« 8月某日 佐渡(2)(郷土博物館、土田杏村、北一輝、本間雅晴) | トップページ | 8月某日 庄内(2)(大川周明、石原莞爾、文明開化、護国神社、奥羽越列藩同盟) »

2009年8月19日 (水)

8月某日 庄内(1)(石原莞爾、阿部次郎、清河八郎、土門拳、西郷隆盛、藤沢周平、森敦『月山』)

(承前)
◇第三日
【キーワード】石原莞爾、阿部次郎、清河八郎、土門拳、西郷隆盛、藤沢周平、森敦『月山』

・酒田駅前でレンタカーを借り、庄内平野を一巡する予定。朝8:00出発。
・庄内平野の北の端、飽海郡遊佐町。道を尋ねながら石原莞爾の墓所へ。新しく開通したと思しきバイパス国道脇から小高い丘への坂道を上がったところにある。木立の中にひらけた広場。
・晩年の石原は、東亜連盟の有志と共にこの近辺で東亜連盟推奨の農法によって開拓を行なっていた。墓所もかつて開拓地だったところにある。大きな土饅頭、「永久平和」と刻んだ石原の顕彰碑、同志の墓碑などがある。番小屋のようなプレハブの建物があり、中に入ると、東亜連盟関係者によるパンフレット類が置かれている。ただし、誰もいない。振替用紙が置いてあり、持って行ったら後で振り込んでくださいという形式。野菜の無人販売を思い起こす。何冊か購入する。むかし石原が使っていたという椅子が置いてあり、それに腰掛けて芳名帳に記入。
・石原たちが開拓を行なっていた頃は何もない山里だったのだろう。現在、山を大きな国道バイパスが貫通して、行きかう車が排気ガスを出し、音を立てて通り過ぎていく。西の方、道路の反対側の先は浜辺で、現在は海水浴場となっている。大音声でがなり立てる有線放送の音楽がここまで聞こえてくる。それらの騒音が松林の中で静かに鳴く虫の声と混ざり合って、ちょっと不思議な感慨にひたる。
・庄内で放浪生活をしていた森敦の文章に、遊佐には朝鮮人が多い、という一節があった。石原の東亜連盟は各民族の政治的独立という主張も掲げていたので、朝鮮人の信奉者も多かったらしいので(→こちらを参照)、この近辺で一緒に開拓をしていたのだろうか。

・酒田市松山へ行く。ここは庄内藩の支藩・松山藩の中心で、かつて城があったところには新しくてきれいな松山文化伝承館が建っている。大手門も残されている。
・近くに阿部次郎記念館。生家が記念館として保存されている。阿部家は学者一家だったようだ。一番有名なのは哲学者で漱石門下の次郎。彼にまつわる展示も多数あるが、弟である生物学者の襄(のぼる)の方が地元酒田に根を張って活動していたので慕われていたらしい。
・阿部次郎といえば『三太郎の日記』。旧制高校的教養主義の代表選手。ただし、理想を語ったり、難解な用語を弄んだりするのは、所詮、エリートとしての鼻持ちならない自意識過剰な特権意識に過ぎず、ああいうスノビズムはまるっきり無意味だと思っているので、私は読む気すらおこらない。
・阿部次郎は写真嫌いで有名だったらしいが、同郷の土門拳にだけは快く撮影してもらったという。
・松山文化伝承館。松山藩の歴史の展示。戊辰戦争のとき、松山藩は本藩の庄内藩と共に奥羽越列藩同盟に参加。家老の松森胤保は、官軍側にいた知己との交友もあって巧みに敗戦処理をしたらしい。松森は学者としての功績も高いそうだ。歴史の大事件の中でも、地域ごとに色々とエピソードがあるのは面白い。
・藤沢周平の小説を読んでいると、お家騒動に支藩の存在が絡む話があるが、庄内藩にとってのこの松山藩の存在がモデルになっているのか。

・庄内町歴史民俗資料館。明治時代、鶴岡の大工棟梁・高橋兼吉によって建てられた群役所を資料館として活用。館内の時間が堆積した古びた風情、こぢんまりとしてはいるが手作り感のある展示、こういう郷土博物館は中にいるだけで気持ちがホッとする。すぐ隣に北楯神社。治水に功績のあった最上家の家臣・北楯利長を祀っている。

