台湾旅行③ 5月某日 九份、平渓線、他
・バスに乗って九份の入口で下車。九份は金瓜石など近くの金鉱山の労働者などがもうけを散財した繁華街である。とりわけゴールドラッシュで賑わい、一時は小上海とか小香港とか呼ばれたという。侯孝賢監督の映画「悲情城市」の舞台となったことや、宮崎駿監督「千と千尋の神隠し」の風景のヒントとなったことで知られる。
・九份は台北から日帰りできる距離なので、台湾でも人気の観光地。台湾人観光客がひしめく中、時折日本語も聞こえてくる。
・昇平戯院という昔の映画館がある。侯孝賢監督「恋恋風塵」の看板画がかかっていて、なかなか風情を感じさせはするが、現在は使われていない。中は水溜りがあって不快な廃墟、前には台湾名物?スクーター違法駐車。台風で崩れかかってから、改修されないまま放っておかれているようだ。
・九份には軽食や土産物の店がひしめいており、それがここの見所とされている。夜市にしてもそうだが、台湾の人にとって観光地=屋台で買い食いというパターンが当然なのか。私は買い食いにあまり興味ないのでさっさと歩いていたら、30分もしないで通り抜けてしまった。
・こんなこと言うと申し訳ないが、正直、九份は私には期待はずれ。観光ガイドブックでは九份が主で金瓜石は時間があったらついでに行けという程度の扱いだが、歴史的経緯を考えれば、むしろ金瓜石が主で九份は従ではないか。
・帰りのバスはいつ来るのか分らなかったので、タクシーで瑞芳站に戻る。180元。
・瑞芳站で日本語ボランティアのOさんにまた会ったので少しお話をうかがった。途中、別のおじいさんが近寄ってきて、「やあ、やあ、Oさん、このあいだはどうもありがとう」と日本語で挨拶してからOさんと中国語で話し始めた。地元の人らしい。Oさんが私を指して日本人観光客だと紹介したら、「なに、あなた、日本人か? 私はむかし霞ヶ浦の海軍航空隊にいて…」とまくし立て始め、私があっけにとられているのも気にとめず、再びOさんと二言三言かわして、疾風のように去っていった。
・平渓線に乗るつもりだが、次の列車は15時過ぎ。1時間以上待たねばならない。時間があまったら、取りあえず街を歩く。
・平渓線は瑞芳始発の列車が、東南方向へ進み、三貂嶺で分岐するローカル路線。こちらの方向にも鉱山が点在していたので鉱石運搬用の路線だったのだろう。基隆河沿いの渓谷を走る。緑豊かで車窓に流れる風景が美しい。
・十份站で途中下車。このあたりは、線路に迫るように商店街が並んでいる。たとえて言うと江ノ電の一部区間のような感じか。列車本数は少ないので、みんな平気で線路をまたいで歩いている。
・十份の名物は天燈。紙で作った小型の熱気球に願い事などを書いて空にとばす。他に台湾では有名な滝が近くにあるそうなのだが、時間がなかったのでそちらはパス。
・再び乗車して、終着駅の菁桐站まで行った。無人駅。駅舎は戦前のものを保存しながらそのまま利用している。
・線路はさらに延びている気配があるので、駅を出て、広い道路沿いに歩く。二坑というバス停を過ぎ、深い渓谷を道路が迂回するようにうねっている箇所に、使われていない橋脚を見つけた。かつてはこの先にも鉱山があったから、そちらの方までトロッコ列車が続いていたのだろう。
・平渓線に乗って帰る。瑞芳まで片道1時間弱といったところか。車中、観光客のおばさんグループ三人(一人が観光マップを持っていた)と地元の一人で乗っていたおばさんとが話し始めた。さらに次の駅で野菜をかついたおばあさん二人組みが乗ってくると、その野菜をめぐって話題が広がり、観光客のおばさんがたけのこを買い、料理方法をめぐってみんなでにぎやかに議論していた。台湾の人は初めて会った人にも気軽に話しかける。横で見ていると最初から知り合いだったのではないかと錯覚してしまうくらいにフランクだ。たとえば、私が道で地図を広げていると、「どこに行くんだい」という感じに気軽に声をかけられたことも何度かあった。
・瑞芳站で自強号に乗り換えて台北に戻るつもりだが、乗り換えのタイミングが合わなくてまた1時間ほど待たねばならない。外に出て夜の瑞芳を歩く。屋台が出ている。美食街なる屋内式屋台街をブラブラ歩く。19:30頃発の自強号に乗車。台北到着は20時過ぎ。
・夜の台北市内を歩く。アメリカ総領事館だった建物をカフェや文化施設として再利用した台北之家へ行った。誠品書店城市之光店をひやかす。映画のDVDと美術書を中心とした品揃え。その隣は光.點台北というミニシアター。侯孝賢が理事長らしい。是枝裕和監督「歩いても歩いても」(台湾でのタイトルは「横山家之味」)を上映中だった。昨日、書店でノベライズの中国語訳が新刊棚に積んであるのを見かけ、こちらも買ってあった。
・京豊鼎で小籠包を平らげてから宿舎に戻る。テレビをつけたら、海峡交流基金会の江丙坤董事長が辞意を表明し、国民党幹部が必死になって慰留しているというニュースをやっていた。台湾のテレビ番組には字幕がつくので、中国語が聞き取れなくても便利。
| 固定リンク
「旅行・町歩き」カテゴリの記事
- 麻豆を歩く、台湾史が見えてくる(2014.10.14)
- 一青妙『わたしの台南──「ほんとうの台湾」に出会う旅』(2014.09.17)
- 2013年8月12日 台湾・高雄を歩く(2013.08.26)
- 2013年8月10日 台北・胡適紀念館、殷海光故居など(2013.08.23)
- 2013年8月11日 台湾・嘉義を歩く(2013.08.21)
「台湾」カテゴリの記事
- 稲葉佳子・青池憲司『台湾人の歌舞伎町──新宿、もうひとつの戦後史』(2018.02.13)
- 【映画】「灣生畫家 立石鐵臣」(2016.05.09)
- 【映画】「我們的那時此刻」(2016.03.23)
- ドキュメンタリー「The MOULIN 日曜日式散歩者」(2015.08.22)
- 港千尋『革命のつくり方 台湾ひまわり運動──対抗運動の創造性』(2014.12.17)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント