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2009年6月 4日 (木)

柳田國男「大嘗祭ニ関スル所感」

柳田國男「大嘗祭ニ関スル所感」(『柳田國男全集13』ちくま文庫、1990年、所収)

 お米の収穫を祈願するのが天皇のお仕事で、それを新嘗祭といい(勤労感謝の日はこれに由来)、天皇即位後初めて行なわれる新嘗祭を大嘗祭という。柳田國男「大嘗祭ニ関スル所感」は大正天皇の時の大嘗祭に出席した経緯をもとに書かれている。要するに、国威発揚のための即位式と日本の伝統的信仰に基づく大嘗祭とでは性格が全く異なる、対外関係を意識する前者が盛大に行なわれるのは当然だが、後者は身を清めて厳粛に執り行なうべきで、同じように扱うのはおかしい、という趣旨。

「即位礼ハ中古外国ノ文物ヲ輸入セラレタル後新タニ制定セラレタル言ワバ国威顕揚ノ国際的儀式ナルニ反シテ、御世始メノ大嘗祭ニ至ッテハ国民全体ノ信仰ニ深キ根柢ヲ有スルモノニシテ、世ノ中ガ新シクナルト共ニ愈其ノ斎忌ヲ厳重ニスル必要アルモノナルガ故ニ、華々シキ即位礼ノ儀式ヲ挙ゲ民心ノ興奮未ダ去ラザル期節ニ斯ノ如ク幽玄ナル儀式ヲ執行スルコトハ不適当ナリト解セラレタル為ナルベシト信ズ。」「国家ノ進運ガ今日ノ如ク著シキ時代ニハ、即位礼ノ壮麗偉大人目ヲ驚カスベキモノアルコトハ固ヨリ当然ノ儀ニシテ、小官ノ如キハ臣子ノ分トシテ今後百千年ノ後愈々益々此ノ儀式ノ盛大ニシテ有ラユル文明ノ華麗ヲ尽サンコトヲ望ミテ已マザルモ、之ニ引続キテ略々相似タル精神ヲ以テ第二ノ更ニ重大ナル祭典ヲ執行セラルルコトハ単ニ無用無益ト云ウニ止ラズ、或イハ不測ノ悪結果アランコトヲ恐ルルナリ。」(712~713頁)
「…今日最モ其ノ宜シキヲ得ズト考エラルル点ハ即位礼ノ盛儀ヲ経テ民心興奮シ、如何ナル方法ヲ以テシテモ慶賀ノ意ヲ表示セントシテ各種ノ祝宴ニ熱中スル際、引続キテ大嘗祭ノ如キ厳粛ヲ極メ絶対ノ謹慎ヲ必要トスル祭典ヲ挙ゲラルルト云ウ制度ナリ。」(717頁)

 国家のロジックと伝統のロジック、両者の相違を明確にしようという柳田の姿勢がうかがえる。同様の相違は地方自治の問題でも表面化した。床次竹二郎ら内務官僚の主導で、日本各地の神社、それこそ村はずれの鎮守の杜まですべてを統合し一定のヒエラルキーに整理してしまおうという構想が進められていた。南方熊楠などはこれに反対して逮捕されてしまい、柳田も当然ながら反対で、熊楠に共感していた。この神社統合構想において、地域住民の皮膚感覚に根ざした伝統的信仰のあり方と、国の隅々まで行政の論理を貫徹させようとする中央集権志向と、両者の衝突が鮮明化したと言える。よく指摘されることだが、いわゆる“国家神道”なるものはあくまでも近代の産物であって、“伝統”と見まごう衣装を被りながらも、その内実は似て非なるものであった。エリック・ホブズボームらの表現を借りるなら“創られた伝統”である。いわゆる常民の皮膚感覚に根ざした心情の世界を前にしたとき、政治のロジックはどうしてもすれ違ってしまう。もともと農政官僚として出発した柳田はこうしたズレから眼を背けることができなかった。そこに民俗学への動機があった。だからこそ、民俗学や歴史学ばかりでなく、政治思想史・社会思想史といったコンテクストにおいても柳田の存在感は大きいのである。橋川文三は柳田について次のように記している。

「…彼の考え方は、祖先信仰の中にひそむ民衆心情世界の自覚的研究を通して、まず民間信仰の純粋形態を明かにし、そこで、はじめて正しい神社行政が樹立されねばならないというものであり、たんなる制度化、政治的既成事実化によっては、かえって制度化によって疎外されたアモフルな信仰エネルギーが混乱をひきおこすであろうというものであった。いいかえれば、彼は氏神信仰の心意をつらぬく民衆的生活原理の内省的純化という手つづきを重視したのであり、その意味では民族信仰の「宗教改革」ともいうべき転換をさえ必要と考えていたといえよう。…ともあれその民俗学的研究によって切り開かれた氏神信仰の世界は、おそらく官僚的宗教観にとって想像もつかないほど、混沌とした様相をおびたものであった。」「類型的にいえば、国家官僚の氏神観はその雑多性・猥雑性を無価値な自然状態として、もっぱら行政的規制によって画一化を進めようとする。それに対して、柳田はその雑多性の中に理由を見出し、純粋な地方民衆生活の原理形態を明かにしようとする。前者が絶対主義権力の外発的要求にもとづく地方処理であるとすれば、後者は民衆生活の内発的要求を原理化することによって、かえって国家論理の形態を規制しようとする意味を含んでいる。いわば明治の地方自治制がいわゆる「郷党原理」という擬制的な魂を地方に付与したのに対し、実体としての地方の魂を明かにしようとしたのが柳田の仕事であった。」(橋川文三「明治政治思想史の一断面」『柳田國男論集成』未来社、2002年、253~254頁)

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