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2009年5月28日 (木)

山本夏彦『ダメの人』

山本夏彦『ダメの人』(文春文庫、1985年)

 山本夏彦という名前をあげると、私を個人的に知っている方には思い当たる節があるかもしれないが、そういう縁で退屈な時などたまにパラパラめくったりする。

 雑誌連載エッセイをまとめた本。この人、基本的に同じことしか言ってないから、題材が古かろうが何だろうが今でも十分読める。ロシア文学の米川正夫・中村白葉・原久一郎が日本語をダメにしたというのは『私の岩波物語』(文春文庫、1997年)でも言ってたな。無味乾燥な直訳は意味不明だが、明治期の意訳は面白かったという話は時折目にする。でも、近年はやはり翻訳のうまい人が増えてきているとは思う。たとえば、光文社古典新訳文庫の浦雅春訳によるゴーゴリは、落語調という工夫で、ゴーゴリの諧謔がよく出ていて面白い。同じく光文社古典新訳文庫で亀山郁夫訳のドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』が出ているのに、岩波書店が何を勘違いしたのか、亀山訳の向こうを張って米川正夫訳を敢えて重版(しかもカバーを新しくして)したのにはあきれた。

 で、“ダメ”というのは別に米川たちのことを指しているわけじゃない。夏彦は「ダメの人箴言録」なるものを書きたかったそうだ。じゃあ、“ダメの人”とは何ぞや、と問われても説明に困る。説明したら、必ず間違うからね。

 父(詩人の山本露葉)が亡くなった後、その親友だった人が夏彦を連れまわして色々なことを教えてくれたというが、武林無想庵のことだ。『荘子』のエピソードを聞かせてくれたそうで、それが夏彦にかなり印象を与えたようだ。

 私自身、『荘子』には強い思い入れがある。『荘子』に出会ってなければ私は生きていなかったとすら思っている。初めて読んだのは中学生のとき。ベストセラーになった池田晶子『14歳からの哲学』という本があるが、この本の果たす役割を、私にとっては『荘子』が果たしてくれた。『荘子』を初めて読んだときの漠然とした感覚をテコにすると、ある思想なり文学なり評論なりを読むときに、それがホンモノかニセモノかの区別が私なりにつくように感じている。たとえば、大森荘蔵や井筒俊彦を念頭に置いている。最近読んだところでは伊福部昭やジョン・ケージもそうだし、三宅雪嶺や長谷川如是閑もそう。そして山本夏彦や辻潤も。それぞれタイプは全然違うんだけどね。

 私は辻潤をひいきにしている。このブログのタイトル「ものろぎや・そりてえる」は辻潤の作品から拝借した。辻は無想庵の親友だった。夏彦も辻を個人的によく知っていた。“ダメの人”のイメージとして、おそらく無想庵や辻のことを思い浮かべていたのかなという気がしている。

 夏彦も“ダメの人”のかたわれである。夏彦が自分でそう言っている。

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