梶山季之『族譜・李朝残影』
梶山季之『族譜・李朝残影』(岩波現代文庫、2007年)
梶山季之(1930~1975年)といえば週刊誌記者、いわゆる“トップ屋”のはしり(その活躍は高橋呉郎『週刊誌風雲録』[文春新書、2006年]で読んだ覚えがある)、あるいは守備範囲の広い通俗作家としてもよく知られている。他方で、父親が朝鮮総督府に勤務していた関係でソウル出身という生い立ちから、植民地期の朝鮮を題材とした小説もいくつか残している。
「族譜」のテーマは創氏改名である。ご先祖様に申し訳が立たないから勘弁して欲しいと懇願する名門当主の温厚な紳士と、それにもかかわらず創氏改名を強制せよという役所の論理。朝鮮総督府勤務の芸術家肌の青年が両者の間で板ばさみになってしまった葛藤が描かれている。
いくつか気付いた点を並べると、第一に、青年の上司は薄汚い出世主義者として描かれているが、彼らの背後からは、文化的相違を無視した安易な政策決定とそれを盲目的に遂行しようとする官僚制の論理がうかがえる。第二に、青年も最初は「朝鮮人差別を解消できるやりがいのある仕事だ」と考えていた点が目につく。民族的な差異は差別につながる→差別解消のための恩恵としての同化→創氏改名という建前が掲げられていた。主観的な善意が必ずしも相手への善意にはつながらないというすれ違いについては、以前、喜田貞吉の日鮮同祖論に絡めて触れたことがある(→こちら)。第三に、差異=民族差別解消という発想の背景に日本人側の身勝手があるのはもちろんだが、それと同時に、国民国家の同質性というフランス革命以来の近代的イデオロギーが一見日本特殊にも思える装いの下に潜んで機能していた点も見逃すことはできない。
「李朝残影」は、朝鮮の伝統舞踊の踊り手である妓生の女性と、“滅び行く朝鮮の美”を何とか絵に残したいと願う日本人青年画家との交流を描く。日本人に強い反感を持っていた彼女が青年の熱意に徐々に心を開きつつあったまさにそのとき、提岩里事件(三一運動の際に起った日本軍による住民虐殺事件)の過去が影を落としてしまうのは何とも言えず悲しい。個人としては良心的であろうとしても、制度的、社会的、そして民族的なしがらみからそれがなかなか許されないという葛藤は「族譜」と共通するテーマである。
そのしがらみというのも、内面的な良心に対する外的な強制力という構図に仕立て上げてすませることはできない。植民地での日常生活が延々と続く中、朝鮮人に対する日本人優位という立場性が自然に皮膚感覚に馴染んでしまい、それをふとしたきっかけで自覚したときの気まずさ。「性欲のある風景」は中学生のときに迎えた1945年8月15日の思い出をつづっている。戦時下の緊張感と青春期の血の騒ぎとがないまぜになった切迫した感傷を捉え返す筆致、そうした筆先が、優等生だった朝鮮人同級生との語らいで梶山自身の中で微妙に動く心のざわめきをもすくい取っていく。
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