・同じ庄内町の、清河八郎記念館。清河八郎を祀った清河神社の境内。初代館長は藤沢周平の小学校での恩師だった人で、宮司も兼務していたという。清河の生涯を紹介する展示のほか、神社に奉納された山岡鉄舟の書「漸近自然」、高橋泥舟の書「仙世界」、頭山満の書「尊皇攘夷」などもあった。
・受付にいたおばさんが色々と説明してくれた。清河の生家である斎藤家は素封家だが、農地解放で土地を失い、一族はみな東京へ行ってしまって、ここ清河の地に縁者はいないという。清河の妹の孫にあたる斎藤清明という人が東京帝国大学で大川周明の同級生だったが、若くして病死。この人は自分で清河八郎の評伝を書くつもりで史料を集めていたが、志はかなわず、その史料を預かった大川が清河の評伝を書き上げた。大川は巣鴨プリズンを出獄後、帰郷のたびに正装して清河神社に参拝していたという。
・なお、藤沢周平も、恩師の集めた史料をもとに清河を主人公とした歴史小説『回天の門』(文春文庫)を書き上げている。
・また、斎藤清明の妹(つまり、清河の妹の孫娘)は柴田錬三郎の夫人。年上の姉さん女房、神田で古本屋を経営し、まだ学生だった柴錬と結婚、彼を作家として育て上げた。自由奔放な女傑タイプで、雰囲気として岡本かの子に似ていたという。気性の激しさはやはり清河八郎の血筋なんでしょうかね、と記念館のおばさんは語ってくれた。

・酒田市内方面に戻る。青々と田んぼが広がる中をかっ飛ばすのは気持ちがいい。風力発電用の大きな風車が壮観。庄内は風の強い地域らしい。
・土門拳記念酒田市立写真資料館。土門拳は5歳で東京に行ってしまったが、もともとは酒田の出身。市内には土門拳生誕地を示す立て札もある。庄内では土門姓の表札をよく見かけた。こちらでは珍しくない苗字のようだ。土門拳は酒田市名誉市民第一号。
・彼を記念した写真美術館で、建物はモダンできれい。今年は土門拳生誕百周年ということで、彼と仲の良かった華道の勅使河原蒼風、グラフィックデザイナーの亀倉雄策との三人展を開催中。勅使河原は前衛的な生け花。亀倉は東京オリンピックのポスターデザインで有名か。土門拳の子供好きは有名で、彼については東京下町の子供たち、筑豊の子供たちを中心とした展示。
・帰りの新幹線で、土門拳『腕白小僧がいた』(小学館文庫)を眺めた。『筑豊のこどもたち』『るみえちゃんはお父さんが死んだ』をはじめ、子供たちを撮った写真に土門のエッセイを合わせて編集された本。筑豊の炭鉱、過酷な労働環境、閉山による失業、貧しさ、こういった問題を写真で伝えようという思いが確固としてある。でも、そういった社会派的動機ばかりではない。楽しければ笑顔、つらければ憂い顔、そういった感情の動きが素直に出てくる子供たちの表情、感情そのものを写真の中に写し取っていく。例えば、るみえちゃんの憂いを帯びた眼差し、けなげに美しい、美しいからこそ切なく、胸を打つ。悲惨なたたずまいに美しさを感じるのは不謹慎かもしれないが、しかし、メッセージ的な意味を構築された写真よりも、哀しいならその哀しみそのもの、感情の動きそのものが放つオーラの方がはるかに見る者の心を捉える。

・土門拳写真資料館のある飯森山公園に南洲神社もある。西郷隆盛を祀った神社。
・庄内藩は奥羽越列藩同盟の中核戦力の一つとして活躍したので、戊辰戦争では朝敵とされてしまう。しかし、官軍側の最高指揮官としてやって来た西郷隆盛は、庄内藩側の面子を立てる寛大な対応をしたため、その人柄が庄内藩士から慕われた(長岡では、官軍の岩村某が高飛車な態度を取ったため、河井継之助が徹底抗戦へ追い込まれたのとは対照的である)。
・幕末維新期に庄内藩の舵取りを担い、明治に入ってからも殖産興業に尽力した菅実秀は、若い藩士を連れて、征韓論で下野して鹿児島に戻っていた西郷を訪問。この際、若い庄内藩士2名が私学校に留学、西南戦争にも従軍して戦死。
・その後、菅を中心に西郷の言行録をまとめたのが『西郷南洲遺訓集』である。薩摩人ではなく、戊辰戦争で敗者となった庄内人が作ったという次第。神社で無料で配布されている。

・鶴岡市街地の脇を通り過ぎて、湯田川温泉へ。藤沢周平が師範学校を出て初めて教鞭を取った小学校がここの湯田川小学校である。
・たみや旅館へ行く。大川周明がここへよく来たらしく、彼からの書簡がこちらにあると何かで読んだ。声をかけ、出てきたおやじさんに尋ねたが、返答はぶっきらぼう。湯治だけも可能なようなので、500円払ってひと汗ながす。
・さらに車を走らせて、藤沢周平生誕地へ。細い田舎道に入る。家はもちろん残っておらず、更地になっているが、そこに生誕地を示す大きな石碑が建てられていた。
・ふと思ったのだが、これが近代以前の時代だったら、藤沢神社でも建てられていたかもしれない。ある人物や出来事に、人々が何かかけがえのないものを感じ、その記憶を土地と結び付けて後世まで語り継ごうとした時に社が建てられているのかな、そんな印象を私は抱いている。
・すぐ近くを高架のバイパス国道が走っている。少し離れた山の斜面が崩れて赤茶けた土肌が露呈している。藤沢の自伝的エッセイで、生家跡を訪れた折にこの露呈した土肌を見かけたことが記されていたように記憶している。今ではちらほら木が生え始めている。
・私には全く縁もゆかりもない土地。しかし、自分には関係のない土地でも、そこなりに生活が息づいているという当たり前のことを見て歩きたいという気持ちがある。極論すればどこでもいいのだが、何か目的地を設定しないと、出かける口実にならない。つまり、私にとって藤沢周平の生家が目的なのではなく、それを口実として、普段なら通りかかる必然性のない場所へ行く。それだけのこと。目的地が目的なのではなく、歩きながらぼんやりとあたりを見回すこと自体が楽しい。

