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2009年5月19日 (火)

筒井清忠『近衛文麿──教養主義的ポピュリストの悲劇』

筒井清忠『近衛文麿──教養主義的ポピュリストの悲劇』(岩波現代文庫、2009年)

 近衛文麿の名前を見て誰しも真っ先に思い浮かべるのは“優柔不断”というイメージだろうか。戦前においては開戦を決断できないのは優柔不断だからだと罵られ、戦後になると戦争を回避できなかったのは優柔不断だったからだと非難される。他方で、錯綜する政治情勢に振り回された彼の姿は“悲劇の宰相”という捉え方もされた(たとえば、矢部貞治『近衛文麿』)。

 近衛の教養主義的エリートとしての側面、マスメディアを通した大衆的人気。両方とも、すでに大衆社会化傾向を呈しつつあった当時の日本において政治家として立っていく上で有効な権力リソースとなるが、これら二つの要因の分析が本書のテーマである。

 大衆人気の背景としてモダン性と復古性の融合という論点が示される。近代的ブルジョワ家庭のイメージや親米派・社会主義シンパという進歩性は都市部にアピールしたし、彼の豊かな教養は知識人から好感を以て迎えられた。他方で、五摂家筆頭格という家柄の権威やアジア主義的な主張は保守的な農村部や右翼にアピールした。西園寺公望を代表格とする親欧米的オールド・リベラリストが退潮し、かわって大衆基盤のナショナリズムが高揚しつつある時代状況の中、近衛は双方から期待を寄せられるという独特な立ち位置にあった(右派・左派双方を場当たり的に引きつける政治行動を古典的なファシズム論ではボナパルティスムというが、近衛を気弱なナポレオン三世とたとえてみたら当たらずとも遠からずではないかという印象も感じた)。

 マルクス主義にせよ国家主義にせよ、ある特定のドグマで突っ走るのは教養主義とは相容れない。教養主義が現実政治と関わりを持つ際には様々な考え方の中から良質な部分をピックアップしようとする柔軟な態度を取る。そうした折衷主義的な政治姿勢を近衛は示したが、それは、伝統的なものに郷愁を感じつつも近代化が否応なく進んでいく状況にあった当時の日本人の感性に訴えるところがあったという指摘が興味深い。しかしながら、人気=「世論」の意向に依拠したポピュリズムは、風向きが変ればあっという間に失墜する運命をたどらざるを得なかった。

 具体的な政策課題の解決には不可欠な政治的柔軟性(近衛の場合には教養主義=良い意味での折衷主義に由来)。“民主主義”といえば聞こえは良いが、実際には国民からの支持はイメージ的な人気として表われるポピュリズム。本書は近衛のたどった悲劇を通して、こうした現代の我々も直面する政治的アポリアについて問題提起を行なっている。

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