レイ・タケイ『隠されたイラン──イスラーム共和国のパラドックスと権力』
Ray Takeyh, Hidden Iran: Paradox and Power in the Islamic Republic, Holt Paperbacks, 2007
理解不能なまでに強硬なレトリックを弄ぶアフマディネジャド現大統領に、“文明の対話”を唱えて柔軟な姿勢を示したハタミ前大統領、イスラーム革命後のイラン政治が見せる極端な振幅は海外の我々にとって非常に分かりづらく、時には予測不可能で“危険”だという印象すら与えかねない。しかしながら、今回の大統領選挙不正疑惑を発端とする混乱からうかがえるように、イラン・イスラーム体制は決して一枚岩ではないし(聖職者による事前審査があるにしても、大統領を選挙で選んでいる時点で、かつてブッシュ政権が“悪の枢軸”と名指しした他の国々とは明らかに異なる)、時にはプラグマティックな政策をとるシーンも見られた。
本書は、そうしたイラン・イスラーム体制における内在的ロジックと政治力学との絡み合いを整理する。具体的には、イスラーム・イデオロギー、国益、派閥力学、これら三つの要因の組み合わせによってイラン現代政治を分析、対米関係、対イスラエル関係、イラク問題、核開発問題などを読み解く視座を提供してくれる(なお、保守派、現実派、急進派、改革派の分布については吉村慎太郎『イラン・イスラーム体制とは何か』[書肆心水、2005年]で整理されている→こちら)。著者のRay Takeyhはイラン出身の中東研究者、現在はアメリカの外交問題評議会(the Council on Foreign Relations)シニア・フェロー(そう言えば、Foreign Affairsでこの人の論文を見かけた覚えがあって、以前、こちらで簡単に触れていた)。
イラン国民の対米不信感は、パフレヴィー国王がアメリカのCIAのバックアップにより“上からのクーデター”を断行、石油会社国有化を宣言した民族主義者モサデク首相を失脚させた事件に起因する。シャー体制はリベラル派・左派を徹底的に弾圧、結果として反体制派としてはイスラーム派が残った。共産主義者(トゥーデ党)からイスラーム主義者まで広範な反シャー体制勢力をまとめ上げるシンボルとなったのがホメイニである。ホメイニが発したメッセージには、帝国主義からの第三世界の解放、民主主義、女性や被抑圧者の権利擁護、ペルシア民族主義(この点ではパフレヴィー朝時代から一貫している)等々、多様な主張が幅広く取り込まれていた。イスラーム革命後、ホメイニをトップに据える形でヴェラーヤテ・ファギー(イスラーム法学者による統治)体制が築かれるが、ホメイニを軸として保守派・現実派・改革派などそれぞれ異なった意見を持つグループが共存、そのバランスによって政策決定が行なわれていた。ところが、ホメイニの死去(1989年)によってこうしたバランスが崩れ、派閥争いが政治の表舞台に浮上した。
なお、シーア派にはもともと異論を許容する柔軟さがあり、世俗派が壊滅した現体制内では、聖職者たちが最も自由な議論を交わしているという(報道によると、今回の大統領選挙不正疑惑や反対派デモの武力弾圧については聖職者からも多くの異議が出されている)。中には、聖職者は政治に関与すべきではないという立場からホメイニ体制を認めない見解すら存在しているらしい。
イラン・イスラーム体制が変質したもう一つの契機がイラン・イラク戦争である。これは単なる領土紛争という以上に、アラブ民族主義を掲げるサダム・フセインとシーア派イスラーム主義に基づくホメイニとのイデオロギー戦争という側面が強かった。アフマディネジャドをはじめ参戦した革命第二世代の保守派は戦時中に強固なイスラーム・イデオロギーを吹き込まれている。他方で、戦況が劣勢だったため、サタンであるはずのアメリカから武器を購入するという“柔軟さ”も見せたが(イラン・コントラ事件)、イラン国内では保守強硬派が暴露、これは現実派の評判を傷つけることになった(もちろん、アメリカでもスキャンダルとなった)。
イラン・イラク戦争の体験はイランの核開発の動機につながっている。①イラクは化学兵器を使用→イラン側に深刻な被害→安全保障のためには強力な兵器を持たねばならないという危機意識。②国際社会、とりわけアメリカはイラクの化学兵器使用を傍観した→国際世論のダブルスタンダードへの不信感。さらに、③地域大国としてのプライド(それこそ古代のアケメネス朝以来!)。④インド・パキスタンの核開発→既成事実化すれば国際社会も追認するはずという楽観論。
対イスラエル関係では、イランは国境を接しておらず直接の利害関係はない→イスラームの大義によるプロパガンダが容易に行なわれる。対米関係では、イラン側にはモサデク首相失脚で対米不信がある一方で、アメリカ側にもアメリカ大使館占拠事件で対イラン不信感、狂信的な国家というマイナスイメージがやはり根強い。イランとアメリカの相互不信→他方が譲歩の姿勢を示してももう一方がそれを信用しないというすれ違い→双方の不信感がますます高まるという悪循環。そもそも、アフマディネジャドはイラン・イラク戦争中の孤立的対外認識を依然として引きずってアメリカ=大サタンという捉え方をしているが、他方で、ネオコンのイラン認識も大使館占拠事件の時点から凍りついたまま、従って、両者とも過去の相手イメージによって強硬意見を打ち出すという錯誤があった。
イラン国内の多元的政治力学から時折現われるプラグマティックな側面に着目すれば、地域的安全保障や国際経済の枠組みに組み込むことでイラン側が抱いている不信感を低下させることはできるだろう。アメリカはそうした方向で働きかけるため封じ込め政策を転換する必要があると著者は主張する(本書刊行後に成立したオバマ政権が対話路線に切り替えても色々と壁にぶつかっているようではあるが)。その際には、やはり強固なイデオロギー国家であり朝鮮戦争等で相互不信の状態にあった中国に対するニクソンのアプローチが参考になるのではないかという指摘が興味深い。
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