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2009年7月10日 (金)

ジグムント・バウマン『リキッド・ライフ──現代における生の諸相』

ジグムント・バウマン(長谷川啓介訳)『リキッド・ライフ──現代における生の諸相』(大月書店、2008年)

・「リキッド・モダン」社会:そこに生きる人々の行動が、一定の習慣やルーティンに凝固する前に、その行動の条件の方が先に変化してしまう社会→絶え間ない不安定・不確実。イス取りゲームや自転車操業のイメージ。長期性・全体性という考え方はなくなる→即席の満足と個人的な幸福が基準。(※かつての「ソリッド・モダン」社会では「楽しみは後回しにする」「じっくり取り組む」のが基本)
「かつて、進歩の論理は議論の余地のないものであり、優劣の秩序が、この論理によって構造化され、見まごうことなく実在していた(あるいは想定されていた)。しかし、その秩序はいまや侵食され溶解してしまった。他方で、新たな秩序はあまりにも流動的で、きちんとした形へと固まることができないし、アイデンティティを組み立てるために頼りにできる準拠枠として採用されうるほど、長期に形状を保つこともない。結果として、「アイデンティティ」は、ほとんど自分で設定し、自分で自分に割り振るものとなった。その努力の結果について思い患うのも、各自の問題となる。また思い患ったところで、その努力の結果は、明らかに一時的なものであって、その有効期限もはっきりと規定されておらず、たぶん長くない。」(59ページ)

・“個性的”であることが強制される社会。しかし、“個性”の主張がそのまま没個性的であるという逆説。他者との差異は消費活動を通して示される。
「今では、「流行中」と「時代遅れ」の間のズレによって独自性は測定され評価されている。もっと言えば、今日出た商品と、まだ「流行中」とされ商品棚に陳列されている昨日の商品との差異によって独自性は決まる。独自性追求の成否を決めるのは、走者たちのスピードである。」(47-48ページ)

・「たえまない変化の中から確実に出現する「アイデンティティの核」が一つだけある。…(それは)ホモ・エリゲンス、すなわち「選んでいる人」である(「選んでしまった人」ではない!)。永遠に永続せず、完全に不完全で、不明確であることは明確な、本来的に非本来的な、そういう自我である。」(63ページ)

・「欠陥のある消費者」→「リキッド・モダン」社会に固有のホモ・サケル→バウマン『廃棄された生──モダニティとその追放者』(昭和堂、2007年)を参照のこと(→こちら)。

・消費市場はギリシア神話に出てくるミダス王のようなもの。「市場が触れるものはすべて消費商品になる。その手を逃れるにも、その逃避の試みで利用される方法や手段さえも、すべて商品である。」(154ページ)

・個人レベルにおけるエンパワーメントのためには異質な他者との対話が必要→公共空間をいかに再構築するのかという問題意識。

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