ラビア・カーディル『ドラゴン・ファイター:平和を求めて中国と闘うある女性の物語』
Rebiya Kadeer with Alexandra Cavelius, Dragon Fighter: One Woman’s Epic Straggle for Peace with China, Kales Press, 2009
“ウイグルの母”ラビア・カーディルは、中国政府による苛酷な弾圧から逃れたウイグル人亡命者の組織・世界ウイグル会議の主席を務めている。本書は、彼女へのインタビューをもとに物語風に再構成された自伝である。巻頭にはダライ・ラマから寄せられた序文が掲げられている。
政策として行なわれた強制移住への戸惑い、貧困、必ずしも望んだわけではなかった銀行幹部との結婚、文化大革命、そして離婚。漢人優位の社会体制や女性の立場の低いウイグルの伝統的な考え方の中、公的な教育を受ける機会のなかった彼女にとって状況は最悪であった。しかし、自立心の旺盛な彼女は洗濯屋を皮切りに、試行錯誤の末、商売で成功を収める。文化大革命は終わり、改革開放の機運の中、中国でも有数の富豪として認知された彼女は全国人民代表大会新疆ウイグル自治区代表など様々な公的役職にも就いた。
これは単なる成功物語としてではなく、彼女の社会起業家としての側面をみるべきだろう。彼女がとりわけ努力を傾けたのは女性のエンパワーメントの問題である。1987年、国際女性デーである3月8日を期してバザールを開設した。女性でも自ら稼げる場所を提供するためである。このバザールを七階建てのビルに建て替えたが(ラビア・ビルと呼ばれ、ウイグル人にとってシンボル的存在となった)、建築費用そのものよりも、建築許可を得るためのワイロに要した額の方が大きかったという。官僚制度の腐敗が壁として立ちはだかっていたが、そこに風穴をあけることができたのは、残念ながら必要悪としてのカネの力であった。そのことを彼女は身をもって体験していた。漢人優位の社会構成の中で被抑圧的立場にある少数民族や女性。尊厳も、最低限の生活保障すらも奪われていた彼ら彼女らにとって、何よりもまず自ら稼ぐ力を身につけることが必要であった。それが非暴力的・合法的にウイグル人の立場を高め、一人ひとりが尊厳をもって生きていける環境を築くための手段だからこそ、彼女は子供たちの教育や女性のエンパワーメントの事業に取り組んだ。
だが、それでも限界がある。たとえば、中国政府はウイグル人に政治的保護を与えないため、カザフスタンに行ったウイグル人事業家はギャングに命を狙われるという話が本書に記されている。つまり、殺して金を奪ってもウイグル人ならどこからもクレームはつかないからである。自分たちの政府を持たない悲劇。ロプノールで行なわれた核実験ではウイグル人に放射能被害が出ている。1997年にはグルジャ事件がおこった。
こうした状況の中、彼女は全人代(the National People’s Congress)[訂正→人民政治協商会議]で演説する機会が与えられた。全人代での演説は事前に草稿の検閲を受ける。しかし、彼女は検閲済みの草稿など読み上げず、ウイグル人の置かれている窮状を強い調子で訴えた。会場からは喝采を浴び「よくぞ率直に話してくれた」と握手を求められた、が、安心するのは甘すぎる。善処の約束はすべて偽りであり、間もなく報復が始まった。彼女はすべての役職を解かれ、女性のエンパワーメントを目的として立ち上げた「千の母たちの運動」は“分離独立運動”とみなされて解散に追い込まれた。そして、ウルムチを訪問中のアメリカ国会議員たちと接触しようとした彼女は国家機密漏洩の容疑で逮捕され、刑務所に送り込まれてしまう。
刑務所で彼女が目撃した光景は悲惨であった。漢人職員によるウイグル人収容者の拷問が横行していた。彼女自身も、減刑を約束された同房者からいやがらせや監視を受ける毎日で、ハンガーストライキを行なった。在獄中の2004年、ラフト人権賞を受賞。海外からの働きかけもあって、2005年に病気療養の名目で釈放され、そのまま空港に直行、アメリカの外交官に引き渡され、亡命することになった。
しかし、アメリカに亡命したからといって安心はできない。何よりもまず家族を新疆に残したままだ。また、2006年にはワシントンで“交通事故”に遭い、かろうじて一命はとりとめたが、これは中国の公安の仕業であった。(なお、日本とて安心はできない点では例外とは言えない。水谷尚子「中国のスパイだった友人の告白──素人を協力者に仕立てる当局の恐るべき手口」『VOICE』[2009年8月号]には、来日したラビア女史の動向や日本でウイグル問題に関心を持っている人物・組織について探りを入れて公安に報告していたウイグル人のことが記されている。彼らとて自発的にスパイをしているのではなく、公安に弱みを握られ、脅され、罠にはめられてそうした活動を無理強いされている。)
今回のウルムチ事件ではだいぶ報道はされたものの、これまでチベットに比べてウイグルの問題はあまり注目を浴びることはなかった。9・11後、中国政府はウイグル→イスラム→アル・カイダ→テロリズムという何ら必然性のないこじ付けで“テロとの戦い”を大義名分としてウイグル人弾圧を正当化していることが指摘される。
本書のオリジナルはドイツ語だが、英語版に続き、近いうちに日本語版も刊行されるらしい。水谷尚子『中国を追われたウイグル人』(文春新書、2007年)にもラビア女史へのインタビューがあるのでこちらも参照されたい。
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