中川仁『戦後台湾の言語政策──北京語同化政策と多言語主義』
中川仁『戦後台湾の言語政策──北京語同化政策と多言語主義』(東方書店、2009年)
台湾はすぐお隣であるにもかかわらず日本ではあまり認識されていないが、台湾社会の第一の特徴として、原住民諸言語、閩南語(狭義の台湾語)、客家語、外省人の中国語(第一世代は出身地別に大陸各地の方言を話した)、残留日本語(本省人・原住民の高齢者のみ)によって織り成された多言語状況が挙げられる。宗主国による政治統合のため、戦前は日本語が、戦後は国民党政権によって“国語”(=北京語)が強制された(日本も国民党も方言札を用いたという類似性が目を引く)。本書は戦後台湾における言語政策を整理し、北京語による同化主義から現在の多言語主義への変遷を概観する。
日本語話者の存在から台湾の親日的傾向を強調する向きもあるが、二二八事件・白色テロなど国民党による弾圧政策→北京語への反感→当時の台湾人は対抗意識として意図的に日本語を使用したという心理的契機が働いていた点を見逃してはならない。台湾ナショナリズムは、日本語でも北京語でもなく、自分たちの生活に馴染んだ母語を如何に確立させるかという問題意識と密接に結びついた。日本に亡命して台湾語(閩南語)の言語学的研究の先駆者となった王育徳を取り上げているのも本書の特色である。
近代国家においては程度の差こそあれ、領域内におけるコミュニケーション手段として単一言語による同質化が目指される(史上初めて国民国家を登場させたフランス革命が、フランス語によって方言の抑圧へと向かったことは周知の通り→たとえば、田中克彦『ことばと国家』を参照のこと)。多言語主義とは原理的に衝突せざるを得ない。
戦後台湾においては半世紀にわたる“国語”(=北京語)教育のため、これが共通語としての実質を持ち、かつ正書法の体系化された唯一の言語である。ただし、台湾で用いられている北京語は発音や語彙の面で台湾独自の特徴を帯びている(児er化の欠如、zhi・chi・shi・riの捲舌音とzi・ci・siの舌歯音との混同など)。これを“台北標準国語”、つまり台湾の共通語として制定した上で(見方を変えれば、中国語文化圏に属すると同時に、大陸とは一定の距離をとる台湾アイデンティティーにつながる)、他の諸語の地位向上によって共存を図るという本書の提案が現実的な落とし所と言えるだろう。
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