長田彰文『日本の朝鮮統治と国際関係──朝鮮独立運動とアメリカ 1910─1922』
長田彰文『日本の朝鮮統治と国際関係──朝鮮独立運動とアメリカ 1910─1922』(平凡社、2005年)
・日本の韓国保護国化に際して、Th・ルーズベルトは日本を支持(南下政策をとるロシアへの牽制)→朝鮮人は民族自決を掲げた(とされる)ウィルソンに対してどのような働きかけをしたのか、アメリカ側はどのような対応を取ったのか?
・1911年、寺内正毅総督暗殺計画の容疑→キリスト教徒・新民会員を中心に一斉検挙→百五人事件
・ウィルソンの14か条にある「民族自決主義」→抽象的な理念の一方で、具体的な問題に応じて差がつけられていた(自治能力があると認定できるか、アメリカにとって有益かという基準)→朝鮮に適用される可能性は初めからなかった
・三・一独立運動の直前、李承晩はウィルソン・パリ講和会議宛に請願書→委任統治を求める→突っ返された。李承晩の独断行動は他の運動家から反発を招き、別々の行動→分裂ぶりがアメリカ側に印象付けられてしまう。
・金奎植→パリ講和会議に働きかけ→成功せず。
・漢城政府、露領政府、上海政府→統合へ。フィラデルフィアで「韓人自由大会」(徐載弼ら)
・三・一運動→アメリカ人宣教師は驚く(日本は朝鮮人主導だとは思わず、アメリカ人宣教師が唆したと疑った)→日本当局の残酷な弾圧(ex.提岩里事件)→傍観できない(No Neutrality for Brutality ただし、あくまでも残虐性への批判であって、日本の朝鮮統治そのものを否定したわけではなかった)→アメリカ国内でも日本批判の声(ただし、アメリカ政府は日本の国内問題と理解→対立は避ける態度)
・長谷川好道総督の辞任→後任総督をめぐって原敬と山県有朋の間で綱引き:原は政務総監・山県伊三郎(山県有朋の養子)を後任総督とすることによって文官政治に道を開こうとした→しかし、陸軍の実力者である山県有朋は文官総督に反対→妥協案として海軍の斎藤実総督(政務総監には内務省出身の水野錬太郎)→武断統治終わり
・文化政治:物理的な暴力は相対的に抑制されたが、「一視同仁」のスローガンで同化政策。
→アメリカ側は基本的に満足し、朝鮮問題に対する無関心に戻った。
・しかし、独立運動は終わっておらず、満洲・シベリアで活発化→間島出兵
・1921年、ワシントン会議→李承晩たちの働きかけは失敗→コミンテルンに働きかけようとする独立運動家たちが活躍し始める→1922年、モスクワの「極東労働者大会」に呂運亨・金奎植らが出席。出席者のうち、日本代表団は民族主義を否定して社会主義の立場であるのに対し、朝鮮代表団には高麗共産党との関わりを持つ者が大半であっても独立優先→民族主義的な色彩が強かった。
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