« 『石橋湛山評論集』『湛山回想』 | トップページ | 花田清輝『復興期の精神』 »

2009年4月25日 (土)

丸山眞男『福沢諭吉の哲学』

丸山眞男(松沢弘陽編)『福沢諭吉の哲学』(岩波文庫、2001年)

 丸山眞男の福沢好きは有名で、たとえば言論弾圧の厳しかった時代、福沢の論説から的確な軍国主義批判を読み取って気を晴らせていたというエピソードはよく知られている(もちろん、福沢全集は古典として発禁処分など受けていない)。

 福沢にしても、近年は丸山にしても、色々と毀誉褒貶が激しい。しかし、古典を読むとき(丸山も私の世代からすればすでに古典だ)、出された結論に目を奪われてしまうのは実に浅はかである。時代状況が変われば結論なんてものもその都度変わる。むしろ、問題意識の立て方と、それを料理する考え方(方法論)、こちらを汲み取らなくては読んだことにはならない。

 『文明論之概略』では野蛮→半開→文明という図式が示されている。これだけをピックアップすると進歩史観に立つ欧化主義者という決め付けにもなりかねないが、他方で福沢は、文明の位置関係は逆転し得る、現段階では西洋が文明の位置にあるから、日本が生き残るために学ぶのだと言う。何が必要なのかは状況に応じて変わってくる。丸山はこう記している。

福沢から単なる欧化主義乃至天賦人権論者を引出すのが誤謬であるならば、他方、国権主義者こそ彼の本質であり、文明論や自由論はもっぱら国権論の手段としての意義しかないという見方もまた彼の条件的発言を絶対視している点で前者と同じ誤謬に陥ったものといわねばならぬ。文明は国家を超えるにも拘らず国家の手段となり、国家は文明を手段とするにも拘らずつねに文明によって超越せられる。この相互性を不断に意識しつつ福沢はその時の歴史的状況に従って、或は前者の面を或は後者の面を強調したのである。要するに、こうした例に共通して見られる議論の「使い分け」が甚だしく福沢の思想の全面的把握を困難にしているのであるが、まさにそこにこそ福沢の本来の面目はあった。彼はあらゆる立論をば、一定の特殊的状況における遠近法的認識として意識したればこそ、いかなるテーゼにも絶対的無条件的妥当性を拒み、読者に対しても、自己のパースペクティヴの背後に、なお他のパースペクティヴを可能ならしめる様な無限の奥行を持った客観的存在の世界が横わっていることをつねに暗示しようとしたのである(「福沢諭吉の哲学」80ページ)。

 福沢の文章を読んでいると、たとえば儒教批判などで「古習の惑溺」という表現がよく出てくる。丸山はこう語る。

「惑溺」というのは、人間の活動のあらゆる領域で生じます。政治・学問・教育・商売、なんでも惑溺に発展する。彼がよく言うのは、「一心一向にこり固まる」という言葉で言っています。政治とか学問とか、教育であれ、商売であれ、なんでもかんでも、それ自身が自己目的化する。そこに全部の精神が凝集してほかが見えなくなってしまうということ、簡単に言うとそれが惑溺です。うまく定義できませんけれども、また、定義すべきものでもありませんけれども、自分の精神の内部に、ある種のブランクなところ──その留保を残さないで、全精神をあげてパーッと一定の方向に行ってしまう、ということです(「福沢諭吉の人と思想」181~182ページ)。

 「惑溺」は何も儒学など伝統墨守の石頭に限らない。福沢は急進的な民権論に対して斜に構えた態度を取ったが、急進論にもこうした「惑溺」を見出したからだと丸山は指摘している。立場の如何に拘らず、こうした思考停止状態に陥ってしまう人がいつでもどこでもいるから困ったものである。

 むかし、『福翁自伝』を読んだとき、たとえば適塾で、赤穂浪士は義か不義か、なんてたわいない議論をする場面、福沢は「お前が義だと言うならおれは不義だと言う、お前が不義だと言うならおれは義にしてみせる、さあ、かかってきやがれ!」なんてことをやっているのが印象に残った。別にディベートの訓練なんてつまらん次元のことではない。ある一つの立論があるとして、それとは異なる立場にもそれなりに筋の通った理由があり得る、そうした配慮があってはじめて対話というものが成立する。このあたりのことを丸山は役割意識という表現で語っている。

…人生は、そこで大勢の人が芝居をしているかぎり、大事なことは、自分だけでなくて、みんながある役割を演じている以上、自分だけでなく、他者の役割を理解するという問題が起こってくるということです。理解するというのは、賛成するとか反対するとかいうこととは、ぜんぜん別のことです。他者の役割を理解しなければ、世の中そのものが成り立たない(「福沢諭吉の人と思想」196ページ)。

 どんな思想的立場、政治的立場を取ろうとも人それぞれの勝手だが、最低限この程度の認識を持ってもらわないと話が通じなくて困る。

|

« 『石橋湛山評論集』『湛山回想』 | トップページ | 花田清輝『復興期の精神』 »

哲学・思想」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/197828/44790128

この記事へのトラックバック一覧です: 丸山眞男『福沢諭吉の哲学』:

« 『石橋湛山評論集』『湛山回想』 | トップページ | 花田清輝『復興期の精神』 »