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2009年7月13日 (月)

「エヴァンゲリヲン新劇場版:破」

「エヴァンゲリヲン新劇場版:破」

 今さらエヴァ観てはしゃぐ年齢でもないけど、取りあえず覚書程度に(ちなみに、去年、「エヴァンゲリヲン新劇場版:序」を観たときのコメントは→こちら)。

 テレビ版に続き、前の映画版、今回の新四部作と作り直しは2回目。単に作り直しとみるよりも、そのたびにオリジナルのストーリーからパラレル・ワールドとして広がっていると捉えるべきか。物語世界を大きく動かす(擬似)神話的レベルから学園ラブコメ調のノリで描かれる日常生活まで、重層的な世界観の広がりが私には大きな魅力(現時点でもまだ全体像は分からないが、碇ゲンドウたちの思わせぶりなセリフが観客をじらせる)。一つ一つのエピソードがいかにもいわくあり気で、そうして張り巡らされた伏線は、制作者側も実は収拾がついていないのではないかと思わせるほど。逆に言えば、深読みの余地が大きい→議論ができるのも人気の理由だろう。聖書、グノーシス、古代メソポタミア神話など“神秘主義”ネタが多い→今回も“ネブカドネザルのカギ”なる新ネタが出てきた。

 やはり新キャラであるマリの登場で、碇シンジ、式波(惣流ではない)アスカ、綾波レイのキャラクター描写がより明瞭になった。三人それぞれ、いじけ型、自己顕示型、無感動型とタイプは異なるが、「何のためにエヴァに乗るの?」という自問自答→一種の“自分探し”に収斂する点ではいずれも共通する(みんな庵野秀明の分身という噂があるけど)→マリはこうした三人とは異なり「へえ、そんなこといちいち気にする人もいるんだ」とポジティブ型(でも、現段階ではまだ正体不明)。

 突っ込めば突っ込むほど様々な薀蓄があるのでしょうが、詳しいことは私にはもう分かりません。復習してないんでだいぶ忘れてるし。

【データ】
総監督:庵野秀明
2009年/108分
(2009年7月11日、新宿ミラノにて)

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