山﨑直也『戦後台湾教育とナショナル・アイデンティティ』、林初梅『「郷土」としての台湾──郷土教育の展開にみるアイデンティティの変容』
NHKスペシャル「シリーズ・日本デビュー」の第一回「アジアの“一等国”」のテーマは台湾。新興帝国主義・日本が“一等国”としての体面を立てるために初の植民地・台湾で行なった統治政策のマイナス面、とりわけ皇民化教育に焦点を合わせていた。
たまたま読んでいた台湾アイデンティティをめぐる研究書を二冊。日本の植民地支配が押し付けた「日本人」アイデンティティにせよ、国民党が押し付けた「中華民族」アイデンティティにせよ(番組の最後に蒋介石の姿がチラリと映ったが、彼による弾圧は日本に劣らない)、台湾土着の人々にとっては外来思想にすぎなかった。自前の国を持てなかった悲哀。自分たちの生活感覚にフィットしたアイデンティティ意識をどこに求めるのかという問いかけが台湾現代史には一貫して見えてくる。
山﨑直也『戦後台湾教育とナショナル・アイデンティティ』東信堂、2009年
本書は戦後台湾における国定教科書の分析を通して、台湾アイデンティティのゆらぎと教育との関わりを検討する。国家発展という至上目標のため人的資源開発→教育は手段として国家に従属、進学熱→「悪性補習」(詰め込み教育や健康を害するほどの受験負担。ツァイ・ミンリャン監督「青春神話」の鬱屈した少年の姿を思い出した)、教育先進国のモデルへの過度の依存といった特徴は一貫してみられるという。
一方で、1994年(李登輝政権の頃)の「国民中学課程標準」を分岐点として以下の変化が指摘される。かつての国民党による中国化教育期においては「忠勇愛国」の美徳が強調され、その忠誠の対象は国家=中華民族とされていた。94年以降は政治における「本土化」の流れを受け、重層的なアイデンティティ意識(四大族群の共存としての台湾イメージ:例えば、アミ<台湾人<中華民族<アジア人という同心円モデル)や三民主義教育の相対的縮小→脱「中国」化の傾向が見られる。『認識台湾』において「中国」(清)の統治と日本の統治とを同列に並べる→日本の植民地支配の客観的認識も連動している。ただし、族群政治がまだ進行中の現在、中台関係を横ににらみながら、「中国」化教育と「本土化」教育が並存しており(ピンインをめぐる論争などが挙げられる)、今後どのような方向に進むかは流動的である。(本書の奥付発行日は2月28日となっているが、意図してつけたのだろうか)
林初梅『「郷土」としての台湾──郷土教育の展開にみるアイデンティティの変容』東信堂、2009年
本書は1990年代以降の郷土教育(具体的には歴史と言語に関わる)に着目して台湾アイデンティティのゆらぎを考察する。その前段階として日本の植民地統治期及び国民党による中国化教育期におけるそれぞれの郷土教育観が取り上げられる。台湾という「郷土」→「日本」もしくは「中国」という上位レベルへ結び付けられる同心円構造を持っていた点で両者は共通するが、日本時代は身近な生活領域としての郷土性が意識されていたのに対し、中国化教育期は郷土としての台湾の特殊性への言及がほとんどなかった点で異なるという。
郷土教育はそうした中国化教育内容の画一性から脱却しようという動きとして表われたが、同時に、台湾内のエスニック集団の多様性という問題に直面することになる。閩南語文化=台湾文化としてしまうと、客家系や原住民、さらには外省人も無視されてしまう。このとき、「台湾」ではなく「郷土」という曖昧な表現が、こうした台湾内部の多元性を統合する機能として働いたという指摘が興味深い。政治レベルにおいては、「郷土(台湾と読み替え可能)→中華民国→世界」(国民党など)と「郷土→台湾→世界(中国を含む)」(民進党など)という二つのナショナル・アイデンティティがせめぎあっているが、「郷土」という表現の両義性によって教育現場は政治的対立を回避、むしろ郷土教育の内容の多様性を生み出せたのだという。多文化主義の台湾=単一の中華民族ではない、という形で今後の台湾におけるナショナル・アイデンティティの方向性を本書は見出している。
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