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2009年7月 2日 (木)

月脚達彦『朝鮮開化思想とナショナリズム──近代朝鮮の形成』

月脚達彦『朝鮮開化思想とナショナリズム──近代朝鮮の形成』(東京大学出版会、2009年)

 19~20世紀朝鮮半島における近代化とナショナリズムをどのように考えるか。伝統的停滞からの脱却→自律的な“近代”志向=進歩性を開化派に見出した姜在彦の研究がある一方、それを批判する民衆史観もある。こうした議論の枠組みとは異なる視点を出そうとする本書は、“国民国家”創出の運動というコンテクストの中で開化思想を捉える。

 慶應義塾への留学経験があり、後に朝鮮の啓蒙思想家として著名となる兪吉濬は、独立した国家を一人一人が支えるという構想を持っていた点で福沢諭吉「一身独立して一国独立す」というテーゼを想起させる。日本・朝鮮ともに、西洋の先進性で文明開化を捉えて中華文明を相対化した点では共通するが、福沢にとって文明開化はあくまでも独立の手段に過ぎないのに対し、兪の場合には文明開化を新しい“中華”=価値的原理とみなす普遍主義的傾向があったという。開化思想を近代志向一辺倒で捉えるのではなく、そこに刻み込まれた儒教的色彩にも目配りされる。

 近代東アジアの国際秩序は中華文明圏における冊封体制とヨーロッパ起源の“万国公法”システムとのせめぎ合いとして捉えられるが、本書では外交儀礼のあり方に着目される。冊封体制の中国(清)、万国公法の日本及びヨーロッパ、両方と対等な関係を示すべく新しい皇帝像が打ち出される(1897年に大韓帝国成立)。それは同時に、対内的には“一君万民”という形で国民統合のシンボルとして作用することも期待された。“見える皇帝像”を打ち出す→皇帝の巡幸、万歳の唱和→国家的儀礼に民衆も参加→“国民”の創出、こうした本書の議論はとても興味深い(天皇の巡幸に注目した原武史の研究が想起される)。

 こうした上からの“国民”創出の動きに相補的な役割を果たしたとされる独立協会については、従来、その愚民観→反民衆的傾向が指摘されていたが、むしろ近代化→民衆を“国民”化すべき対象として捉えていたと考えることもできる。“忠君愛国”を規範として教化→“一君万民”→皇帝をシンボリックな媒介として民権と国権との両立が図られていた。ただし、日本による韓国併合に向けた動きが強まる中、“忠君”と“愛国”とが分離→三・一運動において“万歳”の唱和→この時点ですでに朝鮮/韓国としてのネイションは自明視されていた。

 朝鮮/韓国における近代化を考えるときどうしても“親日”の問題を避けることはできないが、本書では“愛国”概念は広く捉えられる(李完用たちにしても単純に売国奴と切って捨てても意味がない)。日韓協約によって日本の保護国にされる中、実力養成を目指して愛国啓蒙運動が展開された。このうち、立憲改新派は文明の不足を自覚→学ぶべきは学ぶという姿勢→近代化を自明視。他方、改新儒教派のうち、儒教の道義性こそ西洋文明を超克できる思想だという朴殷植のような主張もあった。東洋儒教の国(朝鮮・中国・日本)の連帯→中でも日本は富国強兵に成功→模範。いずれにせよ、以上のロジックだと日本の帝国主義を批判する視点が弱くなる。朝鮮/韓国自身が圧迫を受けつつも、弱肉強食という状況認識の中で実力養成として近代化志向→もし自分たちの近代化が達成されたら?→暗黙のうちに帝国主義肯定のロジックが潜んでいるという逆説も指摘され得る。他方で、こうした発想とは異なり、アナキズムの影響を受けた申采浩はロジックに矛盾があっても抗日を徹底させていた。

“植民地”的状況を“近代”という外的原理を内面化させる場として把握→“近代”そのものに内包された抑圧性に注目するのが本書の基本的な視座である。ある一つの観点(“抗日”や“民衆”など)を絶対化させる傾向とは距離を取ろうとしているところには好感を持った。

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