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2009年6月18日 (木)

芹沢一也『〈法〉から解放される権力──犯罪、狂気、貧困、そして大正デモクラシー』

芹沢一也『〈法〉から解放される権力──犯罪、狂気、貧困、そして大正デモクラシー』(新曜社、2001年)

 ミシェル・フーコー的な権力論の視座を通して大正デモクラシーの時代風潮を読み解こうとした刺激的な論考である。本書は、統治の対象としての民衆が可視化、直接権力の眼差しにさらされ始めた状況として“大正的な社会”を捉える。

 吉野作造の民本主義と牧野英一の新派刑法学とが“法からの解放”という点で実は同じロジックをとっていたという指摘に興味が引かれた。吉野の民本主義は、民衆の台頭という社会状況を踏まえ、明治憲法に規定された天皇主権を“カッコに括る”(つまり、主権の所在を問わない)ことにより、民衆の意向を汲み上げる政治実践を可能とする理論的基礎を示した。こうした吉野(及び美濃部達吉の天皇機関説)の“カッコ入れ”のロジックに対し、明治憲法を愚直に読んで天皇主権説を主張した上杉慎吉が比較される。

 一方、牧野は刑法の硬直性に批判を向けていた。旧来的な刑法では個々の犯罪と法に規定された刑罰とが一対一で対応され、裁判官はその機械的な適用が役割となる。事後的に罰するという刑罰観は応報に力点が置かれているわけだが、対して牧野は社会防衛の必要を強調した。犯罪を犯し得る人間類型の措定→将来の危険可能性・再犯可能性を“悪性”として把握→振舞いの結果としての犯罪ではなく、人間の内的な主観に矛先を向けて予防するという考え方である。“悪性”を治癒するための手段として刑罰を捉える。このように牧野は、秩序維持のための予防として法を柔軟に運用すべきという観点から論陣を張った。つまり、罪刑法定主義を“カッコに括る”、言い換えると、法として明文化された言説から離れた次元に立ち、個々の事情に応じて裁量で政策対応すべきというロジックをとった。

 “悪性”の原因が“狂気”にあるとすれば、犯罪者を治癒の対象として捉え、精神医学の領域に踏み込むことになる。犯罪の原因を貧困に求めれば社会政策の領域につながり、本書では方面委員制度について検討される。このように犯罪撲滅の手段としての刑罰、“狂気”の治癒としての精神医学、貧困解消のための社会政策と並べたコンテクストの中で考えると、吉野の民本主義についても民衆の要求を政治へ汲み上げることによって急進的な革命を予防する発想が込められたものとして理解することもできる。

 以上のように権力の視野が社会生活に浸透していくことは、一面において福利の向上=社会の進歩という側面をあわせ持つにしても、同時に統治のロジックによる操作可能性が人々の生活の内在的なレベルにまで広がったとも言える。あくまでも一つの視点ではあるが、そうした現代社会にもつながる問題意識を大正という時代状況から読み取った論考として興味深い。

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