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2009年4月22日 (水)

松元崇『大恐慌を駆け抜けた男 高橋是清』、他

 松元崇『大恐慌を駆け抜けた男 高橋是清』(中央公論新社、2009年)は、高橋是清の人物論を期待するとがっかりするかもしれない。是清が大恐慌にあたって采配を振るうに到った日本経済の課題や条件は何だったのか、その背景解説が中心となる。読み物としては地味だが、近代日本財政史の堅実なテキストという感じで勉強向き。

 ここのところちょっと必要があって金解禁論争関連の本をいくつか読み漁っている。金本位制のメカニズムについて、理屈を文面ではたどっていてもなかなか得心がこないのだが、それはおいおい勉強するとして。金解禁を断行した井上準之助と再禁止をした高橋是清とが必ず対比される。岩田規久男編著『昭和恐慌の研究』(東洋経済新報社、2004年)や竹森俊平『世界デフレは三度来る』(上下、講談社、2006年)などを読むと、結論としては是清が正しかったということになるようだ。

 金解禁論争で井上財政を批判していたエコノミストの一人、高橋亀吉について知りたくて谷沢永一『高橋亀吉 エコノミストの気概』(東洋経済新報社、2003年)を手に取ったのだが、これはダメな本。途中で読むのをやめた。井上を指して「愚か者を罰する法律がないのが残念だ」なんて平気で書くのだが、おいおい、じゃあ血盟団事件を肯定するつもりなのか? 初期の亀吉が社会主義に関心を示している箇所に触れては感情的な左翼批判が丸出し。谷沢は元共産党員の転向者だが、近親憎悪が激しいのか極端だ。

 当時は金本位制が一つの国際スタンダードとなっていた。そうした学知的枠組み(パラダイムと言ったらいいのか)の中に井上も組み込まれていたわけで、彼個人を人格攻撃したって全く無意味だろう(現在の視点からすれば井上の政策判断は否定されるにしても、その人物像を描き出した城山三郎『男子の本懐』の方が好感が持てる)。もちろん、個人要因をどう考えるかは政治史で繰り返される議論であるにしても、政策判断の是非と個人の人格的なレベルとは切り離す、少なくとも適度に距離を置いて考えないと見損なってしまうものが多い。通俗的な議論であればあるほど人格要因べったりの本が多いな。悪玉・善玉がはっきりして馬鹿でも分るからか。

 竹森俊平『世界デフレは三度来る』や「昭和恐慌、正しかったのは高橋是清か、井上準之助か」(『中央公論』2009年1月)では、国際協調路線、財政規律→軍事費抑制といった井上の意図も指摘し、是清と井上の二人がコンビを組めばその後の大恐慌や軍拡路線を効果的に乗り切れたのではないかと嘆いていた。残念ながら、是清は二・二六事件で、井上は血盟団事件で命を落としてしまうのだが。

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