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2009年4月21日 (火)

長野朗というシノロジスト

 ちょっと事情があって長野朗(ながの・あきら、1888~1975年)について調べており、『動亂支那の眞相』(1931年)という戦前の本に目を通した。やはりある事情があって、評論家・宮崎正弘氏がメールマガジンで長野を取り上げているのを知った。読んでみると、「中国人はこんなにずるい奴らだ、変な奴らだ」と言わんばかりの文脈の中で長野の著作からの引用を並べているのが気にかかった。

 同じテクストを読んでも、読み手がどこにポイントを置くかによって受け止め方は大きく異なってくる。私ならば次の箇所を引用する。

「日本人は支那人を忘恩の民と云ふが、支那人に云はすれば日本人は譯の分らぬ人間だと云ふかもしれない。それは双方の考へ方が全然異つて居るからである。」「かうした双方の考へ方の相違から互に相手を誤解し悪口する例は少くない。こゝは双方が相手の国民性を理解し合ふ必要が起る。」

 長野の表現には「嘘つき」「恩知らず」など確かに乱暴な言い方も多い。そうした箇所だけをつなぎ合わせれば宮崎氏のような読み方にもなるだろう。ただし、他方で長野は中国人のプラグマティックなところ、自己主張の明瞭なところは誉めてもいる。上記の引用を踏まえて言うと、長野のどぎつい表現は、中国人の思考構造や慣習には日本人の視点からすると違和感があること、付き合いづらいのは確かであることの率直な表明ではあるが、むしろそうした違和感が相互にあることを前提とした上で向き合っていかねばならない。そこに長野の強調点があると考えるべきだろう。そのために美化も蔑視も避け、出来るだけリアルな中国認識を目指したところに長野の努力を見出せる。

 西谷紀子「長野朗の中国革命観と社会認識」『大東法政論集』第11号(2001年3月)、同「長野朗の農本自治論」、『大東法政論集』第10号(2002年3月)、同「長野朗の1920年代における中国認識」『大東法政論集』第11号(2003年3月)、劉家鑫・李蕊「「支那通」の中国認識の性格:後藤朝太郎と長野朗を中心に」『東洋史苑』第70・71号(2008年3月)といった論文に取りあえず目を通した。

 長野は陸軍士官学校の出身(石原莞爾と同期)。中国へ派遣されたのは辛亥革命後のことだが、1919年の五・四運動、1920年の第二次広東軍政府といった動向を現地で目の当たりにし、中国国民革命の進展を観察していた。1921年に中国問題に専念するため軍を辞め、共同通信、国民新聞の嘱託となったほか、『中央公論』『改造』をはじめとした雑誌に寄稿する。行地社の同人となったが、軍と結び付いてクーデターを画策する大川周明たちからは次第に離れ、農村運動に入っていく。

 1938年春に中国の戦場を視察した際には避難民の悲惨な姿に心を痛め、戦争の正当性に疑問を抱いて長期化すべきではないと考えたという。日中提携論が彼の基本だが、満州国など日本の権益を切り離した上で日中親善を唱えるあたりには難しい矛盾があったという指摘もある。

 戸部良一『日本陸軍と中国──「支那通」にみる夢と蹉跌』(講談社選書メチエ、1999年)の分類に従うと、中国ナショナリズムに共感を寄せた点で長野は新「支那通」に属すると言える。ただし、戸部書で取り上げられた佐々木到一たちが国民党のイニシアチブによる近代国家形成を期待(そして幻滅)したのに対し、長野はそうした路線は外国の翻訳思想に過ぎず有効ではないと主張した点で異なる。また、戸部書によると中国には近代国家を形成する能力が欠如しているという認識が旧「支那通」の特徴だと指摘されているが、こうした認識を長野はむしろプラス面として捉えた。

 長野の基本思想は農本主義にあった。『動乱支那の真相』では社稷を「一定の土地に於ける人民の衣食住の安定を主とした自治を指す」と定義して、そうした自治体を下から積み上げて国家天下に至るとされる。外来思想翻訳的な近代国家路線をとるのではなく、中国自身の伝統に馴染んだ国づくりをすべきだと長野は主張する。ここには権藤成卿の強い影響が認められる。

 農本主義は土着性を強調するため近代主義者からは評判が悪い。しかし、権力というモメントによって秩序維持を図る国家主義とは異なり、逆に社稷という人間同士の情緒的な共感に基づく共同体を重視する点で反権力主義であって、その意味ではむしろアナキズムに近い(権藤の著作集はアナキスト系の黒色戦線社から出ている)。様々な思想背景を持つ農本主義者が集まって結成された日本村治派連盟には長野や権藤の他に橘孝三郎、武者小路実篤、下中弥三郎、室伏高信、土田杏村、加藤一夫などの名前が見える。権藤成卿橘孝三郎については以前に取り上げたことがある。

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