・月山の入口とでも言おうか、注連寺。出羽三山はかつて女人禁制だったが、この注連寺まではOK、それで女性はここから出羽三山を拝み、男性はここから出発する、そうした拠点としての役割を果たしたお寺らしい。廃仏毀釈で出羽三山が神社となり、ここは廃れた。
・森敦の小説『月山』の舞台はここ注連寺。昭和の初期、ここは破れ寺で堂守じいさんが一人いるだけ、そこへ放浪生活をしていた森が転がり込むという話。冬は雪に閉ざされるが、そうした中でも近隣の人々も集い、泥臭く不可思議な猥雑さを醸しだす。境内に森敦の記念碑がある。
・本堂参観の終了時間は17時だが、16時50分頃に私は飛び込み、「まだ大丈夫ですか?」と声をかけた。おばさんが出てきて、「ええ、大丈夫ですけど、お一人ですか? ここは初めてですよね。…しょうがない、説明するか」とブツブツ。解説はきちんとまとまっているけれど、いかにも面倒くさそうな態度。そんなに面倒ならもういいよ、と思ったが、黙って聞く。相槌もうたない。
・本堂内には鉄門海上人の即身仏が安置されている。森敦『月山』に、お寺の名物がなくなったから、じさまが行倒れ人の死体から内臓を取り出し、座禅を組ませた格好で燻製にしてミイラを作ったという話を聞くシーンがある。本当かウソかは分からないが、その気色悪さがやたら印象に残っている。森敦がこんなこと書いてましたよね、とおばさんに話をふろうかとも思ったが、面倒くさいからやめた。
・昨晩読んだばかりの『月山』の小説世界に、いま自分が立っているというのが不思議な気分だが、あまり実感がない。道路が整備されているから、いつでも誰でもここには来られる。すぐ近くには高速道路も走っている。距離的には確かに山奥ではあるが、普通にアクセス可能→観光地として平板化、ベンヤミン的にアウラなんて表現を使うのが適切かどうか分からないが、雪に閉ざされ、余所者を寄せ付けないからこそ醸し出された猥雑な雰囲気は、もはや再現不可能なのだろう。

・湯野浜温泉を経由して、日本海を見ながら酒田市内へと戻る。途中、メロンの直売所をあちこちで見かけた。
・酒田駅前にたどり着いたのが夕方19:00頃。古い町はどこもそうだが、鉄道の路線は後から敷設されたわけだから、市の中心部とJRの駅とは離れているケースが多い。明日の偵察を兼ねて、市街地へと歩く。灯篭祭りをやっていた。お盆だから、帰省した家族も迎えてにぎやかにやろうという気持ちもあるのか。酒田の中心街をブラブラ歩いて一周しても二時間かからない程度。これなら自転車で十分回れる。
・酒田駅前のホテルに泊まっているので駅前に戻ったが、夕食をとろうにも目ぼしいお店は全部閉まっている。今日は一日中車で走りづめで、食事もコンビニで買ったおにぎり1個のみ。何とか名物に近いものをとこだわって、だだちゃ豆のご当地おにぎり。駅前にはコンビニすらないので困ったが、幸い食堂的なラーメン屋が一軒やっていたので飛び込む。店内のテレビでは「火垂るの墓」が映っていた。メシ食いながら観る映画じゃないよなあ…。

(続く)

|

« 8月某日 佐渡(2)(郷土博物館、土田杏村、北一輝、本間雅晴) | トップページ | 8月某日 庄内(2)(大川周明、石原莞爾、文明開化、護国神社、奥羽越列藩同盟) »

旅行・町歩き」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/197828/45968104

この記事へのトラックバック一覧です: 8月某日 庄内(1)(石原莞爾、阿部次郎、清河八郎、土門拳、西郷隆盛、藤沢周平、森敦『月山』):

« 8月某日 佐渡(2)(郷土博物館、土田杏村、北一輝、本間雅晴) | トップページ | 8月某日 庄内(2)(大川周明、石原莞爾、文明開化、護国神社、奥羽越列藩同盟) »