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2009年8月19日 (水)

8月某日 庄内(2)(大川周明、石原莞爾、文明開化、護国神社、奥羽越列藩同盟)

(承前)
◇第四日
【キーワード】大川周明、石原莞爾、文明開化、護国神社、奥羽越列藩同盟

・前日はレンタカーを利用して遠隔地を回ったので、本日は酒田・鶴岡の市街地を回る予定。酒田駅前の観光案内所でレンタサイクル。案内所のおじいさんに、石原莞爾・大川周明にまつわる場所が市内にないか?と尋ねたら、しばらく考えて、光丘文庫に行って聞いてみなさい、と教えてくれた。
・酒田市立資料館。土門拳生誕百周年に合わせて写真展。やはり子どもの写真が中心。この資料館近くに土門の生家跡がある。2階では酒田市に関する通史的な展示。
・海の方向へ行き、山居倉庫。明治期に入って、旧藩主の酒井家や菅実秀らによって殖産興業のためつくられた倉庫群。庄内米歴史資料館もあるが、時間的な余裕がないので素通り。庄内藩は、城のある鶴岡が政治の中心とすれば、港町として栄えた酒田は経済の中心。北前船による江戸や大坂を結んだ流通ルートの要で、東回り航路・西回り航路の拠点となっていた。
・酒田は、映画「おくりびと」のロケ地となり、これも町おこしの材料に使われている。このシーンはここで撮影されたと示す観光用看板が市内のあちこちにある。古びてなかなか風格のある建物もあり、映画に使いたくなる気持ちは分かる。実はこの映画、観よう観ようと思いつつ、まだ観ていない。話題になると観る気が失せてしまう天邪鬼なもので。

