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2009年4月12日 (日)

福間良明『「戦争体験」の戦後史──世代・教養・イデオロギー』

福間良明『「戦争体験」の戦後史──世代・教養・イデオロギー』(中公新書、2009年)

 「平和への思いを新たにするために、戦争体験を語り継がなければならない」──確かに正論である。異議はない。しかし、それぞれに多様であり、また苛酷ですらあった“戦争体験”の“語りがたさ”を前にして、語り継ぎの中にはひょっとして断絶があったのではないか。本書は、“教養”の世代間ギャップという観点によって“戦争体験”の語り継ぎの変容を検討した知識社会学的な論考である。

 体験した者でなければ分からない“戦争体験”を語る戦中派の態度に(もちろん意図的ではないにしても)有無を言わせぬ威圧を戦後生まれの年少者は受け止めた。それはあたかも、彼ら戦中派自身が、大正教養主義にひたった戦前派世代から教養の欠如を蔑まれ(戦中派世代には言論統制の中で幅広い教養に接する機会がなかった)、従属を迫られたときの語り口によく似ていると本書は指摘する。

 例えば、立命館大学のキャンパスにあったわだつみ像を全共闘が破壊した事件が取り上げられる。彼らにとってわだつみ像は「反戦」のシンボルではなく、「戦後民主主義」を支えた知識人の傲慢さと映っていた(同様に、東大で丸山眞男がつるし上げられた事件にも言及される)。“戦争体験”の偶像化により、その位置付けられた脈絡がすり替わってしまっていた。そして現在においては、戦争体験の語り→「英霊」の顕彰につなげる議論と、日本の戦争責任→加害責任を問う議論という二項対立の状況を呈している。それぞれ自分たちの好みに合うように“戦争体験”を政治的に消費するばかりで、相互のコミュニケーションが断絶してしまっている。

 ここしばらく、右寄りの議論が随分と幅を利かせているように見受けられる。進歩主義的な観念論が相対化された点は歓迎できるものの、そのかわり逆方向に極端化した感情論があまりにも強すぎて私には違和感がぬぐえない。これもまた、かつて学界・言論界でヘゲモニーを握っていた“左翼”に対する反発の不健全な表面化と言うことができるだろう。地に足のついた議論を進めるためにはこうした呪縛から解き放たれねばならないわけだが、本書にはそのための示唆があるように思う。

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