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2009年6月 6日 (土)

柳田國男『先祖の話』

柳田國男『先祖の話』(『柳田國男全集13』ちくま文庫、1990年、所収)

 柳田國男『先祖の話』は昭和20年10月に刊行されたが、執筆されたのは4月から5月にかけてのことである。東京は空襲で灰燼に帰し、大陸へ、あるいは南方へ出征した兵士たちははるか異郷で屍をさらす、そういったおびただしい死が日常に充満する異様な時期であった。空襲警報に日々おびやかされる中、柳田は自身の摑み得た日本人の死生観、霊魂観を本書に凝縮させている。

 私はこの本を初めて読んだときから「柿の葉」という言葉が印象に残っていた。いわゆる無縁仏への供物は器でなく柿の葉に載せるという差別待遇があったらしい。「以前は遠い田舎では子のない老女などを罵って、柿の葉めがといったという話がある。今ならもうそのような残酷な言葉を口にする者もあるまいが、当の本人だけはまだ時々はこれを思い出すかもしれない。私の先祖の話をしてみたくなった動機も、一つにはこういう境涯にある者の心寂しさを、由ないことだと思うからである」(104頁)。

 柳田の霊魂観の第一の特徴として“祖霊の融合化”が挙げられる。祀るとは、その人のことをいつまでも覚え続けていくことである。具体的な個人、有名になった英雄を神様として祀ることも大切かもしれないが、あまたの無名の人々にはどのように向き合ったらよいのか。時間が経つと、見知らぬ個々具体的な人々への追憶は薄れていくが、見方を変えれば「一定の年月が過ぎると、祖霊は個性を棄てて融合して一体になるものと認められていたのである」(133頁)。“祖霊の融合単一化”という形で、ともすれば取りこぼされかねない人々が出てくるのをできる限り防ごう、そうしたところに柳田は日本人の霊魂観の意義を見出そうとしている。

「古いということに対しては、もともと我々はごく漠然とした知識しか持たなかったのである。それをだんだんと今いる者の父母とか祖父母とか、いたって近い身のまわりへ引き寄せて、我から進んで家の寿命を切り詰めたことは、過去はさて置いて、未来のためにも損なことであった。遠い先祖の降りて来て祭られることが、同時にまた今の我々の永くこの国土に去来し得ることを、推理せしめる因縁ともなっていたからである。それよりも大きな障りになったのは人の名をさすこと、家にすぐれた大事な人があって、その事蹟の永く伝わるのはよいことであり、子孫の励ましにもなることは確かだが、そればかりがあまりに鮮やかに拝み祭られる結果は、幾多の蔭の霊を、無縁とも柿の葉とも言わるるようなものに、落すことになるのであった。活きている間は一体となって働き、泣くにも喜ぶにも常にその一部であった者が引き離されて、歴史はいつも寂しい個人の霊のみを作ることになっている。…何にもせよこうして永い世に名を残すということが、一方には無名の幾億という同胞の霊を、深い埋没の底に置く結果になっていることだけは考えてみなければならない。元からそうであったということは言われぬのである。我々の先祖祭は、一度はかつてこの問題をあらましは解決していた。家が断絶して祭る人のない霊を作り出すことだけは、めいめいの力では防がれなかったが、家さえ立って行けば千年続いても、忘れられてしまうというものはない。少なくともそう信ずることがもとはできたのである。…国が三千年もそれ以上も続いているということは、国民に子孫が絶えないことを意味する。それがただわずかな記憶の限りをもって、先祖を祭っていてよいとなれば、民族の縦の統一というものは心細くならざるを得ない。」(148~149頁)

「淋しいわずかな人の集合であればあるだけに、時の古今にわたった縦の団結ということが考えられなければならぬ。」(207頁)

 第二に、日本という国土における“顕幽二界”という特徴も挙げられる。つまり、生者の世界と死者の世界とは近くにあって行き来が可能だという世界観である。柳田の脳裡にあった“顕幽二界”という考え方には平田篤胤流国学の影響も指摘されている(余談だが、平田にしても柳田にしても、今風に言うなら結構オカルト好きだ)。戦争中、「七生報国」という言葉を胸に抱いて死地に赴く場面が見られた。死への抵抗感・緊張感はもちろん余人には窺い知れぬほど強いものだったろうが、柳田は、死んでもこの日本に戻ってこられるという世界観があったからその緊張感も比較的軽減できたのではないか、と言う。「人生は時あって四苦八苦の衢(ちまた)であるけれども、それを畏れて我々が皆他の世界に往ってしまっては、次の明朗なる社会を期するの途はないのである。我々がこれを乗り越えていつまでも、生まれ直して来ようと念ずるのは正しいと思う。しかも先祖代々くりかえして、同じ一つの国に奉仕し得られるものと、信ずることのできたというのは、特に我々にとっては幸福なことであった」(206頁)。ここで言う「他の世界」とは、極楽浄土や天国といったこの世から隔絶したあの世に憧憬を抱く他界観を指す。

「私がこの本の中で力を入れて説きたいと思う一つの点は、日本人の死後の観念、すなわち霊は永久にこの国土のうちに留まって、そう遠方へは行ってしまわないという信仰が、おそらくは世の始めから、少なくとも今日まで、かなり根強くまだ持ち続けられているということである。」(61頁)

 こうした考え方が良いか悪いかは軽々には断定できない。ただし、国家への強制的奉仕という言い方ではまとめられない、もっと感性的な深層に根ざしたものを見つめようとしている点は汲み取るべきだろう。橋川文三は以上の柳田の思想に、時間的な連続の中に個人を位置付ける感覚としての“純粋な”保守主義を見出し、エドマンド・バークと比較している(橋川文三「保守主義と転向」「日本保守主義の体験と思想」、『柳田国男論集成』未来社、2002年)。なお、過去・現在・未来の共同事業として国家を捉えるバークの保守主義思想については以前こちらに引用したことがある。

 ここで強調しておかねばならないのは、柳田はこうした自身の態度を他人に強制するつもりはないとしていることだ。彼も含めて以上に見られる世界観に安心を覚えたということ、このこと自体は打ち消しがたい一つの事実ではあるが、この事実を踏まえてどのように考えるかは各人に委ねられる。

「日本民俗学の提供せんとするものは結論ではない。人を誤ったる速断に陥れないように、できる限り確実なる予備知識を、集めて保存しておきたいというだけである。歴史の経験というものは、むしろ失敗の側において印象の特に痛切なるものが多い。従ってつまびらかにその顛末を知るということが、いよいよ復古を不利不得策とするような推論を、誘導することにならぬとは限らない。しかしそのために強いて現実に眼を掩い、ないしは最初からこれを見くびってかかり、ただ外国の事例などに準拠せんとしたのが、今まで一つとして成功していないことも、また我々は体験しているのである。今度という今度は十分に確実な、またしても反動の犠牲となってしまわぬような、民族の自然と最もよく調和した、新たな社会組織が考え出されなければならぬ。それにはある期間の混乱も忍耐するの他はないであろうが、そういっているうちにも、捜さずにはすまされないいろいろの参考資料が、消えたり散らばったりするおそれはあるのである。力微なりといえども我々の学問は、こういう際にこそ出て大いに働くべきで、空しく詠嘆をもってこの貴重なる過渡期を、見送っていることはできないのである。」(10~11頁)

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