・光丘文庫へ行く。酒田市立の市史編纂所のような位置付けか。酒田の豪商・本間光丘が学問振興の施設を作ろうとしたが許可がおりず、その子孫が明治になって光丘を記念して建てたという。本間氏は、戊辰戦争に際して最新鋭の銃器を購入して庄内藩へ献上したり、敗戦後、酒井氏が会津へ転封という話が出た際、明治新政府に献金をしてやめさせたりと庄内藩の政治にも密接につながっていた。なお、佐渡にも本間氏がいたが、祖先をたどれば庄内の本間氏ともつながりがあるらしい。
・事務室へ行き、応対に出てくれた学芸員の方に、大川周明の墓の場所を尋ねた。だいたいの場所は教えてくださった。ただし、大川家の私的な場所なので、遺族の方は、はっきりとは言わなかったけれどもあまり公にはしたくないような様子だったという。
・話の流れで色々と教えてくださった。最近、若い人でも大川周明・石原莞爾がらみで来館する人が多いらしい。「どういうわけか、大川周明や石原莞爾の人気がまた出てきているんですよね。保守回帰の傾向とつながりがあるのでしょうか。とくに、石原のカリスマ的なところに惹かれる人が多いのかもしれません。ただ、変な受け売りとかバイアスをかけて見るのは好ましくありません。興味を持つなら、彼らの書いたものをじかに手に取って読んでみて、色々な人の話を聞いて、自分自身の眼で掴み取って欲しい。ネオナチみたいのに利用されるのはまずい。むかしとはもう世代が違うし、バイアスを取り去って読み直してみれば、色々と可能性はあるはずです。」私も全く同感。「そういえば、大川や石原について最近たくさん本が出ていますよね。たとえば、佐藤優氏とか…。」と話をふったら、「ええ、佐藤さんもいらっしゃって、ここにある大川の蔵書を調べていかれましたよ。」
・光丘文庫は、大川家とは何らかの接点を持っているようだが、石原莞爾については「あちらは独立してやってるんですよね」とおっしゃるのが印象に残った。戦後になっても東亜連盟の信奉者が独自の活動をしているということか。
・大川と石原は、二人ともアジア主義者であること、戦時下において反東条英機の立場に立ったことなど共通点もあり、二人の間に何らかの交流があったのは確かなのだが、その証拠となる資料が意外と見つからない、とも指摘された。
・大川周明・石原莞爾の蔵書はここに寄贈・委託されている。ガラス戸付本棚に並べられており、背表紙を眺めることができる。二人とも読書の幅が広い。「大川はやはり学者なんですよね。」「二人とももっとくだけた本も読んでいたはずなんですが、ここにはないんですよ。」石原の蔵書はドイツ留学中に買い込んだ洋書が多い。大川がコーラン研究に使った本も並んでいる。ある一冊を指して「この本には“東条の馬鹿”って書き込みがあるんですよ」と笑う。逐一眺めていきたいところだが、ちょっと時間が迫っているので辞去する。「何か資料調べの必要がありましたらご連絡ください」と声をかけていただいた。
・光丘文庫の近くにある大川周明顕彰碑を写真に撮る。
・敗戦時、石原莞爾は酒田の北の遊佐にいた。東京裁判で証人喚問されることになったが、体の具合がよくないので、酒田市内の商工会議所に特別臨時出張法廷が開設され、石原はリヤカーに乗って運ばれてきた。「満州事変を起こしたのは自分だ、自分を戦犯として裁かないのはおかしい」と主張したことは有名。当時の商工会議所の建物は現在はなく、NTTの道路をはさんだ向かい側にあるセブンイレブンのあたりにあったと光丘文庫で教えてもらったので、そこまで足を運ぶ。
・酒田駅前まで戻り、レンタサイクルを返却。カギを渡す際、観光案内所の先ほどのおじいさんが思い出したように声をかけてくれた。「酒田の北の方に石原莞爾のお墓があるんですが、行きましたか? …そうですか、行きましたか。あの辺りには信奉者がたくさんおったんですよ。私の若い頃も身近にいましたよ、東亜連盟の人が。今はもういませんけどねえ。」世代がかわって、後を継ぐ人がもういないということですか?「うーん、というよりも、石原さんは鶴岡の人ですからね、酒田とはもともと縁はなかったんですよ。」そういえば、藤沢周平の自伝的エッセイでも、東亜連盟は唐突に現われた、という書き方をしていた記憶がある。石原が庄内に帰郷して、彼のカリスマ的な迫力に多くの人々が集まって、彼の死と共にその火は小さくなったということか。
・タクシーに乗って、大川周明の生家近くまで行く。西荒瀬小学校が目印。顕彰碑のようなものがあるらしいが、見つからない。田んぼが広がるただ中、鳥海山が美しく見える所だ。

・酒田駅12:10発の普通列車に乗って鶴岡へ。駅前の土産物店でだだちゃ豆の混ぜご飯弁当を買って昼食を済ます。田んぼの中を走るローカル列車、車窓の風景をぼんやりと眺める。鶴岡までは30分ほど。
・鶴岡も酒田と同様、市街中心部とJRの駅とは離れている。観光案内所で道を尋ねたら、歩いてもそれほど時間はかからない様子なので、観光マップをもらって歩き始める。途中、高山樗牛生誕地という立て札を見つけた。目的地の致道博物館まで30分もかからなかった。
・鶴岡城のすぐ前、致道博物館。お隣には酒井という表札のかかった豪邸があったが、旧藩主家か。
・旧藩主の隠居屋敷や明治に入って高橋兼吉によって立てられた洋風建築、農家などを利用して歴史・民俗などの幅広い展示。充実している。
・高橋兼吉は鶴岡の大工の棟梁。横浜で修行した際に洋風建築を学んだらしい。他にも寺社建築も手がけており、ジャンルは幅広い。伝統技術のしっかりした蓄積があれば、外来の技術もその勘所をたちどころにつかんで接ぎ木できる。そうした高橋のような技術者が日本各地にいたことが、文明開化の成功の一つの要因だったように思える。司馬遼太郎の何という小説だったか、確か宇和島の鍛冶職人が見本を見ながら試行錯誤して蒸気機関?を作り上げた話があったように記憶している。読んだのはかなり以前なのでタイトル等を思い出せない。
・酒田の沖合い、飛島の洞窟遺跡の再現模型が目を引いた。子どもを含めた男女の遺骨が発掘されている。埋葬されたのか、特殊な死因があるのか、分からないという。地元では“テキの洞窟”と呼び習わされている所らしい。何やら陰惨なエピソードを想像させる。
・鶴岡城内の大宝館。鶴岡ゆかりの人々にまつわる展示。高山樗牛の生家の一部が中に移築されている。裏手に藤沢周平文学館があるが、現在は改装のため休館中。なお、鶴岡市内ではあちこちに藤沢周平文学碑がある。

