『西郷南洲遺訓』
『西郷南洲遺訓』(山田済斎編、岩波文庫、1939年)
いまどき西郷隆盛なんてほめそやすと時代錯誤な右翼のように思われてしまいそうでイヤなんだけど、しかし先入観を捨てて読んでみると、この人はこの人なりにきちんと物事が分かっていた人なんだなあ、ってつくづく感じる。思いついた箇所から抜き書き。まず、“文明”観について。
「文明とは道の普く行はるゝを贊称せる言にして、宮室の壮厳、衣服の美麗、外観の浮華を言ふには非ず。世人の唱ふる所、何が文明やら、何が野蛮やら些とも分らぬぞ。予嘗て或人と議論せしこと有り、西洋は野蛮ぢやと云ひしかば、否な文明ぞと争ふ。否野蛮ぢやと畳みかけしに、何とて夫れ程に申すにやと推せしゆゑ、実に文明ならば、未開の国に対しなば、慈愛を本とし、懇々説諭して開明に導く可きに、左は無くして未開蒙昧の国に対する程むごく残忍の事を致し己れを利するは野蛮ぢやと申せしかば、其人口を莟めて言無かりきとて笑はれける。」
「西洋の刑法は専ら懲戒を主として苛酷を戒め、人を善良に導くに注意深し。故に囚獄中の罪人をも、如何にも緩るやかにして鑒誡となる可き書籍を与へ、事に因りては親族朋友の面会をも許すと聞けり。尤も聖人の刑を設けられしも、忠孝仁愛の心より鰥寡孤独を愍み、人の罪に陥るを恤ひ給ひしは深けれ共、実地手の届きたる今の西洋の如く有しにや、書籍の上には見え渡らず、実に文明ぢやと感ずる也。」
“文明”を国の強弱ではなく、ある種の普遍性を持った“道理”の感覚に求めようとしている。欧米列強の植民地支配を野蛮として非難する一方で、たとえば刑罰の制度については西洋の方が道理にかなっていて優れていると認識するなど、割合と公平に考えようとする態度が窺われて興味深い。このように“文明”を捉えた上で、次のようなことを言っているあたり、福沢諭吉「瘠我慢の説」を連想させる。
「正道を踏み国を以て斃るゝの精神無くば、外国交際は全かる可からず。彼の強大に畏縮し、円滑を主として、曲げて彼の意に順従する時は、軽侮を招き、好親却て破れ、終に彼の制を受るに至らん。」
以下は西郷の言葉として有名。
「道は天地自然の物にして、人は之を行ふものなれば、天を敬するを目的とす。天は人も我も同一に愛し給ふゆゑ、我を愛する心を以て人を愛する也。」
「人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして、己れを尽て人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし。」
「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕末に困るもの也。此の仕末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり。」
「幾たびか辛酸を歴て志始て堅し。丈夫玉砕甎全を愧づ。一家の遺事人知るや否や。児孫の為めに美田を買はず。」
以下は、付録として収録された「手抄言志録」、つまり佐藤一斎『言志録』から西郷が抜き書きした箇所を、さらに私が抜き書き。幕末の志士たちは『言志録』をバイブルのように愛読していたと言われている。
「吾れ思ふ、我が身は天物なり。死生の権は天に在り、当に之を順受すべし。我れの生るゝや自然にして生る、生るゝ時未だ嘗て喜ぶことを知らず。則ち我の死するや応に亦自然にして死し、死する時未だ嘗て悲むことを知らざるべし。天之を生みて、天之を死す、一に天に聴さんのみ、吾れ何ぞ畏れん。吾が性は即ち天なり、躯殻は則ち天を蔵むるの室なり。…而て吾が性の性たる所以は、恒に死生の外に在り、吾れ何ぞ畏れん。」
「自ら反みて縮きは、我無きなり。千万人と雖吾れ往かんは、物無きなり。」
オリジナルを参照したければ、前者は佐藤一斎(川上正光訳注)『言志四録(一)言志録』(講談社学術文庫、1978年、172頁)に、後者は『同(三)言志晩録』(講談社学術文庫、1980年、125頁)にある。
前者の箇所について私はスピノザを思い浮かべながら文字を追った。説明を求められても困るが、何となく私自身の感覚として。
後者の箇所は『孟子』に由来するが、微妙に違う。本来は「自ら反みて縮からずんば、褐寛博と雖も、吾往かざらん。自ら反みて縮ければ、千万人と雖も吾往かん」(『孟子(上)』小林勝人訳注、岩波文庫、1968年、116頁)。誠→私心がない→自己は天地万物に包蔵された存在という自覚→私は私であって私ではない。こうした感覚で、前者と通じている。
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