中村祐悦『白団(パイダン)──台湾軍をつくった日本軍将校たち』
中村祐悦『白団(パイダン)──台湾軍をつくった日本軍将校たち』(芙蓉書房出版、1995年)
1949年から1969年にかけて旧日本軍将校83名が極秘のうちに台湾へ渡って軍事教練を行なっていた。もちろん、違法である。日本側の保証人となった岡村寧次が病床にあったため、代わりに団長となった富田直亮の偽名が白鴻亮であったことから“白団”と呼ばれた。反共義勇軍、蒋介石の寛大な対日政策への報恩が理由だったとされる。
台湾へ密航する根本博のことは、先日読んだ奥野修司『ナツコ 沖縄密貿易の女王』(文藝春秋、2005年)、高木凛『沖縄独立を夢見た伝説の女傑 照屋敏子』(小学館、2007年)の両方にもちらりと出てきた。1949年に中共軍を撃退した金門島攻防戦では根本がひそかに作戦指導をしていたといわれる(この攻防戦によって中共・国府の軍事境界線が事実上定まった)。なお、根本の同行者の中に照屋林蔚という人がいた。照屋敏子の夫のはずだが、高木書では白団については触れられていない。白団支援者の中に澄田【ライ:貝偏+來】四郎の名前も出てくるが、ドキュメンタリー「蟻の兵隊」で山西省に日本軍兵士を置き去りにしたと非難されている人物である。
白団の活動は、国民党軍にとって黄埔軍官学校以来の本格的な軍事教練であった。アメリカ式の戦術では物量を潤沢に費やすのが前提となっているが、これに対して貧乏国として物量を最小限に抑えようとする日本軍式の方が当時の国民党軍の実情に合っていたという。戦略問答で日本人教官が中国人生徒を徹底的に論破してしまうと面子をつぶされたと反感をかってしまうというのは一種の文化摩擦か。講義終了時の拍手の大きさが、学生による教官への勤務評定になっていたというのが面白い。
教練を受ける大半は外省人だが、本省人も少人数だが混じっていた。しかし、本省人はどんなに優秀でもエリート・コースにのることはできず、それどころか政治犯の疑いで投獄された人すらいた。いわゆる“省籍矛盾”の中、蒋介石以下軍事関係者の親日感情と、他ならぬ国民党軍によって弾圧された一般台湾人の親日感情、それぞれ別の位相で二つの親日感情があったというのも実に複雑な話である。
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