こちらは政治性というよりも独特な人間ドラマに仕上がっていた。モロの敬虔なカトリックとしてのたたずまいが印象に残っている。日本だとあさま山荘事件か。「突撃せよ!あさま山荘事件」はハリウッド活劇風につくってはいるが、ありきたりな駄作。同じ頃に立松和平原作で「光の雨」という日本赤軍の自滅過程をテーマとした映画があったが、典型的な「純粋に理想を求める若者たちがなぜ…」調で、これはこれで明らかな駄作。日本赤軍の内輪リンチは、「バトル・ロワイヤル」的なアクション・ホラーと割り切った方が面白いんじゃないか。
【データ】
原題:The Baader Meinhof Complex
監督:ウリ・エデル
製作・脚本:ベルント・アイヒンガー
2008年/ドイツ・フランス・チェコ合作/150分
(2009年7月31日、渋谷、シネマライズにて)
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コメント
その手の映画でしたら、食卓のない家が、まだマシだったと記憶しています。
投稿: nancy | 2009年8月 1日 (土) 03時11分
nancy様はじめまして。
私はこの映画がダメと言っているのではなくて、「彼ら」のメンタリティーが大嫌いなのです。
「食卓のない家」という映画があるんですか。「まし」ということは、それほど面白くもないということでしょうか…。
投稿: トゥルバドゥール | 2009年8月 1日 (土) 09時45分
こんにちわ。
RAF関連だと、最近の中ではリンクのドキュメンタリーが一通り通史的にコンパクトに纏まっててよかったですよ。
http://www.youtube.com/watch?v=CqhKhszwA9o
映画は見てないけど、RAFについては、闘争中の事態そのものよりも、事後の「秋のドイツ」に象徴される一連の経過の方が記憶されてると思います。
「獄中でのRAF幹部の"自殺"」は"自殺"なのか?法廷での審判ではなく"超法規的手段"でしか処理し得ないのか?西独での政治問題の切開の限界はこの程度なのか?といった。ファズビンダーやリヒターの諸作品が知られてますけれど。
冷戦期の西独(乃至、分断された欧州全体)を一貫して覆っていた、「政治意識はどこまで先鋭化され得るのか、表現されえるのか、現代のヨーロッパを"生きる"ことの臨界点は何処か」を印象付けた点とも謂えるかな。
ポップ音楽でいえば、70年代中期の一連のイーノ/ボウイの作品に顕著なトーン/イギーも含めていいかなと。この監督の処女作にあたる「クリスチャーナF」に代表される80年代前半のベルリンサウンド-ノイバウテンとかにも共有された意識の基底ですよね。
映画見てないのでアレなのは承知ですけれど、ご指摘のとおり、ドキュメンタリー調の描写なら、尚更、日共はいわずもがな日本のセクト系のウザイおっさんバカ新左翼の習性と、情況も主体的条件も異なる欧州のそれを、"左翼"を補助線に、単線的に同一視するのは、やはり、バイアスのかかった偏見といえませんか?
投稿: shantaram | 2009年8月 2日 (日) 02時26分
shantaram様
考えるべきポイントは色々とありそうですね。ご教示いただきまして、ありがとうございます。
ただ、私が感じているのは、ある種の理想主義や過激思想の心理的背景として潜む自己顕示欲の強さが不快だということです。それは人間である限り必ずあり得ることで、政治的党派性にも時代にも関係ありません。ケースバイケースで、すべてがそうだとも言いませんが。
投稿: トゥルバドゥール | 2009年8月 2日 (日) 02時41分