・大宝館の受付の人に尋ねて「石原莞爾生誕之地」という碑文を見に行く。護国神社の境内にある。生まれたのは鶴岡市内だが、ここではない。陸軍の軍人だから護国神社が選ばれたのだろう。
・石碑を写真に収めていたらズドドーンというすさまじい音が響いてきた。公園広場へ行くと人だかり、火縄銃の斉射をしている。今日は大名行列のイベント開催ということで、観客だけでなく、古式ゆかしい衣装を身にまとったエキストラが公園近辺にあふれかえっている。
・今日は8月15日。護国神社に“英霊”への参拝を呼びかける幟がはためているものの、人影はない。護国神社は、いわば靖国神社の支店である。靖国神社は戦死者を神として祀る場所であるが、もとをたどれば戊辰戦争で戦死した官軍兵士を祀ったのが起源である。ところで、庄内藩は会津藩と同様に朝敵とされていた。だから、参拝者が少ないのか。
・余談だが、台湾にあった護国神社は、現在、忠烈祠として国民党軍兵士を祀っている。戦前の日本軍部と蒋介石時代の国民党軍事政権との性格的な共通性を連想させる。
・お城近くの鶴岡カトリック教会。天主堂と大書された門構えが和風なのが面白い。ここは明治時代からあるはずだ。庄内中学在学中の大川周明がここへフランス語を習いに来ていた。

・鶴岡駅へ戻り、バスターミナルへ。ターミナルビル内の書店で星亮一『奥羽越列藩同盟──東日本政府樹立の夢』(中公新書)を買い、仙台行き高速バスの車中で読み始める。本書は、奥羽越列藩同盟を守旧的な佐幕派ではなく、政権を独占しようとする薩長に対し、統一後日本におけるもう一つ別の政権構想を示した異議申し立てと捉えなおす。会津藩への苛酷な処分は公正さを欠く、それでは統一後日本の和を保てないという問題意識。公義所に各藩の代表者が詰める→一種の連邦制とすら思える。仙台藩の玉虫左太夫は咸臨丸で渡米経験があり、彼は議会制民主主義のことを知っていた。ただし、列藩同盟相互の連絡体制の不備、政治的駆け引きのまずさから綻びが出て敗退。仙台藩の玉虫、米沢藩の雲井龍雄らは人身御供のように処刑されてしまう。武士だけが戦って農民たちから遊離していた藩がある一方で、庄内藩は農民兵・町民兵も組織、酒田の豪商・本間家は莫大な資金援助により最新鋭の武器を購入、上下一体の組織体制を整えたことが強さを発揮したというのが興味深い。
・庄内から東北を横断する形で仙台へ。出羽三山をはじめ山並みがはるかにつづき、高速道路はいくつかの盆地のへりを通る。夕暮れ時、夕霞というのか、盆地にうっすらとかかる靄にあかね色の光が染まっている光景が、胸がホッとするような美しさ。
・夜19:00頃に仙台着。宿泊先に荷物を下ろしてから、繁華街の国分町をふらつき、適当な店に入って牛タン定食で夕飯。

(続く)

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